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初至巴陵与李十二白同泛洞庭湖(賈至)

初至巴陵與李十二白同泛洞庭湖
初(はじ)めて巴(は)陵(りょう)に至(いた)り、李(り)十(じゅう)二(に)白(はく)と同(とも)に洞庭(どうてい)湖(こ)に泛(うか)ぶ
賈至(かし)
  • 七言絶句。多・波・娥(下平声歌韻)。
  • ウィキソース「初至巴陵與李十二白裴九同泛洞庭湖 (楓岸紛紛落葉多)」参照。
  • 詩題 … 『全唐詩』では「初至巴陵與李十二白裴九同泛洞庭湖三首其二」に作る。裴(はい)九(きゅう)は、裴侍御。名は未詳。『万首唐人絶句』では「初至巴陵與李十二白裴九同泛洞庭三首其三」に作る。『唐詩別裁集』では「巴陵與李十二白裴九汎洞庭」に作る。『唐詩品彙』では「初至巴陵與李十二白同汎洞庭湖二首其二」に作る。
  • 初 … 「はじめて」と読み、「~したばかり」と訳す。副詞。
  • 巴陵 … 岳州巴陵郡のこと。今の湖南省岳陽市。天宝元年(742)、岳州は巴陵郡に改められたが、乾元元年(758)、再び岳州に戻された。『旧唐書』地理志三に「天宝元年、改めて巴陵郡と為る。乾元元年、復た岳州と為る」(天寶元年、改爲巴陵郡。乾元元年、復爲岳州)とある。ウィキソース「舊唐書/卷40」参照。ウィキペディア【巴陵郡】参照。
  • 李十二白 … 李白。十二は排行(一族中の兄弟やいとこなどの年齢による序列)。
  • 同 … 「ともに」と読む。いっしょに。「同(おな)じく」と読んでもよい。
  • 洞庭湖 … 湖南省北部にある巨大な湖。湖南省の四大河川である湘(しょう)江(こう)・資(し)水(すい)・沅江(げんこう)・澧水(れいすい)が南と西から流入する。北は長江と連なっている。ウィキペディア【洞庭湖】参照。
  • この詩は、作者が流されて岳陽に着いたばかりのとき、李白といっしょに洞庭湖で舟遊びをして作ったもの。
  • 賈至 … 718~772。盛唐の詩人。洛陽(河南省洛陽市)の人。字(あざな)は幼(よう)幾(き)、一説には幼隣(ようりん)ともいう。賈(か)曾(そう)の子。開元二十三年(735)、李頎(りき)・李華(りか)・蕭(しょう)穎(えい)士(し)らとともに進士に及第し、さらに天宝十載(751)、明経の科に及第した。単(ぜん)父(ほ)(山東省)の尉をはじめ、起居舎人・知制誥などを歴任。至徳二載(757)、長安に帰って中書舎人となった。のちに岳州(湖南省岳陽市)に流されたが、宝応元年(762)、召還されて中書舎人に復帰した。大暦五年(770)、京兆尹兼御史大夫に進み、右散騎常侍に至って卒した。ウィキペディア【賈至】参照。
楓岸紛紛落葉多
楓岸(ふうがん) 紛紛(ふんぷん)として落葉(らくよう)多(おお)し
  • 楓岸 … 楓(ふう)の木の立ち並ぶ岸辺。楓(ふう)は、カエデの一種。日本のカエデとは異なる。ウィキペディア【フウ】参照。『楚辞』招魂に「湛湛(たんたん)たる江水(こうすい)、上(うえ)に楓(ふう)有(あ)り」(湛湛江水兮上有楓)とある。ウィキソース「楚辭/招䰟」参照。また、三国魏の阮籍「詠懐詩八十二首」の第十一首(『文選』巻二十三では十七首中第十七首)に「湛湛(たんたん)たる長江の水、上に楓樹(ふうじゅ)の林有り」(湛湛長江水、上有楓樹林)とある。ウィキソース「詠懷詩 (湛湛長江水)」参照。
  • 紛紛 … 入り乱れて散るさま。南朝梁の呉均「湘州を発せんとして親故に贈って別るる詩三首」の第三首に「流(りゅう)蘋(ひん)方(まさ)に繞繞(じょうじょう)たり、落葉(らくよう)尚(な)お紛紛(ふんぷん)たり」(流蘋方繞繞、落葉尚紛紛)とある。流蘋は、流れうつる浮き草。繞繞は、まつわりつくこと。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷091」参照。
洞庭秋水晚來波
洞庭(どうてい)の秋(しゅう)水(すい) 晩来(ばんらい)波(なみ)だつ
  • 洞庭 … 洞庭湖。
  • 秋水 … 秋の澄んだ水面。
  • 晩来 … 夕方とともに。夕暮れを迎えて。来は、時をあらわす語につく助辞。
  • 波 … 動詞として「なみだつ」と読む。
  • 洞庭秋水晩来波 … 『楚辞』九歌・湘夫人に「嫋嫋(じょうじょう)たる秋(しゅう)風(ふう)、洞庭(どうてい)波(なみ)だって木葉(もくよう)下(くだ)る」(嫋嫋兮秋風、洞庭波兮木葉下)とあるのを踏まえる。
乘興輕舟無近遠
興(きょう)に乗(じょう)じて軽(けい)舟(しゅう)近遠(きんえん)無(な)く
  • 乗興 … 感興のわくままに。興の赴くままに。東晋の王(おう)徽之(きし)が冬の夜、雪を愛でながら酒を飲み、左思の「招隠の詩」を詠じていたが、ふと剡渓にいる友人の戴(たい)逵(き)を訪ねようと思いたち、小舟に乗って出かけた。しかし、門前まで来て引き返してしまった。人がその理由を尋ねたところ、「自分は興に乗じて来て、興が尽きて帰ったのだ」と答えたという故事を踏まえる。『晋書』王徽之伝に「嘗(かつ)て山陰(さんいん)に居(お)り、夜(よる)雪(ゆき)初(はじ)めて霽(は)れ、月(げっ)色(しょく)清朗(せいろう)、四(し)望(ぼう)皓然(こうぜん)たり。独(ひと)り酒(さけ)を酌(く)みて、左思(さし)の招(しょう)隠(いん)の詩(し)を詠(えい)じ、忽(たちま)ち戴(たい)逵(き)を憶(おも)う。逵(き)時(とき)に剡(せん)に在(あ)り、便(すなわ)ち夜(よる)小(しょう)船(せん)に乗(じょう)じて之(これ)に詣(いた)り、宿(しゅく)を経(へ)て方(まさ)に至(いた)り、門(もん)に造(いた)りて前(すす)まずして反(かえ)る。人(ひと)其(そ)の故(ゆえ)を問(と)う、徽之(きし)曰(いわ)く、本(もと)興(きょう)に乗(じょう)じて行(ゆ)き、興(きょう)尽(つ)きて反(かえ)る。何(なん)ぞ必(かなら)ずしも安道(あんどう)を見(み)んや、と」(嘗居山陰、夜雪初霽、月色清朗、四望皓然。獨酌酒、詠左思招隱詩、忽憶戴逵。逵時在剡、便夜乘小船詣之、經宿方至、造門不前而反。人問其故、徽之曰、本乘興而行、興盡而反。何必見安道邪)とある。安道は、戴逵の字(あざな)。ウィキソース「晉書/卷080」参照。
  • 軽舟 … 舟足の速い小舟。舟足の軽やかな小舟。
  • 無近遠 … 遠くや近くの区別もなく、あちらこちらと乗り回す。南朝梁の元帝「春別令(れい)に応(おう)ず」詩(『玉台新詠』巻九)の第四首に「若(も)し月光(げっこう)をして近遠(きんえん)無(な)からしめば、応(まさ)に照(て)らすべし離(り)人(じん)今(こん)夜(や)啼(な)くを」(若使月光無近遠、應照離人今夜啼)とある。ウィキソース「春別應令」参照。
白雲明月弔湘娥
白雲(はくうん) 明月(めいげつ) 湘(しょう)娥(が)を弔(とむら)う
  • 白雲明月 … 白雲たなびき、明るい月の光の下で。
  • 湘娥 … 洞庭湖に注ぐ湘水の女神のこと。堯帝の二人の娘、姉の娥(が)皇(こう)と妹の女英(じょえい)は、ともに舜帝の妃となったが、舜帝が没した時、その後を追って湘水に身を投げて死に、水神になったという。姉を湘君、妹を湘夫人と呼ぶ。後世、二人を総称して、湘君・湘夫人・湘霊・湘妃・湘娥などという。『楚辞』九歌に「湘君」「湘夫人」の歌がある。
  • 弔 … とむらう。死者の霊をなぐさめ、その冥福を祈る。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百三十五(排印本、中華書局、1960年)
  • 『唐詩品彙』巻四十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十二(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩別裁集』巻十九([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
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