銅雀台(劉廷琦)
銅雀臺
銅雀台
銅雀台
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻一百十、『文苑英華』巻二百四、『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、53頁)、『唐詩品彙』巻四十六、他
- 七言絶句。塵・濱・人(平声真韻)。
- ウィキソース「銅雀臺 (劉庭琦)」参照。
- 銅雀台 … 楽府題の一つ。魏の武帝、曹操が鄴の都(今の河北省臨漳県)に築いた楼台の名。ウィキペディア【銅雀台】参照。
- この詩は、廃墟となった銅雀台を見て、懐古の情を詠んだもの。
- 劉廷琦 … 生没年不詳。盛唐の詩人。『全唐詩』に劉庭琦と書く。開元(713~741)中の人。京兆万年県(陝西省西安市)の尉に拝せられた。張諤らと岐王範の屋敷に出入りし、酒を飲み詩を賦した。のちに雅州(四川省雅安市)に司戸(地方官で郡官の補佐役)として左遷された。『全唐詩』には四首、『唐詩選』にはこの一首のみ収める。
銅臺宮觀委灰塵
銅台の宮観 灰塵に委す
- 銅台 … 銅雀台のこと。
- 臺 … 『文苑英華』では「雀」に作る。
- 宮観 … 宮殿や楼閣。
- 灰塵 … 灰や塵。
- 委 … 「まかす」「すておく」と読んでもよい。棄てられたままになっていること。
魏主園陵漳水濱
魏主の園陵 漳水の浜
- 魏主 … 魏の国の主、曹操を指す。155~220。沛国譙(安徽省)の人。字は孟徳。幼名は阿瞞。184年、黄巾の乱を平定して名を挙げ、196年、献帝を擁して大将軍となった。200年、官渡の戦いで袁紹を破り、華北を統一した。208年、赤壁の戦いに敗れ、三国が併存することとなった。216年、魏王に封ぜられた。死後、武帝と称された。ウィキペディア【曹操】参照。
- 園陵 … 帝王の陵墓。
- 陵 … 『全唐詩』では「林」に作る。
- 漳水浜 … 漳水のほとり。漳水は、今の漳河。源は清漳水と濁漳水に分かれ、山西省東南部に出て、河北省に入って合流し、当時の都の鄴の北を東流して山東省との境で衛河に入る。ウィキペディア【ショウ河】参照。
即今西望猶堪思
即今西望して猶お思うに堪えたり
- 即今 … 今。現在。
- 西望 … 西の方にある園陵を望み見れば。曹操の墓は西陵と名づけられ、鄴の都の西方にあった。曹操は息子たちに対し、月の一日と十五日には、銅雀台に登って西陵を望みながら宮女たちに歌舞を演じさせるようにと言ったという。この遺言を踏まえる。
- 猶堪思 … なお悲しい思いで胸がいっぱいになる。堪思は、悲しい思いにどうにか耐えている状態をいう。
況復當時歌舞人
況んや復た当時歌舞の人をや
- 況復当時歌舞人 … ましてその当時、この台上で歌舞を演じた宮女たちにとっては、なおさらのことであっただろう。
- 況復 … そのうえに。まして。さらに加えて。復は、ここでは況を強調する助字。
- 歌舞人 … 銅雀台上で歌舞を演じた宮女たちを指す。
こちらもオススメ!
歴代詩選 | |
古代 | 前漢 |
後漢 | 魏 |
晋 | 南北朝 |
初唐 | 盛唐 |
中唐 | 晩唐 |
北宋 | 南宋 |
金 | 元 |
明 | 清 |
唐詩選 | |
巻一 五言古詩 | 巻二 七言古詩 |
巻三 五言律詩 | 巻四 五言排律 |
巻五 七言律詩 | 巻六 五言絶句 |
巻七 七言絶句 |
詩人別 | ||
あ行 | か行 | さ行 |
た行 | は行 | ま行 |
や行 | ら行 |