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送李侍郎赴常州(賈至)

送李侍郎赴常州
ろう常州じょうしゅうおもむくをおく
賈至かし
  • 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻二百三十五、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十二(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、『唐詩品彙』巻四十八、『唐詩別裁集』巻十九、他
  • 七言絶句。寒・難・漫(平声寒韻)。
  • ウィキソース「送李侍郎赴常州」参照。
  • 李 … 李白の「陪族叔刑部侍郎曄及中書舎人賈至遊洞庭湖」に見える、李白の族叔(同族で父より年少の者)ようのこと。
  • 郎 … 刑部侍郎。刑罰および刑事行政を司る刑部の次官。『全唐詩』には「一作御」とある。
  • 常州 … 今の江蘇省常州市。ウィキペディア【常州】参照。
  • 送 … 見送る。
  • この詩は、作者が岳州(湖南省岳陽市)に流されていたとき、刑部侍郎の李曄が常州へ行くこととなり、その送別の宴席で作ったもの。
  • 賈至 … 718~772。盛唐の詩人。洛陽(河南省)の人。あざなよう、一説には幼隣ようりんともいう。そうの子。開元二十三年(735)、李頎りき李華りかしょうえいらとともに進士に及第し、さらに天宝十載(751)、明経の科に及第した。ぜん(山東省)の尉をはじめ、起居舎人・知制誥などを歴任。至徳二載(757)、長安に帰って中書舎人となった。のちに岳州(湖南省岳陽市)に流されたが、宝応元年(762)、召還されて中書舎人に復帰した。大暦五年(770)、京兆尹兼御史大夫に進み、右散騎常侍に至って卒した。ウィキペディア【賈至】参照。
雪晴雲散北風寒
ゆきくもさんじて北風ほくふうさむ
  • 雲散 … 雲が散る。李侍郎が去っていくことと掛けている。王粲の「さいとくおく」(『文選』巻二十三)に「かぜながくもさんじて、一別いちべつあめごとし」(風流雲散、一別如雨)とある。ウィキソース「贈蔡子篤詩」参照。
  • 北風寒 … 北風が冷たく吹いている。『詩経』邶風はいふう・北風の詩に「北風ほくふうさむし、ゆきふらすことほうたり、けいしてわれよみせば、たずさえてともかん」(北風其涼、雨雪其雱、惠而好我、攜手同行)とある。ウィキソース「詩經/北風」参照。
楚水吳山道路難
すいざん どうかた
  • 楚水呉山 … 楚の川と呉の山。楚は岳陽。今二人が別れようとしている所。呉は常州。李侍郎がこれから行く所。ウィキペディア【楚 (春秋)】【呉 (春秋)】参照。南朝梁の江淹の「臥疾怨別劉長史」(『古詩紀』巻八十五)に「ざんべいおおく、すいべつじょうおおし」(吳山饒離袂、楚水多別情)とある。離袂は、離れている人のたもと。転じて、離別。別離の人。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷085」参照。
  • 道路 … 君が行く路。君の旅路。
  • 難 … 難儀。困難。
今日送君須盡醉
今日こんにちきみおくる すべからくいをつくすべし
  • 今日送君 … 今日、ここで君を送別するにあたっては。
  • 須尽酔 … ぜひとも十分に酔いを尽くそうではないか。ぜひとも十分に酔おうではないか。
  • 須 … 「すべからく~べし」と読み、「ぜひ~する必要がある」「~するべきだ」と訳す。再読文字。
明朝相憶路漫漫
明朝みょうちょうあいおもうもみち漫漫まんまん
  • 明朝 … 明日の朝になって。
  • 相憶 … 互いに思い偲んでみても。
  • 相 … 「あい」と読み、「たがいに」「相互に」「いっしょに」と訳す。
  • 漫漫 … 道路の長く遠いさま。『楚辞』の「離騒」に「みち曼曼まんまんとしてしゅうえんなり、われまさじょうしてきゅうさくせんとす」(路曼曼其脩遠兮、吾將上下而求索)とある。求索は、探し求めること。ウィキソース「楚辭/離騷」参照。
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