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聞雁(韋応物)

聞雁
かり
おうぶつ
  • ウィキソース「聞鴈 (韋應物)」参照。
  • この詩は、作者が秋の夜、雁の鳴き声を聞きながら、故郷を思って詠んだもの。建中四年(783)から興元元年(784)までの間、じょしゅう(現在の安徽省滁州市一帯)の刺史の任にあった時の作。
  • 聞雁 … 雁の鳴き声を聞く。雁は、懐かしい便りを届けてくれるものとされ、その声は、郷愁をかき立てるもの。前漢の将軍蘇武そぶが、匈奴に使者として行き捕虜となったが、雁の足に手紙を結んで都へ消息を知らせたという故事に基づく。『漢書』蘇武伝に「天子上林中にて雁を得たり。足に帛書はくしょくる有り、言う武等ぶらぼうたくちゅうに在りと」(天子射上林中得鴈。足有係帛書、言武等在某澤中)とある。帛書は、絹に書いた手紙。ウィキソース「漢書/卷054」参照。
  • 韋応物 … 736~791?。中唐の詩人。長安(陝西せんせい省西安市)の人。じょしゅう(現在の安徽省滁州市一帯)刺史や江州(現在の江西省一帯)刺史等を歴任したが、最後の官が蘇州刺史だったので、韋蘇州と呼ばれた。自然を対象とした詩が多く、自然詩人といわれた。『韋江州集』十巻、『韋蘇州集』十巻がある。ウィキペディア【韋応物】参照。
故園眇何處
えん びょうとしていずれのところ
  • 故園 … 故郷。故園という場合、必ずしも出身地の故郷の意に限らず、長年住み慣れた地を指すことも多い。ここでは、作者の故郷、長安を指す。南朝梁の何遜「興安こうあんと夜別る」詩(『古詩紀』巻九十四)に「まさしんの恨みを抱き、独り故園の秋を守らん」(方抱新離恨、獨守故園秋)とある。新離は、新たな別れ。ウィキソース「與胡興安夜别」参照。
  • 眇 … はるか彼方。「渺」とも書く。前漢の趙飛燕の詩「ふう送燕そうえんそう」(『古詩紀』巻十二)に「君子をおもえども、渺として望み難し」(懷君子兮渺難望)とある。操は、琴の曲のこと。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷012」参照。
  • 何処 … 「いずれのところぞ」と読み、「どのあたりであろうか」と訳す。『史記』孝武本紀に「其の何れの所の人なるやを知らず、愈〻いよいよ信じ、争いて之につかう」(不知其何所人、愈信、爭事之)とある。ウィキソース「史記/卷012」参照。
歸思方悠哉
帰思きし まさゆうなるかな
  • 帰思 … 故郷に帰りたいと思う心。東晋の陶潜「始めて鎮軍参軍とり、きょくしときに作る」詩(『文選』巻二十六)に「眇眇びょうびょうとして孤舟き、綿綿めんめんとして帰思まとう」(眇眇孤舟逝、綿綿歸思紆)とある。鎮軍は、将軍の称号。ここでは、東晋の鎮軍将軍、劉ろう(?~402)を指す。参軍は、官名。軍務を参謀す。曲阿は、現在の江蘇省丹陽市。眇眇は、はるかに。遠いさま。綿綿は、どこまでも続いて絶えない様子。まとうとは、まつわりつくこと。ウィキソース「始作鎮軍參軍經曲阿」参照。
  • 方 … 「まさに」と読み、「ちょうど~する最中だ」「まさしく今」と訳す。『史記』項羽本紀に「如今じょこん人は方にとうたり。我は魚肉たり。何ぞ辞するを為さん」(如今人方爲刀俎。我爲魚肉。何辭爲)とある。如今は、ちょうど今。刀俎は、包丁とまな板。ウィキソース「史記/卷007」参照。なお、底本では「方」を「正」に作るが、諸本により改めた。
  • 悠哉 … 思う心の果てしないさま。深く思って尽きないこと。『詩経』周南・関雎に「ゆうなるかな悠なる哉、輾転てんてん反側はんそくす」(悠哉悠哉、輾轉反側)とある。輾転反側は、眠れずに何度も寝返りを打つこと。ウィキソース「詩經/關雎」参照。
淮南秋雨夜
淮南わいなん しゅうよる
  • 淮南 … 淮水(現在は淮河)の南の地。じょしゅう(現在の安徽省滁州市一帯)を指す。当時、作者は滁州刺史をしていた。
  • 秋雨 … 秋に降る雨。秋雨あきさめ。『淮南子』時則訓に「仲秋に春令を行えば、則ち秋雨降らず、草木えいを生じ、国にたいきょう有り」(仲秋行春令、則秋雨不降、草木生榮、國有大恐)とある。ウィキソース「淮南子/時則訓」参照。また、南朝梁の何遜「主に従いて西州に移り、斎内に寓直して霖雨晴れず、郡中の遊聚を懐う」詩(『古詩紀』巻九十三)に「祁祁ききとして寒枝動き、濛濛もうもうとして秋雨す」(祁祁寒枝動、濛濛秋雨駛)とある。祁祁は、雨が穏やかに降るさま。寒枝は、葉が落ちて物寂しい感じの木の枝。濛濛は、雨が一面に降りしきるさま。駛すとは、雨脚が速いこと。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷093」参照。
高齋聞雁來
高斎こうさい かりきたるを
  • 高斎 … 高楼にある書斎。書斎とはいえ、郡斎(郡の太守がいる役所)でもある。『南史』庾肩吾伝に「肩吾、あざなは慎之、八歳にして能く詩を賦し、兄りょうの友愛する所と為る。初め晋安王の国常侍と為り、王鎮をうつごとに、肩吾常に府に随う。雍州に在りて劉孝威・江伯揺・孔敬通・申子悦・徐防・徐摛・王囿・孔鑠・鮑至等十人とともに衆籍を抄撰せんことを命ぜられ、其の果饌を豊かにし、高斎学士と号せらる」(肩吾字愼之、八歳能賦詩、爲兄於陵所友愛。初爲晉安王國常侍、王毎徙鎭、肩吾常隨府。在雍州被命與劉孝威、江伯搖、孔敬通、申子悦、徐防、徐摛、王囿、孔鑠、鮑至等十人抄撰衆籍、豐其果饌、號高齋學士)とある。ウィキソース「南史/卷50」参照。また、晩唐の司空図「華下菊に対す」詩(『全唐詩』巻六百三十三)に「清香 露にうるおって高斎に対し、酒をうかべてひとえに能く旅懐をそそぐ」(清香裛露對高齋、泛酒偏能浣旅懷)とある。華下は、華山(陝西省華陰市)のふもと。ウィキソース「全唐詩/卷633」参照。
  • 聞雁来 … (故郷のある北方の地から)飛来した雁の鳴き声を聞いている。初唐の王勃「蜀中の九日」詩に「人情 已にいとう 南中の鴻鴈こうがん なんぞ北地よりきたる」(人情已厭南中苦、鴻鴈那從北地來)とある。南中は、南の地方。ここでは、蜀の地を指す。苦は、苦労。ウィキソース「蜀中九日」参照。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 哉・來(上平声灰韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百九十三(排印本、中華書局、1960年)
  • 『韋江州集』巻八(『四部叢刊 初編集部』所収)
  • 『韋蘇州集』巻十(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『(須溪先生校本)韋蘇州集』巻八(宝永三年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩8』所収、汲古書院、1975年)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻七(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『唐詩解』巻二十三(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻四十一([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻十九([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 孫望編著『韋應物詩集繋年校箋』巻七(中国古典文学基本叢書、中華書局、2002年)
  • 陶敏/王友勝校注『韋應物集校注』巻八(中國古典文學叢書、上海古籍出版社、1998年)
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