>   漢詩   >   唐詩選   >   巻三 五律   >   送沙門弘景道俊玄荘還荊州応制(宋之問)

送沙門弘景道俊玄荘還荊州応制(宋之問)

送沙門弘景道俊玄莊還荊州應制
沙門(しゃもん)弘景(こうけい)・道(どう)俊(しゅん)・玄荘(げんそう)が荊(けい)州(しゅう)に還(かえ)るを送(おく)る 応制(おうせい)
宋(そう)之(し)問(もん)
  • 五言律詩。莊・長・梁・郷(下平声陽韻)。
  • ウィキソース「送沙門弘景道俊玄奘還荆州應制 (李嶠)」参照。
  • この詩は、『全唐詩』巻五十八に李嶠の作として収録。題下に「一に宋之問の詩に作る」と注する。
  • 沙門 … 僧侶。
  • 弘景 … 荊州玉泉寺の僧。
  • 道俊 … 不詳。
  • 玄荘 … 「玄奘」に作るテキストもあり、それであれば三蔵法師玄(げん)奘(じょう)(602~664)のことになるが、宋之問とは年代が微妙に合わない。詳しくは、斎藤晌(しょう)『漢詩選6 唐詩選(上)』(集英社)参照。
  • 莊 … 『全唐詩』等では「奘」に作る。
  • 応制 … 天子の命令によって作られた詩文。南北朝の頃までは「応(おう)詔(しょう)」の用例が多い。唐代は則天武后の諱(いみな)「照(しょう)」の音を避けて「応制」を用いるようになった。皇太子・皇子の場合は「応令(おうれい)」「応(おう)教(きょう)」を用いる。
  • 宋之問 … 656?~712。初唐の詩人。字(あざな)は延清。汾(ふん)州(山西省汾陽市)の人。一説に虢(かく)州弘農県(河南省霊宝市)の人。上元二年(675)、進士に及第。則天武后に召されて楊炯(ようけい)とともに習芸館の学士となる。尚(しょう)方(ほう)監(かん)丞(じょう)、左(さ)奉(ほう)宸内(しんない)供奉(ぐぶ)などを歴任した。玄宗の先天元年(712)、自殺を命じられて死んだ。沈佺期とともに七言律詩の定型を作り出し、「沈宋」と呼ばれた。『宋之問集』二巻がある。ウィキペディア【宋之問】参照。
三乘歸淨域
三(さん)乗(じょう) 浄(じょう)域(いき)に帰(かえ)らんとし
  • 三乘 … 衆生を乗せて悟りに導く三つの方法。ここでは、三人の僧が乗り物に乗って帰って行くことにかけている。底本では「一乘」に作る。
  • 浄域 … 清浄な地域。すなわち寺を指す。
萬騎餞通莊
万(ばん)騎(き) 通荘(つうそう)に餞(せん)す
  • 万騎 … 何万もの騎馬。ここでは見送る群臣百官。
  • 通荘 … 長安の大道。
  • 餞 … 餞別の宴を張る。
就日離亭近
日(ひ)に就(つ)いて離(り)亭(てい)近(ちか)く
  • 離亭 … 旅立つ人に対して送別の宴をする宿場。
彌天別路長
天(てん)に弥(わた)って別(べつ)路(ろ)長(なが)し
荊南旋杖鉢
荊南(けいなん) 杖(じょう)鉢(はつ)を旋(めぐ)らせば
  • 杖鉢 … 錫杖と鉢盂。
渭北限津梁
渭(い)北(ほく) 津(しん)梁(りょう)を限(かぎ)る
  • 渭北 … 渭水の北、長安一帯。
  • 津梁 … 渡し場の橋。
何日紆眞果
何(いず)れの日(ひ)か真(しん)果(か)を紆(まと)い
  • 真果 … 仏道の悟りを会得すること。
還來入帝郷
還(かえ)り来(きた)って帝(てい)郷(きょう)に入(い)らん
  • 帝郷 … 長安を指す。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻三(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻五十八(排印本、中華書局、1960年)
歴代詩選
古代 前漢
後漢 魏
晋 南北朝
初唐 盛唐
中唐 晩唐
北宋 南宋
金 元
明 清
唐詩選
巻一 五言古詩 巻二 七言古詩
巻三 五言律詩 巻四 五言排律
巻五 七言律詩 巻六 五言絶句
巻七 七言絶句
詩人別
あ行 か行 さ行
た行 は行 ま行
や行 ら行