>   漢詩   >   唐詩選   >   巻六 五絶   >   三閭廟(戴叔倫)

三閭廟(戴叔倫)

三閭廟
三閭さんりょびょう
たいしゅくりん
  • ウィキソース「過三閭廟」参照。
  • この詩は、ある秋の日、楚の屈原(前342?~前278?)をまつった三閭廟に作者が訪れ、彼を弔いながら詠んだもの。
  • 詩題 … 『全唐詩』では「三閭廟をよぎる(ぐ)」(過三閭廟)に作り、題下に「一本過の字無し」(一本無過字)と注する。『万首唐人絶句』では「過三閭廟」に作る。『唐詩別裁集』では「三閭大夫の廟に題す」(題三閭大夫廟)に作る。『唐詩品彙』には、題下に「一に儲光羲の詩に作る」(一作儲光羲詩)と注する。
  • 三閭廟 … 戦国末期の楚の人、屈原を祀った廟のこと。廟の名は、彼の職名三閭さんりょたい(楚の王族、昭氏・屈氏・景氏の三氏を管理する職)に因む。廟は、屈原が身投げしたべき江の付近にあったという。ウィキペディア【屈原】【汨羅江】参照。後漢の王逸「離騒序」に「屈原、楚王と同姓なり。懐王に仕えて、三閭大夫と為る。三閭の職は、王族の三姓、昭・屈・景と曰うを掌る。屈原、其の譜属を序し、其の賢良を率いて、以て国士をはげます」(屈原與楚王同姓。仕於懷王、爲三閭大夫。三閭之職、掌王族三姓、曰昭、屈、景。屈原序其譜屬、率其賢良、以厲國士)とある。譜属は、系譜のこと。ウィキソース「楚辭章句/卷01」参照。
  • 戴叔倫 … 732~789。中唐の詩人。あざな幼公ようこう潤州じゅんしゅう金壇きんだん(江蘇省金壇区)の人。若い時、しょうえいに師事した。撫州(江西省撫州市)刺吏、容州(広西チワン族自治区容県)刺史兼容管経略使などを歴任した。晩年は辞職して道士となったが、ほどなく死んだ。『戴叔倫詩集』二巻がある。ウィキペディア【戴叔倫】参照。
沅湘流不盡
げんしょう ながれてきず
  • 沅湘 … 沅水(現在は沅江)と湘水(現在は湘江)。沅水は、湖南省西部から東に横切り、洞庭湖に注ぐ。湘水は、広西チワン族自治区に発し、湖南省を北上して洞庭湖に注ぐ。ウィキペディア【沅江】【湘江】参照。『楚辞』離騒に「沅・湘をわたりて以て南にき、ちょうに就きてことばべん」(濟沅湘以南征兮、就重華而敶詞)とあり、後漢の王逸の注に「済は、渡るなり。沅・湘は、水の名なり。征は、行くなり」(濟、渡也。沅、湘、水名。征、行也)とあり、また、北宋の洪興祖の注に「山海せんがいきょうに云う、湘水は帝舜の葬られし東より出で、洞庭下に入る。沅水はしょうぐんたんじょうの西より出で、東して江に注ぎ、洞庭中に合す、と」(山海經云、湘水出帝舜葬東、入洞庭下。沅水出象郡鐔城西、東注江、合洞庭中)とある。重華は、舜の号。ウィキソース「楚辭補註/卷第一」参照。
  • 流不尽 … いつまでも流れて、尽きることがない。
屈子怨何深
くつ うらなんふか
  • 屈子 … 屈原。子は、男性に対する敬称。『史記』屈原伝に「屈原は、名は平、楚の同姓なり。楚の懐王の左徒さとと為る。博聞きょうにして、治乱に明らかに、辞令にならえり。入りては則ち王と国事を図議とぎして、以て号令をだす。出でては則ち賓客ひんかくに接遇し、諸侯に応対す。王甚だ之に任ず。しょうかんたい、之と列を同じくして、寵を争いて心に其ののうむ。……因りて之をざんす。……王怒りて屈平をうとんず。……故に憂愁幽思して離騒を作る。……時に秦の昭王楚と婚し、懐王とかいせんと欲す。懐王行かんと欲す。屈平曰く、秦は虎狼の国なり、信ず可からず。行くきに如かず、と。……懐王ついに行く。……卒に上官大夫をして屈原をけいじょうおうそしらしむ。頃襄王怒りて之をうつす。屈原江浜に至る。……ここに於いて石を懐き、遂に自らべきに投じて以て死す」(屈原者、名平、楚之同姓也。爲楚懷王左徒。博聞彊志、明於治亂、嫺于辭令。入則與王圖議國事、以出號令。出則接遇賓客、應對諸侯。王甚任之。上官大夫與之同列、爭寵而心害其能。……因讒之。……王怒而疏屈平。……故憂愁幽思而作離騷。……時秦昭王與楚婚、欲與懷王會。懷王欲行。屈平曰、秦虎狼之國、不可信。不如毋行。……懷王卒行。……卒使上官大夫短屈原於頃襄王。頃襄王怒而遷之。屈原至於江濱。……於是懷石、遂自投汨羅以死)とある。左徒は、戦国時代、楚の官名。左拾遺の類。ならうとは、習熟すること。上官大夫は、戦国時代、楚の官名。きんしょうを指す。のうむとは、才能を憎むこと。ウィキソース「史記/卷084」参照。
  • 子 … 『全唐詩』では「宋」に作り、「一作子」と注する。『万首唐人絶句』では「宋」に作る。屈宋とは、屈原とその弟子宋玉たちの意。ウィキペディア【宋玉】参照。
  • 怨何深 … 屈原の怨みの何と深いことか。沅湘の流れが尽きないことと怨みが尽きないこと、水が深いことと怨みが深いこととを兼ねて詠んでいる。
日暮秋風起
にち しゅうふうおこ
  • 日暮 … 日が暮れて。『史記』伍子胥伝に「われ、日れてみち遠し、吾、故に倒行とうこうして之をぎゃくす」(吾日莫途遠、吾故倒行而逆施之)とある。莫は、暮に同じ。途は、道に同じ。倒行は、倒れるほどに急いで進むこと。逆施は、道理に逆らって行動すること。ウィキソース「史記/卷066」参照。また、後漢の蔡琰さいえん(一説に蔡琰に仮託したもの)の楽府「胡笳十八拍」(『楽府詩集』巻五十九、『楚辞後語』巻三)の第七拍に「日は暮れ風は悲しくして辺声はもに起こり、知らず愁心はうこと誰に向かいて是なる」(日暮風悲兮邊聲四起、不知愁心兮說向誰是)とある。ウィキソース「胡笳十八拍」「樂府詩集/059卷」「楚辭集注 (四庫全書本)/後語卷3」参照。
  • 秋風起 … 秋風が吹き起こる。『楚辞』九章・抽思に「秋風のようを動かすを悲しむ、何ぞかいきょく浮浮ふふたる」(悲秋風之動容兮、何回極之浮浮)とある。容を動かすとは、草木の様子を変えること。回極は、回転する天の枢軸。浮浮は、慌ただしいさま。さすらい行くさま。ウィキソース「楚辭/九章」参照。また、同じく九歌・湘夫人に「嫋嫋じょうじょうたる秋風、洞庭波だちて木葉もくようくだる」(嫋嫋兮秋風、洞庭波兮木葉下)とある。嫋嫋は、風がそよそよと吹くさま。ウィキソース「九歌」参照。また、同じく九懐・蓄英に「秋風蕭蕭しょうしょうたり、ほうべてえだを振るう」(秋風兮蕭蕭、舒芳兮振條)とある。ウィキソース「九懷」参照。
  • 風 … 『全唐詩』では「煙」に作り、「一作風」と注する。『万首唐人絶句』では「煙」に作る。
蕭蕭楓樹林
蕭蕭しょうしょうたり 楓樹ふうじゅはやし
  • 蕭蕭 … 風が物寂しく鳴る音の形容。または、風に吹かれて木々の葉が鳴る音の形容。古楽府「古歌」(『古詩紀』巻十七)に「秋風蕭蕭として人をしゅうさいし、づるも亦た愁い、るも亦た愁う」(秋風蕭蕭愁殺人、出亦愁、入亦愁)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷017」参照。
  • 楓樹 … ふうの木。カエデの一種。日本のカエデとは異なる。ウィキペディア【フウ】参照。『楚辞』招魂に「湛湛たんたんたる江水、うえふう有り」(湛湛江水兮上有楓)とある。ウィキソース「楚辭/招䰟」参照。また、隋の煬帝「江都の夏」詩(『古詩紀』巻一百三十)に「黄梅 雨は細かに麦秋軽く、楓樹蕭蕭として江水平らかなり」(黄梅雨細麥秋輕、楓樹蕭蕭江水平)とある。麦秋は、麦の熟する頃。陰暦四月のこと。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷130」参照。また、三国魏の阮籍「詠懐詩八十二首」の第十一首(『文選』巻二十三では十七首中第十七首)に「湛湛たんたんたる長江の水、上に楓樹の林有り」(湛湛長江水、上有楓樹林)とある。ウィキソース「詠懷詩 (湛湛長江水)」参照。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 深・林(下平声侵韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百七十四(排印本、中華書局、1960年)※詩題:過三閭廟
  • 『戴叔倫集』巻下(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻九(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)※詩題:過三閭廟
  • 『唐詩解』巻二十三(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻四十二([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻十九([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)※詩題:題三閭大夫廟
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
歴代詩選
古代 前漢
後漢
南北朝
初唐 盛唐
中唐 晩唐
北宋 南宋
唐詩選
巻一 五言古詩 巻二 七言古詩
巻三 五言律詩 巻四 五言排律
巻五 七言律詩 巻六 五言絶句
巻七 七言絶句
詩人別
あ行 か行 さ行
た行 は行 ま行
や行 ら行