日暮れて途遠し
日暮れて途遠し
- 出典:『史記』伍子胥列伝(ウィキソース「史記/卷066」参照)
- 解釈:年老いて、なお目的が達せられないことのたとえ。途は、道。「塗」と書くこともある。
春秋時代末期、伍子胥は楚の平王に父と兄を殺害された。冤罪であった。復讐を誓い呉に亡命し、公子光(のちの呉王闔閭)に仕え、呉を強国にした。闔閭九年(前506)、ついに楚を破り、楚の都郢に入城したが、平王はすでに死に、子の昭王は亡命したあとだった。伍子胥は恨みを晴らすために平王の墓を暴き、死骸を三百回鞭打った。かつての友申包胥がそのやり方を非難した。それに対して伍子胥が「日が暮れてしまったのに、目的地までの道のりがまだ遠い。だから道理に従っている余裕などなかったのだ」と答えたという故事に基づく。
- 史記 … 前漢の司馬遷がまとめた歴史書。二十四史の一つ。事実を年代順に書き並べる編年体と違い、人物の伝記を中心とする紀伝体で編纂されている。本紀十二巻、表十巻、書八巻、世家三十巻、列伝七十巻の全百三十巻。ウィキペディア【史記】参照。
及呉兵入郢、伍子胥求昭王、旣不得。乃掘楚平王墓、出其尸、鞭之三百、然後已。申包胥亡於山中、使人謂子胥曰、子之報讎、其以甚乎。
呉の兵の郢に入るに及び、伍子胥、昭王を求むるも、既に得ず。乃ち楚の平王の墓を掘きて、其の尸を出だし、之に鞭つこと三百、然る後已む。申包胥、山中に亡げ、人をして子胥に謂わしめて曰く、子の讎を報ずる、其れ以甚だしきかな。
- 郢 … 春秋戦国時代の楚の都。ウィキペディア【郢】参照。
- 伍子胥 … ?~前485。春秋時代、呉の謀臣。名は員、子胥は字。楚の人。父と兄が楚の平王に殺されたので、呉を助けて楚を討った。のち、讒言により自殺した。ウィキペディア【伍子胥】参照。
- 昭王 … 春秋時代の楚の王。平王の子。在位期間は前516~前489。ウィキペディア【昭王 (楚)】参照。
- 平王 … 春秋時代の楚の王。昭王の父。在位期間は前529~前516。少傅(太子の教育係の副官)の費無忌の讒言を信じ、太傅(太子の教育係の長)の伍奢(伍子胥の父)と息子の伍尚(伍子胥の兄)を処刑した。ウィキペディア【平王 (楚)】参照。
- 尸 … しかばね。人間の死体。「屍」に同じ。
- 申包胥 … 春秋時代、楚の人。伍子胥のかつての友人。姓はもと公孫。大夫となって申に封ぜられたので、申を称した。平王・昭王・恵王の三代に仕え、呉の侵攻を、秦の助けを得て破った。ウィキペディア【申包胥】参照。
- 以甚 … 二字で「はなはだし」と読む。程度が過ぎていること。「已甚だし」に同じ。
……今子故平王之臣、親北面而事之。今至於僇死人。此豈其無天道之極乎。伍子胥曰、爲我謝申包胥曰、吾日莫途遠、吾故倒行而逆施之。
……今、子は故平王の臣、親しく北面して之に事えたり。今、死人を僇するに至る。此れ豈に其れ天道を無みするの極みか、と。伍子胥曰く、我が為に申包胥に謝して曰え、吾、日莫れて途遠し、吾、故に倒行して之を逆施す。
- 北面 … 臣下として君主に仕えること。天子は南向きに座り、臣下はそれに向き合って北向きに座ったことから。
- 僇 … 辱める。
- 無天道 … 天道をないがしろにする。
- 謝 … ここでは、返答する。言い訳をする。
- 莫 … 日がくれる。「暮」に同じ。
- 途 … 道。「塗」とも書く。
- 倒行 … 倒れるほどに急いで進むこと。
- 逆施 … 道理に逆らって行動する。

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