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衛霊公第十五 4 子曰無爲而治者章

383(15-04)
子曰、無爲而治者、其舜也與。夫何爲哉。恭己正南面而已矣。
いわく、無為むいにしておさむるものは、しゅんか。なにをかすや。おのれうやうやしくし、ただしく南面なんめんするのみ。
現代語訳
  • 先生 ――「じっとしていて世がおさまったのは、まあ舜(シュン)さまぐらいだな。いったいなにをなさったか…。身をととのえて、王さまの席につくだけだった。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「自身は何もしないで天下が治まったのはしゅんであろうか。舜はいったい何をなさったか。行儀よくキチンと南を向いてすわってござっただけじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「無為にして天下を治めることができたのは、舜であろう。舜は何をしたか。ただうやうやしい態度で、正しく南面していただけである」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 無為 … 何もしない。人為を加えない。
  • 治者 … 天下をうまく治めた人。
  • 其舜也与 … まあ舜帝だろうね。「其」は強調の語。「与」は「か」と読む。
  • 舜 … 古代の伝説上の聖天子。姓はよう。虞に国を建てたので虞舜、または有虞氏と呼ばれる。堯から譲位を受け皇帝となった。ウィキペディア【】参照。
  • 夫 … 「それ」と読む。いったい。
  • 何為哉 … 何をしたであろうか。
  • 恭己 … 自分の身を慎み深くする。
  • 正 … きちんと。
  • 南面 … 天子が南に面して座につくこと。すなわち、君主の位につくこと。
  • 而已矣 … 「のみ」と読む。~だけだ。~にすぎない。
補説
  • 『注疏』に「此の一章は帝舜をむるなり」(此一章美帝舜也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 無為而治者、其舜也與 … 『集解』の何晏の注に「言うこころは官に任ずるに其の人を得たり。故に無為にして治むるなり」(言任官得其人。故無爲而治也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「舜はかみ堯のゆずりを己に受け、己は又たしも禹にゆずる、受授して人を得たり。故に孔子は舜の無為にして能く治むることを歎ずるなり」(舜上受堯禪於己、己又下禪於禹、受授得人。故孔子歎舜無爲而能治也)とある。なお、底本では「不禪」に作るが、諸本に従い「下禪」に改めた。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「帝王の道は、無為清静に在りて民之を化するを貴ぶ。然れども後の王者は、能く及ぶものまれなるを以て、故に孔子曰く、無為にして天下治まる者は、其れ舜なるか、と。無為なる所以は、其の官に任ずること人を得るを以てなり」(帝王之道、貴在無爲清靜而民化之。然後之王者、以罕能及、故孔子曰、無爲而天下治者、其舜也與。所以無爲者、以其任官得人)とある。また『集注』に「無為にして治まるは、聖人の徳盛んにして民化し、其の作為する所有るを待たざるなり。独り舜を称するは、堯の後をぎて、又た人を得て以て衆職を任ず。故に尤も其の有為のあとを見ざればなり」(無爲而治者、聖人德盛而民化、不待其有所作爲也。獨稱舜者、紹堯之後、而又得人以任衆職。故尤不見其有爲之迹也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 其舜也与 … 「其舜与」に作るテキストもある。
  • 夫何為哉。恭己正南面而已矣 … 『義疏』に「既に受授し善く人を得、情慮を労すること無し。故に云う、夫れ何をか為すや、と。既にすいきょうして民自ら治まる。故に自ら恭敬して天位に居り、正しく南面する所以のみ」(既受授善得人、無勞於情慮。故云、夫何爲哉。既垂拱而民自治。故所以自恭敬而居天位、正南面而已也)とある。垂拱は、何もしないでいること。また『注疏』に「夫れ舜は何ぞ必ずしも有為ならんや。但だ己の身を恭敬し、正しく南面して明にむかうのみ」(夫舜何必有爲哉。但恭敬己身、正南面嚮明而已)とある。また『集注』に「己を恭しくすとは、聖人の敬徳の容なり。既に為す所無ければ、則ち人の見る所此くの如きのみ」(恭己者、聖人敬德之容。既無所爲、則人之所見如此而已)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ夫子舜の徳独り群聖人に度越するを賛するなり。夫れ聖は堯舜を盛んなりと為す。堯の若き唯だ天を大なりと為し、唯だ堯之に則る、固に賛することを待たず。舜は則ち納賓巡狩し、山を封じ川をさらう、亦た事多し。然れども其の為すこと有るの迹をあらわさず。所謂之を立つればここに立ち、之をみちびけば斯に行い、之をやすんずれば斯に来たり、之を動かせば斯にやわらぐとは、是れなり。独り舜を称して為すこと無くして治まると為す所以なり」(此夫子贊舜之德獨度越于群聖人也。夫聖堯舜爲盛。若堯唯天爲大、唯堯則之、固不待贊焉。舜則納賓巡狩、封山濬川、亦多事矣。然不見其有爲之迹。所謂立之斯立、道之斯行、綏之斯來、動之斯和、是也。所以獨稱舜爲無爲而治也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「無為にして治むは、古来人を得るを以て言う。故に舜には特に此れを以て之を称す。文王独り憂い無きを以て称せらるるが如きのみ。仁斎乃ち、之を立つればここに立ち、之をみちびけば斯に行われ、之をやすんずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和すというを引く。是れ凡そ聖人皆しかり。豈にひとり舜のみならんや」(無爲而治、古來以得人言。故舜特以此稱之。如文王獨以無憂稱已。仁齋乃引、立之斯立、道之斯行、綏之斯來、動之斯和。是凡聖人皆爾。豈特舜而已哉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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