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初至巴陵与李十二白同泛洞庭湖(賈至)

初至巴陵與李十二白同泛洞庭湖
はじめてりょういたり、じゅうはくとも洞庭どうていうか
賈至かし
  • 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻二百三十五、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十二(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、『唐詩品彙』巻四十八、『唐詩別裁集』巻十九、他
  • 七言絶句。多・波・娥(平声歌韻)。
  • ウィキソース「初至巴陵與李十二白裴九同泛洞庭湖 (楓岸紛紛落葉多)」参照。
  • 詩題 … 『全唐詩』では「初至巴陵與李十二白裴九同泛洞庭湖三首 其二」に作る。はいきゅうは、裴侍御。名は未詳。『万首唐人絶句』では「初至巴陵與李十二白裴九同泛洞庭三首 其三」に作る。『唐詩別裁集』では「巴陵與李十二白裴九汎洞庭」に作る。『唐詩品彙』では「初至巴陵與李十二白同汎洞庭湖二首 其二」に作る。
  • 初 … 「はじめて」と読み、「~したばかり」と訳す。副詞。
  • 巴陵 … 岳州巴陵郡のこと。今の湖南省岳陽市。天宝元年(742)、岳州は巴陵郡に改められたが、乾元元年(758)、再び岳州に戻された。『旧唐書』地理志三に「天宝元年、改めて巴陵郡と為る。乾元元年、復た岳州と為る」(天寶元年、改爲巴陵郡。乾元元年、復爲岳州)とある。ウィキソース「舊唐書/卷40」参照。ウィキペディア【巴陵郡】参照。
  • 李十二白 … 李白。十二は排行(一族中の兄弟やいとこなどの年齢による序列)。
  • 同 … 「ともに」と読む。いっしょに。「おなじく」と読んでもよい。
  • 洞庭湖 … 湖南省北部にある巨大な湖。湖南省の四大河川であるしょうこうすい沅江げんこう澧水れいすいが南と西から流入する。北は長江と連なっている。ウィキペディア【洞庭湖】参照。
  • この詩は、作者が流されて岳陽に着いたばかりのとき、李白といっしょに洞庭湖で舟遊びをして作ったもの。
  • 賈至 … 718~772。盛唐の詩人。洛陽(河南省)の人。あざなよう、一説には幼隣ようりんともいう。そうの子。開元二十三年(735)、李頎りき李華りかしょうえいらとともに進士に及第し、さらに天宝十載(751)、明経の科に及第した。ぜん(山東省)の尉をはじめ、起居舎人・知制誥などを歴任。至徳二載(757)、長安に帰って中書舎人となった。のちに岳州(湖南省岳陽市)に流されたが、宝応元年(762)、召還されて中書舎人に復帰した。大暦五年(770)、京兆尹兼御史大夫に進み、右散騎常侍に至って卒した。ウィキペディア【賈至】参照。
楓岸紛紛落葉多
楓岸ふうがん 紛紛ふんぷんとして落葉らくようおお
  • 楓岸 … ふうの木の立ち並ぶ岸辺。ふうは、カエデの一種。日本のカエデとは異なる。ウィキペディア【フウ】参照。『楚辞』宋玉の「招魂」に「湛湛たんたんたる江水こうすいうえふうり」(湛湛江水兮上有楓)とある。ウィキソース「楚辭/招䰟」参照。また、阮籍「詠懐詩十七首 其の十七」(『文選』巻二十三)に「湛湛たんたんたるちょうこうみずうえ楓樹ふうじゅはやしり」(湛湛長江水、上有楓樹林)とある。ウィキソース「詠懷詩 (湛湛長江水)」参照。
  • 紛紛 … 入り乱れて散るさま。梁の呉均「湘州を発せんとして親故に贈って別るる詩三首 其の三」(『古詩紀』巻九十一、『文苑英華』巻二百八十六)に「りゅうひんまさ繞繞じょうじょうたり、落葉らくよう紛紛ふんぷんたり」(流蘋方繞繞、落葉尚紛紛)とある。流蘋は、流れうつる浮き草。繞繞は、まつわりつくこと。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷091」参照。
洞庭秋水晚來波
洞庭どうていしゅうすい 晩来ばんらいなみだつ
  • 洞庭 … 洞庭湖。
  • 秋水 … 秋の澄んだ水面。
  • 晩来 … 夕方とともに。夕暮れを迎えて。来は、時をあらわす語につく助辞。
  • 波 … 動詞として「なみだつ」と読む。
  • 洞庭秋水晩来波 … 『楚辞』九歌の「湘夫人」に「嫋嫋じょうじょうたるしゅうふう洞庭どうていなみだって木葉もくようくだる」(嫋嫋兮秋風、洞庭波兮木葉下)とあるのを踏まえる。
乘興輕舟無近遠
きょうじょうじてけいしゅう近遠きんえん
  • 乗興 … 感興のわくままに。興の赴くままに。東晋のおう徽之きしが冬の夜、雪を愛でながら酒を飲み、左思の「招隠の詩」を詠じていたが、ふと剡渓にいる友人のたいを訪ねようと思いたち、小舟に乗って出かけた。しかし、門前まで来て引き返してしまった。人がその理由を尋ねたところ、「自分は興に乗じて来て、興が尽きて帰ったのだ」と答えたという故事を踏まえる。『晋書』王徽之伝に「かつ山陰さんいんり、よるゆきはじめてれ、げっしょく清朗せいろうぼう皓然こうぜんたり。ひとさけみて、左思さししょういんえいじ、たちまたいおもう。ときせんり、便すなわよるしょうせんじょうじてこれいたり、宿しゅくまさいたり、もんいたりてすすまずしてかえる。ひとゆえう、徽之きしいわく、もときょうじょうじてき、きょうきてかえる。なんかならずしも安道あんどうんや、と」(嘗居山陰、夜雪初霽、月色清朗、四望皓然。獨酌酒、詠左思招隱詩、忽憶戴逵。逵時在剡、便夜乘小船詣之、經宿方至、造門不前而反。人問其故、徽之曰、本乘興而行、興盡而反。何必見安道邪)とある。安道は、戴逵のあざな。ウィキソース「晉書/卷080」参照。
  • 軽舟 … 舟足の速い小舟。舟足の軽やかな小舟。
  • 無近遠 … 遠くや近くの区別もなく、あちらこちらと乗り回す。梁の元帝「春別れいおうず四首 其の四」(『玉台新詠』巻九)に「月光げっこうをして近遠きんえんからしめば、まさらすべしじんこんくを」(若使月光無近遠、應照離人今夜啼)とある。ウィキソース「春別應令」参照。元帝については、ウィキペディア【元帝 (南朝梁)】参照。
白雲明月弔湘娥
白雲はくうん 明月めいげつ しょうとむら
  • 白雲明月 … 白雲たなびき、明るい月の光の下で。
  • 湘娥 … 洞庭湖に注ぐ湘水の女神のこと。堯帝の二人の娘、姉のこうと妹の女英じょえいは、ともに舜帝の妃となったが、舜帝が没した時、その後を追って湘水に身を投げて死に、水神になったという。姉を湘君、妹を湘夫人と呼ぶ。後世、二人を総称して、湘君・湘夫人・湘霊・湘妃・湘娥などという。『楚辞』九歌に「湘君」「湘夫人」の歌がある。
  • 弔 … とむらう。死者の霊をなぐさめ、その冥福を祈る。
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