>   漢詩   >   唐詩選   >   巻七 七絶   >   邙山(沈佺期)

邙山(沈佺期)

邙山
邙山ぼうざん
しんせん
  • 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻九十七、『沈佺期集』巻下(『前唐十二家詩』所収)、『沈佺期集』巻四(『唐五十家詩集』所収)、『文苑英華』巻三百六、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十一(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、53頁)、『唐詩品彙』巻四十六、他
  • 七言絶句。塋・城・聲(平声庚韻)。
  • ウィキソース「邙山」参照。
  • 邙山 … 北邙ほくぼうざん。洛陽の北にある黄土の平坦な山。後漢以来、王侯貴族の陵墓の多い所として有名。『大明一統志』河南府、山川の条に「北邙山は、府の城北一十里に在り、山はえんきょう孟津もうしんの三県に連なり、綿亘めんこうすること四百余里、東漢の諸陵及び唐・宋の名臣のはか、多くここに在り」(北邙山、在府城北一十里、山連偃師鞏孟津三縣、綿亘四百餘里、東漢諸陵及唐宋名臣墳、多在此)とある。綿亘は、長く連なり続くこと。ウィキソース「明一統志 (四庫全書本)/卷29」参照。
  • この詩は、墓地の代名詞である邙山の寂しい風景と、洛陽の町の歓楽とを対比させ、人生の無常なることを詠んだもの。
  • 沈佺期 … 656~714。初唐の詩人。あざなは雲卿。相州内黄(河南省)の人。上元二年(675)、進士に及第。考功郎中となったが収賄罪でかんしゅう(ベトナム)に流された。のち呼び戻されて中書舎人、太子少せんに至った。宋之問とともに七言律詩の定型を作り出し、「沈宋」と呼ばれた。ウィキペディア【沈セン期】参照。
北邙山上列墳塋
北邙ほくぼうさんじょう 墳塋ふんえいつらなり
  • 北邙山上 … 北邙山の上には。
  • 墳塋 … 墓。墳墓。墳は、土饅頭型の墓。塋は、墓地。
萬古千秋對洛城
ばんせんしゅう らくじょうたい
  • 万古千秋 … 千年も万年も。永遠に変わることなく。
  • 洛城 … 洛陽の町。城は、町全体を囲む城壁。
  • 対 … 向き合う。
城中日夕歌鐘起
城中じょうちゅう 日夕にっせき しょうおこ
  • 城中 … 洛陽の町の中。
  • 日夕 … 夕方。夕暮れ。日暮れ。
  • 歌鐘 … 歌声や伴奏の鐘の音。
  • 鐘 … 『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『文苑英華』では「鍾」に作る。同義。
山上唯聞松柏聲
さんじょう く しょうはくこえ
  • 山上 … 北邙山の山上。
  • 上 … 『文苑英華』では「下」に作る。
  • 唯 … 『万首唐人絶句』では「惟」に作る。
  • 松柏 … 松と柏(コノテガシワ)。墓地に植えられる木。天子の陵墓には松を植え、諸侯の陵墓には柏を植えたという。コノテガシワについては、ウィキペディア【コノテガシワ】参照。『詩経』商頌・殷武の詩に「景山けいざんのぼれば、しょうはく丸丸がんがんたり、うつし、まさけずる」(陟彼景山、松柏丸丸、是斷是遷、方斲是虔)とある。景山は、商の都に近くにある山の名。陟は、登る。丸丸は、すらりとよく伸びている様子。断は、切り取ること。遷は、運搬すること。斲は、斧で削ること。虔は、木を伐ること。ウィキソース「詩經/殷武」参照。また、「古詩十九首」(『文選』巻二十九、『古詩源』巻四 漢詩)の第十三首に「白楊はくようなん蕭蕭しょうしょうたる、しょうはくこうはさむ」(白楊何蕭蕭、松栢夾廣路)とある。ウィキソース「驅車上東門」参照。同じく第十四首に「古墓こぼかれてり、しょうはくくだかれてたきぎる」(古墓犁爲田、松柏摧爲薪)とある。ウィキソース「去者日以疎」参照。
  • 柏 … 『唐五十家詩集本』『文苑英華』『万首唐人絶句』では「栢」に作る。異体字。
  • 声 … 風に鳴る寂しい葉音。
歴代詩選
古代 前漢
後漢
南北朝
初唐 盛唐
中唐 晩唐
北宋 南宋
唐詩選
巻一 五言古詩 巻二 七言古詩
巻三 五言律詩 巻四 五言排律
巻五 七言律詩 巻六 五言絶句
巻七 七言絶句
詩人別
あ行 か行 さ行
た行 は行 ま行
や行 ら行