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蜀道後期(張説)

蜀道後期
蜀(しょく)道(どう)にて期(き)に後(おく)る
張(ちょう)説(えつ)
  • ウィキソース「蜀道後期」参照。
  • この詩は、作者が使命を帯びて蜀へ出張し、秋には洛陽に帰る予定だったが、何らかの理由で予定の期日に遅れたときに詠んだもの。遅れた理由を、蜀道が険路のためとする注釈書も多いが、ここでは採らない。
  • 蜀道 … 蜀の桟道(さんどう)。都の長安から蜀(四川省)へ通じる険しい山道。盛唐の李白「蜀道難」に「噫吁嚱(ああ)、危ういかな高いかな、蜀道の難きは、青天に上るよりも難し」(噫吁嚱、危乎高哉、蜀道之難、難於上靑天)とある。ウィキソース「蜀道難 (李白)」参照。
  • 後期 … 予定の期日に遅れること。『史記』司馬穰(じょう)苴(しょ)伝に「夕(せき)時(じ)、荘(そう)賈(か)乃ち至る。穰苴曰く、何ぞ期に後るるを為す、と。……軍正を召して問いて曰く、軍法に期して後れて至る者は云何(いかん)、と。対えて曰く、斬(ざん)に当たる、と」(夕時、莊賈乃至。穰苴曰、何後期爲。……召軍正問曰、軍法期而後至者云何。對曰、當斬)とある。司馬穰苴は、春秋時代の斉の将軍。荘賈は、斉の景公に仕えて大夫となる。司馬穰苴の監軍(軍隊を監督する役)となるも、期日に遅れて穰苴に処刑された。軍正は、軍律の官。ウィキソース「史記/卷064」参照。
  • 張説 … 667~730。初唐の詩人。字(あざな)は道済(どうさい)、または説(えつ)之(し)。洛陽(河南省洛陽市)の人。永昌元年(689)、賢良方正科の科挙に主席で合格。太子校書郎から鳳閣舎人、同中書門下平章事(宰相職)、中書令(宰相職)などを歴任し、燕(えん)国公に封ぜられた。『張説之文集』二十五巻がある。ウィキペディア【張説】参照。
客心爭日月
客心(かくしん) 日月(じつげつ)と争(あらそ)い
  • 客心 … 旅人の心。旅先での心。西晋の陸機の楽府「悲(ひ)哉行(さいこう)」(『文選』巻二十八)に「遊客(ゆうかく)は春林を芳(かんば)しとするも、春(しゅん)芳(ぽう)は客心を傷ましむ」(遊客芳春林、春芳傷客心)とある。遊客は、旅人。ウィキソース「昭明文選/卷28」参照。また、劉宋の謝霊運の詩「魏の太子の鄴中集(ぎょうちゅうしゅう)の詩に擬す八首」(『文選』巻三十)の第二首「王粲」に「沮(しょ)漳(しょう)は自ずから美なる可きも、客心は外(がい)奨(しょう)に非ず」(沮漳自可美、客心非外奬)とある。沮漳は、沮水(しょすい)と漳(しょう)水(すい)。荊州(現在の湖北省一帯)を流れる川。外奨は、(その地に留(とど)まるようにと)外から奨(すす)めること。ウィキソース「擬魏太子鄴中集詩八首」参照。
  • 争日月 … 日月を太陽・月の運行の意とした場合、「日月と争う」と読み、日月を競争相手とし、「日月の流れと速さを競う。日月の速さに負けまいと先を急ぐ」と訳す。また、日月を時間(光陰)の意とした場合、「日月を争う」と読み、「時間を惜しんで先を急ぐ」と訳す。『史記』屈原伝に「此の志を推せば、日月と光を争うと雖も可なり」(推此志也、雖與日月爭光可也)とある。ウィキソース「史記/卷084」参照。
來往預期程
来往(らいおう) 預(あらかじ)め程(てい)を期(き)す
  • 来往 … 行ったり来たりすること。往復。南朝陳の徐伯陽(じょはくよう)の楽府「日は東南の隅(ぐう)に出づるの行(こう)」(『古詩紀』巻一百十六)に「妾(しょう)の婿(むこ)は府中の軽小の吏(り)、即今来往す専(せん)城(じょう)の裏(うち)」(妾壻府中輕小吏、即今來往專城裏)とある。軽小の吏とは、下級官吏。即今は、今では。専城は、城主。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷116」参照。
  • 預 … 「あらかじめ」と読む。あらかじめ。前もって。予に同じ。
  • 期程 … 旅程を定める。日程を決める。
秋風不相待
秋(しゅう)風(ふう) 相(あい)待(ま)たず
  • 秋風 … 秋風は西から吹いてくるもの。つまり、蜀の方から洛陽へ吹いていく。西風に同じ。『楚辞』九章・抽思に「秋風の容(よう)を動かすを悲しむ、何ぞ回(かい)極(きょく)の浮浮(ふふ)たる」(悲秋風之動容兮、何回極之浮浮)とある。容を動かすとは、草木の様子を変えること。回極は、回転する天の枢軸。浮浮は、慌ただしいさま。さすらい行くさま。ウィキソース「楚辭/九章」参照。また、同じく九歌・湘夫人に「嫋嫋(じょうじょう)たる秋風、洞庭波だちて木葉(もくよう)下(くだ)る」(嫋嫋兮秋風、洞庭波兮木葉下)とある。嫋嫋は、風がそよそよと吹くさま。ウィキソース「九歌」参照。また、同じく九懐・蓄英に「秋風蕭蕭(しょうしょう)たり、芳(ほう)を舒(の)べて条(えだ)を振るう」(秋風兮蕭蕭、舒芳兮振條)とある。ウィキソース「九懷」参照。また、古楽府「古歌」(『古詩紀』巻十七)に「秋風蕭蕭として人を愁(しゅう)殺(さい)す、出づるも亦た愁い入るも亦た愁う」(秋風蕭蕭愁殺人、出亦愁入亦愁)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷017」参照。
  • 不相待 … 私を待ってくれない。隋の楊素の詩「薛(せつ)播(は)州(しゅう)に贈る十四首」(『古詩紀』巻一百三十一)の第十三首に「物(ぶっ)華(か)相待たず、遅暮(ちぼ)余悲(よひ)有り」(物華不相待、遲暮有餘悲)とある。物華は、自然界の優れた景色。遅暮は、晩年。余悲は、尽きない悲しみ。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷131」参照。
  • 相 … ここでは「互いに」という意味ではなく、動作に対象があることを示す接頭語。「(対象に)~する」「(対象を)~する」と訳す。
先至洛陽城
先(ま)ず至(いた)る 洛陽(らくよう)城(じょう)
  • 先至 … 「先(さき)に至る」と読んでもよい。(秋風が)一足先に(洛陽の町へ)着いてしまった。後漢の傅毅(ふき)「舞の賦」(『文選』巻十七)に「馬(ば)材(ざい)同じからず、各〻相傾奪(けいだつ)す。……後(のち)に往(ゆ)きて先に至り、遂に逐末(ちくまつ)と為る」(馬材不同、各相傾奪。……後往先至、遂爲逐末)とある。馬材は、馬の能力。傾奪は、打ち勝とうと競うこと。逐末は、先頭に追いつくこと。末は、後ろから見て、先頭の意。ウィキソース「舞賦 (傅毅)」参照。
  • 洛陽城 … 洛陽の町。城は、町全体を囲む城壁。洛陽は、現在の河南省洛陽市。唐代の副都として栄えた。東都とも呼ばれた。また、洛陽は作者の故郷でもある。ウィキペディア【洛陽市】参照。『読史方輿紀要』河南、河南府に「洛陽の故城は、府の東北二十里に在り。周の顕王以後、都(みやこ)する所なり」(洛陽故城、在府東北二十里。周顯王以後所都也)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷四十八」参照(原文に異同あり)。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 程・城(下平声庚韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻八十九(排印本、中華書局、1960年)
  • 『張説之文集』巻八(『四部叢刊 初編集部』所収)
  • 『張説之集』巻八(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『文苑英華』巻二百九十(影印本、中華書局、1966年)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻十(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『唐詩解』巻二十一(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻三十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻十九([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 松浦友久編『校注 唐詩解釈辞典』(大修館書店、1987年)
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