送平淡然判官(王維)
送平淡然判官
平淡然判官を送る
平淡然判官を送る
不識陽關路
陽関の路を識らず
- 陽関 … 現在の甘粛省敦煌市の南西にあった関所。玉門関の南にあるので陽関と名づけられた。ウィキペディア【陽関】参照。『漢書』西域伝に「東は則ち漢に接し、厄がるに玉門・陽関を以てし、西は則ち限るに葱嶺を以てす」(東則接漢、厄以玉門、陽關、西則限以蔥嶺)とある。葱嶺は、パミール高原のこと。ウィキソース「漢書/卷096上」参照。また『元和郡県図志』沙州の条に「陽関は、県の西六里に在り。玉門関の南に居くを以て、故に陽関と曰う」(陽關、在縣西六里。以居玉門關之南、故曰陽關)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷40」参照。また北周の庾信の詩「重ねて周尚書に別る二首」(其一)に「陽関 万里の道、一人の帰るを見ず」(陽關萬里道、不見一人歸)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷128」参照。
新從定遠侯
新たに定遠侯に従う
黃雲斷春色
黄雲 春色を断ち
- 黄雲 … 黄砂のために黄色くなった雲。南朝梁の江淹「雑体詩三十首 古離別」(『文選』巻三十一、『玉台新詠』巻五)に「黄雲は千里を蔽う、遊子は何れの時にか還らん」(黄雲蔽千里、遊子何時還)とある。ウィキソース「古離別 (江淹)」参照。
- 春色 … 春の光。南朝斉の謝朓「徐都曹に和す」詩(『文選』巻三十)に「宛洛は遨游に佳く、春色は皇州に満つ」(宛洛佳遨游、春色滿皇州)とある。宛洛は、宛邑(南陽)と洛陽との二都。遨游は、気ままに遊び楽しむこと。皇州は、帝都の地。ウィキソース「昭明文選/卷30」参照。また陳の王瑳の楽府「折楊柳」に「塞外 春色無く、上林 柳 已に黄なり」(塞外無春色、上林柳已黄)とある。上林は、天子の庭園の名。ウィキソース「樂府詩集/022卷」参照。
畫角起邊愁
画角 辺愁を起す
- 画角 … 絵の描いてある角笛。軍中で用いる。南朝梁の簡文帝の楽府「折楊柳」(『楽府詩集』巻二十二、『玉台新詠』巻七)に「城高くして短簫発し、林空しくして画角悲しむ」(城高短簫發、林空畫角悲)とある。ウィキソース「折楊柳 (蕭綱)」参照。
- 辺愁 … 国境地方にいるために生じるもの悲しさ。辺境の憂愁。南朝陳の蘇子卿「南征」詩に「故郷 夢中に近く、辺愁 酒上に寛くす」(故郷夢中近、邊愁酒上寛)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷117」参照。
- 起 … 『顧起経注本』『全唐詩』には「一作越」とある。『静嘉堂本』『顧可久注本』では「赴」に作る。
瀚海經年別
瀚海 年を経て別れ
- 瀚海 … ゴビ砂漠のこと。あるいは北海(バイカル湖)のことともいう。唐代には瀚海都護府が置かれ、ゴビ砂漠以北の地を管理した。『史記』霍去病伝に「驃騎将軍去病、師を率い、躬ら獲たる所の葷粥の士を将い、齎を約軽して、大幕を絶り、獲章渠を渉り、以て比車耆を誅し、転じて左大将を撃ち、旗鼓を斬獲し、離侯を歴渉し、弓閭を済り、屯頭王・韓王等三人、将軍・相国・当戸・都尉八十三人を獲、狼居胥山に封じ、姑衍に禅し、翰海に登臨す」(驃騎將軍去病率師、躬將所獲葷粥之士、約輕齎、絕大幕、渉獲章渠、以誅比車耆、轉擊左大將、斬獲旗鼓、歷渉離侯、濟弓閭、獲屯頭王、韓王等三人、將軍、相國、當戶、都尉八十三人、封狼居胥山、禪於姑衍、登臨翰海)とある。ウィキソース「史記/卷111」参照。
- 経年別 … 「経年の別れ」と読んでもよい。幾年にもわたる久しい別れ。北周の王褒の楽府「燕歌行」に「昔別れし自従 春燕分かれ、年を経るも一去 相聞かず」(自從昔別春燕分、經年一去不相聞)とある。ウィキソース「燕歌行 (王褒)」参照。
- 別 … 『顧起経注本』『全唐詩』では「到」に作り、「一作別」とある。『蜀刊本』『唐詩別裁集』『文苑英華』では「到」に作る。『四部叢刊本』には「一作到」とある。
交河出塞流
交河 塞を出でて流る
- 交河 … 新疆ウイグル自治区吐魯番の辺りを流れる川の名。天山に源を発する。『元和郡県図志』西州の条に「交河は、県の北天山より出で、水は城下を分流す、因りて以て名と為す」(交河、出縣北天山、水分流於城下、因以爲名)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷40」参照。また『読史方輿紀要』雲南二、曲靖軍民府、霑益州の条に「交河は、州の南百七十里。志に云う、南盤江と䗶渓の水と此に於いて合流す、故に名づく、と」(交河、州南百七十里。志云、南盤江與䗶溪之水合流於此、故名)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷一百十四」参照。
- 出塞流 … (交河の水が)辺塞から流れ出る。
須令外國使
須らく外国の使いをして
- 須 … 『文苑英華』では「預」に作る。
- 外国使 … 外国の使者たちに。
知飮月支頭
月支の頭に飲むを知らしむべし
- 知 … 『顧起経注本』『全唐詩』には「一作只」とある。
- 月支 … 西域にいた民族名、およびその国名。月氏とも。ウィキペディア【月氏】参照。
- 支 … 『全唐詩』では「氏」に作る。
- 飲月支頭 … 匈奴が月支を破り、月支の王の頭蓋骨を酒杯にして月支族を恐れさせた。また漢の使者が来たときは、この杯で血を飲み交わし、同盟の誓いをたてたという。ここでは、我らもそれくらいの気概があるというところを見せてもらいたい、という意。『史記』大宛伝に「匈奴、月氏王を破り、其の頭を以て飲器と為す。月氏遁逃して、常に匈奴を怨み仇とするも、与に共に之を撃つもの無し」(匈奴破月氏王、以其頭爲飮器。月氏遁逃、而常怨仇匈奴、無與共擊之)とある。ウィキソース「史記/卷123」参照。また『漢書』匈奴伝に「昌・猛、単于及び大臣と倶に匈奴の諾水の東山に登り、白馬を刑し、単于径路の刀金留犁を以て酒を撓ぜ、老上の単于の破りし所の月氏王の頭を飲器と為す者を以て、共に血を飲みて盟う」(昌、猛與單于及大臣俱登匈奴諾水東山、刑白馬、單于以徑路刀金留犁撓酒、以老上單于所破月氏王頭爲飮器者、共飮血盟)とある。留犁は、しゃもじ。ウィキソース「漢書/卷094下」参照。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻三(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻一百二十六(中華書局、1960年)
- 『王右丞文集』巻五(静嘉堂文庫蔵、略称:静嘉堂本)
- 『王摩詰文集』巻九(書韻楼叢刊、上海古籍出版社、2003年、略称:蜀刊本)
- 『須渓先生校本唐王右丞集』巻五(『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:四部叢刊本)
- 顧起経注『類箋唐王右丞詩集』巻四(台湾学生書局、1970年、略称:顧起経注本)
- 顧可久注『唐王右丞詩集』巻五(『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、略称:顧可久注本)
- 趙殿成注『王右丞集箋注』巻八(中国古典文学叢書、上海古籍出版社、1998年、略称:趙注本)
- 『唐詩品彙』巻六十一([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩解』巻三十六(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『唐詩別裁集』巻九(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『文苑英華』巻二百六十八(影印本、中華書局、1966年)
- 『古今詩刪』巻十四(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収)
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