罪を天に獲れば、禱る所無きなり
罪を天に獲れば、禱る所無きなり
- 出典:『論語』八佾第三13(ウィキソース「論語/八佾第三」参照)
- 解釈:天に対して罪を犯せば、どんなに祈っても意味はない。すべては天が決めることである。衛の霊公の時の重臣である王孫賈が、孔子が自分を無視して霊公と直接接することを不快に思い、「ことわざに、奥の神(霊公を指す)のご機嫌をとるより、かまどの神(王孫賈を指す)のご機嫌をとれとは、どういう意味か」と孔子に質問したときの、孔子が答えた言葉。
- 論語 … 孔子(前552~前479)とその門弟たちの言行録。四書の一つ。十三経の一つ。二十編。儒家の中心的経典。我が国へは応神天皇の代に伝来したといわれている。ウィキペディア【論語】参照。
王孫賈問曰、與其媚於奧、寧媚於竈、何謂也。子曰、不然。獲罪於天、無所禱也。
王孫賈、問いて曰く、其の奥に媚びんよりは、寧ろ竈に媚びよ、とは何の謂ぞや。子曰く、然らず。罪を天に獲れば、禱る所無きなり。
- 詳しい注釈と現代語訳については「八佾第三13」参照。
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