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子罕第九 6 大宰問於子貢章

211(09-06)
大宰問於子貢曰、夫子聖者與。何其多能也。子貢曰、固天縱之將聖。又多能也。子聞之曰、大宰知我乎。吾少也賤。故多能鄙事。君子多乎哉、不多也。牢曰、子云、吾不試、故藝。
大宰たいさいこういていわく、ふう聖者せいじゃか。なんのうなるや。こういわく、もとよりてんこれゆるしてまさせいならんとす。またのうなり。これきていわく、大宰たいさいわれるか。われわかくしていやし。ゆえ鄙事ひじのうなり。くんならんや、ならざるなり。ろういわく、う、われもちいられず、ゆえげいありと。
現代語訳
  • 大宰職のかたが子貢にきいた、「先生は聖人ですな。どうしてああ多芸でしょう…。」子貢 ―― 「天のおさずけですもの、聖人みたいで多芸ですよ。」先生がそれをきかれ ―― 「大宰どのはごぞんじか…。わしは若いとき下っぱで、雑務をよくこなした。人物は多芸なのかね…。多芸じゃない。」牢がいう、「先生はね、『浪人したおかげで、多芸だ。』って。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 大宰たいさいなにがしが子貢に向かって、「先生はなるほど聖人でもあろうか、何と多能なことよ。」と言ったので、子貢が「先生は元来天の許せるところでほとんど聖人のいきに達しておられ、その上に多能であられます。」と答えた。孔子様がこれを聞いておっしゃるよう、「大宰はわしのことをよく知っておられる。わしは若い時いやしかったので、つまらぬことに多能なのじゃ。元来がんらい君子の君子たるゆえんが多能なことであろうか。いな、君子はけっして多能でない。」それについて子張も言った。「先生が、わしは世の中に用いられなかったのでげいになったのじゃ、と言われたことがある。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 大宰たいさいが子貢にたずねていった。――
    「孔先生のような人をこそ聖人というのでしょう。実に多能であられる」
    子貢がこたえた。――
    「もとより天意にかなった大徳のお方で、まさに聖人の域に達しておられます。しかも、その上に多能でもあられます」
    この問答の話をきかれて、先師はいわれた。――
    「大宰はよく私のことを知っておられる。私は若いころには微賤な身分だったので、つまらぬ仕事をいろいろと覚えこんだものだ。しかし、多能だから君子だと思われたのでは赤面する。いったい君子というものの本質が多能ということにあっていいものだろうか。決してそんなことはない」
    先師のこの言葉に関連したことで、門人のろうも、こんなことをいった。――
    「先生は、自分は世に用いられなかったために、諸芸に習熟した、といわれたことがある」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 大宰 … 官名。今の首相に相当する。呉か宋の大宰であろうといわれているが、はっきりしない。また呉の大宰を指すという説もある。
  • 子貢 … 前520~前446。姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。また、商才もあり、莫大な財産を残した。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 夫子 … 賢者・先生・年長者を呼ぶ尊称。ここでは孔子の弟子たちが孔子を呼ぶ尊称。
  • 与 … 「か」と読み、「~であろうか」と訳す。疑問の意を示す。
  • 多能 … 多芸。六芸りくげい(礼・楽・射・御・書・数)に通じること。
  • 固 … まことに。
  • 縦 … 許す。認める。
  • 固天縦之将聖 … 「もとより天、これゆるして聖をおこなわしめ」(宮崎市定)、「まことに天、これゆるさばまさに聖ならんとす」(論語徴)、「まことに天、これゆるしてほとんど聖」(後藤点)、「もとより天縦てんしょう将聖しょうせいにして」、「もとより天、これ将聖しょうせいゆるす」、「もとより天、これまさに聖をゆるす」などとも読む。
  • 又多能也 … しかも多能なのです。
  • 賤 … 地位や身分が低いこと。貧乏。
  • 鄙事 … つまらない仕事。
  • 多 … 多能。
  • 牢 … 孔子の弟子。姓は琴、名は牢。あざなは子開、または子張。衛の人。
  • 試 … 用いられる。任用される。
  • 芸 … 多能。多芸。「芸あり」と「あり」をつけて読む。
補説
  • 『注疏』では「君子多乎哉、不多也」までを本章とし、「此の章は孔子に小芸多きを論ずるなり」(此章論孔子多小藝也)とある。また「牢曰、子云、吾不試、故藝」を次章とし、「此の章は孔子に技芸多きの由を論ず。但だ前章と時を異にして語る、故に之を分かつ」(此章論孔子多技藝之由。但與前章異時而語、故分之)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 大宰問於子貢曰、夫子聖者与。何其多能也 … 『集解』に引く孔安国の注に「大宰は、大夫の官名なり。或いは呉、或いは宋なるも、未だ分かつ可からざるなり。孔子の小芸に多能なるを疑うなり」(大宰、大夫官名也。或呉或宋、未可分也。疑孔子多能於小藝也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「大宰孔子の聖なるを聞き、又た孔子の多能なるを聞く。而して其の心に聖人大を務め応に細砕たる多能なるべからざるを疑う。故に子貢に問いて言う、孔子既に聖なるに、其れなんぞ復た多能なるや、と」(大宰聞孔子聖、又聞孔子多能。而其心疑聖人務大不應細碎多能。故問子貢言、孔子旣聖、其那復多能乎)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「大宰は、大夫の官名なり。大宰の意は、以為えらく聖人は当に大に務めて小をゆるがせにすべし、と。今夫子を既に曰く、聖者か、又た何ぞ其れ小芸に多能なるや、と。以て疑いを為す、故に子貢に問うなり」(大宰、大夫官名。大宰之意、以爲聖人當務大忽小。今夫子既曰聖者與、又何其多能小藝乎。以爲疑、故問於子貢也)とある。また『集注』に引く孔安国の注に「大宰は、官名。或いは呉なるか、或いは宋なるか、未だ知る可からざるなり」(大宰、官名。或呉、或宋、未可知也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「与とは、疑辞。大宰は蓋し多能を以て聖と為すなり」(與者、疑辭。大宰蓋以多能爲聖也)とある。
  • 大宰 … 『義疏』では「太宰」に作る。
  • 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 子貢曰、固天縦之将聖。又多能也 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは天固より之に大聖の徳をゆるし、又た多能ならしむるなり」(言天固縱之大聖之德、又使多能也)とある。また『義疏』に「子貢答えて曰く、孔子の大聖、是れ天の固より縦す所なり。又た多能ならしむるなり、と。固は、故なり。将は、大なり」(子貢答曰、孔子大聖、是天所固縱。又使多能也。固、故也。將、大也)とある。また『注疏』に「将は、大なり。言うこころは天は固より大聖の徳をゆるし、又た多能ならしむるなり」(將、大也。言天固縱大聖之德、又使多能也)とある。また『集注』に「縦は、猶おほしいままにするのごときなり。限量を為さざるを言うなり。将は、ほとんどなり。謙して敢えて知らざるが若くするの辞。聖は通ぜざること無し。多能は乃ち其の余事。故に又たと言いて以て之を兼ぬ」(縱、猶肆也。言不爲限量也。將、殆也。謙若不敢知之辭。聖無不通。多能乃其餘事。故言又以兼之)とある。
  • 子聞之曰、大宰知我乎 … 『義疏』に「孔子大宰の疑うを聞きて我を知れりと云うことは、則ち我が聖に非ざることを疑うことを許す、是なり。繆協曰く、我まことに多能なり、故に我を知れりと曰う、と。江熙曰く、大宰多能は聖に非ざるかとうたがう、故に我を知れりと云う、謙の意なり、と」(孔子聞大宰之疑而云知我、則許疑我非聖、是也。繆協曰、我信多能、故曰知我。江熙曰、大宰嫌多能非聖、故云知我、謙之意也)とある。また『注疏』に「孔子大宰の己の多能は聖に非ざるを疑うを聞き、故に我を知れるかと云う。謙謙の意なり」(孔子聞大宰疑己多能非聖、故云知我乎。謙謙之意也)とある。
  • 我乎 … 『義疏』では「我者乎」に作る。
  • 吾少也賤。故多能鄙事 … 『集解』に引く包咸の注に「我少小にして貧賤なり。常に自ら事を執る。故に多能にして鄙人の事を為す。君子固より当に多能なるべからざるなり」(我少小貧賤。常自執事。故多能爲鄙人之事。君子固不當多能也)とある。また『義疏』に「又た我聖に非ずして、多能なる所以の由を説くなり。言うこころは我少小にして貧賤、故に多能にして麤鄙の事を為すなり」(又説我非聖、而所以多能之由也。言我少小貧賤、故多能爲麤鄙之事也)とある。また『注疏』に「又た説くに多能の由を以てするなり。言うこころは我わかきより貧賤なれば、常に自ら事を執る、故に多能にして鄙人の事を為すなり」(又説以多能之由也。言我自小貧賤、常自執事、故多能爲鄙人之事也)とある。
  • 君子多乎哉、不多也 … 『義疏』に「更に云う、聖人君子の若きは、豈に鄙事に多能ならんや。則ち多能ならざるなり。繆協曰く、君子は物に従いて務めに応し、道達すれば則ち務めおろそかに、務め簡なれば則ち多能ならざるなり、と。江熙曰く、言うこころは君子の存する所は、遠き者大なる者なり、多能に応ぜざるなり、と」(更云、若聖人君子、豈多能鄙事乎。則不多能也。繆協曰、君子從物應務、道達則務簡、務簡則不多能也。江熙曰、言君子所存、遠者大者、不應多能也)とある。また『注疏』に「又た聖人・君子は当に多能なるべきかと言う。言うこころは君子は固より当に多能なるべからざるなり。今己多能なれば、則ち聖に非ずと為す。謙謙と為す所以なり」(又言聖人君子當多能乎哉。言君子固不當多能也。今己多能、則爲非聖。所以爲謙謙也)とある。また『集注』に「言うこころはわかくして賤しきに由りて、故に多能にして、能くする所の者は鄙事のみ。聖を以てして通ぜざること無きに非ざるなり。且つ多能は人を率いる所以に非ず。故に又た君子必ずしも多能ならざることを言いて以て之をさとす」(言由少賤、故多能、而所能者鄙事爾。非以聖而無不通也。且多能非所以率人。故又言君子不必多能以曉之)とある。
  • 牢曰、子云、吾不試、故芸 … 『集解』に引く鄭玄の注に「牢は、弟子の子牢なり。試は、用なり。言うこころは孔子自ら云う、我用いられず、故に伎芸に多能なり、と」(牢、弟子子牢也。試、用也。言孔子自云、我不見用、故多能伎藝也)とある。また『義疏』に「試は、用なり。子牢孔子の言を述ぶ。我時に用いられざるに縁りて、故に多学伎芸を得たるなり。繆協云く、此れ蓋し多能ならざる所以の義なり。言うこころは我若し用いらるれば、将に本を崇び末をいこわしめ、純に帰して素に反す。兼愛して以て仁を忘れ、芸に遊びて以て芸を去る。豈に唯だ鄙事に多能ならざるのみならんや、と」(試、用也。子牢述孔子言。緣我不被時用、故得多學伎藝也。繆協云、此蓋所以多能之義也。言我若見用、將崇本息末、歸純反素。兼愛以忘仁、遊藝以去藝。豈唯不多能鄙事而已)とある。また『注疏』に「牢は、弟子の琴牢なり。試は、用なり。言うこころは孔子自ら云う、我時に用いられず、故に技芸に多能なり、と」(牢、弟子琴牢也。試、用也。言孔子自云、我不見用於時、故多能技藝)とある。また『集注』に「牢は、孔子の弟子、姓は琴、字は子開、一の字は子張。試は、用いるなり。言うこころは世の為に用いられざるに由りて、故に以て芸を習いて之に通ずるを得たり」(牢、孔子弟子、姓琴、字子開、一字子張。試、用也。言由不爲世用、故得以習於藝而通之)とある。また『集注』に引く呉棫の注に「弟子、夫子の此の言を記するの時、子牢因りて昔の聞く所、此くの如き者有りと言う。其の意相近ければ、故に併せて之を記す」(弟子記夫子此言之時、子牢因言昔之所聞、有如此者。其意相近、故倂記之)とある。
  • 牢(琴牢) … 『孔子家語』七十二弟子解に「琴牢は衛人えいひと、字は子開。一の字は子張。宗魯と友たり。宗魯の死を聞きて、往きて弔せんと欲す。孔子許さず。曰く、義に非ざるなり、と」(琴牢衞人、字子開。一字子張。與宗魯友。聞宗魯死、欲往弔焉。孔子弗許。曰、非義也)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「何となれば道徳は実なり、多能は其の余事なり。……学の得失に繫らざるが故なり。……夫子其の多能を戒むる所以は、学者当に専ら力を道徳に務むべくして、心を多能に分かつ可からざることを欲するなり」(何者道德實也、多能其餘事也。……不繫於學之得失故也。……夫子所以戒其多能者、欲學者當專務力於道德、而不可分心於多能也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「是れ其の意おもえらく、太宰、世の孔子を称して聖人と為すを疑う、故に曰く、夫子は世の所謂聖人かと、果たして其の言のならば、何ぞ其れ多能なるや、と。……言うこころは太宰豈に我を以て智者の故に多能と為すか、是れ然らざるなり、吾賤しかりし故に多能なり、多能は君子の貴ぶ所に非ずと。……まことに天之をゆるさば将に聖ならんとす、又た多能なり、……孔子は聡明叡智なりと雖も、文・武の道未だ地にちず、故に未だ制作すること能わず、猶お天の之を束するが如く然り。然れども天し或いは之をゆるさば、必ず将に制作の任に当たらんとす。……牢曰くというを観れば、則ち上論は琴張の録する所たり」(是其意謂太宰疑世稱孔子爲聖人、故曰夫子世所謂聖人歟、果其言之是乎、何其多能也。……言太宰豈以我爲智者故多能邪、是不然也、吾賤故多能、多能非君子所貴焉。……固天縦之將聖、又多能也、……孔子雖聰明睿智、文武之道未墜地、故未能制作、猶如天束之然。然天若或縦之、必將當制作之任。……觀牢曰、則上論爲琴張所錄)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十