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先進第十一 13 魯人爲長府章

266(11-13)
魯人爲長府。閔子騫曰、仍舊貫、如之何。何必改作。子曰、夫人不言、言必有中。
ひとちょうつくる。びんけんいわく、きゅうかんらば、これ如何いかんなんかならずしもあらたつくらん。いわく、ひとわず、えばかならあたり。
現代語訳
  • 魯の国では宝物倉を建てなおす。閔子騫(ビンシケン)がいう、「もとのままで、どうなんだ…。わざわざ建てなおさずとも…。」先生 ――「かれはだんまり屋だが、いうときはズバリだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • の当局者が長府を新築しようとしたとき、びんけんが、「元のものを修復したらどんなものだろうか。何も新築するにも及ぶまい。」と言った。孔子様がそれを伝え聞いておっしゃるよう、「あの男はメッタに物を言わぬが、言うと必ずぼしという所に当るわい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • の当局がちょうを改築しようとした。それについて、びんけんがいった。――
    「これまでの建物を修理したらいい。何も改築する必要はあるまい」
    先師はそれを伝えきいていわれた。――
    「あの男はめったに物をいわないが、いえば必ず図星にあたる」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 魯人 … 魯国の政府当局者。
  • 長府 … 長府という名の、国の財貨などを収納する倉庫。
  • 為 … 改築する。
  • 閔子騫 … 前536~前487。姓はびん。名は損。あざなは子騫。孔門十哲のひとり。孔子より十五歳年少。魯の人。徳行にすぐれ、また孝行者でもあった。ウィキペディア【閔子騫】参照。
  • 旧貫 … 昔からのしきたり。慣例。
  • 仍 … 「因」に同じ。そのまま。元のまま。現状を維持踏襲すること。
  • 如之何 … そうしたならば、どうだろう。
  • 何必改作 … 何もわざわざ改築する必要はあるまいに。
  • 夫人 … あの人。あの男。閔子騫を指す。
  • 中 … 的中する。理に当たる。道理にかなう。
補説
  • 『注疏』に「此の章は民を労するを重んずるなり」(此章重於勞民也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 魯人為長府 … 『集解』に引く鄭玄の注に「長府は、蔵の名なり。貨を蔵するを府と曰う」(長府、藏名也。藏貨曰府)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「魯人は、魯の君臣、政を為す者なり。為は、作なり。長府は、蔵の名なり。魯人政を為し、更に長府を造作するなり」(魯人、魯君臣爲政者。爲、作也。長府、藏名也。魯人爲政、更造作長府也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「財貨を蔵するを府と曰う。長は、其の蔵の名なり。為は、作なり。魯人新たに之を改め作るを言うなり」(藏財貨曰府。長、其藏名也。爲、作也。言魯人新改作之也)とある。また『集注』に「長府は、蔵の名。貨財を蔵するを府と曰う。為は、蓋し之を改作す」(長府、藏名。藏貨財曰府。爲、蓋改作之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 閔子騫 … 『孔子家語』七十二弟子解に「閔損びんそんひとあざなは子騫。孔子よりわかきこと十五歳。徳行を以て名を著す。孔子其の孝なるをたたう」(閔損魯人、字子騫。少孔子十五歳。以德行著名。孔子稱其孝焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「閔損、字は子騫。孔子より少きこと十五歳。孔子曰く、孝なるかな閔子騫。人、其の父母昆弟こんていの言をかんせず、と。大夫に仕えず、くんの禄をまず。如し我をふたたびする者有らば、必ずぶんほとりに在らん、と」(閔損字子騫。少孔子十五歳。孔子曰、孝哉閔子騫。人不閒於其父母昆弟之言。不仕大夫、不食汙君之祿。如有復我者、必在汶上矣)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 閔子騫曰、仍旧貫、如之何。何必改作 … 『集解』に引く鄭玄の注に「仍は、因なり。貫は、事なり。旧事に因れば、則ち可なり。何ぞ乃ち復た更に改め作らんや」(仍、因也。貫、事也。因舊事、則可。何乃復更改作也)とある。また『義疏』に「子騫、魯人を譏るなり。仍は、因なり。貫は、事なり。言うこころは政を為すの道は、旧事に因らば自ら足る、之を如何。何ぞ必ずしも須らく更に改め作る所有るべけんや。之を如何は、猶お奈何のごときなり」(子騫譏魯人也。仍、因也。貫、事也。言爲政之道、因舊事自足、如之何。何必須更有所改作耶。如之何、猶奈何也)とある。また『注疏』に「子騫魯人の民を労して長府を改作するを見て、此の辞を為すなり。仍は、因なり。貫は、事なり。言うこころは旧事に因れば則ち亦た可なり。何ぞ必ずしも乃ち復た更に改め作らん」(子騫見魯人勞民改作長府、而爲此辭。仍、因也。貫、事也。言因舊事則亦可矣。何必乃復更改作也)とある。また『集注』に「仍は、因るなり。貫は、事なり」(仍、因也。貫、事也)とある。また『集注』に引く王安石の注に「改め作るは、民を労して財をやぶる。已むことを得るに在れば、則ち旧貫にるの善に如かず」(改作、勞民傷財。在於得已、則不如仍舊貫之善)とある。
  • 子曰、夫人不言、言必有中 … 『集解』に引く王粛の注に「言えば必ず中たる有りとは、其の民を労して更に改め作るを欲せざるを善しとするなり」(言必有中、善其不欲勞民更改作也)とある。また『義疏』に「夫の人は、子騫を指すなり。言うこころは子騫の性、言語少なし。言語すれば必ず事理に中たるなり」(夫人、指子騫也。言子騫性少言語。言語必中於事理也)とある。また『注疏』に「孔子子騫の言を聞きて之を善みするなり。夫の人は、子騫を謂う。言うこころは夫れ此の人は、其れ唯だ言わざるのみ。若し其れ言を発すれば、必ず理に中たる有り。ここに何ぞ必ずしも改め作らんと言うは、是れ理に中たるの言なり。其の民を労するを欲せざるを善みす、故に以て中と為す」(孔子聞子騫之言而善之也。夫人、謂子騫。言夫此人、其唯不言則已。若其發言、必有中於理。此言何必改作、是中理之言也。善其不欲勞民、故以爲中)とある。また『集注』に「言は妄りに発せず、発せば必ず理に当たる。惟だ有徳の者のみ之を能くす」(言不妄發、發必當理。惟有德者能之)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「夫れ言激して発露する者は、能く人の聴をそびやかす。然れども必ず弊有り。温にして含蓄する者は、未だにわかに人の聴をそびやかさずと雖も、然れども人服せざること能わず。故に言うこころは激せざるを患えずして、温ならざるを患う。閔子の気象、想い見る可し」(夫言激而發露者、能竦人之聽。然必有弊。温而含蓄者、雖未遽竦人之聽、然人不能不服。故言不患不激、而患不温。閔子之氣象、可想見矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「魯人長府をつくる。其の詳は知る可からず。蓋し財貨の入、常年に倍すること有り、而うして府るること能わざるなり。故に魯人別に長府を作る。旧例必ず別に錯置そち有りて、必ずしも府を作らず。故に閔子云うことしかり。其ののち蓋しさい有り、而うして人皆長府を作りしを悔ゆ。故に孔子中たること有りと曰う。後人解して理に中たると為すは、非なり。左伝に子貢がてい邾隠ちゅいんの死亡を懸断し、而うして仲尼曰く、不幸にして言いて中たるというをするが如き、是れなり。皆其の言に験有るを謂うなり。正鵠せいこくに中たるというが如きも、亦たここに発してかしこに中たるなり」(魯人爲長府。其詳不可知矣。蓋財貨之入、有倍常年、而府不能容也。故魯人別作長府。舊例必別有錯置、而不必作府。故閔子云爾。其後蓋有灾、而人皆悔作長府。故孔子曰有中。後人解爲中理、非也。如左傳載子貢懸斷魯定邾隱之死亡、而仲尼曰、賜不幸言而中、是也。皆謂其言有驗也。如射中正鵠、亦發於此而中於彼也)とある。「灾」は「災」の異体字。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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