鳳鳥至らず
- 出典:『論語』子罕第九8(ウィキソース「論語/子罕第九」参照)
- 解釈:鳳凰が舞い下りてこない。聖天子が世に現れないことを嘆いた孔子の言葉。「鳳鳥」は、鳳凰。聖天子が世の中に現れるときの瑞兆といわれた。
- 論語 … 孔子(前552~前479)とその門弟たちの言行録。四書の一つ。十三経の一つ。二十編。儒家の中心的経典。我が国へは応神天皇の代に伝来したといわれている。ウィキペディア【論語】参照。
子曰、鳳鳥不至。河不出圖。吾已矣夫。
子曰く、鳳鳥至らず。河、図を出ださず。吾已んぬるかな。
- 鳳鳥 … 鳳凰。聖天子が世の中に現れるときの瑞兆といわれた。雄は鳳で、雌は凰という。舜の時には鳳凰が舞い、文王の時には岐山で鳴いたという。
- 河 … 黄河。
- 図 … 古代の伝説で伏羲の時、黄河から現れた竜馬の背に描いてあったという絵図。易の八卦の元となった。ウィキペディア【河図洛書】参照。
- 已矣夫 … 「やんぬるかな」と読み、「もうおしまいだ」「もうこれまでだ」「もうどうしようもない」と訳す。絶望の意を示す。「已矣」「已矣乎」「已矣哉」も同じ。
- 詳しい注釈と現代語訳については「子罕第九8」参照。
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