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思君恩(令狐楚)

思君恩
思(し)君恩(くんおん)
令(れい)狐楚(こそ)
  • ウィキソース「思君恩 (令狐楚)」参照。
  • この詩は、漢の武帝(劉徹)の寵愛を失い、長門宮に退居させられた陳皇后の怨情を想像しながら詠んだもの。宮女の閨怨(けいえん)詩。なお、同じく陳皇后を詠んだ詩に段成式の「折楊柳」がある。ウィキペディア【陳皇后 (漢武帝)】参照。
  • 詩題 … 新楽府題の一つ。君主(天子)の恩愛を思い慕う。天子の寵愛を失った宮女の怨情を主題とする。『唐詩品彙』『唐詩解』では「思君恩二首其一」に作る。『万首唐人絶句』『楽府詩集』『唐詩紀事』では「思君恩三首其一」に作る。
  • 令狐楚 … 766~837。中唐の詩人、政治家。姓は令狐(二字姓)。字(あざな)は愨(かく)士(し)。宜(ぎ)州(しゅう)華(か)原(げん)県(陝西省耀(よう)州(しゅう)区)の人。本籍は敦煌(甘粛省敦煌市)。貞元七年(791)、進士に及第。徳宗に文才を認められ、憲宗の時、同中書門下平章事に任ぜられて宰相の地位に就いた。白居易・元稹・劉禹錫らと詩の唱和をした。ウィキペディア【令狐楚】参照。
小苑鶯歌歇
小(しょう)苑(えん) 鶯(おう)歌(か)歇(や)み
  • 小苑 … 小さな庭園。漢代、後宮にある小さな庭園を指すものと思われる。『漢書』蕭望之伝に「望之は射策(せきさく)甲科を以て郎と為り、小苑の東門の候に署せらる」(望之以射策甲科爲郎、署小苑東門候)とある。射策は、漢代、官吏登用試験の科目の一つ。経書や政治課題などを何枚かの策(竹の札)に書いて伏せて隠しておき、受験者はその中の一つを取ってその問題に答える試験。候は、門番。ウィキソース「漢書/卷078」参照。また、南朝梁の元帝(蕭(しょう)繹(えき))「春の賦」(『初学記』巻三)に「洛陽 小苑の西、長安 大道の東、苔は池を染めて尽(ことごと)く緑に、桃は山を含みて併せて紅(くれない)なり」(洛陽小苑之西、長安大道之東、苔染池而盡綠、桃含山而併紅)とある。ウィキソース「春賦 (蕭繹)」参照。
  • 鶯歌 … うぐいすの歌う声。うぐいすの鳴き声。うぐいすのさえずり。鶯(おう)語(ご)・鶯声(おうせい)・鶯吟(おうぎん)も同じ。古楽府「西烏夜飛」(『楽府詩集』巻四十九)に「底(なに)をか持ちて歓(かん)を喚び来(きた)らん、花笑いて鶯歌詠ず」(持底喚歡來、花笑鶯歌詠)とある。底は、何に同じ。唐宋の俗語。歓は、あなた。六朝の頃、女性が恋人を呼んだことば。ウィキソース「樂府詩集/049卷」参照。
  • 歇 … 止(や)む。休止する。
長門蝶舞多
長(ちょう)門(もん) 蝶(ちょう)舞(ぶ)多(おお)し
  • 長門 … 漢の離宮の名。長門宮。武帝の寵愛が衛(えい)子夫(しふ)に移り、その嫉妬から陳皇后は呪詛事件を起こしたため、武帝の怒りを買い、元光五年(前130)、長門宮に退居させられた。『漢書』外戚伝に「孝武陳皇后は、長公主嫖(ひょう)の女(むすめ)なり。……帝、即位するに及び、立ちて皇后と為り、寵を擅(ほしいまま)にし貴に驕(おご)るも、十余年にして子無し。衛(えい)子夫(しふ)の幸を得ることを聞き、幾(ほとん)ど死せんとする者(こと)数〻(しばしば)なり。上(しょう)愈〻(いよいよ)怒る。后又た婦人の媚(び)道(どう)を挟(さしはさ)み、頗(すこぶ)る覚(おぼ)ゆ。元光五年、上(しょう)遂に之を窮(きゅう)治(ち)し、女子楚(そ)服(ふく)等、皇后の巫蠱(ふこ)に祠祭祝詛を為し、大逆無道に坐し、相連(れん)及(きゅう)して誅せらるる者三百余人なり。楚服は市に梟(きょう)首(しゅ)せらる。有司をして皇后に策を賜わしめて曰く、皇后序を失い、巫祝に惑う。以て天命を承(う)く可からず。其れ璽(じ)綬(じゅ)を上(たてまつ)り、罷退(はいたい)して長門宮に居れ、と」(孝武陳皇后、長公主嫖女也。……及帝即位、立爲皇后、擅寵驕貴、十餘年而無子。聞衞子夫得幸、幾死者數焉。上愈怒。后又挾婦人媚道、頗覺。元光五年、上遂窮治之、女子楚服等坐爲皇后巫蠱祠祭祝詛、大逆無道、相連及誅者三百餘人。楚服梟首於市。使有司賜皇后策曰、皇后失序、惑於巫祝。不可以承天命。其上璽綬、罷退居長門宮)とある。窮治は、罪状を徹底的に調べること。連及は、関連すること。梟首は、さらし首。上(たてまつ)るとは、返上すること。罷退は、罷(や)めて退くこと。ウィキソース「漢書/卷097上」参照。また『三輔黄図』巻三、甘泉宮の条に「長門宮は、離宮にして、長安城に在り。孝武の陳皇后、幸を得るも、頗(すこぶ)る妬(ねた)み、長門宮に居(きょ)せらる」(長門宮、離宮、在長安城。孝武陳皇后得幸、頗妬、居長門宮)とある。ウィキソース「三輔黃圖/卷之三」参照。
  • 蝶舞 … 蝶が舞い戯れること。初唐の杜審言「春日、江津遊望」詩(『全唐詩』巻六十二)に「鳥啼いて幾処にか移る、蝶舞いて乱れて相迎う」(鳥啼移幾處、蝶舞亂相迎)とある。ウィキソース「春日江津遊望」参照。また、中唐の姚合(ようごう)「安陸の友人に寄す」詩(『全唐詩』巻四百九十七)に「鳥は啼く 三月の雨、蝶は舞う 百花の風」(鳥啼三月雨、蝶舞百花風)とある。ウィキソース「全唐詩/卷497」参照。
眼看春又去
眼(ま)のあたり看(み)る 春(はる)又(ま)た去(さ)るを
  • 眼看 … 見ているうちに。見る見るうちに。眼前に見ること。初唐の王績の詩「酒家を過ぐ五首」(『全唐詩』巻三十七)の第二首に「眼看〻(みすみす)に人尽(ことごと)く酔う、何ぞ忍んで独り醒むることを為さん」(眼看人盡醉、何忍獨爲醒)とある。ウィキソース「過酒家 (此日長昏飲)」参照。
  • 春又去 … 今年の春もまた過ぎて行く。
  • 又 … 「また~」と読み、「またもや~」「さらに~」と訳す。行為・状態が重複する意を示す。『春秋左氏伝』昭公十年に「五月庚辰(こうしん)、稷(しょく)に戦い、欒(らん)・高(こう)敗る。又た諸(これ)を荘に敗る」(五月庚辰、戰于稷、欒高敗。又敗諸莊)とある。ウィキソース「春秋左氏傳/昭公」参照。
翠輦不曾過
翠輦(すいれん) 曾(かつ)て過(よぎ)らず
  • 翠輦 … 翡翠(かわせみの羽)で飾った天子の乗物。輦は、天子の乗る手引き車(ぐるま)。隋の煬帝「雲中にて突厥の主の朝するを受け、宴席に詩を賦す」詩に「鹿塞(ろくさい)に鴻(こう)旗(き)駐(とど)まり、竜(りゅう)庭(てい)に翠輦回(めぐ)る」(鹿塞鴻旗駐、龍庭翠輦回)とある。竜庭は、匈奴の王の庭。ウィキソース「全隋詩/卷三」参照。また、唐の太宗(李世民)の詩「旧宅を過ぐ二首」(『全唐詩』巻一)の第一首に「新豊(しんぽう)に翠輦を停め、譙(しょう)邑(ゆう)に鳴(めい)笳(か)を駐(とど)む」(新豐停翠輦、譙邑駐鳴笳)とある。新豊は、町の名。長安の東北、現在の陝西省西安市臨潼(りんどう)区の東北にあった。漢の高祖(劉邦)が都を長安に定めたとき、父の太公が郷里の豊(ほう)を恋しがったため、郷里からすべてを移して作った町。譙邑は、三国魏の曹操の出身地。現在の安徽省亳(はく)州(しゅう)市譙城(しょうじょう)区。鳴笳は、鳴り響く葦笛の音。ウィキソース「過舊宅」参照。
  • 不曾過 … 一度もお立ち寄りになったことがない。
  • 曾 … 『全唐詩』では「經」に作り、「一作曾」と注する。『楽府詩集』『唐詩紀事』では「經」に作る。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 多・過(下平声歌韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻三百三十四(排印本、中華書局、1960年)
  • 『唐詩紀事』巻四十二([宋]計有功輯撰、上海古籍出版社、1987年)
  • 『楽府詩集』巻九十五・新楽府辞(北京図書館蔵宋刊本影印、中津濱渉『樂府詩集の研究』所収)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻十二(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『唐詩解』巻二十三(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻四十二([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
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