岳陽楼重宴別王八員外貶長沙(賈至)
岳陽樓重宴別王八員外貶長沙
岳陽楼にて重ねて王八員外の長沙に貶せらるるを宴別す
岳陽楼にて重ねて王八員外の長沙に貶せらるるを宴別す
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻二百三十五、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十二(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、『唐詩品彙』巻四十八、他
- 七言絶句。潮・遙・條(平声蕭韻)。
- ウィキソース「岳陽樓重宴別王八員外貶長沙」参照。
- 岳陽楼 … 湖南省岳陽市の西門の楼。洞庭湖に面し、楼上からの眺めが美しいことで有名。ウィキペディア【岳陽楼】参照。
- 重 … 再度送別の宴を開いたことを指す。作者にはこの詩のほかに、「岳陽楼にて王員外の長沙に貶せらるるを宴す」(五律)や「巴陵にて夜、王八員外に別る」(七絶)という詩がある。ウィキソース「岳陽樓宴王員外貶長沙」「巴陵夜別王八員外」参照。
- 王八員外 … 王は姓。八は排行(一族中の兄弟やいとこなどの年齢による序列)。員外は尚書省の官名で、正式には員外郎。尚書省の六部は二十四司に分かれ、各長官(郎中)の補佐役をいう。王某の人物については不明。
- 長沙 … 今の湖南省長沙市。湖南省の省都。洞庭湖の南方、湘江下流の東岸に位置する。隋唐代から元代までは潭州とも呼ばれた。前漢の賈誼が流されたところとしても有名。『読史方輿紀要』歴代州域形勢、唐上、潭州の条に「漢、長沙国と曰う。隋、潭州と曰う。唐、之に因る。亦た長沙郡と曰う」(漢曰長沙國。隋曰潭州。唐因之。亦曰長沙郡)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五」参照。ウィキペディア【長沙市】参照。『中国歴史地図集 第五冊』(地図出版社、1982年、国学导航「元和方镇图:潭州」38~39頁④4、「江南西道:潭州」57~58頁④5)参照。
- 貶 … 罪によって官位をおとされ、地方に流されること。「流謫」とほぼ同義であるが、「謫」の字の方が遠方の度合いが強い。
- 宴別 … 送別の宴を催すこと。
- 賈至 … 718~772。盛唐の詩人。洛陽(河南省)の人。字は幼幾、一説には幼隣ともいう。賈曾の子。開元二十三年(735)、李頎・李華・蕭穎士らとともに進士に及第し、さらに天宝十載(751)、明経の科に及第した。単父(山東省)の尉をはじめ、起居舎人・知制誥などを歴任。至徳二載(757)、長安に帰って中書舎人となった。のちに岳州(湖南省岳陽市)に流されたが、宝応元年(762)、召還されて中書舎人に復帰した。大暦五年(770)、京兆尹兼御史大夫に進み、右散騎常侍に至って卒した。ウィキペディア【賈至】参照。
江路東連千里潮
江路 東に連なる 千里の潮
- 江路 … 長江の航路。南朝斉の謝朓「宣城に之かんとして、新林浦を出で、板橋に向う」(『文選』巻二十七)に「江路は西南に永く、帰流は東北に騖す」(江路西南永、歸流東北騖)とある。騖は、勢いよく流れ、はせるの意。ウィキソース「之宣城出新林浦向板橋」参照。
- 東連 … 東へ東へと続いている。
- 千里潮 … 長江の水が千里も続いていること。陳の陰鏗「和登百花亭懐荆楚」(『古詩紀』巻一百九、『文苑英華』巻三百十五)に「江陵一柱観、潯陽千里の潮」(江陵一柱觀、潯陽千里潮)とある。一柱観は、一本の柱で支えた高楼。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷109」「文苑英華 (四庫全書本)/卷0315」参照。
靑雲北望紫微遙
青雲 北に望めば 紫微遥かなり
- 青雲 … 青空のこと。
- 北望 … 北の方角に向かって望めば。
- 紫微 … もとは北斗星の北東にある十五の星の名。伝説では、その一つが天の軸にあたり、天子の住む宮殿とされる。転じて、王宮のこと。ここでは長安の都または朝廷を指す。紫微宮・紫微星・紫垣・紫宮とも。『晋書』天文志に「紫宮垣の十五星、其の西番七つ、東番八つ、北斗の北に在り。一に紫微と曰う。大帝の坐なり。天子の常居なり。命を主り度を主るなり」(紫宮垣十五星、其西番七、東番八、在北斗北。一曰紫微。大帝之坐也。天子之常居也。主命主度也)とある。ウィキソース「晉書/卷011」参照。
- 遥 … 遥かに遠い。
莫道巴陵湖水闊
道う莫かれ 巴陵 湖水闊しと
長沙南畔更蕭條
長沙 南畔 更に蕭条
- 長沙 … 上記「長沙」参照。
- 南畔 … 南方の川沿いの地。畔は、水際。ほとり。晋の陸雲の失題詩(『陸士龍文集』巻四、『古詩紀』巻三十七)に「逍遥南畔に近く、長嘯して悲嘆を作す」(逍遙近南畔、長嘯作悲嘆)とある。ウィキソース「陸士龍文集 (四部叢刊本)/卷第四」「古詩紀 (四庫全書本)/卷037」参照。
- 長沙南畔 … 「長沙は南畔」と読めば「南方の長沙は南の果てにある」という意味になり、「長沙の南畔」と読めば「長沙の中の川沿いの町」という意味になる。
- 蕭条 … 物寂しいさま。『楚辞』の「遠遊」に「山は蕭条として獣無く、野は寂漠として其れ人無し」(山蕭條而無獸兮、野寂漠其無人)とある。ウィキソース「楚辭/遠遊」参照。また班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「原野蕭条として、目四裔を極む」(原野蕭條、目極四裔)とある。四裔は、四方の遠い果て。ウィキソース「西都賦」参照。
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