和賈至舎人早朝大明宮之作(王維)
和賈至舍人早朝大明宮之作
賈至舎人の「早に大明宮に朝す」の作に和す
賈至舎人の「早に大明宮に朝す」の作に和す
- 七言律詩。籌・裘・旒・浮・頭(下平声尤韻)。
- ウィキソース「和賈舍人早朝大明宮之作」参照。
- この詩は、岑参の「和賈至舎人早朝大明宮之作」同様、賈至の「早朝大明宮呈両省僚友」の詩に唱和して作ったもの。
- 詩題 … 『全唐詩』『静嘉堂本』『蜀刊本』『四部叢刊本』『顧起経注本』『顧可久注本』『趙注本』では「和賈舍人早朝大明宮之作」に作る。『文苑英華』では「早朝大明宮」に作る。『瀛奎律髄』では「和賈至舍人早朝大明宮」に作る。
- 賈至 … 718~772。盛唐の詩人。洛陽(河南省)の人。字は幼幾、一説には幼隣ともいう。賈曾の子。開元二十三年(735)、李頎・李華・蕭穎士らとともに進士に及第し、さらに天宝十載(751)、明経の科に及第した。単父(山東省)の尉をはじめ、起居舎人・知制誥などを歴任。至徳二載(757)、長安に帰って中書舎人となった。のちに岳州(湖南省岳陽市)に流されたが、宝応元年(762)、召還されて中書舎人に復帰した。大暦五年(770)、京兆尹兼御史大夫に進み、右散騎常侍に至って卒した。ウィキペディア【賈至】参照。
- 早 … 早朝。
- 舎人 … 中書舎人。詔勅の作成などを掌った。
- 大明宮 … 長安の都の東の内裏。ウィキペディア【大明宮】参照。
- 朝 … 参内すること。
- 和 … (賈至の詩に)唱和すること。
- 王維 … 699?~761。盛唐の詩人、画家。太原(山西省)の人。字は摩詰。開元七年(719)、進士に及第。安禄山の乱で捕らえられたが事なきを得、乱後は粛宗に用いられて尚書右丞(書記官長)まで進んだので、王右丞とも呼ばれる。また、仏教に帰依したため、詩仏と称される。『王右丞文集』十巻がある。ウィキペディア【王維】参照。
絳幘雞人報曉籌
絳幘の雞人 暁籌を報じ
- 絳幘 … 宮門の守衛が着ける赤い頭巾。後漢の蔡邕『独断』巻下、冕冠の条に「幘とは、古えの卑賤、事を執りて冠せざる者の服する所なり」(幘者、古之卑賤、執事不冠者之所服也)とあり、『後漢書』輿服志下の劉昭の注に「董仲舒の止雨書に曰く、事を執る者は皆な赤幘す、と」(董仲舒止雨書曰、執事者皆赤幘)とある。事を執るは、ここでは祭事を執り行うこと。儀式の下働きをすること。ウィキソース「獨斷」「後漢書/卷120」参照。
- 雞人 … 周代の官名。夜明けを知らせて宮殿内の百官を起こす役。ここでは、その任に当たる衛士を古い官名で呼んだもの。『周礼』春官、雞人の条に「雞人は、雞牲を共え、其の物を弁ずることを掌る。大祭祀には、夜、旦を嘑びて以て百官に嘂ぶ」(雞人、掌共雞牲、辨其物。大祭祀、夜嘑旦以嘂百官)とある。ウィキソース「周禮/春官宗伯」参照。また『趙注本』に引く『漢官儀』に「夜漏未だ明けず、三刻、雞鳴けば、衛士朱雀門外に侯い、絳幘を著けて専ら雞唱を伝う」(夜漏未明、三刻、雞鳴、衞士侯於朱雀門外、著絳幘專傳雞唱)とある。夜漏は、夜の時。ウィキソース「王右丞集箋注 (四庫全書本)/卷10」参照。
- 暁籌 … 夜明けの時刻。籌は、漏刻(水時計)にさした目盛りのついている箭。隋末唐初の虞世南「凌晨の早朝」詩に「玉花 夜燭を停め、金壺 暁籌を送る」(玉花停夜燭、金壺送曉籌)とある。凌晨は、夜明け。ウィキソース「凌晨早朝」参照。
- 報 … 知らせる。『全唐詩』では「送」に作り、「一作報」と注する。『静嘉堂本』『蜀刊本』『四部叢刊本』『顧起経注本』『顧可久注本』『文苑英華』『瀛奎律髄』では「送」に作る。『趙注本』では「送」に作り、「唐詩鼓吹、唐詩品彙倶作報」と注する。
尙衣方進翠雲裘
尚衣方に進む 翠雲の裘
- 尚衣 … 官名。天子の衣冠を管理する職。『唐六典』殿中省に「尚衣奉禦は、天子の衣服を供し、其の制度を詳らかにし、其の名数を弁じて、其の進禦に供するを掌る」(尚衣奉禦、掌供天子衣服、詳其制度、辨其名數、而供其進禦)とある。ウィキソース「唐六典/卷11」参照。また『漢書』孝武衛皇后伝に「帝、更衣に起ち、子夫、尚衣の軒中に侍り、幸いを得たり」(帝起更衣、子夫侍尚衣軒中、得幸)とある。子夫は、衛皇后の字。ウィキソース「漢書/卷097上」参照。
- 方進 … 今まさに(天子に御衣を)お着せしようとしている。
- 翠雲裘 … 翠色の糸で雲の模様を縫い取りした衣服。裘は、皮ごろも。戦国時代、楚の宋玉「諷の賦」(『全上古三代文』巻十)に「主人の女、承日の華を翳し、翠雲の裘を披る」(主人之女、翳承日之華、披翠雲之裘)とある。ウィキソース「諷賦」「全上古三代文/卷十」参照。
九天閶闔開宮殿
九天の閶闔 宮殿を開き
- 九天 … 九重の天。転じて宮中のこと。ここでは、大明宮を指す。『呂氏春秋』八覧、有始覧、有始篇に「何をか九野と謂う。中央を鈞天と曰う、……東方を蒼天と曰う、……東北を変天と曰う、……北方を玄天と曰う、……西北を幽天と曰う、……西方を顥天と曰う、……西南を朱天と曰う、……南方を炎天と曰う、……東南を陽天と曰う」(何謂九野。中央曰鈞天、……東方曰蒼天、……東北曰變天、……北方曰玄天、……西北曰幽天、……西方曰顥天、……西南曰朱天、……南方曰炎天、……東南曰陽天)とある。ウィキソース「呂氏春秋/卷十三」参照。
- 天 … 『全唐詩』『顧起経注本』には「一作重」と注する。『趙注本』には「文苑英華作重」と注する。『文苑英華』では「重」に作り、「集作天」と注する。
- 閶闔 … 天門。天上界の門。天帝の住まいである紫微宮の門。ここでは、大明宮の正門である丹鳳門を指す。『楚辞』離騒に「吾、帝閽をして関を開かしめんとすれば、閶闔に倚りて予を望む」(吾令帝閽開關兮、倚閶闔而望予)とある。帝閽は、天帝の門番。ウィキソース「楚辭/離騷」参照。また『淮南子』原道訓に「扶揺に抮し、羊角を抱いて上り、山川を経紀し、崑崙を蹈騰し、閶闔を排き、天門に淪る」(抮扶搖、抱羊角而上、經紀山川、蹈騰崑崙、排閶闔、淪天門)とある。ウィキソース「淮南子/原道訓」参照。また『三輔黄図』に「(建章)宮の正門を閶闔と曰う」(宮之正門曰閶闔)とある。ウィキソース「三輔黃圖/卷之二」参照。また前漢の司馬相如「大人の賦」(『史記』司馬相如伝)に「閶闔を排して帝宮に入り、玉女を載せて之と与に帰る」(排閶闔而入帝宮兮、載玉女而與之歸)とある。ウィキソース「大人賦」「史記/卷117」参照。
- 開宮殿 … (大明宮の正門である丹鳳門に続いて、すべての)宮殿が開かれる。
萬國衣冠拜冕旒
万国の衣冠 冕旒を拝す
日色纔臨仙掌動
日色 纔かに仙掌に臨んで動き
- 日色 … 朝日の光。北斉の邢邵の詩「冬日傷志篇」に「天高く日色浅し、林勁く鳥声哀し」(天高日色淺、林勁鳥聲哀)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷120」参照。
- 色 … 『瀛奎律髄』では「影」に作る。
- 纔 … やっとのことで。はじめて。
- 仙掌 … 漢の武帝が宮殿の庭に立てた承露盤(天から降る露を受ける盤)。この承露盤で天界の露を集め、玉の粉末と合わせて飲めば不老長生の効能があると信じられていた。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「仙掌を抗げて以て露を承け、双立せる金茎を擢く」(抗仙掌以承露、擢雙立之金莖)とある。金茎は、承露盤を支える銅製の柱。ウィキソース「西都賦」参照。また『漢書』郊祀志に「其の後又た柏梁・銅柱・承露・仙人掌の属を作る」(其後又作柏梁、銅柱、承露、仙人掌之屬矣)とある。ウィキソース「漢書/卷025上」参照。その顔師古の注に「三輔故事に云く、建章宮の承露盤は、高さ二十丈、大いさ七囲、銅を以て之を為る。上に仙人掌有りて露を承け、玉屑に和して之を飲む」(三輔故事云、建章宮承露盤、高二十丈、大七圍、以銅爲之。上有仙人掌承露、和玉屑飮之)とある。玉屑は、玉を砕いた粉末。『漢書評林』巻二十五上(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 仙 … 『唐詩解』では「僊」に作る。同義。
- 動 … (朝日の光が)揺れ動く。
香煙欲傍袞龍浮
香煙 袞竜に傍いて浮ばんと欲す
- 香煙 … 殿中にたかれた香の煙。南朝梁の皇太子簡文(蕭綱)「戯れに作る謝恵連体十三韻」詩(『玉臺新詠』巻七)に「香烟 窓裏を出で、落日 階上に斜めなり」(香烟出窗裏、落日斜階上)とある。ウィキソース「戲作謝惠連體十三韻」参照。
- 煙 … 底本および『唐詩品彙』『古今詩刪』では「烟」に作るが、諸本に従った。異体字(現代中国では簡体字)。
- 袞竜 … 体をうねらせた竜を刺繍した天子の礼服。『礼記』礼器篇に「礼に文を以て貴しと為す者有り。天子は竜袞、諸侯は黼、大夫は黻、士は玄衣纁裳」(禮有以文爲貴者。天子龍袞、諸侯黼、大夫黻、士玄衣纁裳)とある。黼は、斧紋。黻は、弓紋。玄衣纁裳は、黒衣に薄赤の裳で無紋。ウィキソース「禮記/禮器」参照。
- 欲傍~浮 … (香の煙が)~に添って立ちのぼる。
朝罷須裁五色詔
朝罷んで須らく裁すべし 五色の詔
- 朝罷 … 天子の前での朝礼の儀が終了して。罷は、終わる。『史記』袁盎伝に「絳侯、丞相たり。朝罷み趨り出づるに、意得ること甚だし」(絳侯爲丞相。朝罷趨出、意得甚)とある。絳侯は、前漢の将軍・宰相、周勃。ウィキソース「史記/卷101」参照。
- 須 … 「すべからく~べし」と読み、「ぜひ~する必要がある」「~するべきだ」と訳す。再読文字。
- 裁 … ここでは、詔書を起草すること。
- 五色詔 … 詔勅。五色の模様のある紙に書かれるため。『太平御覧』に引く『鄴中記』に「石季竜、皇后と与に観の上に在り、詔して五色の紙に書を為し、鳳の口中に著く。鳳既に詔を銜うれば、侍人数百丈の緋縄を放ち、轆轤回転し、鳳皇飛び下る」(石季龍與皇后在觀上、爲詔書五色紙、著鳳口中。鳳既銜詔、侍人放數百丈緋繩、轆轤回轉、鳳皇飛下)とある。ウィキソース「太平御覽/0915」参照。また『晋書』載記、石季竜の条に「観の上に詔書の五色の紙を安き、木鳳の口に在り、鹿盧回転すれば、状飛翔の若し」(觀上安詔書五色紙、在木鳳之口、鹿盧回轉、狀若飛翔焉)とある。ウィキソース「晉書/卷106」参照。
珮聲歸到鳳池頭
珮声帰り到る 鳳池の頭
- 珮声 … 腰におびた佩玉の音(を響かせながら)。『全唐詩』では「佩聲」に作る。「佩」と「珮」とは同義。潘岳「西征の賦」(『文選』巻十)に「珮声の遺響を想えば、鏗鏘の耳に在るが若し」(想珮聲之遺響、若鏗鏘之在耳)とある。遺響は、余韻。鏗鏘は、金属や石などが鳴り響く様子。ウィキソース「西征賦」参照。
- 帰到 … (君が)帰って来る。
- 到 … 『全唐詩』では「向」に作り、「一作到」と注する。『静嘉堂本』『蜀刊本』『四部叢刊本』『顧起経注本』『顧可久注本』では「向」に作る。『趙注本』では「向」に作り、「凌本、瀛奎律髄、唐詩品彙倶作到」と注する。『文苑英華』では「向」に作り、「集作到」と注する。
- 鳳池 … 鳳凰池の略称。鳳池のそばに中書省があったことから、中書省を指す。『晋書』荀勗伝に「勗を以て守尚書令とす。勗久しく中書に在りて、専ら機事を管す。之を失うに及び、甚だ罔罔悵恨たり。或いは之を賀する者有り、勗曰く、我が鳳皇池を奪う、諸君我を賀せんや、と」(以勖守尙書令。勖久在中書、專管機事。及失之、甚罔罔悵恨。或有賀之者、勖曰、奪我鳳皇池、諸君賀我邪)とある。ウィキソース「晉書/卷039」参照。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻五(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻一百二十八(中華書局、1960年)
- 『唐詩三百首注疏』巻五・七言律詩(廣文書局、1980年)
- 『王右丞文集』巻二(静嘉堂文庫蔵、略称:静嘉堂本)
- 『王摩詰文集』巻四(書韻楼叢刊、上海古籍出版社、2003年、略称:蜀刊本)
- 『須渓先生校本唐王右丞集』巻二(『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:四部叢刊本)
- 顧起経注『類箋唐王右丞詩集』巻八(台湾学生書局、1970年、略称:顧起経注本)
- 顧可久注『唐王右丞詩集』巻二(『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、略称:顧可久注本)
- 趙殿成注『王右丞集箋注』巻十(中国古典文学叢書、上海古籍出版社、1998年、略称:趙注本)
- 『唐詩品彙』巻八十三([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩別裁集』巻十三(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『古今詩刪』巻十六(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収)
- 『文苑英華』巻一百九十(影印本、中華書局、1966年)
- 『唐詩解』巻四十二(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『瀛奎律髄彙評』巻二([元]方回選評、李慶甲集評校点、上海古籍出版社、1986年)
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