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憲問第十四 41 子路宿於石門章

373(14-41)
子路宿於石門。晨門曰、奚自。子路曰、自孔氏。曰、是知其不可、而爲之者與。
子路しろ石門せきもん宿しゅくす。晨門しんもんいわく、いずりする。子路しろいわく、こうりす。いわく、不可ふかなるをりて、これものか。
現代語訳
  • 子路が石門(セキモン)に宿をとった。門番がいう、「どこからだね。」子路 ――「孔の家からだ。」――「あのダメだと知りながら、やってる男か。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子路がの国境の石門という関所せきしょの手前に一泊して、翌朝門を通ろうとしたら、門番が「どこから来たか。」とたずねた。子路が「孔家の者だ。」と答えたところ、門番の言うよう、「それではあのだめだと知りながらあちこちしている人の所からか。どうもご苦労様なことじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子路が石門せきもんに宿って、翌朝関所を通ろうとすると、門番がたずねた。――
    「どちらからおいでですかな」
    子路がこたえた。――
    「孔家のものです」
    すると門番がいった。――
    「ああ、あの、だめなことがわかっていながら、思いきりわるくまだやっている人のうちの方ですかい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子路 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 石門 … 地名。魯の城外にある宿場。
  • 晨門 … 門番。朝に門を開き、夕方に門を閉める。「晨」は、朝。
  • 奚自 … 「いずれよりする」「いずれよりぞ」と読み、「どこから来たのか」と訳す。下に動詞「来」が省略されている。「自」は「従」に同じ。
補説
  • 『注疏』に「此の章は隠者晨門の言を記するなり」(此章記隱者晨門之言也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子路 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 子路宿於石門 … 『義疏』に「石門は、地名なり。子路行きて石門にとどまり宿するなり。石門と云う者は、魯の城門の外なり」(石門、地名也。子路行住石門宿也。云石門者、魯城門外也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「石門は、地名なり」(石門、地名也)とある。また『集注』に「石門は、地名」(石門、地名)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 石門。晨門曰 … 『義疏』では「石門。石門晨門曰」に作る。
  • 晨門曰、奚自 … 『集解』の何晏の注に「晨門とは、閽人こんじんなり」(晨門者、閽人也)とある。閽人は、宮中の門番。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「晨門は、石門の晨昏しんこんに開閉を守るの吏なり。魯人なり。自は、従なり。子路既に石門に在り。門を守るの吏、朝早に開き、子路石門より行き過ぐるを見る。故に子路に問いて云う、汝将に何れよりして来たるや、と」(晨門、守石門晨昏開閉之吏也。魯人也。自、從也。子路既在石門。守門之吏、朝早開、見子路從石門行過。故問子路云、汝將從何而來耶)とある。また『注疏』に「晨門は、晨昏に門を開閉するを掌る者、閽人を謂うなり。自は、従なり。奚は、何なり。時に子路石門に宿り、夙に興きて門人の問う所と為る。曰く、汝は何れより来たるか、と」(晨門、掌晨昏開閉門者、謂閽人也。自、從也。奚、何也。時子路宿於石門、夙興爲門人所問。曰、汝何從來乎)とある。また『集注』に「晨門は、あしたに門をひらくを掌る。蓋し賢人にして抱関に隠るる者ならん。自は、従りなり。其の何れの所より来たるかを問うなり」(晨門、掌晨啓門。蓋賢人隱於抱關者也。自、從也。問其何所從來也)とある。抱関は、関所の門番。
  • 子路曰、自孔氏 … 『義疏』に「子路答えて曰く、我此の行、孔子の処より来たるなり、と」(子路答曰、我此行、從孔子處來也)とある。また『注疏』に「子路閽人の答えて、孔氏の処より来たるを言うなり」(子路答閽人、言自孔氏處來也)とある。
  • 是知其不可、而為之者与 … 『集解』に引く包咸の注に「孔子世の為す可からざるを知りて、強いて之を為すを言うなり」(言孔子知世不可爲、而強爲之也)とある。また『義疏』に「晨門は子路の孔子よりすと云うを聞く。故に知るは、是れ孔子なり。言うこころは孔子は世の教化す可からざるを知れども、強いて東西に周流す。是れ其の不可なるを知りて之を為す。故に之を問う」(晨門聞子路云從孔子。故知、是孔子也。言孔子知世不可教化、而強周流東西。是知其不可爲之。故問之)とある。また『注疏』に「晨門、子路の孔氏よりすと云うを聞き、未だ孔氏の誰たるかを審らかにせず、又たと孔子の行いを知る。故に問いて曰く、是れ其の世のおさむ可からざるを知れども、而も東西に周流し、彊いて之を為す者は、此の孔氏なるか、と。意は孔子の隠遯して世を辟くること能わざるを非とするなり」(晨門聞子路云從孔氏、未審孔氏爲誰、又舊知孔子之行。故問曰、是知其世不可爲、而周流東西、彊爲之者、此孔氏與。意非孔子不能隱遯辟世也)とある。また『集注』に引く胡寅の注に「晨門は世の不可を知りて為さず。故に是を以て孔子をそしる。然れども聖人の天下を視るや、為す可からざるの時無きを知らざるなり」(晨門知世之不可而不爲。故以是譏孔子。然不知聖人之視天下、無不可爲之時也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「人の人と群れを為さざるを得ざるは、猶お鳥獣の鳥獣と共に群れするがごとし。人まさに人を去りて何れにかかんとす。……蓋し道に顕晦けんかい有りて、ほろぶ可きの理無し。……夫子の世に皇皇たる者は、蓋し又た為す可きの理有りて、いながらにして斯の民の塗炭を視るに忍びざるが故なり。其の仁たるや亦た大なり。晨門の徒、何ぞ以て之を知るに足らん」(人之不得不與人爲群、猶鳥獸之與鳥獸共群。人將去人而何適。……蓋道有顯晦、而無可泯之理。……夫子皇皇於斯世者、蓋又有可爲之理、而不忍坐視斯民之塗炭故也。其爲仁也亦大矣。晨門之徒、何足以知之)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「是れ其の不可なるを知りて之を為す者か。……晨門之を知り、以て孔子を賛す。故に之を録す。旧註謂えらく孔子をそしると。非なり。人の孔子を譏る、論語豈に之を載せんや。其の之を載する者は、必ず断有り。而うして是れは断無し。故に其の孔子を賛するたるを知るのみ」(是知其不可而爲之者與。……晨門知之、以贊孔子。故録之。舊註謂譏孔子也。非矣。人之譏孔子、論語豈載之哉。其載之者、必有斷焉。而是無斷焉。故知其爲贊孔子已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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