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先進第十一 14 子曰由之瑟章

267(11-14)
子曰、由之瑟、奚爲於丘之門。門人不敬子路。子曰、由也升堂矣。未入於室也。
いわく、ゆうしつなんれぞきゅうもんいてせんと。門人もんじん子路しろけいせず。いわく、ゆうどうのぼれり。いましつらざるなり。
現代語訳
  • 先生 ――「由くんの琴は、わしのうちでやるものじゃないね。」弟子たちは子路(由)をバカにしだした。先生 ――「由くんも、免許は取ってる。極意がまだなんだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子路は性質がごうきょうなので、そのひくしつにもおのずから殺伐さつばつな音がある。そこで孔子様が、「由の瑟はわしの家には似合にあわしからぬ。」と言われた。それを聞いて若い門人たちが子路を尊敬せぬ気味だったので、それをたしなめておっしゃるよう、「由はおもてしきへ通ったがまだ奥の間にはいらぬのじゃ。お前たちはまだ表座敷へもあがっていないのだよ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    ゆうしつは、私の家では弾いてもらいたくないな」
    それをきいた門人たちは、とかく子路を軽んずる風があった。すると、先師はいわれた。――
    「由はすでに堂にのぼっている。まだ室に入らないだけのことだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 由 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 瑟 … おおごと。二十五弦。
  • 奚為 … 「なんすれぞ」と読み、「どうして」「なにもわざわざ」と訳す。「なんれぞ」に同じ。
  • 於丘之門 … 私の家で。
  • 門人 … 子路以外の孔子の門人。
  • 不敬 … 尊敬しない。
  • 升堂 … 表座敷には昇っている。教養・学問が一定の水準に達していることの喩え。
  • 未入於室 … 奥座敷には入っていない。深い境地に達していないことの喩え。
補説
  • 『注疏』に「此の章は子路の才学の分限を言うなり」(此章言子路之才學分限也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 由(子路) … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 由之瑟、奚為於丘之門 … 『集解』に引く馬融の注に「言うこころは子路の瑟を鼓するは、雅・頌にかなわざるなり」(言子路鼓瑟、不合雅頌也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「子路、性は剛。其の琴瑟を鼓するも亦た壮気有り。孔子、其の必ず寿を以て終うを得ざるを知る。故につねに之を抑う。汝瑟を鼓し、何ぞ我が門に在るを得ん。我が門は文雅にして、武を用うるの処に非ざるなり。故に自ら名を称して以て之を抑う。奚は、何なり。侃おもえらく、此の門孔子の住む所の門を謂うに非ず。正に是れ聖徳深奥の門なり。故に子貢武叔に答えて云う、其の門を得たる者、或いはすくなし、と」(子路、性剛。其鼓琴瑟亦有壯氣。孔子知其必不得以壽終。故每抑之。汝鼓瑟何得在於我門。我門文雅非用武之處也。故自稱名以抑之。奚、何也。侃謂、此門非謂孔子所住之門。正是聖德深奧之門也。故子貢答武叔云、得其門者或寡也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「由は、子路の名、奚は、何なり。子路の性は剛なれば、瑟を鼓すること雅頌に合わず、故に孔子之を非とし、由の瑟を鼓するは、何為れぞ丘の門に於いてせんやと云うは、其の剛を抑うる所以なり」(由、子路名、奚、何也。子路性剛、鼓瑟不合雅頌、故孔子非之、云由之鼓瑟、何爲於丘之門乎、所以抑其剛也)とある。また『集注』に引く程顥または程頤の注に「其の声の和せざること、己と同じからざるを言うなり」(言其聲之不和、與己不同也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「家語けごに云う、子路の瑟を鼓するに、北鄙殺伐の声有り、と。蓋し其の気質剛勇にして、中和に足りず。故に其の声に発する者此くの如し」(家語云、子路鼓瑟、有北鄙殺伐之聲。蓋其氣質剛勇、而不足於中和。故其發於聲者如此)とある。
  • 瑟 … 『義疏』では「鼓瑟」に作る。
  • 門人不敬子路 … 『義疏』に「門人は孔子瑟をそしるを見て、便ち復た子路を敬せざるなり」(門人見孔子譏瑟、便不復敬子路也)とある。また『注疏』に「門人孔子の意を解せず、謂えらく孔子の言を子路を賤しむと為すと、故に之を敬せざるなり」(門人不解孔子之意、謂孔子言爲賤子路、故不敬之也)とある。また『集注』に「門人、夫子の言を以て、遂に子路を敬せず。故に夫子之をく」(門人以夫子之言、遂不敬子路。故夫子釋之)とある。
  • 子曰、由也升堂矣。未入於室也 … 『集解』に引く馬融の注に「我が堂に升れり。未だ室に入らざるのみ。門人解せず、孔子の言を謂いて子路を賤しむと為す。故に復た之を解くなり」(升我堂矣。未入室耳。門人不解、謂孔子言爲賤子路。故復解之也)とある。また『義疏』に「孔子、門人の子路を敬せざるを見る、故に又た之を解くことを為すなり。古人屋棟の下に当たり、窓戸を隔断す、窓戸の外を堂と曰い、窓戸の内を室と曰う。孔子言う、子路は弟子たり。才徳已に大なり。未だみずから我が室に入らずと雖も、亦た已に我が堂に登升し、未だ軽〻しくあなどる可きこと易からざるなり。若し近くして之を言わば、即ち屋の堂・室を以て喩えと為さん。若し推して之を広むるも、亦た聖人の妙処を謂いて室と為す。なる処は堂たり。故に子路堂たるを得。顔子室に入る。故に下章に善人を説く。亦た室に入らずと云うは、是なり。所以に此の前の言は門に入る、而れども門人敬せず、其れ敬せずと為す、故に之を堂に引くなり」(孔子見門人不敬子路、故又爲解之也。古人當屋棟下隔斷窗戶、窗戶之外曰堂、窗戶之内曰室。孔子言、子路爲弟子。才德已大。雖未親入我室、亦已登升我堂、未易可輕慢也。若近而言之、即以屋之堂室爲喩。若推而廣之、亦謂聖人妙處爲室。麤處爲堂。故子路得堂。顏子入室。故下章説善人。云亦不入於室是也。所以此前言入於門、而門人不敬、爲其不敬、故引之於堂也)とある。また『注疏』に「門人の解せざるを以て、故に孔子復た之を解く。言うこころは子路の学識の深浅は、譬えば外より内に入るが如し。其の門を得る者は、室に入ること深しと為す、顔淵是れなり。堂に升るは之に次ぐ、子路是れなり。今子路は既に我が堂に升れり、但だ未だ室に入らざるのみ。豈に敬せざる可けんや」(以門人不解、故孔子復解之。言子路之學識深淺、譬如自外入内。得其門者、入室爲深、顏淵是也。升堂次之、子路是也。今子路既升我堂矣、但未入於室耳。豈可不敬也)とある。また『集注』に「堂に升り室に入るは、道に入るの次第に喩う。言うこころは子路の学、已に正大高明の域に造れり。だ未だ深く精微のおうに入らざるのみ。未だ一事の失を以てにわかに之をゆるがせにす可からざるなり、と」(升堂入室、喩入道之次第。言子路之學、已造乎正大高明之域。特未深入精微之奧耳。未可以一事之失而遽忽之也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「夫子の人を論ずるは、つねきずに因りて美をもとめ、過ち有るに就きて過ち無きを求む。故に編者并せて此を記して、以て夫子の意を示す。夫れ声音の失は、微なり。然れども夫子にわかに聞きて深く之をいましむれば、則ち聖人の門に遊ぶ者、以て其の気象をおもい見る可きなり」(夫子論人、毎因瑕索美、就有過而求無過。故編者幷記此、以示夫子之意。夫聲音之失、微矣。然夫子遽聞而深警之、則遊於聖人之門者、可以想見其氣象也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「堂に升る・室に入るは、蓋し古言なり。……且つ正大高明、精微のおうは、徒らに虚字を以て之を形容して、未だ其の何の指す所なるかを詳言せず。仁斎理学に懲りて、精微の奥というを悪み、代うるに従容自得の域というを以てす。……蓋し六芸に通じて、其の材以て大夫たるに足るは、是れ堂に升る者なり。礼楽のみなもとに通じて、古聖人の心を知るは、是れ室に入る者なり。夫れ身六芸に通ずれども、徳は性を以て殊なり。殊なりと雖も皆以て民にちょうたるに足る」(升堂入室、蓋古言。……且正大高明、精微之奧、徒以虚字形容之、而未詳言其何所指焉。仁齋懲理學、而惡精微之奧、代以從容自得之域。……蓋身通六藝、而其材足以爲大夫、是升堂者也。通禮樂之原、而知古聖人之心、是入室者也。夫身通六藝、德以性殊。雖殊乎皆足以長民)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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