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登柳州峨山

登柳州峨山
柳州(りゅうしゅう)の峨(が)山(ざん)に登(のぼ)る
柳(りゅう)宗元(そうげん)
  • ウィキソース「登柳州峨山」参照。
  • この詩は、作者が柳州(現在の広西チワン族自治区柳州市)の刺史(州の長官)に左遷されていたとき、近くの峨山に登って望郷の思いを詠んだもの。
  • 詩題 … 底本では「峨山」を「蛾山」に作るが、諸本により改めた。『四部叢刊本』には、題下に「峨は、或いは岷(びん)に作る者は非なり」(峨、或作岷者非)と注する。岷は、岷山。四川省と甘粛省の境にある山のこと。『四部備要本』には、題下に「峩は一に岷(びん)に作る、是(ぜ)に非ず。峩山は、山の名なり。子厚の柳州の山水諸記に見ゆ」(峩一作岷、非是。峩山、山名。見子厚柳州山水諸記)と注する。子厚は、作者の字(あざな)。柳州の山水諸記とは、「柳州の山水、治(ち)に近く遊ぶ可き者の記」(『全唐文』巻五百八十一)のこと。『唐詩品彙』では「柳州の岷山(びんざん)に登る」(登柳州岷山)に作る。
  • 柳州 … 現在の広西チワン族自治区柳州市。ウィキペディア【柳州】参照。『読史方輿紀要』歴代州域形勢、唐上に「柳州は、漢の鬱林郡の地、唐の武徳四年(621)、昆州を置き、亦た南昆州と曰う。貞観八年(634)、改めて柳州と為し、亦た龍城郡と曰う。馬平等の県四を領す。即ち今の柳州府なり」(柳州、漢鬱林郡地、唐武德四年置昆州、亦曰南昆州。貞觀八年改爲柳州、亦曰龍城郡。領馬平等縣四。即今柳州府)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五」参照。
  • 峨山 … 柳州の西にある山。鵝山とも書く。『大明一統志』巻八十三、柳州府の条に「鵝山は府城の西に在り。山巓(さんてん)に石有り、鵞の如し」(鵝山在府城西。山巓有石如鵞)とある。山巓は、山頂。鵞は、鵞鳥。ウィキソース「明一統志 (四庫全書本)/卷83」参照。作者の「柳州の山水、治(ち)に近く遊ぶ可き者の記」(『全唐文』巻五百八十一)に「峨山は野の中に在り、麓(ふもと)無し。峨水焉(ここ)より出(い)で、東流して潯水(じんすい)に入る」(峨山在野中、無麓。峨水出焉、東流入於潯水)とある。ウィキソース「柳州山水近治可遊者記」参照。
  • 柳宗元 … 773~819。中唐の文人・政治家。本籍は河東(山西省永済県)の人。字(あざな)は子(し)厚(こう)。貞元九年(793)、劉禹錫とともに進士に及第。校書郎、藍田県(陝西省)尉、監察御史裏行を歴任。政治改革に乗り出したが失脚。辺地に左遷され、柳州(現在の広西チワン族自治区柳州市)で死去した。唐宋八大家の一人。韓愈とともに古文復興に努めた。詩においては王維・孟浩然・韋応物らと同様、自然を歌った詩が優れている。ウィキペディア【柳宗元】参照。
荒山秋日午
荒山(こうざん) 秋(しゅう)日(じつ) 午(ご)なり
  • 荒山 … 荒れ果てた山。荒涼とした山。ここでは、峨山を指す。東晋の陶潜「丙辰(へいしん)の歳(とし)八月中、下(か)潠(そん)の田舎(でんしゃ)に穫る」詩(『陶淵明集』巻三)に「鬱鬱たり 荒山の裡(うち)、猿声 閑にして且つ哀し」(鬱鬱荒山裡、猿聲閑且哀)とある。下潠は、水の湧き出る低地の田。または、地名か。田舎は、農作業の時の臨時の小屋。ウィキソース「丙辰歲八月中於下潠田舍穫」参照。
  • 秋日 … 秋の日。秋の季節。秋の日差し。『詩経』小雅・四月に「秋日淒淒たり、百(ひゃっ)卉(き)具(とも)に腓(や)む」(秋日淒淒、百卉具腓)とある。淒淒は、冷たい風の吹きすさぶさま。百卉は、いろいろな草花。具は、みな。腓(や)むとは、冷たい風のため、枯れしぼむこと。ウィキソース「詩經/四月」参照。
  • 午 … 真昼どき。正午。亭(てい)午(ご)。同じ作者の「南礀中にて題す」詩に「秋気 南礀(なんかん)に集まり、独り遊ぶ 亭(てい)午(ご)の時」(秋氣集南礀、獨遊亭午時)とある。南礀は、南の谷川。ウィキソース「南澗中題」参照。
獨上意悠悠
独(ひと)り上(のぼ)る 意(い)悠悠(ゆうゆう)たり
  • 独上 … ただ一人でこの山に登ってきたが。『列仙伝』巻上、馬丹の条に「杳然(ようぜん)として独り上り、跡を玄宮に絶つ」(杳然獨上、絶跡玄宮)とある。杳然は、果てしなくはるかなさま。玄宮は、ここでは仙界を指す。ウィキソース「列仙傳」参照。
  • 意 … わが思い。
  • 悠悠 … (憂いの気持ちは)果てることはない。尽きることがない。いつまでも続くさま。『詩経』邶風・泉水に「須(す)と漕(そう)とを思えば、我が心悠悠たり」(思須與漕、我心悠悠)とある。須・漕は、ともに衛国の地名。ウィキソース「詩經/泉水」参照。
如何望郷處
如何(いかん)ぞ 郷(きょう)を望(のぞ)む処(ところ)
  • 如何 … いったいどうしたことか。どうにもならない。なすべき手段もなく、強い慨嘆の意を表す語。
  • 望郷処 … わが故郷(ここでは作者の故郷河東ではなく、都長安を指す)を望み見ても。処は、場所の意でなく、「~してみると」「~してみても」と訳す。「古詩十九首」(『文選』巻二十九)の第六首に「還(かん)顧(こ)して旧郷を望めば、長路漫(まん)として浩浩たらん」(還顧望舊郷、長路漫浩浩)とある。還顧は、振り返って見ること。旧郷は、故郷に同じ。漫は、遠いさま。浩浩は、広々として果てしないさま。ウィキソース「涉江採芙蓉」参照。また、南朝斉の謝朓「晩に三山に登り、京邑(けいゆう)を還望す」詩(『文選』巻二十七)に「情有りて郷を望むを知る、誰か能く鬒(くろかみ)変ぜざらんや」(有情知望郷、誰能鬒不變)とある。京邑は、都。ウィキソース「昭明文選/卷27」参照。
西北是融州
西北(せいほく)は是(こ)れ融(ゆう)州(しゅう)
  • 西北是 … 西北の方向に見えるのは、ただ~だけである。
  • 是 … 「~これ…」と読み、「~は…だ」と訳す。認定の意を示す。英語のbe動詞にあたる。
  • 融州 … 現在の広西チワン族自治区融安県。作者の配所。ウィキペディア【融州】参照。『新唐書』地理志に「融州融水郡は、……武徳四年(621)、始安郡の義熙を析(さ)きて置く」(融州融水郡、……武德四年析始安郡之義熙置)とある。義熙は、義熙県。現在の融水ミャオ族自治県。ウィキソース「新唐書/卷043上」参照。また『元和郡県図志』巻三十七に「柳州は、……北のかた融州に至るに陸路二百二十三里、水路三百八十里なり」(柳州、……北至融州陸路二百二十三里、水路三百八十里)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷37」参照。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 悠・州(下平声尤韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻三百五十二(排印本、中華書局、1960年)
  • 『増広註釈音弁唐柳先生集』巻四十二(『四部叢刊 初編集部』所収)
  • 『唐柳河東集』巻四十二(『四部備要 集部』所収、中華書局)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻二(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『唐詩解』巻二十三(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻四十三([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 『柳宗元集』巻四十二(中国古典文学基本叢書、中華書局、1979年)
  • 松浦友久編『校注 唐詩解釈辞典』(大修館書店、1987年)
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