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観猟(王維)

觀獵
かんりょう
おう
  • 五言律詩。鳴・城・輕・營・平(下平声庚韻)。
  • ウィキソース「觀獵 (王維)」参照。
  • 観猟 … 将軍の狩猟に作者が加わり、その様子を詠じた詩。「りょうる」と読んでもよい。『全唐詩』には、題下に「紀事には題して猟騎と曰う。楽府詩集、万首絶句は前四句を以て五絶と作し、な題してじゅうこんと曰う」(紀事題曰獵騎。樂府詩集、萬首絕句以前四句作五絕、竝題曰戎渾)と注する。『静嘉堂本』では「観猟詩」に作る。『唐詩紀事』では「猟騎」に作る。『楽府詩集』巻八十および『万首唐人絶句』五言絶句・巻二十一には、詩題を「戎渾」とし、前半四句を収録している。
  • 王維 … 699?~761。盛唐の詩人、画家。太原(山西省)の人。あざなきつ。開元七年(719)、進士に及第。安禄山の乱で捕らえられたが事なきを得、乱後は粛宗に用いられてしょうじょゆうじょう(書記官長)まで進んだので、王右丞とも呼ばれる。また、仏教に帰依したため、詩仏と称される。『王右丞文集』十巻がある。ウィキペディア【王維】参照。
風勁角弓鳴
かぜつよくしてかくきゅう
  • 風勁 … 風が強い。劉宋の謝霊運「歳暮」詩に「明月は積雪を照らし、朔風は勁くして且つ哀し」(明月照積雪、朔風勁且哀)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷058」参照。また唐の太宗「残菊を賦し得たり」詩(『全唐詩』巻一)に「露濃はばんしょうかわかし、風勁くして残香浅し」(露濃晞晚笑、風勁淺殘香)とある。露濃は、濃露(濃い露)。平仄の関係から語順を変更している。晩笑は、遅れ咲きの花。ウィキソース「賦得殘菊」参照。
  • 勁 … 『全唐詩』『顧起経注本』『趙注本』には「一作動」と注する。
  • 角弓 … 動物のつので飾った弓。『詩経』小雅・角弓の詩に「騂騂せいせいたるかくきゅうは、へんとしてはんす」(騂騂角弓、翩其反矣)とある。騂騂は、弓の調子のよいさま。一説に赤色をいう。ウィキソース「詩經/角弓」参照。
  • 鳴 … 強い風が角弓に吹き付けて音が鳴る。
將軍獵渭城
しょうぐん じょうりょう
  • 渭城 … 秦の都であった咸陽かんようを漢代になって渭城と改めた。現在の陝西省咸陽市。『読史方輿紀要』歴代州域形勢二、前漢、右扶風の条に「渭城は、即ち秦の咸陽なり、今西安府に属す」(渭城、即秦咸陽、今屬西安府)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷二」参照。また『大明一統志』陜西布政司、西安府上、古蹟の条に「渭城は長安県に在り。秦の孝公が居る所の城なり」(渭城在長安縣。秦孝公所居之城也)とある。ウィキソース「明一統志 (四庫全書本)/卷32」参照。
草枯鷹眼疾
くされて鷹眼ようがんはや
  • 草枯 … 草が枯れて。『南史』裴松之伝に「墓所にごとに、草これためる」(每之墓所、草爲之枯)とある。ウィキソース「南史/卷33」参照。
  • 草 … 底本および『古今詩刪』では「艸」に作る。同義。
  • 鷹眼 … (獲物を狙う)鷹の眼。隋の魏彦深「鷹の賦」に「まなこは明珠にるいし、毛は猶お霜雪のごとし」(眼類明珠、毛猶霜雪)とある。ウィキソース「御定歴代賦彚 (四庫全書本)/卷132」参照。
  • 鷹 … 『静嘉堂本』では「鷹」の「广」(まだれ)を「亠」(なべぶた)に作る。
  • 疾 … (鷹の眼が)素早い。獲物を見逃さないということ。
雪盡馬蹄輕
ゆききてていかろ
  • 雪尽 … 雪がすっかり消えて。
  • 雪 … 『蜀刊本』では「雲」に作る。
  • 馬蹄 … 馬のひづめ。『荘子』馬蹄篇に「馬は、ひづめは以て霜雪をむ可く、毛は以て風寒をふせぐ可し」(馬、蹄可以踐霜雪、毛可以禦風寒)とある。ウィキソース「莊子/馬蹄」参照。
  • 軽 … (馬のひづめの音が)軽やかである。
忽過新豐市
たちま新豊しんぽう
  • 忽 … たちまち。いつの間にか。「古詩十九首其一」(『文選』巻二十九、『玉台新詠』巻一)に「君を思えば人をして老いしむ、歳月 忽ち已にれぬ」(思君令人老、歲月忽已晚)とある。ウィキソース「行行重行行」参照。
  • 新豊 … 町の名。長安の東北、現在の陝西省西安市臨潼りんどう区の東北にあった。漢の高祖(劉邦)が都を長安に定めたとき、父の太公が郷里のほうを恋しがったため、郷里からすべてを移して作った町。『大明一統志』陜西布政司、西安府上、古蹟の条に「新豊城は臨潼県の東一十五里に在り。漢の高帝、太上皇の故豊里を思うに因って、乃ち此の県を置き豊人をうつし、之を実たすが故に新豊と曰う。并せてふんの旧杜を移し、がいとう一に豊里の旧制の如し。鶏犬混ぜて放すと雖も、亦た其の家を知る」(新豐城在臨潼縣東一十五里。漢髙帝因太上皇思故豐里、乃置此縣徙豐人實之故曰新豐。幷移枌楡舊杜、街衢棟宇一如豐里舊制。雖鷄犬混放、亦知其家焉)とある。ウィキソース「明一統志 (四庫全書本)/卷32」参照。また『西京雑記』巻二に「高帝既に新豊を作るや、并びに旧社を移す。こう・棟宇、物色旧にかなえり」(高帝既作新豐、幷移舊社、衢巷棟宇、物色惟舊)とある。ウィキソース「西京雜記/卷二」参照。
  • 市 … 町。『雲谿友議』では「戍」に作る。ウィキソース「雲谿友議」参照。
  • 過 … 通り過ぎる。
還歸細柳營
さいりゅうえいかえ
  • 還 … 「また」と読み、「もう一度」「再び」と訳す。「復」に同じ。中世以後の俗語。唐初の魏徴「述懐」詩に「ちゅうげん 鹿しかう」(中原還逐鹿)とある。ウィキソース「述懷 (魏徵)」参照。
  • 細柳営 … 漢代の陣営の名。陝西省咸陽市の西南にあった。漢の名将しゅう亜夫あふが陣を張った所。将軍の周亜夫は軍令厳しく、文帝が慰労のため陣営に見えたが兵士に阻まれて入れず、文帝は使者にせつを持たせて将軍にみことのりし、将軍の命でやっと入ることができたという。ここから、将軍のいる陣営を「柳営」、軍律の厳しい陣営を「細柳営」と呼ぶようになった。『史記』絳侯こうこう周勃世家に「已にして細柳の軍にく。軍の士吏、甲をこうむり、兵刃を鋭くし、きゅうり、満を持す。天子の先駆至れども入るを得ず。先駆曰く、天子まさに至らんとす、と。軍門の都尉曰く、将軍令して曰く、軍中には将軍の令を聞き、天子のみことのりを聞かず、と。居ることいくばくも無くしてしょう至る。又た入るを得ず。ここに於いてしょう乃ち使いをしてせつせしめ、将軍にみことのりす、われ、入りて軍をねぎらわんと欲す、と。亜夫乃ち言を伝え、壁門を開かしむ」(已而之細柳軍。軍士吏被甲、銳兵刃、彀弓弩、持滿。天子先驅至不得入。先驅曰、天子且至。軍門都尉曰、將軍令曰、軍中聞將軍令、不聞天子之詔。居無何上至。又不得入。於是上乃使使持節詔將軍、吾欲入勞軍。亞夫乃傳言、開壁門)とある。ウィキソース「史記/卷057」参照。また『三輔黄図』巻六、倉の条に「細柳倉・嘉倉は、長安の西、渭水の北に在り。石徼西に細柳倉有り、城東に嘉倉有り」(細柳倉、嘉倉、在長安西、渭水北。石徼西有細柳倉、城東有嘉倉)とある。ウィキソース「三輔黃圖/卷之六」参照。また『括地志』雍州、咸陽県の条に「細柳倉は雍州咸陽県の西南二十里に在るなり」(細柳倉在雍州咸陽縣西南二十里也)とある。ウィキソース「括地志輯校」参照。
回看射鵰處
ちょうところかえれば
  • 射鵰処 … 大鷲を射落とした辺り。鵰は、大鷲。『史記』李将軍伝に「匈奴大いに上郡に入る。天子、ちゅうじんをして広に従いろくして兵を習い匈奴を擊たしむ。中貴人、騎数十をひきいてしょうし、匈奴三人を見るや、ともに戦う。三人還り射て、中貴人を傷つけ、其の騎を殺してまさに尽きんとす。中貴人、広に走る。広曰く、是れ必ずせきちょうしゃならん、と。広乃ち遂に百騎を従え往きて三人に馳す。三人、馬をうしない歩行し、行くこと数十里。広、其の騎をして左右のよくを張らしめ、而うして広自ら彼の三人の者を射て、其の二人を殺し、一人を生得せいとくす。果たして匈奴のせきちょうしゃなり」(匈奴大入上郡。天子使中貴人從廣勒習兵擊匈奴。中貴人將騎數十縱、見匈奴三人、與戰。三人還射、傷中貴人、殺其騎且盡。中貴人走廣。廣曰、是必射鵰者也。廣乃遂從百騎往馳三人。三人亡馬歩行、行數十里。廣令其騎張左右翼、而廣身自射彼三人者、殺其二人、生得一人。果匈奴射鵰者也)とある。中貴人は、天子に目をかけられている近臣。宦官を指す。射鵰者は、鷲を狩猟する者。ウィキソース「史記/卷109」参照。また『北斉書』斛律こくりつこう伝に「嘗て世宗にえんきょうに従いてこうりょうす。一大鳥を見、雲表にようす。光、弓を引いて之を射、正に其のくびつ。此の鳥形車輪の如く、旋転して下る。地に至れば乃ち大雕なり。世宗取りて之を観、深く壮異とす。丞相の属邢子高見て嘆じて曰く、此れせきちょうしゅなり、と。当時伝えて落雕都督と号す」(嘗從世宗於洹橋校獵。見一大鳥、雲表飛颺。光引弓射之、正中其頸。此鳥形如車輪、旋轉而下。至地乃大雕也。世宗取而觀之、深壯異焉。丞相屬邢子高見而嘆曰、此射鵰手也。當時傳號落雕都督)とある。校猟は、木を型に組んだ矢来を作り、その中に獣を追いこんで捕ること。大雕は、大鷲。ウィキソース「北齊書/卷17」参照。また『禽経』に「窃玄せつげんを雕と曰う。色浅黒くして大なる者は、其の羽能く鳥毛を落とすなり」(竊玄曰雕。色淺黑而大者、其羽能落鳥毛也)とある。窃玄は、夏の鳸鳥(フナシウヅラ)。鳸鳥は、夏になると羽が浅黒くなることから。ウィキソース「禽經」参照。
  • 射鵰 … 『全唐詩』『顧起経注本』には「一作落雁、一作失雁」と注する。『雲谿友議』では「失雁」に作る。ウィキソース「雲谿友議」参照。
  • 鵰 … 『蜀刊本』『顧起経注本』『顧可久注本』『唐詩紀事』では「雕」に作る。同義。
  • 回看 … 振り返って見る。
  • 回 … 底本および『唐詩別裁集』では「囘」に作る。「回」の異体字。『静嘉堂本』『四部叢刊本』『顧起経注本』では「廻」に作る。『顧可久注本』では「𢌞」に作る。『蜀刊本』『又玄集』では「迴」に作る。いずれも同義。『極玄集』では「迥」に作る。
千里暮雲平
せん うんたいらかなり
  • 千里 … 千里の彼方まで広がる平原。
  • 暮雲平 … 夕暮れの雲が棚引いている。南朝梁の虞羲ぐぎかく将軍の北伐を詠ず」詩(『文選』巻二十一)に「長城は地勢けんにして、万里雲と平らかなり」(長城地勢嶮、萬里與雲平)とある。ウィキソース「詠霍將軍北伐」参照。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻三(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百二十六(中華書局、1960年)
  • 『王右丞文集』巻五(静嘉堂文庫蔵、略称:静嘉堂本)
  • 『王摩詰文集』巻九(書韻楼叢刊、上海古籍出版社、2003年、略称:蜀刊本)
  • 『須渓先生校本唐王右丞集』巻五(『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:四部叢刊本)
  • 顧起経注『類箋唐王右丞詩集』巻四(台湾学生書局、1970年、略称:顧起経注本)
  • 顧可久注『唐王右丞詩集』巻五(『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、略称:顧可久注本)
  • 趙殿成注『王右丞集箋注』巻八(中国古典文学叢書、上海古籍出版社、1998年、略称:趙注本)
  • 『唐詩品彙』巻六十一([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩解』巻三十六(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩別裁集』巻九(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『古今詩刪』巻十四(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収)
  • 『唐詩紀事』巻十六([宋]計有功撰、上海古籍出版社、1987年)
  • 『極玄集』巻上(傅璇琮編撰『唐人選唐詩新編』、陝西人民教育出版社、1996年)
  • 『又玄集』巻上(傅璇琮編撰『唐人選唐詩新編』、陝西人民教育出版社、1996年)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻二十一(明嘉靖刊本影印、文学古籍刊行社、1955年)※前半四句のみ、詩題「戎渾」
  • 『楽府詩集』巻八十・近代曲辞(北京図書館蔵宋刊本影印、中津濱渉『樂府詩集の研究』所収)※前半四句のみ、詩題「戎渾」
  • 『雲谿友議』巻中(『四部叢刊 続編子部』所収)
  • 松浦友久編『続校注 唐詩解釈辞典〔付〕歴代詩』大修館書店、2001年
歴代詩選
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後漢
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初唐 盛唐
中唐 晩唐
北宋 南宋
唐詩選
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