送司馬道士遊天台(宋之問)
送司馬道士遊天台
司馬道士の天台に遊ぶを送る
司馬道士の天台に遊ぶを送る
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻五十三、『宋之問集』巻下(『四部叢刊 続編集部』所収)、『宋之問集』巻下(『前唐十二家詩』所収)、『文苑英華』巻二百二十七、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十一(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、53頁)、『唐詩品彙』巻四十六、他
- 七言絶句。違・飛・歸(平声微韻)。
- ウィキソース「送司馬道士遊天台」「宋之問集 (四部叢刊本)/下」参照。
- 詩題 … 『四部叢刊本』『前唐十二家詩本』では「送司馬道遊天台」に作る。
- 司馬道士 … 唐代の有名な道士(道教の僧侶)、司馬承禎(643~735)のこと。司馬は姓、字は子微、白雲子と号した。ウィキペディア【司馬承禎】参照。
- 天台 … 天台山。浙江省天台県の北にある。ウィキペディア【天台山】参照。
- この詩は、朝廷に招かれていた司馬道士が天台山へ帰ることになり、百官たちが送別の宴を盛大に開いたときに詠んだもの。
- 宋之問 … 656?~712。初唐の詩人。字は延清。汾州(山西省汾陽市)の人。一説に虢州弘農県(河南省霊宝市)の人。上元二年(675)、進士に及第。則天武后に召されて楊炯とともに習芸館の学士となる。尚方監丞、左奉宸内供奉などを歴任した。玄宗の先天元年(712)、自殺を命じられて死んだ。沈佺期とともに七言律詩の定型を作り出し、「沈宋」と呼ばれた。『宋之問集』二巻がある。ウィキペディア【宋之問】参照。
羽客笙歌此地違
羽客の笙歌 此の地に違い
- 羽客 … 道士のこと。仙人は羽がはえて空中を飛ぶといわれるので、道士の衣を羽衣に喩える。羽人ともいう。
- 笙歌 … 笙(管楽器の一種)の音に合わせて歌うこと。司馬道士は音律に明るかったという。
- 違 … 離れ去ること。『文苑英華』では「圍」に作る。
離筵數處白雲飛
離筵数処 白雲飛ぶ
- 離筵 … 送別の宴席。離宴。
- 数処 … あちらこちらに。
- 處 … 『四部叢刊本』では「䖏」に作る。異体字。
- 白雲飛 … 後漢の道士薊子訓は、神異の術を使う人であったが去っていくとき、白雲があちこちに沸き起こったという故事を踏まえる。司馬道士は仙術を修めた人であり、号を白雲子というので、この故事を用いている。『後漢書』方術伝に「初め去るの日、唯だ白雲の騰起するを見る。旦より暮に至る。是の如きもの数十処」(初去之日、唯見白雲騰起。從旦至暮。如是數十處)とある。ウィキソース「後漢書/卷82下」参照。
蓬萊闕下長相憶
蓬萊闕下 長く相憶うも
- 蓬萊闕下 … 蓬萊宮の宮門のあたり。「蓬萊」は、もとは仙人が住む島の意だが、ここでは宮殿の名、蓬萊宮。東の内裏大明宮の別名。司馬道士に縁のある言葉をあえて用いている。「闕」は、宮殿の門のこと。
- 長相憶 … いつまでもあなたのことを思われることでありましょうが。
- 相 … ここでは「互いに」という意味ではなく、動作に対象があることを示す言葉。「相手に対して」の意。『文苑英華』では「思」に作る。
- 憶 … 思う。追憶する。天子が司馬道士を思われること。漢の古楽府の「馬を長城の窟に飲う行」(『古詩源』巻三、『玉台新詠』巻一)に「上には餐食を加えよと有り、下には長く相憶うと有り」(上有加餐食、下有長相憶)とある。ウィキソース「飲馬長城窟行 (蔡邕)」参照。『四部叢刊本』では「億」に作る。
桐柏山頭去不歸
桐柏山頭 去って帰らず
- 桐柏山 … 天台山の西にある山。司馬道士はここに桐柏宮を建てて住んだという。
- 柏 … 『四部叢刊本』『前唐十二家詩本』『文苑英華』『唐詩品彙』『万首唐人絶句』では「栢」に作る。異体字。
- 去不帰 … 去ったまま、再び都へは帰ってこないだろう。
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