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子罕第九 8 子曰鳳鳥不至章

213(09-08)
子曰、鳳鳥不至。河不出圖。吾已矣夫。
いわく、ほうちょういたらず。ださず。われんぬるかな。
現代語訳
  • 先生 ――「めでたい鳥も出ず、竜馬も現れぬ。わしもゆきづまりか…。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「鳳凰も来り舞わず、河からはっの図もでず、これ聖主名君なきしるし、ああわが道もこれでおしまいか。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    ほう鳥も飛んでこなくなった。河からはも出なくなった。これでは私も生きている力がない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 鳳鳥 … 鳳凰。聖天子が世の中に現れるときの瑞兆といわれた。おすは鳳で、めすは凰という。舜の時には鳳凰が舞い、文王の時には岐山で鳴いたという。
  • 河 … 黄河。
  • 図 … 河図かとふくの時、黄河から龍馬がはっの元となった図を背負って出たという。
  • 已矣夫 … 「やんぬるかな」と読み、「もうおしまいだ」「もうこれまでだ」「もうどうしようもない」と訳す。絶望の意を示す。「已矣」「已矣乎」「已矣哉」も同じ。
補説
  • 鳳鳥不至。河不出図。吾已矣夫 … 『集解』に引く孔安国の注に「聖人の命を受くること有らば、則ち鳳鳥は至り、河は図を出だすも、今天に此の瑞無し。吾んぬるかなとは、見るを得ざるなり。河図は、はっ是れなり」(有聖人受命、則鳳鳥至、河出圖、今天無此瑞。吾已矣夫者、不得見也。河圖、八卦是也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「夫れ時人皆孔子に人主の事有るを願う。故に孔子己の以て之を塞ぐを得ざるを釈すなり。言うこころは昔の聖人応に王者たるべきときは、必ず鳳鳥河図の瑞有り。今、天此の瑞無し。故に云う、吾已んぬるかな、と。已は、止むなり。言うこころは吾已むは、此の事無きを止むなり」(夫時人皆願孔子有人主之事。故孔子釋己不得以塞之也。言昔之聖人應王者、必有鳳鳥河圖之瑞。今天無此瑞。故云、吾已矣夫。已、止也。言吾已止無此事也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「此の章、言うこころは孔子時に明君無きを傷むなり」(此章、言孔子傷時無明君也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「鳳は、霊鳥。舜の時来儀し、文王の時岐山に鳴く。河図は、河中の龍馬図を負い、伏羲の時出ず。皆聖王の瑞なり。已は、止なり」(鳳、靈鳥。舜時來儀、文王時鳴於岐山。河圖、河中龍馬負圖、伏羲時出。皆聖王之瑞也。已、止也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に引く張載の注に「鳳至り図出ずるは、文明の祥、伏羲・舜・文の瑞至らざれば、則ち夫子の文章其の已むを知る」(鳳至圖出、文明之祥、伏羲、舜、文之瑞不至、則夫子之文章知其已矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ祥瑞を説くに非ざるなり、鳳鳥・河図を仮りて、以て時に明主無きを歎ずるなり。蓋し聖人は人とともにして以て異を立てず。世と同じくして敢えて聴をおどろかさず。凡そ事の大得失無き者は、皆旧套に従いて、敢えて紛紛の説を為して、以て人の聴聞をみださず」(此非説祥瑞也、假鳳鳥河圖、以歎時無明主也。蓋聖人與人而不以立異。同世而不敢駭聽。凡事之無大得失者、皆從舊套、而不敢爲紛紛之説、以汩人之聽聞)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「邢昺曰く、時に明君無きをいたむなり。……蓋し鳳鳥・河図は、制作の瑞。聖王出ずれば則ち孔子は制作の任に当たって、而うして其の学ぶ所を尽くすことを得ん。聖王出でざれば、孔子其の才をつくすこと能わず、嘆ずる所以なり。だ制作は必ず革命の世に在り、故に孔子はあきらかに之を言うことを欲せず、乃ち鳳鳥・河図を以て之を言えるのみ。……殊に知らず聖人神道を以て教えをもうく。豈に凡人の能く識る所ならんや。宋儒出でてせん聖王の道やぶる。其のわざわいはほとんど仏・老より甚だし、悲しいかな」(邢昺曰、傷時無明君也。……蓋鳳鳥河圖、制作之瑞。聖王出則孔子得當制作之任、而盡其所學。聖王不出、孔子不能竭其才、所以嘆也。祇制作必在革命之世、故孔子不欲顯言之、乃以鳳鳥河圖言之耳。……殊不知聖人以神道設教。豈凡人所能識哉。宋儒出而古先聖王之道壞矣。其禍殆甚於佛老、悲哉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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