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子罕第九 3 子曰麻冕禮也章

208(09-03)
子曰、麻冕禮也。今也純儉。吾從衆。拜下禮也。今拜乎上泰也。雖違衆、吾從下。
いわく、べんれいなり。いまじゅんなるはけんなり。われしゅうしたがわん。しもはいするはれいなり。いまかみはいするはたいなり。しゅうたがうといえども、われしもしたがわん。
現代語訳
  • 先生 ――「黒麻のかんむりが本式だ。いま絹にするのは、略式。わしもそれでいい。下でおじぎが本式だ。いま上にあがってするのは、思いあがり。みんなとはちがうが、わしは下でする。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「麻のかんむりが古礼だがそれは製作に手数がかかるので、今ではけんにすることになった。古礼にはたがうがかんでよいから、わしは皆のするように絹糸の冠を用いよう。臣下が君主に対してはまず堂下で拝するのが古礼なのを、今ではイキナリ堂上で拝することになったが、それはせんじょう沙汰ざただ。皆のやり方とは違うがわしは堂下で拝しよう。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「麻のかんむりをかぶるのが古礼だが、今では絹糸の冠をかぶる風習になった。これは節約のためだ。私はみんなのやり方に従おう。臣下は堂下で君主を拝するのが古礼だが、今では堂上で拝する風習になった。これは臣下の増長だ。私は、みんなのやり方とはちがうが、やはり堂下で拝することにしよう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 麻冕 … 麻で作ったかんむり
  • 純 … 絹糸。
  • 倹 … 節約。
  • 拝下礼也 … 臣下は堂下で君主を拝するのが本来のしきたり、古礼だ。
  • 今拝乎上 … 近頃は堂上で拝する風習になった。「乎」は「於」に同じ。
  • 泰 … 傲慢。驕慢。増長している。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子の恭倹に従うを記すなり」(此章記孔子從恭儉也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 麻冕礼也 … 『集解』に引く孔安国の注に「冕は、布冠なり。古えは麻三十升の布をつむぎて以て之をつくる」(冕、緇布冠也。古者、績麻三十升布以爲之)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「礼は、周の礼を謂うなり。周の礼に六冕有り。平板を以て主と為す。而して三十升の麻布を用て板を衣る。上は玄、下はくん。故に云う、麻冕は礼なり、と」(禮、謂周禮也。周禮有六冕。以平板爲主。而用三十升麻布衣板。上玄下纁。故云、麻冕禮也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「麻冕は、布冠なり」(麻冕、緇布冠也)とある。緇は、赤黒い色。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 今也純倹 … 『集解』に引く孔安国の注に「純は、糸なり。糸は成り易し。故に倹に従うなり」(純、絲也。絲易成。故從儉也)とある。また『義疏』に「今は、周末の孔子の時を謂うなり。純は、糸なり。周末復た三十升の布を用いず。但だ糸を織りて之を為る。故に云う、今や、三十升の布、功の巨多なるを用て得難し、と。得難ければ則ち奢華と為す。而して糸を織るは成り易し。成り易ければ則ち倹約と為る。故に云う、倹なり、と」(今、謂周末孔子時也。純、絲也。周末不復用三十升布。但織絲爲之。故云、今也、三十升布、用功巨多難得。難得則爲奢華。而織絲易成易。成則爲儉約。故云、儉也)とある。また『集注』に「純は、糸なり。倹は、省約を謂う」(純、絲也。儉、謂省約)とある。糸は、絹糸。
  • 吾従衆 … 『義疏』に「衆は、周末時の人を謂うなり。時既に人人易きに従いて糸を用う。故に孔子曰く、吾も亦た衆に従わん、と。之に従う所以の者は、周末は事毎奢華なり。孔子むしろ奢を抑えて倹に就かしめんと欲す。今、幸いに衆共に倹を用てするを得たり。故に孔子之に従うなり」(衆、謂周末時人也。時既人人從易用絲。故孔子曰、吾亦從衆也。所以從之者、周末每事奢華。孔子寧欲抑奢就儉。今幸得衆共用儉。故孔子從之也)とある。また『注疏』に「冕は、緇布冠なり。古えは麻三十升の布をつむぎて以て之をつくる、故に麻冕は礼なりと云う。今やとは、孔子の時に当たるを謂う。純は、糸なり。糸は成し易し、故に純なるは倹なりと云う。糸を用うるは礼に合わずと雖も、其の倹易なるを以て、故に孔子之に従うなり」(冕、緇布冠也。古者績麻三十升布以爲之、故云麻冕禮也。今也、謂當孔子時。純、絲也。絲易成、故云純儉。用絲雖不合禮、以其儉易、故孔子從之也)とある。また『集注』に「緇布冠は、三十升の布を以て之をつくる。升は八十なれば、則ち其の経は二千四百縷なり。細密にして成り難し。糸を用うるの省約に如かず」(緇布冠、以三十升布爲之。升八十縷、則其經二千四百縷矣。細密難成。不如用絲之省約)とある。
  • 拝下礼也 … 『集解』に引く王粛の注に「臣の君とともに礼を行うには、下に拝して、然る後に升りて礼を成す。時に臣驕泰なり、故に上に於いて拝す。今、下に従うは、礼の恭しきなり」(臣與君行禮者、下拜、然後升成禮。時臣驕泰、故於上拜。今從下、禮之恭也)とある。また『義疏』に「下は、堂下を謂うなり。礼に、君と臣と燕するとき、君より酒を賜うは、皆堂を下りて再拝す。故に云う、下に拝するは礼なり、と」(下、謂堂下也。禮、君與臣燕、君賜酒、皆下堂而再拜。故云、拜下禮也)とある。燕は、宴に同じ。また『注疏』に「礼にては、臣の君とともに礼を行うは、下に拝して然る後に升りて拝を成す、是れ礼なり。……案ずるに燕礼は、君の卿大夫に燕するの礼なり。其の礼に云う、公坐す。大夫の媵する所の觶を取りて興す。以て賓に酬す。賓降りて、西階より下りて再拝稽首す。公小臣に命じて辞せしむ。賓升りて拝を成す、と。鄭注に、升りて拝を成し、復た再拝稽首するなり。先ず時君之を辞す。礼に於いて未だ成らざるが若く然り、と」(禮、臣之與君行禮者、下拜然後升成拜、是禮也。……案燕禮、君燕卿大夫之禮也。其禮云、公坐。取大夫所媵觶興。以酬賓。賓降、西階下再拜稽首。公命小臣辭。賓升成拜。鄭注、升成拜、復再拜稽首也。先時君辭之。於禮若未成然)とある。
  • 今拝乎上泰也 … 『義疏』に「今は、周末の孔子の時を謂うなり。上は、堂上を謂うなり。泰は、驕泰なり。時に周末君臣飲燕するに当たり、臣、君より酒を賜うを得るに、復た堂より下らず。但だ堂上に於いて拝す。故に云う、今上を拝するは泰なり、と。拝するに堂を下らず。是れ臣の驕泰に由る。故に云う、泰なり、と」(今、謂周末孔子時也。上、謂堂上也。泰、驕泰也。當于時周末君臣飮燕、臣得君賜酒、不復下堂。但於堂上而拜。故云、今拜乎上泰也。拜不下堂。是由臣驕泰。故云、泰也)とある。また『注疏』に「今時の臣の、皆上に拝するは、是れ驕泰なり」(今時之臣、皆拜於上、是驕泰也)とある。また『集注』に「臣、君と礼を行えば、当に堂下に拝すべし。君之を辞すれば、乃ち升りて拝を成す。泰は、驕慢なり」(臣與君行禮、當拜於堂下。君辭之、乃升成拜。泰、驕慢也)とある。
  • 雖違衆、吾従下 … 『義疏』に「当時皆礼に違いて、上に拝する者衆し。孔子上に拝するに従わず。故に云う、衆に違うと雖も、と。衆に違いて旧礼に従い、下に拝す。故に云う、吾は下に従わん、と」(當時皆違禮、而拜上者衆。孔子不從拜上。故云、雖違衆也。違衆而從舊禮拜於下。故云、吾從下也)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「君子の世に処するに、事の義に害無き者は、俗に従いて可なり。義に害あれば、則ち従う可からざるなり」(君子處世、事之無害於義者、從俗可也。害於義、則不可從也)とある。また『注疏』に「孔子は其の驕泰は則ち不孫なるを以て、故に衆に違いて下拝の礼に従うなり。下拝は、礼の恭しきなるが故なり」(孔子以其驕泰則不孫、故違衆而從下拜之禮也。下拜、禮之恭故也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「其の一従一違は、皆道の在る所にして、聖人の行い、変化方無く、一偏にかかわらざること此くの如し。学者の宜しく心を潜むべき所なり。論に曰く、先儒曰えり、事の義に害無き者は、俗に従いて可なり、と。謬りと謂う可し。夫れ事苟くも義に害無ければ、則ち俗即ち是れ道、俗を外にして更に所謂道という者無し。……衆心の帰する所は、俗の成す所なり。故に惟だ其の義に合すると否とを見て可なり。何ぞ必ずしも俗を外にして道を求めんや。若し夫れ俗を外にして道を求むる者は、実に異端の流にして、聖人の道に非ざるなり」(其一從一違、皆道之所在、而聖人之行、變化無方、不拘一偏如此。學者所宜濳心也。論曰、先儒曰、事之無害於義者、從俗可也。可謂謬矣。夫事苟無害於義、則俗即是道、外俗更無所謂道者。……衆心之所歸、俗之所成也。故惟見其合於義與否可矣。何必外俗而求道哉。若夫外俗而求道者、實異端之流、而非聖人之道也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「蓋し礼は先王の定むる所なりと雖も、然れども亦た義有る者有り、義無き者有り。其の義無き者は、則ち先王の一時俗に従える者、故に今又た俗に従って之を改むるは、礼に違えりと為さず。……仁斎此の章を解し、……而うして曰く、事苟くも義に害無ければ、則ち俗即ち是れ道、俗を外にして更に所謂道無し、と。是れ其の人又た道を知らざるなり。道とは古聖人の建つる所、豈に世俗の為す所即ち道と謂いて可ならんや。……是れ先王の礼を制し其の度数を定むるの時、既に財を以て之が節を為せり。然れども久しく時移りて、而うして古えの倹なるも亦た今変じて奢と為る者有り。麻冕の如きは是れなり。……蓋し礼に、君若し之を辞せざれば、則ち下に再拝稽首するのみ。君之を辞すれば、則ち既に下に再拝稽首し、又た升って上に再拝稽首す。……然れども本文に其の何の礼たるを言わざれば、則ち亦た其の何の礼たるを識る可からざるのみ」(蓋禮雖先王所定、然亦有有義者、有無義者。其無義者、則先王一時從俗者、故今又從俗改之、不爲違禮。……仁齋解此章、……而曰、事苟無害於義、則俗即是道、外俗更無所謂道。是其人又不知道也。道者古聖人之所建、豈謂世俗所為即道可乎。……是先王制禮定其度數時、既以財爲之節。然久時移、而古之儉亦有今變爲奢者。如麻冕是也。……蓋禮、君若不辭之、則再拜稽首於下而已。君辭之、則既再拜稽首於下、又升而再拜稽首於上。……然本文不言其爲何禮、則亦不可識其爲何禮已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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