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子罕第九 2 達巷黨人曰章

207(09-02)
達巷黨人曰、大哉孔子。博學而無所成名。子聞之、謂門弟子曰、吾何執。執御乎、執射乎。吾執御矣。
達巷党たっこうとうひといわく、だいなるかなこうひろまなびてところし。これき、門弟もんていいていわく、われなにをからん。ぎょらんか、しゃらんか。われぎょらん。
現代語訳
  • 達巷(コウ)村のだれかがいう、「えらいや、孔先生は。なんでも知ってて、なに屋でもない。」先生はそれをきき、弟子たちにむかって ―― 「なに屋になろうかな…。馬かたか…。弓ひきか…。わしは馬かただ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 達巷のある人が「偉大なるかな孔子様は。博学はくがくで何でもおできになるため、何か一つで有名ということがない。」と言った。孔子様がこれを聞いて内弟子たちにおっしゃるよう、「それでは何か一つやってみようかな。ぎょにしようか。しゃにしようか。わしはぎょにしよう。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 達巷たっこうという村のある人がいった。――
    「孔先生はすばらしい先生だ。博学で何ごとにも通じておいでなので、これという特長が目立たず、そのために、かえって有名におなりになることがない」
    先師はこれを聞かれ、門人たちにたわむれていわれた。――
    「さあ、何で有名になってやろう。ぎょにするかな、しゃにするかな。やっぱり一番たやすいぎょぐらいにしておこう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 達巷 … 村の名。所在は不明。
  • 党人 … 村の人。「党」は、五百軒の村。
  • 博学而無所成名 … 広く学ばれていながら、これという専門がないので有名にならない。
  • 門弟子 … 門弟。弟子たち。門人たち。
  • 執 … 専門として選ぶ。
  • 御 … 馬車の馭者ぎょしゃ六芸りくげいの一つ。六芸は、士(中堅の役人層)以上の者が学ぶべきとされた六種の技芸。礼(作法・制度・儀式)・楽(音楽)・射(弓射)・御(馬術)・書(書法)・数(算術)。
  • 乎 … 「か」と読み、「~しようか」と訳す。
  • 射 … 射手。六芸の一つ。
  • 矣 … 置き字。読まない。強い意志を示す。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子の道芸の該博なるを論ずるなり」(此章論孔子道藝該博也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 達巷党人、大哉孔子。博学而無所成名 … 『集解』に引く鄭玄の注に「達巷とは、党の名なり。五百家を党と為す。此の党の人、孔子の博く道芸を学びて、一名のみを成さざるをむるなり」(達巷者、黨名也。五百家爲黨。此黨之人、美孔子博學道藝、不成一名而已也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「五百家を党と為す。党に各〻名有り。此の党の名は達巷なり。達巷の党中の人、孔子の道大なるをむ。故に曰く、大なるかな、と。博は、広なり。言うこころは大なるかな孔子、広く学びて道芸周遍にして、一一として称す可からず。故に云う、名を成す所無し、と。猶お堯の徳蕩蕩として、民能く名無きが如きなり。故に王弼曰く、譬えば猶お和楽は八音に出づ、然れども八音其の名づくるに非ざるがごときなり、と。江熙曰く、言うこころは其れ六流をわたり貫く、一芸を以て名を取る可からず、故に大なりと曰う、と」(五百家爲黨。黨各有名。此黨名達巷。達巷黨中人、美孔子道大。故曰、大哉也。博、廣也。言大哉孔子廣學道藝周遍、不可一一而稱。故云、無所成名也。猶如堯德蕩蕩、民無能名也。故王弼曰、譬猶和樂出乎八音、然八音非其名也。江熙曰、言其彌貫六流、不可以一藝取名焉、故曰大也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「達巷とは、党の名なり。五百家を党と為す。此の党の人、孔子の博く道芸を学び、一名を成さざるのみをむ」(達巷者、黨名也。五百家爲黨。此黨之人、美孔子博學道藝、不成一名而已)とある。また『集注』に「達巷は、党の名。其の人の姓名伝わらず。博く学びて名を成す所無しとは、蓋し其の学の博きをめて、其の一芸の名を成さざるを惜しむなり」(達巷、黨名。其人姓名不傳。博學無所成名、蓋美其學之博、而惜其不成一藝之名也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子聞之、謂門弟子曰、吾何執 … 『義疏』に「孔子、達巷の人の己をむるを聞く。故に弟子を呼びて之に語るなり。彼既に我の博く学ぶを美む。而れども我道芸に於いて、何の持執する所あらんや。自ら謙せんと欲するなり」(孔子聞達巷人美己。故呼弟子而語之也。彼既美我之博學。而我於道藝、何所持執乎。欲自謙也)とある。また『注疏』に「孔子人の之を美むるを聞き、之を承くるに謙を以てす。故に門弟子に告げ謂いて曰く、我六芸の中に於いて、何の執守する所ならんや」(孔子聞人美之、承之以謙。故告謂門弟子曰、我於六藝之中、何所執守乎)とある。
  • 執御乎、執射乎 … 『義疏』に「既に己の多からざるを謙せんと欲す。故に六芸の下なる者を陳べて以て自ら許すなり。言うこころは吾が執る所、御及び射を執らんか。御は、車を御する者なり」(既欲謙己之不多。故陳六藝之下者以自許也。言吾所執、執於御及射乎。御、御車者也)とある。また『注疏』に「但だ能く御を執らんか。射を執らんか、と。乎とは、疑いて未だ定めざるの辞なり」(但能執御乎。執射乎。乎者、疑而未定之辭)とある。また『集注』に「執は、専ら執るなり。射・御は皆一芸にして、御は人僕たりて、執る所尤も卑し」(執、專執也。射御皆一藝、而御爲人僕、所執尤卑)とある。
  • 吾執御矣 … 『集解』に引く鄭玄の注に「人の之をむるを聞き、承くるに謙を以てするなり。吾は御を執らんとは、六芸の卑しきに名あらんと欲するなり」(聞人美之、承以謙也。吾執御者、欲名六藝之卑也)とある。また『義疏』に「さきまさに射・御を以て自ら許すべきを欲す。又たはなはだ多きを嫌う。故に又た射を減じて、吾は御を執る者と云うなり。六芸は、一に曰く五礼、二に曰く六楽、三に曰く五射、四に曰く五馭、五に曰く六書、六に曰く九数なり。今御を執ると云う。御は礼・楽・射に比して卑たるなり」(向欲合以射御自許。又嫌太多。故又減射而云吾執御者也。六藝、一曰五禮、二曰六樂、三曰五射、四曰五馭、五曰六書、六曰九數也。今云執御。御比禮樂射爲卑也)とある。また『注疏』に「又た復た謙損して云う、吾は御を執らんとは、以為えらく人の僕御たるは、是れ六芸の卑しき者なり、と。孔子六芸の卑しきに名をなさんと欲す、故に吾は御を執らんと云うは、謙の甚だしきなり」(又復謙損云、吾執御矣、以爲人僕御、是六藝之卑者。孔子欲名六藝之卑、故云吾執御矣、謙之甚矣)とある。また『集注』に「言うこころは我をして何の執る所にして以て名を成さしめんと欲するか。然らば則ち吾将に御を執らんとす。人の己を誉むるを聞き、之を承くるに謙を以てするなり」(言欲使我何所執以成名乎。然則吾將執御矣。聞人譽己、承之以謙也)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「聖人は道全くして徳備わる。偏長を以て之を目す可からざるなり。達巷党の人、孔子の大なるを見て、其の学ぶ所の者の博きをおもいて、其の一善を以て名を世に得ざるを惜しむ。蓋し聖人を慕いて知らざる者なり。故に孔子曰く、我をして何の執る所にして名を為すを得さしめんと欲するか。然らば則ち吾将に御を執らんとす、と」(聖人道全而德備。不可以偏長目之也。達巷黨人、見孔子之大、意其所學者博、而惜其不以一善得名於世。蓋慕聖人而不知者也。故孔子曰、欲使我何所執而得爲名乎。然則吾將執御矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「達巷党の人、夫子を称する所の者、惟だ博く学びて名を成す所無きの間にとどまりて、聖人の聖人たる所以の者に至りては、則ち形容することを知らず、亦た宜なり」(達巷黨人所稱夫子者、惟止於博學而無所成名之間、而至於聖人之所以爲聖人者、則不知形容、亦宜矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「蓋し疑うらくは達巷は是れ姓、党人は是れ名ならん。……大氐たいてい宋儒は聖人を知るを以て自負して、而うして人の聖人を知ることをゆるさず、必ず貶する意をあらわさんと欲す。……御を執り射を執るは、執礼・執経の執の如し、一芸を以て自ら名づけて人に教うる者を謂うなり。……孔子六芸に於いて射・御を取り、射・御に於いて又た御を取る。蓋し礼・楽は道の大いなる者、君子の事なり、故に謙して敢えて当たらず。書・数は府史ふししょの先にする所、故に君子は任ぜず。是れ其の射・御を取る所以なり」(蓋疑達巷是姓、黨人是名。……大氐宋儒以知聖人自負、而不與人知聖人、必欲見貶意。……執御執射、如執禮執經之執、謂以一藝自名而教人者也。……孔子於六藝而取乎射御、於射御而又取乎御。蓋禮樂道之大者、君子之事、故謙不敢當。書數府史胥徒所先、故君子不任。是其所以取乎射御也)とある。府史は、書記。胥徒は、庶民から採用された下級役人。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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