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送朱大入秦(孟浩然)

送朱大入秦
朱大しゅだいしんるをおく
もう浩然こうねん
  • ウィキソース「送朱大入秦」「孟浩然集 (四部叢刊本)/卷第四」参照。
  • この詩は、友人の朱某がこれから長安の地へ行こうとするのを見送って詠んだもの。
  • 詩題 … 『宋本』では「送朱入秦」に作る。
  • 朱大 … 朱は、姓。大は、排行第一。人物については不詳であるが、遊俠の徒であったらしい。
  • 秦 … 長安の地。現在の陝西省一帯。
  • 送 … 見送る。
  • 孟浩然 … 689~740。盛唐の詩人。じょうよう(湖北省)の人。名は浩、浩然はあざな。若い頃、科挙に及第できず、諸国を放浪した末、郷里の鹿門山に隠棲した。四十歳のとき、都に出て張九齢や王維らと親交を結んだが、仕官はできなかった。その後、張九齢がけいしゅう(湖北省)のちょう(地方長官の属官)に左遷されたとき、招かれてじゅう(輔佐官)となったが、まもなく辞任し、江南を放浪した末、郷里に帰ってまた隠棲生活に入り、一生を終えた。多く自然を歌い、王維と並び称される。「春眠暁を覚えず」で始まる「春暁」が最も有名。『孟浩然集』四巻がある。ウィキペディア【孟浩然】参照。
遊人五陵去
遊人ゆうじん りょう
  • 遊人 … 俠客の意と、旅人の意とがある。どちらも朱大を指す。南朝梁の柳惲「とうの詩五首」(『玉台新詠』巻五)の第二首に「行役こうえき風波にとどこおり、遊人ひさしく帰らず」(行役滯風波、遊人淹不歸)とある。擣衣は、洗った着物をきぬたに載せて棒で叩くこと。行役は、徴発されて遠くまで行き、土木事業や国境守備の仕事に従うこと。ウィキソース「擣衣詩」参照。
  • 五陵 … 五陵付近の地。五陵は、長安北郊の地名。漢の高祖(長陵)・恵帝(安陵)・景帝(陽陵)・武帝(茂陵)・昭帝(平陵)の陵墓があった。この付近には富豪や貴族の別荘があり、遊楽の地でもあったので遊俠の徒が多く集まっていた。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「南に杜覇とはを望み、北に五陵をながむ」(南望杜霸、北眺五陵)とあり、その李善注に「漢書に曰く、宣帝は杜陵にほうむり、文帝は覇陵に葬り、高帝は長陵に葬り、恵帝は安陵に葬り、景帝は陽陵に葬り、武帝は茂陵に葬り、昭帝は平陵に葬る、と」(漢書曰、宣帝葬杜陵、文帝葬霸陵、高帝葬長陵、惠帝葬安陵、景帝葬陽陵、武帝葬茂陵、昭帝葬平陵)とある。杜覇は、杜陵と覇陵。ウィキソース「昭明文選/卷1」参照。『全唐詩』では「武陵」に作る。
寶劍直千金
宝剣ほうけん あたい千金せんきん
  • 宝剣直千金 … わがこの宝剣は千金の価値がある。春秋時代、呉の国の王子で延陵にほうじられたさつが諸国歴訪の折、先ず北の徐国に立ち寄った。徐君(徐の君主)は季札の宝剣が気に入ったが、口には出さなかった。季札はそれに気づき、「他国への使いが終わったら、帰りにこの剣を差し上げよう」と心に誓って旅を続けた。帰途、徐国に寄ると、徐君はすでに亡くなっていた。そこでその剣を徐君の墓のそばの木にかけて立ち去った。従者が「徐君はすでに亡くなられているのに、なぜそういうことをする必要があるのですか」と問うた。季札は「はじめに差し上げようと心に決めていたのだ。亡くなられたからといって、わが心に背くことはできない」と答えたという。『史記』呉太伯世家に「季札の初め使いするや、北のかた徐君によぎる。徐君、季札の剣を好む。口、敢えて言わず。季札、心に之を知る。じょうこくに使いする為に、未だ献ぜざりき。還りて徐に至る。徐君已に死せり。ここに於いて乃ち其の宝剣を解き、之を徐君のちょうじゅけて去る。従者曰く、徐君は已に死せり。尚お誰にあたうるか、と。季子曰く、然らず。始め吾が心、已に之を許せり。豈に死を以て吾が心にそむかんや、と」(季札之初使、北過徐君。徐君好季札劍。口弗敢言。季札心知之。爲使上國、未獻。還至徐。徐君已死。於是乃解其寶劍、繫之徐君冢樹而去。從者曰、徐君已死。尚誰予乎。季子曰、不然。始吾心已許之。豈以死倍吾心哉)とある。上国は、天子の都に近い国々。冢樹は、墓に植えてある木。ウィキソース「史記/卷031」参照。古楽府「徐人の歌」(『楽府詩集』巻八十三、『新序』巻七)に「延陵の季子、を忘れず、千金の剣を脱して、丘墓に帯びしむ」(延陵季子兮不忘故、脱千金之劍兮帶丘墓)とある。ウィキソース「徐人歌」「新序/節士」参照。また、春秋時代、呉の伍子胥が楚を逃げたとき、一老人が小舟で逃がしてくれた。子胥はお礼に千金はするという剣を差し上げようとしたが、老人は「あなたを捕らえた者には、公爵の位と俸禄一万石、金二万両を与えるという触れが出ています。以前、あなたがここを通ったときも、私はあなたを捕らえませんでした。今、私はどうして千金の剣のためにお助けしましょうか」と言って断ったという。『呂氏春秋』異宝篇に「うんぐ。……江上に至り、渉らんと欲するに、いちじょうじんしょうせんさおさし、まさまさに漁せんとするを見る。従わんとして請う。丈人之をわたして、江をよぎる。其の名族を問えば、則ち肯えて告げず、其の剣を解きて以て丈人にあたえて曰く、此れ千金の剣なり。願わくは之を丈人に献ぜん、と。丈人肯えて受けずして曰く、荊国の法、五員を得たる者は、爵は執圭しっけい、禄は万檐まんたん、金は千鎰せんいつなり。昔者むかし子胥のよぎるも、吾猶お取らず。今我何ぞ子の千金の剣を以て為さんや、と」(五員亡。……至江上、欲渉、見一丈人、刺小船、方將漁。從而請焉。丈人度之、絶江。問其名族、則不肯告、解其劍以予丈人曰、此千金之劍也。願獻之丈人。丈人不肯受曰、荊國之法、得五員者、爵執圭、祿萬檐、金千鎰。昔者子胥過、吾猶不取。今我何以子之千金劍爲乎)とある。丈人は、老人。執圭は、楚の爵の名。公爵。ウィキソース「呂氏春秋/卷十」参照。また『論衡』率性篇に「世に称す、利剣は千金のあたい有り」(世稱、利劍有千金之價)とある。ウィキソース「論衡/08」参照。
  • 直 … 値段。「値」に同じ。『唐詩品彙』では「値」に作る。
分手脱相贈
かつときだっしてあいおく
  • 分手 … 人と人が別れること。南朝梁の江淹「別れの賦」(『文選』巻十六)に「手を分かちてなみだふくむにいたり、寂漠に感じてしんを傷ましむ」(造分手而銜涕、感寂漠而傷神)とある。造は、至ること。神は、心。ウィキソース「別賦」参照。
  • 脱 … はずす。身につけている物を離して取り去ること。
  • 相贈 … 相手に贈る。相は「互いに」という意味ではなく、動作に対象があることを示す接頭語。
平生一片心
平生へいぜい 一片いっぺんこころ
  • 平生 … 平素から。三国魏の阮籍「詠懐詩八十二首」の第五首(『文選』巻二十三では十七首中第八首)に「平生へいぜい少年の時、軽薄にしてげんを好む」(平生少年時、輕薄好絃歌)とある。ウィキソース「詠懷詩五言八十二首」「詠懷詩十七首」参照。
  • 一片心 … 一片の赤心。一片の丹心。一片は、ひとつ。心は、ごころ。盛唐の李白「江上、とう長史に贈る」詩に「同じからず しゅ三千の客、別にこうを論ぜんと欲す 一片の心」(不同珠履三千客、別欲論交一片心)とある。長史は、地方長官の属官。珠履三千の客とは、珠履は、宝玉で飾ったくつ。『史記』春申君伝に「春申君のかく三千余人、其のじょうかくは皆な珠履をむ」(春申君客三千餘人、其上客皆躡珠履)とあるのに基づく。交を論ずとは、互いに議論を交わすこと。ウィキソース「江上贈竇長史」「史記/卷078」参照。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 金・心(下平声侵韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百六十(排印本、中華書局、1960年)
  • 『孟浩然詩集』巻中(宋蜀刻本唐人集叢刊、上海古籍出版社、1982年、略称:宋本)※詩題:送朱入秦
  • 『孟浩然集』巻四(『四部叢刊 初編集部』所収)
  • 『孟浩然集』巻四(『四部備要 集部』所収、中華書局)
  • 『孟浩然集』巻三(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『孟浩然詩集』(元文四年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、153頁、略称:元文刊本)
  • 『孟浩然詩集』巻中(元禄三年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、180頁、略称:元禄刊本)
  • 『唐詩解』巻二十二(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻三十九([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
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