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微子第十八 9 大師摯適齊章

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大師摯適齊。亞飯干適楚。三飯繚適蔡。四飯缺適秦。鼓方叔入於河。播鼗武入於漢。少師陽・撃磬襄入於海。
たいせいく。はんかんく。三飯さんぱんりょうさいく。はんけつしんく。ほうしゅくる。とうかんる。しょうよう撃磬げきけいじょううみる。
現代語訳
  • 楽隊長の摯(シ)は、斉(セイ)の国に去った。第二楽長の干(カン)は、楚の国に去った。第三楽長の繚(リョウ)は、蔡(サイ)の国に去った。第四楽長の缺は、秦の国に去った。ツヅミかたの方叔は、河内にかくれた。フリツヅミかたの武は、漢中にかくれた。楽長心得の陽とホトギ打ちの襄は、島にかくれた。(がえり善雄『論語新訳』)
  • 楽長のせいに行き、はんかんに行き、三飯のりょうさいに行き、四飯のけつしんに行き、つづみちのほうしゅくだいに入り、つづみの武はかんちゅうに入り、副楽長の陽とけいちのじょうは離れ島に渡ってしまった。実にしいことじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 楽長のは斉に去った。はんかんに去った。三飯のりょうさいに去った。四飯のけつしんに去った。つづみほうしゅくは河内に逃げた。つづみは漢に逃げた。楽官補佐のようと、けい打ち役のじょうとは海をこえて島に逃げた。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 大師 … 楽官の長。
  • 摯 … 人名。楽官長。人物については不明。
  • 斉 … 周代に太公望りょしょうの建てた国。今の山東省に存在した。桓公の代に管仲を用いて覇者となった。戦国時代の斉(田斉)と区別して姜斉ともいう。ウィキペディア【姜斉】参照。
  • 適 … 「ゆく」と読む。去る。
  • 亜飯 … 楽官の職名。国王の二回目の食事時に演奏する楽官。国王の食事は一日四回で、最初の食事には演奏しない。「亜」は、次の意。
  • 干 … 人名。楽官。人物については不明。
  • 楚 … 国名。春秋戦国時代、長江中流の地を領有した国。戦国七雄の一つ。前223年、秦に滅ぼされた。ウィキペディア【楚 (春秋)】参照。
  • 三飯 … 楽官の職名。国王の三回目の食事時に演奏する楽官。
  • 繚 … 人名。楽官。人物については不明。
  • 蔡 … 周代の国名。今の河南省上蔡県の西南にあった。前445年、楚に滅ぼされた。ウィキペディア【】参照。
  • 四飯 … 楽官の職名。国王の四回目の食事時に演奏する楽官。
  • 欠 … 人名。楽官。人物については不明。
  • 秦 … 周代の諸侯国。戦国時代の七雄の一つ。前221年、始皇帝が全国を統一した。首都は咸陽。ウィキペディア【】参照。
  • 鼓 … つづみを打つ役。鼓師。
  • 方叔 … 人名。つづみ打ち。人物については不明。
  • 河 … 黄河のほとり。
  • 播鼗 … ふりつづみうごかす役。ふりつづみ師。「播」は、ゆさぶって鳴らす。ゆすって演奏する。
  • 武 … 人名。ふりつづみ師。人物については不明。
  • 漢 … 漢水のほとり。漢水は、長江最大の支流。陝西省西部に源を発し、東流して漢口で長江に注ぐ。漢江とも。ウィキペディア【漢江 (中国)】参照。
  • 少師 … 楽官補。
  • 陽 … 人名。楽官。人物については不明。
  • 撃磬 … 磬を打つ官。「磬」は、玉や石板でへの字形に作った打楽器。「撃」は、磬を打って演奏すること。
  • 襄 … 人名。楽官。人物については不明。
  • 海 … 海のほとり。海辺。
補説
  • 『注疏』に「此の章は魯の哀公の時、礼は壊れ楽は崩れ、楽人皆去るを記するなり」(此章記魯哀公時、禮壞樂崩、樂人皆去也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 大師摯適齊 … 『義疏』に「此れより以下、皆魯の楽人の名なり。魯の君道無くして、礼楽崩壊し、楽人散走の所同じからざるなり。大師は、楽師なり。名は摯。其れ散逸して斉の国にき往くなり」(自此以下、皆魯之樂人名也。魯君無道、禮樂崩壞、樂人散走所不同也。大師、樂師也。名摯。其散逸適往於齊國也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「大師は、楽官の長、名は摯、魯を去りて斉に適くなり」(大師、樂官之長、名摯、去魯而適齊也)とある。また『集注』に「大師は、魯の楽官の長。摯は、其の名なり」(大師、魯樂官之長。摯、其名也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 亜飯干適楚 … 『集解』に引く孔安国の注に「亜は、次なり。次の飯は、楽師なり。摯・干は、皆名なり」(亞、次也。次飯、樂師也。摯・干、皆名也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「亜は、次なり。飯は、飡なり。干は、其の名なり。古えの天子・諸侯の飡には必ず楽を奏す。毎食各〻楽人有り。亜飯干は、是れ第二飡、楽を奏する人なり。其れ奔逸して楚国に適く。然して周礼大司楽に、王の朔望の食には、乃ち楽を奏するも、日食には奏せざるなり。夏・殷には則ち日に奏するなり。故に王制及び玉藻は、皆然りと云うなり」(亞、次也。飯、飡也。干、其名也。古天子諸侯飡必奏樂。毎食各有樂人。亞飯干、是第二飡、奏樂人也。其奔逸適於楚國。然周禮大司樂、王朔望食、乃奏樂、日食不奏也。夏殷則日奏也。故王制及玉藻、皆云然也)とある。また『注疏』に「亜は、次なり。天子・諸侯は食ごとに楽を奏す。楽章は各〻異なり、各〻に楽師有り。次飯は楽師、名は干、楚に往く」(亞、次也。天子諸侯毎食奏樂。樂章各異、各有樂師。次飯樂師、名干、往楚)とある。また『集注』に「亜飯以下は、楽を以て食をすすむるの官なり。干・繚・欠は皆名なり」(亞飯以下、以樂侑食之官。干繚缺皆名也)とある。
  • 三飯繚適蔡。四飯欠適秦 … 『集解』に引く包咸の注に「三飯・四飯は、楽章の名なり。各〻師を異にす。繚・欠は、皆名なり」(三飯・四飯、樂章名也。各異師。繚・缺、皆名也)とある。また『義疏』に「繚は、名なり。第三飡に楽を奏する人なり。散逸して蔡国に入るなり。欠は、名なり。第四飡に楽を奏する人なり。奔散して秦国に入るなり」(繚、名也。第三飡奏樂人。散逸入蔡國也。缺、名也。第四飡奏樂人。奔散入秦國也)とある。また『注疏』に「三飯は楽師、名は繚、蔡に往く。四飯は楽師、名は欠、秦に往く」(三飯樂師、名繚、往蔡。四飯樂師、名缺、往秦)とある。
  • 鼓方叔入於河 … 『集解』に引く包咸の注に「鼓は、鼓を撃つ者なり。方叔は、名なり。入るは、其の河内に居るを謂うなり」(鼓、撃鼓者。方叔、名也。入、謂居其河内也)とある。また『義疏』に「鼓は、能く鼓を撃つ者なり。方叔は、名なり。亦た散逸して河内の地に入りて居るなり」(鼓、能撃鼓者也。方叔、名也。亦散逸入河内之地居也)とある。また『注疏』に「鼓を撃つ者の名は方叔、河内に入るなり」(撃鼓者名方叔、入於河内也)とある。また『集注』に「鼓は、鼓を撃つ者なり。方叔は、名なり。河は、河内なり」(鼓、撃鼓者。方叔、名。河、河内)とある。
  • 於 … 『義疏』では「于」に作る。
  • 播鼗武入於漢 … 『集解』に引く孔安国の注に「播は、猶お揺のごときなり。武は、名なり」(播、猶搖也。武、名也)とある。また『義疏』に「播は、猶お揺のごときなり。ふりつづみは、とうなり。其の人能く鞀鼓を揺がす者なり。名は武。亦た散奔して漢水内の地に入りて居るなり」(播、猶搖也。鞀、鞀鼓也。其人能搖鞀鼓者也。名武。亦散奔入漢水内之地居也)とある。また『注疏』に「播は、揺なり。鼗は鼓の如くにして小、両耳有り。其の柄を持ちて之を揺らし、旁耳も還た自ら撃つ。鼗鼓を揺らす者、名は武、入りて漢中に居るなり」(播、搖也。鼗如鼓而小、有兩耳。持其柄搖之、旁耳還自撃。搖鼗鼓者、名武、入居於漢中也)とある。また『集注』に「播は、揺なり。鼗は、小鼓。両旁に耳有り。其の柄を持ちて之を揺らせば、則ち旁耳めぐりて自ら撃つ。武は、名なり。漢は、漢中なり」(播、搖也。鼗、小鼓。兩旁有耳。持其柄而搖之、則旁耳還自撃。武、名也。漢、漢中)とある。
  • 鼗 … 『義疏』では「鞀」に作る。同義。
  • 少師陽・撃磬襄入於海 … 『集解』に引く孔安国の注に「魯の哀公の時、礼はこぼち楽は崩れ、楽人は皆去る。陽・襄は、皆名なり」(魯哀公時、禮毀樂崩、樂人皆去。陽・襄、皆名)とある。また『義疏』に「少師名は陽なり。又た磬を撃つ人、名は襄なり。二人倶に散奔して海内に入りて居るなり」(少師名陽。又撃磬人、名襄。二人倶散奔入海内居也)とある。また『注疏』に「陽・襄は皆名なり、二人入りて海内に居るなり」(陽襄皆名、二人入居於海内也)とある。また『集注』に「少師は、楽官の佐なり。陽・襄は、二人の名なり。襄は、即ち孔子従いて琴を学ぶ所の者なり。海は、海島なり」(少師、樂官之佐。陽襄、二人名。襄、即孔子所從學琴者。海、海島也)とある。
  • 『集注』に「此れ賢人の隠遁を記し、以て前章に附す。然れども未だ必ずしも夫子の言ならざるなり。末章も此にならう」(此記賢人之隱遁、以附前章。然未必夫子之言也。末章放此)とある。
  • 『集注』に引く張載の注に「周衰え楽廃る。夫子衛より魯に反り、一たび嘗て之を治むるに、其の後伶人・賤工は、楽の正しきを識る。魯の益〻衰え、三桓僭妄するに及んで、大師より以下、皆散じて四方にき、河をえ海をみ、以て乱を去るを知る。聖人のけいの助、功化此くの如し。如し我を用うること有れば、期月にして可なりとは、豈に虚語ならんや」(周衰樂廢。夫子自衞反魯、一嘗治之、其後伶人賤工、識樂之正。及魯益衰、三桓僭妄、自大師以下、皆知散之四方、逾河蹈海、以去亂。聖人俄頃之助、功化如此。如有用我、期月而可、豈虚語哉)とある。俄頃は、しばらくの間。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「当時世乱れ道ほろびて、賢者も志を得ず、抱関・撃柝げきたくに隠るるに非ざれば、則ち伶官れいかん・楽工に逃る。簡兮かんけいの詩の若き是れのみ。大師摯以下諸人の若き、散じて四方にく者は、蓋し斯の時魯国と雖も、亦た仕う可からざるを以てなり。専ら淫哇いんあいの声を尚びて、正楽行われざる故に非ざるなり」(當時世亂道湮、賢者不得志、非隱于抱關撃柝、則逃于伶官樂工。若簡兮之詩是已。若大師摯以下諸人、散之四方者、蓋以斯時雖魯國、亦不可仕。非專尚淫哇之聲、而正樂不行故也)とある。抱関・撃柝は、門番や夜警のような身分の低い役人。伶官は、音楽の演奏をつかさどる官。簡兮は、『詩経』邶風・簡兮の詩(ウィキソース「詩經/簡兮」)を指す。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「亜飯・三飯・四飯、升庵白虎通を引きて、王に平旦食、昼食、哺食、暮食有りと謂う。殊に知らず亜飯の亜は、亜献の亜の如く、毎食皆亜飯・三飯・四飯有ることを。而るに升庵四食を以て四飯に配す。謬りと謂う可し。……今亜飯有りて初飯無ければ、則ち初飯はすすむるをもちいざることを知るなり。亜飯・三飯・四飯は、祭の為にがくを奏してかたしろに食をすすむるの官なる者つまびらかなり」(亞飯三飯四飯、升庵引白虎通而謂王有平旦食、晝食、哺食、暮食。殊不知亞飯之亞、如亞獻之亞、毎食皆有亞飯三飯四飯。而升庵以四食配四飯。可謂謬矣。……今有亞飯無初飯、則知初飯不須侑也。亞飯三飯四飯、爲祭奏樂侑尸食之官者審矣)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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