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岳陽楼重宴別王八員外貶長沙(賈至)

岳陽樓重宴別王八員外貶長沙
岳陽楼(がくようろう)にて重(かさ)ねて王八員外(おうはちいんがい)の長(ちょう)沙(さ)に貶(へん)せらるるを宴別(えんべつ)す
賈至(かし)
  • 七言絶句。潮・遙・條(下平声蕭韻)。
  • ウィキソース「岳陽樓重宴別王八員外貶長沙」参照。
  • 岳陽楼 … 湖南省岳陽市の西門の楼。洞庭湖に面し、楼上からの眺めが美しいことで有名。ウィキペディア【岳陽楼】参照。
  • 重 … 再度送別の宴を開いたことを指す。作者にはこの詩のほかに、「岳陽楼にて王員外の長沙に貶せらるるを宴す」(五律)や「巴陵にて夜、王八員外に別る」(七絶)という詩がある。ウィキソース「岳陽樓宴王員外貶長沙」「巴陵夜別王八員外」参照。
  • 王八員外 … 王は姓。八は排行(一族中の兄弟やいとこなどの年齢による序列)。員外は尚書省の官名で、正式には員外郎。尚書省の六(りく)部(ぶ)は二十四司に分かれ、各長官(郎中)の補佐役をいう。王某の人物については不詳。
  • 長沙 … 今の湖南省長沙市。湖南省の省都。洞庭湖の南方、湘江下流の東岸に位置する。隋唐代から元代までは潭州とも呼ばれた。前漢の賈誼(かぎ)が流されたところとしても有名。『読史方輿紀要』歴代州域形勢、唐上、潭州の条に「漢、長沙国と曰う。隋、潭州と曰う。唐、之に因る。亦た長沙郡と曰う」(漢曰長沙國。隋曰潭州。唐因之。亦曰長沙郡)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五」参照。ウィキペディア【長沙市】参照。『中国歴史地図集 第五冊』(地図出版社、1982年、国学导航「元和方镇图:潭州」38~39頁④4、「江南西道:潭州」57~58頁④5)参照。
  • 貶 … 罪によって官位をおとされ、地方に流されること。「流(る)謫(たく)」とほぼ同義であるが、「謫」の字の方が遠方の度合いが強い。
  • 宴別 … 送別の宴を催すこと。
  • 賈至 … 718~772。盛唐の詩人。洛陽(河南省洛陽市)の人。字(あざな)は幼(よう)幾(き)、一説には幼隣(ようりん)ともいう。賈(か)曾(そう)の子。開元二十三年(735)、李頎(りき)・李華(りか)・蕭(しょう)穎(えい)士(し)らとともに進士に及第し、さらに天宝十載(751)、明経の科に及第した。単(ぜん)父(ほ)(山東省)の尉をはじめ、起居舎人・知制誥などを歴任。至徳二載(757)、長安に帰って中書舎人となった。のちに岳州(湖南省岳陽市)に流されたが、宝応元年(762)、召還されて中書舎人に復帰した。大暦五年(770)、京兆尹兼御史大夫に進み、右散騎常侍に至って卒した。ウィキペディア【賈至】参照。
江路東連千里潮
江(こう)路(ろ) 東(ひがし)に連(つら)なる 千(せん)里(り)の潮(うしお)
  • 江路 … 長江の航路。南朝斉の謝朓「宣(せん)城(じょう)に之(ゆ)かんとして、新(しん)林(りん)浦(ぽ)を出(い)で、板(はん)橋(きょう)に向(むか)う」詩(『文選』巻二十七)に「江(こう)路(ろ)は西南(せいなん)に永(なが)く、帰(き)流(りゅう)は東北(とうほく)に騖(は)す」(江路西南永、歸流東北騖)とある。騖は、勢いよく流れ、はせるの意。ウィキソース「之宣城出新林浦向板橋」参照。
  • 東連 … 東へ東へと続いている。
  • 千里潮 … 長江の水が千里も続いていること。南朝陳の陰鏗(いんこう)「百花亭に登りて荆楚を懐うに和す」詩に「江(こう)陵(りょう)一(いっ)柱(ちゅう)観(かん)、潯陽(じんよう)千(せん)里(り)の潮(うしお)」(江陵一柱觀、潯陽千里潮)とある。一柱観は、一本の柱で支えた高楼。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷109」「文苑英華 (四庫全書本)/卷0315」参照。
靑雲北望紫微遙
青雲(せいうん) 北(きた)に望(のぞ)めば 紫微(しび)遥(はる)かなり
  • 青雲 … 青空のこと。
  • 北望 … 北の方角に向かって望めば。
  • 紫微 … もとは北斗星の北東にある十五の星の名。伝説では、その一つが天の軸にあたり、天子の住む宮殿とされる。転じて、王宮のこと。ここでは長安の都または朝廷を指す。紫微宮・紫微星・紫(し)垣(えん)・紫宮とも。『晋書』天文志に「紫(し)宮(きゅう)垣(えん)の十(じゅう)五(ご)星(せい)、其(そ)の西番(せいばん)七(なな)つ、東番(とうばん)八(や)つ、北(ほく)斗(と)の北(きた)に在(あ)り。一(いつ)に紫微(しび)と曰(い)う。大帝(たいてい)の坐(ざ)なり。天(てん)子(し)の常(じょう)居(きょ)なり。命(めい)を主(つかさど)り度(ど)を主(つかさど)るなり」(紫宮垣十五星、其西番七、東番八、在北斗北。一曰紫微。大帝之坐也。天子之常居也。主命主度也)とある。ウィキソース「晉書/卷011」参照。
  • 遥 … 遥かに遠い。
莫道巴陵湖水闊
道(い)う莫(な)かれ 巴(は)陵(りょう) 湖(こ)水(すい)闊(ひろ)しと
  • 莫道 … 言ってはいけない。言い給うな。
  • 巴陵 … 岳州巴陵郡のこと。今の湖南省岳陽市。天宝元年(742)、岳州は巴陵郡に改められたが、乾元元年(758)、再び岳州に戻された。『旧唐書』地理志三に「天宝元年、改めて巴陵郡と為る。乾元元年、復た岳州と為る」(天寶元年、改爲巴陵郡。乾元元年、復爲岳州)とある。ウィキソース「舊唐書/卷40」参照。ウィキペディア【巴陵郡】参照。
  • 湖水 … 洞庭湖を指す。
  • 闊 … 遠くまで広々と広がっている様子。
長沙南畔更蕭條
長(ちょう)沙(さ) 南畔(なんはん) 更(さら)に蕭条(しょうじょう)
  • 長沙 … 上記「長沙」参照。
  • 南畔 … 南方の川沿いの地。畔は、水(み)際(ぎわ)。ほとり。晋の陸雲の失題詩に「逍(しょう)遥(よう)南畔(なんはん)に近(ちか)く、長嘯(ちょうしょう)して悲(ひ)嘆(たん)を作(な)す」(逍遙近南畔、長嘯作悲嘆)とある。ウィキソース「陸士龍文集 (四部叢刊本)/卷第四」「古詩紀 (四庫全書本)/卷037」参照。
  • 長沙南畔 … 「長沙は南畔」と読めば「南方の長沙は南の果てにある」という意味になり、「長沙の南畔」と読めば「長沙の中の川沿いの町」という意味になる。
  • 蕭条 … 物寂しいさま。『楚辞』遠遊に「山(やま)は蕭条(しょうじょう)として獣(けもの)無(な)く、野(の)は寂漠(せきばく)として其(そ)れ人(ひと)無(な)し」(山蕭條而無獸兮、野寂漠其無人)とある。ウィキソース「楚辭/遠遊」参照。また、後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「原(げん)野(や)蕭条(しょうじょう)として、目(め)四(し)裔(えい)を極(きわ)む」(原野蕭條、目極四裔)とある。四裔は、四方の遠い果て。ウィキソース「西都賦」参照。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百三十五(排印本、中華書局、1960年)
  • 『唐詩品彙』巻四十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十二(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)
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