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行行重行行(「古詩十九首」第一首)

行行重行行
行(ゆ)き行(ゆ)きて重(かさ)ねて行(ゆ)き行(ゆ)く
「古詩(こし)十九(じゅうきゅう)首(しゅ)」第(だい)一(いっ)首(しゅ)
  • ウィキソース「行行重行行」「昭明文選/卷29」「六臣註文選 (四庫全書本)/卷29」参照。
  • この詩は、遠い旅に出ている夫と、その夫を慕う妻、それぞれの気持ちを詠んだもの。前半八句を夫、後半八句を妻の言葉と解釈した。『古詩賞析』には「此れ思婦の詩」(此思婦之詩)とある。また、吉川幸次郎は「思慕をよせる対象とみずからとの距離が、時間の推移の上に、日に日に遠ざかりゆくことを、なげく詩である。つまり不幸な時間の持続、あるいは単なる持続でなく、時間の推移の上に、不幸が堆積し増大するのを、なげく詩である」と言っている(「推移の悲哀―古詩十九首の主題―」『吉川幸次郎全集 第六巻』所収、筑摩書房)。
  • 古詩十九首 … 『文選』巻二十九、雑詩の中に作者不詳として収められている五言古詩十九首のこと。前漢から後漢にかけて作られた作品。ウィキペディア【古詩十九首】参照。
行行重行行 與君生別離
行(ゆ)き行(ゆ)きて重(かさ)ねて行(ゆ)き行(ゆ)く、君(きみ)と生(い)きながら別(べつ)離(り)す
  • 『文選』李善注に「楚辞(九歌・少司命)に曰く、悲しきは生別離より悲しきは莫し、と」(楚辭曰、悲莫悲兮生別離)とある。
  • 『文選』張銑注に「此の詩の意、忠臣佞人の讒譖(ざんしん)に遭うが為に、放逐せらるるなり」(此詩意、爲忠臣遭佞人讒譖、見放逐也)とある。
  • 行行重行行 … どんどんと遠くへ行ってしまう。今日も明日も旅を続けている。行行は、行くという動作が何度も繰り返されることを示す。訓読は「ゆきゆきて」「ゆきゆき」のどちらでもよい。『古詩賞析』に「重ねて行き行くとは、行きて之れ止まらざるを言うなり」(重行行、言行之不止也)とある。また、三国魏の曹植「徐幹に贈る」詩(『文選』巻二十四)の李善注に「古歩出夏門行に曰く、行き行きて復た行き行く、白日は西山に薄(せま)る、と」(古歩出夏門行曰、行行復行行、白日薄西山)とある。ウィキソース「昭明文選/卷24」参照。また、三国魏の武帝(曹操)の楽府「苦寒行」(『文選』巻二十七)に「行き行きて日已(すで)に遠く、人馬同時に飢う(う)」(行行日已遠、人馬同時飢)とある。ウィキソース「苦寒行 (曹操)」参照。
  • 君 … 妻を指す。
  • 与 … 「と」と読み、「~と」と訳す。「A与B」の場合は、「AとB与(と)」と読む。「與」は「与」の旧字体。
  • 生別離 … 生きたまま離(はな)れ離(ばな)れになってしまう。生き別れ。『楚辞』九歌・少司命に「悲しきは生きながら別離より悲しきは莫(な)く、楽しきは新しく相知るより楽しきは莫し」(悲莫悲兮生別離、樂莫樂兮新相知)とあり、その王逸注に「人の世間に居るや、悲哀は妻子と生きながら別離するよりも痛ましきは莫し。……言うこころは天下の楽しみは、男女の始めて相知るの時より大なるは莫きなり」(人居世間、悲哀莫痛與妻子生別離。……言天下之樂、莫大於男女始相知之時也)とある。ウィキソース「楚辭補註/卷第二」参照。
相去萬餘里 各在天一涯
相(あい)去(さ)ること万(ばん)余里(より)、各〻(おのおの)天(てん)の一涯(いちがい)に在(あ)り
  • 『文選』李善注に「広雅に曰く、涯は、方なり、と」(廣雅曰、涯、方也)とある。
  • 『文選』李周翰注に「涯は、畔なり」(涯、畔也)とある。
  • 相 … お互いに。
  • 去 … 離れる。
  • 万余里 … 一万里以上。距離がたいへん遠いことを表す。余は、ある数を上まわる部分。前漢の郊祀歌「天馬」(『楽府詩集』巻一、『漢書』礼楽志)に「体(たい)は容(よう)与(よ)として、万里を迣(こ)ゆ」(體容與、迣萬里)とある。容与は、ゆったりとしたさま。ウィキソース「天馬」「漢書/卷022」参照。また、三国魏の武帝(曹操)の楽府「却東西門行」(『楽府詩集』巻三十七)に「翅(はね)を挙ぐること万余里、行(こう)止(し)自ずから行(こう)を成す」(舉翅萬餘里、行止自成行)とある。行止は、行くことと止まること。ウィキソース「樂府詩集/037卷」参照。
  • 各在天一涯 … それぞれが天の一方の端に身を置いている。前漢の李陵「蘇武に与うる詩」(『文選』巻二十九)の第一首に「風波に一たび所を失えば、各〻天の一隅に在り」(風波一失所、各在天一隅)とある。ウィキソース「與蘇武 (良時不再至)」参照。また、前漢の蘇武「詩四首」(『文選』巻二十九)の第四首に「良友遠く離別し、各〻天の一方に在り」(良友遠離別、各在天一方)とある。ウィキソース「昭明文選/卷29」参照。また「烏孫公主の歌」(『楽府詩集』巻八十四、『漢書』西域伝)に「吾が家我を嫁(か)す 天の一方、遠く異国に托す 烏孫王」(吾家嫁我兮天一方、遠托異國兮烏孫王)とある。ウィキソース「樂府詩集/084卷」参照。
  • 天一涯 … 天の一方の端と、もう一方の端。遠く離れていることを表す。『六臣註文選』には「善作一天涯」と注する。
  • 在 … 暮らしている。身を置いている。
道路阻且長 會面安可知
道(どう)路(ろ) 阻(そ)にして且(か)つ長(なが)し、会面(かいめん) 安(いず)くんぞ知(し)る可(べ)けんや
  • 『文選』李善注に「毛詩(秦風・蒹葭)に曰く、遡(そ)洄(かい)して之に従わんとすれば、道は阻にして且つ長し。薛綜西京の賦の注に曰く、安は、焉なり、と」(毛詩曰、溯洄從之、道阻且長。薛綜西京賦注曰、安、焉也)とある。遡洄は、水の流れに逆らって上っていくこと。ウィキソース「詩經/蒹葭」参照。
  • 道路 … 二人の間にある道。
  • 阻且長 … 険しく、その上遠い。前漢の蘇武「詩四首」(『文選』巻二十九)の第四首に「山海は中州を隔て、相去ること悠(はるか)にして且つ長し」(山海隔中州、相去悠且長)とある。ウィキソース「昭明文選/卷29」参照。
  • 且 … 「かつ」と読み、「その上に」と訳す。
  • 会面 … 顔を合わせること。面会。面は、顔。『後漢書』范冉伝に「今、子(し)は遠く千里に適(ゆ)き、会面すること期無し」(今子遠適千里、會面無期)とある。ウィキソース「後漢書/卷81」参照。
  • 安可知 … どうして知ることができようか、いやできない。
  • 安 … 「いずくんぞ~ん(や)」と読み、「どうして~(する)のか、いや~ない」と訳す。反語の意を示す。
胡馬依北風 越鳥巢南枝
胡馬(こば)は北風(ほくふう)に依(よ)り、越(えっ)鳥(ちょう)は南(なん)枝(し)に巣(す)くう
  • 『文選』李善注に「韓詩外伝に曰く、詩に曰く、代馬は北風に依り、飛鳥は故(こ)巣(そう)に棲む、と。皆な本を忘れざるの謂(いい)なり、と」(韓詩外傳曰、詩曰、代馬依北風、飛鳥棲故巢。皆不忘本之謂也)とある。代馬は、北方地方で産する馬。故巣は、古(ふる)巣(す)。
  • 『文選』李周翰注に「胡馬は北より出で、越鳥は南より来たれば、北風に依望し、南枝に巣宿す。皆な旧国を思う」(胡馬出於北、越鳥來於南、依望北風、巢宿南枝。皆思舊國)とある。
  • 胡馬依北風 … 北方の胡(えびす)の地から来た馬は、故郷を懐かしんで北風に身を寄せる。胡馬は、北方の胡国に産した馬。依は、身を寄せる。もたれる。『塩鉄論』未通篇に「故に代馬は北風に依り、飛鳥は故巣に翔ぶ、其の生を哀しまざるは莫し」(故代馬依北風、飛鳥翔故巢、莫不哀其生)とある。ウィキソース「鹽鐵論/卷03」参照。また、西晋の張協「雑詩十首」(『文選』巻二十九)の第八首に「閩越(びんえつ)は文(ぶん)蛇(だ)を衣(き)、胡馬は燕に度(わた)らんことを願う」(閩越衣文蛇、胡馬願度燕)とあり、その李善注に「蘇武の書に曰く、越人は文蛇を衣(き)、代馬は北風に依る。君子其の国に於けるや、悽愴(せいそう)として心を傷ましむ、と」(蘇武書曰、越人衣文蛇、代馬依北風。君子於其國也、悽愴傷於心)とある。閩越は、秦・漢時代、現在の福建省に存在した政権で、ここに住んでいた越族が前202年に建てた王国。前135年、漢の武帝に滅ぼされた。文蛇は、模様のある蛇の皮で作った衣。ウィキソース「昭明文選/卷29」参照。
  • 依 … 『玉台新詠』では「嘶(いなな)く」(嘶)に作る。
  • 越鳥巣南枝 … 南方の越の国から来た鳥は、故郷を懐かしがり、南側へ伸びた枝に巣を作る。越は、今の浙江省の辺り。この句は前句と対句になっている。当時のことわざで、故郷が忘れがたく、懐かしむことの喩え。『呉越春秋』闔閭内伝、闔閭元年の条に「胡馬は北風を望みて立ち、越燕は日に向かって熙(よろこ)ぶ。誰か其の近づく所を愛し、其の思う所の者を悲(した)わざらんや」(胡馬望北風而立、越鷰向日而熙。誰不愛其所近、悲其所思者乎)とある。ウィキソース「吳越春秋/闔閭內傳」参照。
相去日已遠 衣帶日已緩
相(あい)去(さ)ること日(ひ)に已(すで)に遠(とお)く、衣(い)帯(たい) 日(ひ)に已(すで)に緩(ゆる)し
  • 『文選』李善注に「古楽府歌に曰く、家を離れて日(ひび)に遠きに趨(おもむ)き、衣帯日(ひび)に緩(ゆる)きに趨く」(古樂府歌曰、離家日趨遠、衣帶日趨緩)とある。
  • 日已 … 日ごとに。日増しに。日を追うごとに。日は、「ひびに」と読んでもよい。「古詩十九首」第十四首の「去る者は日(ひび)に以て疎く、生者(せいじゃ)は日(ひび)に以て親し」(去者日以疎、生者日以親)の「日以」に同じ。ウィキソース「去者日以疎」参照。
  • 衣帯日已緩 … 心配や悲しみのあまり、やせ細って着物の帯が緩くなってしまう。衣帯は、着物の帯。
浮雲蔽白日 遊子不顧返
浮(ふ)雲(うん) 白日(はくじつ)を蔽(おお)い、遊(ゆう)子(し) 顧(こ)返(へん)せず
  • 『文選』李善注に「浮雲の白日を蔽(おお)うは、以て邪佞(じゃねい)の忠良を毀(そし)るに喩う。故に遊子の行きて顧(こ)返(へん)せざるなり。文子(上徳篇)に曰く、日月は明らかならんと欲するに、浮雲は之を蓋(おお)う、と。陸賈の新語(弁惑篇)に曰く、邪臣の賢を蔽うは、猶お浮雲の日月を鄣(さえぎ)るがごとし、と。古楊柳行に曰く、讒邪(ざんじゃ)は公正を害し、浮雲は白日を蔽う、と。義は此れと同じきなり。鄭玄の毛詩の箋に曰く、顧は念(おも)うなり、と」(浮雲之蔽白日、以喩邪佞之毀忠良。故遊子之行不顧返也。文子曰、日月欲明、浮雲蓋之。陸賈新語曰、邪臣之蔽賢、猶浮雲之鄣日月。古楊柳行曰、讒邪害公正、浮雲蔽白日。義與此同也。鄭玄毛詩箋曰、顧念也)とある。顧返は、気にかけて戻ること。讒邪は、邪悪で人を讒言すること。
  • 『文選』劉良注に「白日は君に喩うるなり、浮雲は讒佞の臣を謂うなり。言うこころは佞臣君の明を蔽い、忠臣をして去りて返らざらしむるなり」(白日喩君也、浮雲謂讒佞之臣也。言佞臣蔽君之明、使忠臣去而不返也)とある。
  • 浮雲蔽白日 … 空に浮かぶ雲が太陽の光を覆い隠しているように、二人の間が隔てられたこと。白日は、太陽。夫の喩え。浮雲は、よその女性など、夫の心を惑わすもの。前漢の蘇武「詩四首」(『文選』巻二十九)の第四首に「俯して江漢の流るるを観、仰いで浮雲の翔るを視る」(俯觀江漢流、仰視浮雲翔)とある。ウィキソース「昭明文選/卷29」参照。また、前漢の李陵「蘇武に与うる詩」(『文選』巻二十九)の第一首に「仰いで浮雲の馳(は)するを視るに、奄忽(えんこつ)として互いに相踰(こ)ゆ」(仰視浮雲馳、奄忽互相踰)とある。奄忽は、たちまち。ウィキソース「與蘇武 (良時不再至)」参照。
  • 遊子 … 旅人。夫を指す。
  • 不顧返 … 帰ろうともしない。なお、「(私のことを)振り返ってくれない」と解釈する説もある。
思君令人老 歲月忽已晚
君(きみ)を思(おも)えば人(ひと)をして老(お)いしむ、歳月(さいげつ) 忽(たちま)ち已(すで)に晩(く)れぬ
  • 『文選』李周翰注に「君を思うは主を恋(した)うことを謂うなり。恐らくは歳月の已に晩(く)れて、忠を君に効(いた)すを得ざらん」(思君謂戀主也。恐歲月已晩、不得効忠於君)とある。
  • 思君 … あなたのことを思うと。君は、遊子(夫)を指す。
  • 令人老 … 私を老け込ませる。人は、妻を指す。『詩経』小雅・小(しょう)弁(はん)に「仮寐(かび)して永歎す、維れ憂いて用(もっ)て老ゆ」(假寐永歎、維憂用老)とある。仮寐は、うたた寝。ウィキソース「詩經/小弁」参照。
  • 令 … 「令AB」の形で「AをしてB(せ)しむ」と読み、「AにBさせる」と訳す。使役を表す。「使・遣・教」に同じ。
  • 歳月忽已晩 … 月(つき)日(ひ)はあっという間に過ぎ去っていく。忽は、あっという間に。知らぬ間に。晩は、過ぎ去っていく。
棄捐勿復道 努力加餐飯
棄(き)捐(えん)せらるるも復(ま)た道(い)う勿(な)からん、努(ど)力(りょく)して餐飯(さんぱん)を加(くわ)えよ
  • 『文選』呂延済注に「復た道(い)う勿かれとは、心に敢えて返すことを望まざるなり。努力して餐飯を加うとは、自勉の辞なり」(勿復道、心不敢望返也。努力加餐飯、自勉之辭)とある。自勉は、自分で勉め励むこと。
  • 棄捐 … あなたに見捨てられたとしても。文脈から「らるる」と受け身に読む。前漢の班婕妤の楽府「怨歌行」(『文選』巻二十七、『玉台新詠』巻一)に「篋(きょう)笥(し)の中(うち)に棄捐せられ、恩情中道に絶えんことを」(棄捐篋笥中、恩情中道絶)とある。篋笥は、書物や衣服などを入れる箱。中道は、ここでは中途の意。ウィキソース「怨詩 (班婕妤)」参照。また「あれこれ思い悩むことを打ち捨てて」という解釈もある。三国魏の曹植「白馬王彪(ひょう)に贈る」詩(『文選』巻二十四)の第六首に「心に悲んで我が神(しん)を動かすも、棄(す)て置いて復た陳ぶる莫からん」(心悲動我神、棄置莫復陳)とある。神は、精神。ウィキソース「贈白馬王彪」参照。また、三国魏の文帝(曹丕)「雑詩二首」(『文選』巻二十九)の第二首に「棄置(きち)せらるるも復た陳ぶる勿からん、客子常に人を畏る」(棄置勿復陳、客子常畏人)とある。ウィキソース「雜詩二首 (曹丕)」参照。また『戦国策』秦策に「子曰く、少(わか)きより棄捐せられて外に在り。嘗て師傅(しふ)の教学する所無く、誦(しょう)に習わず、と」(子曰、少棄捐在外。嘗無師傅所教學、不習於誦)とある。師傅は、先生と守り役。誦は、経書を暗誦すること。ウィキソース「戰國策 (士禮居叢書本)/秦/五」参照。
  • 勿復道 … もう二度と愚痴を言うのはよしましょう。もうこれ以上恨み言を言うのはやめましょう。道は、言う。「勿復~」は「二度と~しない」と訳す。古楽府「婦病行」(『樂府詩集』巻三十八)に「行〻(ゆくゆく)復た爾(しか)らんのみ、棄置して復た道うこと勿からん」(行復爾耳、棄置勿復道)とある。ウィキソース「樂府詩集/038卷」参照。
  • 努力 … 努めて。力を尽くして一生懸命行うこと。前漢の蘇武「詩四首」(『文選』巻二十九、『玉台新詠』巻一では第三首のみ収録し、詩題を「妻に留別す」に作る)の第三首に「努力して春華を愛し、歓楽の時を忘るる莫かれ」(努力愛春華、莫忘歡樂時)とある。春華は、春の花。ここでは、若く美しい妻に喩える。ウィキソース「昭明文選/卷29」「留別妻」参照。また、前漢の李陵「蘇武に答うるの書」(『文選』巻四十一)に「以て念と為す勿かれ、努力して自愛せよ」(勿以爲念、努力自愛)とある。ウィキソース「答蘇武書」参照。
  • 加餐飯 … 食事を取って下さい。食事に気をつけて下さい。健康に気をつけて下さい。お体を大切にして下さい。当時の挨拶言葉。餐飯は、食事。古楽府「飲馬長城窟行」(『文選』巻二十七、『玉台新詠』巻一では蔡邕の作とする)に「上には餐食を加えよと有り、下には長く相憶うと有り」(上有加餐食、下有長相憶)とある。ウィキソース「昭明文選/卷27」参照。また『史記』外戚世家に「子夫(しふ)、車に上(のぼ)るや、平陽主、其の背を拊(な)でて曰く、行け。彊(つと)めて飯(はん)せよ。之を勉めよ。即(も)し貴からんとも、相忘るること無かれ、と」(子夫上車、平陽主拊其背曰、行矣。彊飯。勉之。即貴、無相忘)とある。子夫は、前漢の武帝の皇后、衛皇后。子夫は字(あざな)。平陽主は、平陽公主。父は前漢の景帝。母は王皇后。武帝の姉。ウィキソース「史記/卷049」参照。
詩型・韻字
  • 五言古詩。
  • 離・涯・知・枝(上平声支韻)/緩(上声旱韻)・返・晩・飯(上声阮韻)通押。換韻。
テキスト
  • 『文選』巻二十九([梁]蕭統編/[唐]李善注、中国古典文学叢書、上海古籍出版社、1986年)
  • 『六臣註文選』巻二十九(『四部叢刊 初篇集部』所収、上海涵芬楼蔵宋刊本)
  • 『先秦漢魏晋南北朝詩』漢詩 巻十二 古詩(逯欽立輯校、中華書局、1983年)
  • 『古詩源』巻四 漢詩(中国古典文学基本叢書、中華書局、1963年)
  • 『古詩賞析』巻四 漢詩(『漢文大系 第十八巻』、冨山房、1914年)
  • 『玉台新詠箋注』巻一 枚乗雑詩九首([陳]徐陵編/[清]呉兆宜注・程琰刪補/穆克宏点校、中国古典文学基本叢書、中華書局、1985年)
  • 松浦友久編『続校注 唐詩解釈辞典〔付〕歴代詩』(大修館書店、2001年)
歴代詩選
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明 清
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詩人別
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