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憲問第十四 39 子曰賢者辟世章

371(14-39)
子曰、賢者辟世。其次辟地。其次辟色。其次辟言。
いわく、賢者けんじゃく。つぎく。つぎいろく。つぎげんく。
現代語訳
  • 先生 ――「かしこい人は世をのがれる。その下の人は、土地をのがれる。その下の人は、殿の顔色をのがれる。その下の人は、殿のことばをのがれる。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「賢人が仕えずにかくれる場合が四つある。第一は、天下どうなれば隠れる。第二に、乱国を去ってほうに行く。第三に、君の容貌ようぼう態度が礼を失えば去る。第四に、君をいさめて意見が合わなければ退しりぞく。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「賢者がその身を清くする場合が四つある。世の中全体に道が行なわれなければ、世をさけて隠棲する。ある地方に道が行なわれなければ、その地方をさけて、他の地方に行く。君主の自分に対する信任がうすらぎ、それが色に出たら、その色をさけて隠退する。君主の言葉と自分の言葉とが対立すれば、その言葉をさけて隠退する」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 世 … 乱れた世間。
  • 辟 … ける。逃避する。「避」に同じ。
  • 地 … 乱れた土地。乱れた国。
  • 色 … 主君の非礼な態度・容貌。
  • 言 … 主君の言葉が自分と合わないこと。
  • この章を次章と合わせて一つの章とするテキストもある。
補説
  • 『注疏』では次章と合わせて一つの章とし、「此の章は古えよりの隠逸・賢者の行いを言うなり」(此章言自古隱逸賢者之行也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 賢者辟世 … 『集解』に引く孔安国の注に「世主得て之を臣とすること莫きなり」(世主莫得而臣之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「聖人は磨すれどもうすらがず、でっすれどもくろまず。可も無く不可も無し。故に治乱を以て隔と為さず。賢者の去就時に順うが若く、天地閉塞するが若くんば、則ち賢人便ち高蹈塵外に隠れ、石に枕し流れにくちすすぐ。天子得て臣とせず。諸侯得て友とせず。此れ世を避くるの士を謂うなり」(聖人磨而不磷、涅而不緇。無可無不可。故不以治亂爲隔。若賢者去就順時、若天地閉塞、則賢人便隱高蹈塵外、枕石漱流。天子不得而臣。諸侯不得而友。此謂避世之士也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「天地閉じれば則ち賢人は隠れ、塵外に高蹈し、流れに枕し石に漱ぎ、天子・諸侯は得て臣とする莫きを謂うなり」(謂天地閉則賢人隱、高蹈塵外、枕流漱石、天子諸侯莫得而臣也)とある。また『集注』に「天下道無くして隠る。伯夷・太公の若き、是れなり」(天下無道而隱。若伯夷太公、是也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 辟 … 『義疏』では「避」に作る。
  • 其次辟地 … 『集解』に引く馬融の注に「乱国を去りて治邦にくなり」(去亂國適治邦也)とある。また『義疏』に「賢に中たるを謂うなり。未だ高くみて世を絶つこと能わず。但だ地を択び処り、乱を去り治に就く。此れは是れ地を避くるの士なり」(謂中賢也。未能高栖絶世。但擇地處、去亂就治。此是避地之士也)とある。また『注疏』に「未だ高く栖みて世を絶つこと能わず、但だ地を択びて処り、乱国を去り、治邦にく者なり」(未能高栖絶世、但擇地而處、去亂國、適治邦者也)とある。また『集注』に「乱国を去り、治邦に適く」(去亂國、適治邦)とある。
  • 其次辟色 … 『集解』に引く孔安国の注に「色みてここに挙がるなり」(色斯舉也)とある。また『義疏』に「此れ中たるに次ぐの賢なり。あらかじめ治乱を択ぶ能わず。但だ時に臨んで君の顔色を観る。顔色悪しければ則ち去る。此れ色を避くるの士と謂うなり」(此次中之賢也。不能預擇治亂。但臨時觀君之顏色。顏色惡則去。此謂避色之士也)とある。また『注疏』に「あらかじめ治乱を択ぶこと能わず、但だ君の顔色を観るのみにて、若し己を厭う色有らば、斯に於いて挙げて之を去るなり」(不能豫擇治亂、但觀君之顏色、若有厭己之色、於斯舉而去之也)とある。また『集注』に「礼貌衰えて去る」(禮貌衰而去)とある。
  • 其次辟言 … 『集解』に引く孔安国の注に「悪言有れば乃ち去るなり」(有惡言乃去也)とある。また『義疏』に「此れ又た色を避くるの賢者に次ぐ。色を観て斯に挙ぐること能わず。唯だ但だ君の言の是非を聴くのみ。悪言を聞けば則ち去る。此れ言を避くるの士と謂うなり」(此又次避色之賢者。不能觀色斯舉矣。唯但聽君言之是非。聞惡言則去。此謂避言之士也)とある。また『注疏』に「色を観て斯に挙ぐること能わず、悪言有らば乃ち之を去るなり」(不能觀色斯舉矣、有惡言乃去之也)とある。また『集注』に「言に違うこと有りて後に去るなり」(有違言而後去也)とある。
  • 『集注』に引く程顥または程頤の注に「四者は大小の次第を以て之を言うと雖も、然れども優劣有るに非ざるなり。遇う所同じからざるのみ」(四者雖以大小次第言之、然非有優劣也。所遇不同耳)とある。
  • 宮崎市定は「其次」を「其の次には」と訓読し、「其次を、次の段階では、と副詞に讀めば解釋がつき易くなる」といい、「子曰く、(政治が亂れて危險な時には)賢者は世事から遠ざかって隱居する。それでもまだ危險なら、違った土地へひっこしする。それでもまだ危險なら、人相の惡い人間とつきあわない。それでもまだ危險なら、迂闊なことを言う人間と話さない」と訳している(『論語の新研究』320頁参照)。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「世を辟くる者は、隠見天下に関わる。地を辟くる者は、出処一国につらぬ。色を辟くる者は、礼貌衰えて去る。言を辟くる者は、違言有りて去る。皆身を乱世に失わずと雖も、而れども大小遅速の異なる有り。故に次第して之を言う」(辟世者、隱見關于天下。辟地者、出處系于一國。辟色者、禮貌衰而去。辟言者、有違言而去。皆雖不失身于亂世、而有大小遲速之異。故次第而言之)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』には、この章の注なし。
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