使至塞上(王維)
使至塞上
使いして塞上に至る
使いして塞上に至る
- 五言律詩。延・天・圓・然(下平声先韻)。
- ウィキソース「使至塞上」参照。
- この詩は、開元二十五年(737)、作者三十七歳、涼州(現在の甘粛省武威市一帯)にて、河西節度使崔希逸の幕僚(節度判官すなわち節度使の属僚)をしていたとき、朝廷より監察御史として居延(現在の内モンゴル自治区エジン旗)の巡察を命ぜられたときの作と思われる。一説に節度判官として涼州へ赴任する途中での作とするが、その途中、はるか遠方にある居延に立ち寄るとするのは無理があり、採らない。
- 使 … 役人が天子の命を受けて派遣されること。
- 塞上 … 塞のほとりの辺境の地。
- 王維 … 699?~761。盛唐の詩人、画家。太原(山西省)の人。字は摩詰。開元七年(719)、進士に及第。安禄山の乱で捕らえられたが事なきを得、乱後は粛宗に用いられて尚書右丞(書記官長)まで進んだので、王右丞とも呼ばれる。また、仏教に帰依したため、詩仏と称される。『王右丞文集』十巻がある。ウィキペディア【王維】参照。
單車欲問邊
単車 辺を問わんと欲し
- 単車 … 一台の車。前漢の李陵「蘇武に答うるの書」(『文選』巻四十一)に「足下、昔単車の使いを以て、万乗の虜に適く」(足下昔以單車之使、適萬乘之虜)とある。ウィキソース「答蘇武書」参照。
- 問辺 … 辺境を視察する。
屬國過居延
属国 居延を過ぐ
- 属国 … 中国の支配を受けている国。夷狄の国々を指す。なお、典属国(漢代の官名。降服した異民族を掌る)の略称の意もある。『漢書』蘇武伝に「武、始元六年(前81)の春を以て京師に至る。武に詔して一太牢を奉じて武帝の園廟に謁し、拝して典属国と為す」(武以始元六年春至京師。詔武奉一太牢謁武帝園廟、拜爲典屬國)とある。ウィキソース「漢書/卷054」参照。また『漢書』百官公卿表に「典属国は、秦官なり。蛮夷の降者を掌る」(典屬國、秦官。掌蠻夷降者)とある。ウィキソース「漢書/卷019」参照。
- 居延 … 匈奴の地名。現在の内モンゴル自治区エジン旗にある。『漢書』武帝紀に「将軍去病・公孫敖、北地より出づること二千余里、居延を過ぐ」(將軍去病、公孫敖出北地二千餘里、過居延)とある。ウィキソース「漢書/卷006」参照。
- 過 … 通り過ぎる。しかし、涼州へ赴任する途中、はるか遠方にある居延を通り過ぎることはできない。
- 單車欲問邊、屬國過居延 … 『全唐詩』には「一に『命を銜みて天闕を辞し、単車もて辺を問わんと欲す』に作る」(一作銜命辭天闕、單車欲問邊)とある。『顧起経注本』には「文苑英華作銜命辭天闕、單車欲問邊」とある。『趙注本』には「文苑英華作銜命辭天闕、單車欲問邊。又問字一作向」とある。『文苑英華』では「銜命辭天闕、單車欲問邊」に作り、「集作單車欲問邊、屬國過居延」とある。命を銜むは、君命を奉ずること。『礼記』壇弓上篇に「君命を銜みて使いするときは、之に遇うと雖も闘わず」(銜君命而使、雖遇之不鬪)とあるのに基づく。天闕は、天子のいる宮殿の門。転じて、宮城。天闕を辞すは、宮城を辞去する。転じて、都を離れること。ウィキソース「禮記/檀弓上」参照。
征蓬出漢塞
征蓬 漢塞を出で
- 征蓬 … 風に吹かれて転がっていく蓬。飛蓬。転蓬。旅人(作者の身)に喩える。古楽府「古えの八変歌」に「翩翩として飛蓬征き、愴愴として遊子懐う」(翩翩飛蓬征、愴愴遊子懷)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷017」参照。また南朝梁の呉均「閨怨」詩(『玉台新詠』巻六、宋刻本未収)に「胡笳 屢〻悽断、征蓬 未だ肯えて還らず」(胡笳屢悽斷、征蓬未肯還)とある。悽断は、極めて悲しいこと。ウィキソース「閨怨 (吳均)」参照。
- 蓬 … 『趙注本』には「文苑英華作鴻」とある。
- 漢塞 … 漢の城塞。『史記』匈奴伝に「単于既に漢の塞に入り、未だ馬邑に至らざること百余里にして、畜、野に布けども人の牧する者無きを見て、之を怪しみ、乃ち亭を攻む」(單于既入漢塞、未至馬邑百餘里、見畜布野而無人牧者、怪之、乃攻亭)とある。ウィキソース「史記/卷110」参照。
歸雁入胡天
帰雁 胡天に入る
- 帰雁 … 北へ帰って行く雁の群れ。作者の身に喩える。西晋の潘岳の詩「河陽県の作二首」(其二、『文選』巻二十六)に「帰雁は蘭畤に映じ、游魚は円波を動かす」(歸鴈映蘭畤、游魚動圓波)とある。蘭畤は、蘭の生えている小島。円波は、丸い波紋。ウィキソース「河陽縣作二首」参照。
- 雁 … 『静嘉堂本』『四部叢刊本』『顧起経注本』『顧可久注本』『唐詩品彙』『唐詩別裁集』『文苑英華』では「鴈」に作る。同義。
- 胡天 … 異国の空。胡は、異民族の総称。
- 胡 … 『四部叢刊本』では「湖」に作る。
大漠孤煙直
大漠 孤煙直く
- 大漠 … 大砂漠。ゴビ砂漠のことと思われるが、はっきりしない。後漢の班固「燕然山を封ずる銘」(『文選』巻五十六)に「遂に高闕を凌ぎ、雞鹿を下り、磧鹵を経、大漠を絶り、温禺を斬りて以て鼓に釁り、尸逐を血にして以て鍔を染む」(遂凌高闕、下雞鹿、經磧鹵、絕大漠、斬溫禺以釁鼓、血尸逐以染鍔)とある。高闕は、山の名。雞鹿は、塞の名。磧鹵は、塩分のある砂礫地帯。温禺・尸逐は、ともに匈奴の長の名。ウィキソース「封燕然山銘」参照。
- 孤煙直 … 一筋の煙がまっすぐに立ちのぼる。ここでの煙は、狼煙の煙と考えられるが、人家の炊事などの煙とする説もある。南朝梁の范雲「零陵郡に之きて新亭に次る」詩に「江干に遠樹浮かび、天末に孤煙起こる」(江干遠樹浮、天末孤烟起)とある。江干は、長江の岸。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷087」参照。
- 煙 … 『顧可久注本』『趙注本』『唐詩品彙』では「烟」に作る。異体字(現代中国では簡体字)。
長河落日圓
長河 落日円かなり
- 長河 … 長い川。黄河のことと思われるが、はっきりしない。三国魏の應瑒「別詩二首」(其二)に「浩浩たる長河の水、九折して東北に流る」(浩浩長河水、九折東北流)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷027」参照。
- 落日円 … 沈みゆく夕日が真ん丸だ。南朝梁の徐悱の妻劉令嫺「外に答う詩二首」(其一、『玉台新詠』巻六)に「落日更に新妝、簾を開きて春樹に対す」(落日更新妝、開簾對春樹)とある。新妝は、化粧し直すこと。ウィキソース「答外詩」参照。
- 大漠孤煙直、長河落日円 … 『顧可久注本』では「曠遠之景」と評している。曠遠は、はるかに遠いさま。
蕭關逢候騎
蕭関 候騎に逢えば
- 蕭関 … 現在の寧夏回族自治区固原市の東南にあった関所。関中四関(函谷関・武関・散関・蕭関)の一つ。ウィキペディア【蕭關】(中文)参照。『史記』匈奴伝に「漢の孝文皇帝十四年、匈奴の単于の十四万騎、朝那・蕭関に入り、北地都尉の卬を殺し、人民・畜産を虜にすること甚だ多し。遂に彭陽に至り、奇兵をして入りて回中宮を焼き、候騎をして雍の甘泉に至らしむ」(漢孝文皇帝十四年、匈奴單于十四萬騎入朝那蕭關、殺北地都尉卬、虜人民畜產甚多。遂至彭陽、使奇兵入燒回中宮、候騎至雍甘泉)とある。ウィキソース「史記/卷110」参照。
- 候騎 … 斥候の役の騎兵。『説文解字』巻八上、人部に「候は、伺望なり」(候、伺望也)とある。伺望は、伺い望むこと。観察すること。ウィキソース「說文解字/08」参照。また南朝梁の何遜「征人の分別するを見る」詩に「候騎 蕭関を出で、追兵 馬邑に赴く」(候騎出蕭關、追兵赴馬邑)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷094」参照。
- 騎 … 『全唐詩』では「吏」に作り、「一作騎」と注する。『静嘉堂本』『蜀刊本』『四部叢刊本』『顧可久注本』『唐詩品彙』『唐詩別裁集』では「吏」に作る。『顧起経注本』『唐詩解』には「一作吏」と注する。『趙注本』には「顧可久注本、唐詩品彙倶作吏」とある。『文苑英華』には「集作吏」とある。『後漢書』王霸伝に「光武即ち南に馳せて下曲陽に至る。王郎の兵の後に在りと伝え聞き、従う者皆な恐る。虖沱河に至るに及んで、候吏還って白すらく、河水流澌し、船無くして済る可からず、と。官属大いに懼る」(光武即南馳至下曲陽。傳聞王郎兵在後、從者皆恐。及至虖沱河、候吏還白、河水流澌、無船不可濟。官屬大懼)とある。流澌は、氷が溶けて水が流れること。ウィキソース「後漢書/卷20」参照。
- 逢 … 思いがけなく出会う。
都護在燕然
都護 燕然に在りと
- 都護 … 官名。辺境地域の政治・軍事を掌る武官。漢代に西域都護が置かれ、唐代には安西・北庭・安北・単于・安東・安南の六都護府が設置された。ウィキペディア【都護府】参照。『漢書』鄭吉伝に「吉既に車師を破り、日逐を降して、威西域に震い、遂に并せて車師以西の北道を護す、故に都護と号す。都護の置は吉より始む」(吉旣破車師、降日逐、威震西域、遂并護車師以西北道、故號都護。都護之置自吉始焉)とある。ウィキソース「漢書/卷070」参照。
- 燕然 … 燕然山のこと。モンゴル国のハンガイ山脈(漢名は杭愛山)の古い呼称。唐初には燕然都護府が置かれていた。ウィキペディア【杭爱山】(中文)参照。後漢の竇憲が匈奴を破って燕然山に登り、山上に銘文を刻んだ石碑を建てた所として有名。『大明一統志』巻九十、韃靼、燕然山の条に「塞を去ること三千余里、後漢の車騎将軍竇憲、羌胡の兵を率いて、塞を出で匈奴と稽落山に戦わしめ、大いに之を破り、斬獲すること甚だ衆く、憲遂に此の山に登り、石に勒み功を紀す」(去塞三千餘里、後漢車騎將軍竇憲率羗胡兵、出塞與匈奴戰於稽落山、大破之、斬獲甚衆、憲遂登此山勒石紀功)とある。斬獲は、斬首と捕虜。ウィキソース「明一統志 (四庫全書本)/卷90」参照。また『後漢書』竇憲伝に「憲は……北単于と稽落山に戦わしめ、大いに之を破る。……憲と秉は遂に燕然山に登る。塞を去ること三千余里なり。石に刻し功を勒み、漢の威徳を紀す」(憲……與北單于戰於稽落山、大破之。……憲秉遂登燕然山。去塞三千餘里。刻石勒功、紀漢威德)とある。ウィキソース「後漢書/卷23」参照。また『漢書』匈奴伝に「共に弐師を執えんことを謀る。弐師之を聞き、長史を斬り、兵を引き還りて速邪烏の燕然山に至る」(謀共執貳師。貳師聞之、斬長史、引兵還至速邪烏燕然山)とある。ウィキソース「漢書/卷094上」参照。また西晋の陸機の楽府「飲馬長城窟行」(『文選』巻二十八)に「往いて陰山の候に問えば、勁虜は燕然に在りという」(往問陰山候、勁虜在燕然)とある。候は、斥候兵。勁虜は、強い匈奴の軍。ウィキソース「昭明文選/卷28」参照。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻三(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻一百二十六(中華書局、1960年)
- 『王右丞文集』巻六(静嘉堂文庫蔵、略称:静嘉堂本)
- 『王摩詰文集』巻十(書韻楼叢刊、上海古籍出版社、2003年、略称:蜀刊本)
- 『須渓先生校本唐王右丞集』巻六(『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:四部叢刊本)
- 顧起経注『類箋唐王右丞詩集』巻五(台湾学生書局、1970年、略称:顧起経注本)
- 顧可久注『唐王右丞詩集』巻六(『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、略称:顧可久注本)
- 趙殿成注『王右丞集箋注』巻九(中国古典文学叢書、上海古籍出版社、1998年、略称:趙注本)
- 『唐詩品彙』巻六十一([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩解』巻三十六(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『唐詩別裁集』巻九(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『古今詩刪』巻十四(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収)
- 『文苑英華』巻二百九十六(影印本、中華書局、1966年)
- 松浦友久編『続校注 唐詩解釈辞典〔付〕歴代詩』大修館書店、2001年
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