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酬郭給事(王維)

酬郭給事
かくきゅうむく
おう
  • 七言律詩。暉・飛・稀・闈・衣(上平声微韻)。
  • ウィキソース「酬郭給事」参照。
  • 郭 … 郭納。潁川(現在の河南省中部)の人。給事中から陳留の採訪処置使となる。天宝十四載(755)、安禄山の乱で捕われた。粛宗の至徳二載(757)、長安が回復し、自尽を賜った。『元和姓纂』巻十に「納は、給事中、陳留の採訪使なり」(納、給事中、陳留採訪使)とある。陳留は、陳留郡。現在の河南省開封市一帯。採訪使は、官名。採訪処置使。各道に置かれ、地方の役人の善・悪を探り、朝廷に報告する任務であった。ウィキソース「元和姓纂 (四庫全書本)/卷10」参照。また『新唐書』玄宗紀に「(天宝十四載)十二月丁亥、安禄山は霊昌郡をおとしいる。辛卯、陳留郡を陥れ、太守の郭納をとらう」(十二月丁亥、安祿山陷靈昌郡。辛卯、陷陳留郡、執太守郭納)とある。ウィキソース「新唐書/卷005」参照。
  • 給事 … 官名。給事中。門下省に属し、詔勅を検討する役。ウィキペディア【給事中】参照。『漢書』百官公卿表、奉軍都尉の条に「給事中も亦た加官なり。加うる所は或いは大夫・博士・議郎、顧問応対を掌り、位は中常侍に次ぐ」(給事中亦加官。所加或大夫博士議郎、掌顧問應對、位次中常侍)とある。ウィキソース「漢書/卷019」参照。
  • 酬 … お返しをする。ここでは郭納が詩を作って作者に贈ったのに対し、作者が答えたもの。『静嘉堂本』『四部叢刊本』『顧可久注本』『唐詩品彙』『唐詩解』『唐詩別裁集』では「詶」に作る。同義。
  • 王維 … 699?~761。盛唐の詩人、画家。太原(山西省)の人。あざなきつ。開元七年(719)、進士に及第。安禄山の乱で捕らえられたが事なきを得、乱後は粛宗に用いられてしょうじょゆうじょう(書記官長)まで進んだので、王右丞とも呼ばれる。また、仏教に帰依したため、詩仏と称される。『王右丞文集』十巻がある。ウィキペディア【王維】参照。
洞門高閣靄餘暉
洞門どうもん高閣こうかく 余暉よきあいたり
  • 洞門 … ここでは「ほら穴の入り口」という意味ではなく、「幾重にも重なって奥深く見える門」という意。『漢書』董賢伝に「将作大匠に詔して賢の為に大第を北闕の下に起さしむ。重殿洞門、木土の功、技巧を窮極す。柱檻にするに綈錦ていきんを以てす」(詔將作大匠爲賢起大第北闕下。重殿洞門、木土之功、窮極技巧。柱檻衣以綈錦)とあり、その顔師古の注に「洞門は門門相当たるを謂うなり」(洞門謂門門相當也)ある。ウィキソース「漢書/卷093」、『漢書評林』巻九十三(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 高閣 … 屋根を高くかまえた建物。高殿たかどの。高楼。南朝斉の謝朓「郡に在りて病に臥ししん尚書に呈す」詩(『文選』巻二十六)に「高閣は常に昼もとざされ、荒堦こうかいにはそうまれなり」(高閣常晝掩、荒堦少諍辭)とある。荒堦は、雑草の茂っている階段。諍辞は、訴えごと。ウィキソース「昭明文選/卷26」参照。
  • 余暉 … 落日の残照。夕映え。余輝とも。魏の王粲「従軍の詩五首」(其三、『文選』巻二十七)に「白日西山に半ばし、そう余暉有り」(白日半西山、桑梓有餘暉)とある。白日は、陽光。桑梓は、桑とあずさ。ウィキソース「昭明文選/卷27」参照。
  • 靄 … もやにかすんで見えること。
桃李陰陰柳絮飛
とう陰陰いんいんとしてりゅうじょ
  • 桃李 … 桃とすもも。『詩経』召南・何彼襛矣の詩に「何ぞ彼のさかんなる、華は桃李の如し」(何彼襛矣、華如桃李)とある。ウィキソース「詩經/何彼襛矣」参照。また『史記』李広伝の論賛に「ことわざに曰く、とうものいわざれども、したおのずからこみちす、と」(諺曰、桃李不言、下自成蹊)とある。ウィキソース「史記/卷109」参照。
  • 陰陰 … 葉が生い茂って光を通さないさま。劉宋の鮑照「都に還る道中三首」詩(其二)に「隠隠たり 日の没するくき、瑟瑟たり 風の発する谷」(隱隱日沒岫、瑟瑟風發谷)とある。ウィキソース「鮑明遠集」参照。
  • 柳絮 … 柳の白い綿毛のついた種子。晩春から初夏の頃、綿のように乱れ飛ぶ。『神農本草経』下経、木部下品の条に「柳華は、……一に柳絮と名づく」(柳華、……一名柳絮)とある。ウィキソース「神農本草經」参照。また南朝梁の庾肩吾「春日」詩に「桃くれないにして柳絮白く、日に照り 復た風に随う」(桃紅柳絮白、照日復隨風)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷090」参照。
禁裏疏鐘官舍晩
きんしょう 官舎かんしゃ
  • 禁裏 … だい。裏は、中の意。禁中に同じ。後漢の蔡邕さいよう『独断』巻上に「在る所は行在所あんざいしょと曰い、居る所は禁中と曰い、後に省中と曰う」(所在曰行在所、所居曰禁中、後曰省中)とある。ウィキソース「獨斷」参照。
  • 裏 … 『顧可久注本』『唐詩解』では「裡」に作る。異体字。
  • 疏鐘 … 途切れ途切れに聞こえてくる鐘の音。李白「夕霽せきせい、杜陵の楼に登りように寄す」詩に「君を思いて永夜に達し、長楽に疏鐘を聞く」(思君達永夜、長樂聞疏鐘)とある。ウィキソース「夕霽杜陵登樓寄韋繇」参照。
  • 疏 … 「疎」に作るテキストもある。同義。
  • 官舎 … 庁舎。『史記』ちん伝に「かつて告帰し趙を過ぐ。趙のしょう周昌しゅうしょう賓客ひんかくの之に随う者千余乗にして、邯鄲の官舎皆満つるを見る」(豨常告歸過趙。趙相周昌、見豨賓客隨之者千餘乘、邯鄲官舍皆滿)とある。ウィキソース「史記/卷093」参照。また『後漢書』王良伝に「位に在りて恭倹、妻子は官舎に入らず、布被ふひ瓦器がきのみ」(在位恭儉、妻子不入官舍、布被瓦器)とある。ウィキソース「後漢書/卷27」参照。
  • 官 … 『趙注本』には「凌本作客」と注する。凌本とは、明末の凌濛初が刊行した朱墨套印本『王摩詰詩集』のこと。『王摩詰詩集』巻四(ウィキメディア・コモンズ)参照。
  • 晩 … 暮れてゆく。『趙注本』には「唐詩正音作曉」と注する。『唐詩正音輯註』巻四(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。『古今詩刪』では「𣆶」に作る。異体字。
省中啼鳥吏人稀
省中しょうちゅうていちょう じんまれなり
  • 省中 … 宮中のこと。もとは禁中といったが、漢の孝元皇后の父の名が「禁」だったため、その字を避けて「省中」というようになったという。『漢書』昭帝紀に「帝のあね鄂邑がくゆう公主に湯沐とうもくゆうして、長公主と為す。省中にきょうようす」(帝姊鄂邑公主益湯沐邑、爲長公主。共養省中)とあり、その伏儼の注に「蔡邕さいよう云う、と禁中と為すは、門閤もんこうに禁有りて、侍御の臣に非ざればみだりに入るを得ざればなり。行道のひょうの中も亦た禁中と為す。孝元皇后の父の名は禁なれば、之を避け、故に省中と曰う、と」(蔡邕云、本爲禁中、門閤有禁、非侍御之臣不得妄入。行道豹尾中亦爲禁中。孝元皇后父名禁、避之、故曰省中)ある。湯沐邑は、天子から王女にも与えられた特別の領地のこと。共養は、日常の世話をし、養育すること。ウィキソース「漢書/卷007」、『漢書評林』巻七(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 啼鳥 … 鳥の鳴く声。陳の後主「烏棲曲三首」(其一、『楽府詩集』巻四十八)に「陌頭はくとうしん歴乱れきらんとしてしょうじ、ようの春鳥 春情を送る」(陌頭新花歷亂生、葉裏春鳥送春情)とある。陌頭は、あぜ道のそば。道ばた。ウィキソース「樂府詩集/048卷」参照。
  • 吏人 … 下っぱの役人。下級役人。「官」は、科挙に合格して天子から任命されるのに対して、「吏」は、試験はなく、官庁の長から任命される。『後漢書』梁統伝に「後に出でて九江太守と為り、定めて陵郷りょうきょうこうほうぜらる。統、郡に在りて亦た治跡有り、吏人は之を畏れ愛す」(後出爲九江太守、定封陵鄉侯。統在郡亦有治跡、吏人畏愛之)とある。ウィキソース「後漢書/卷34」参照。
  • 稀 … (役人たちの姿が)まばらである。
晨搖玉佩趨金殿
あしたぎょくはいゆるがして金殿きんでんおもむ
  • 晨 … 早朝。『趙注本』には「一作朝」と注する。『史記』淮陰侯列伝に「あしたかしぎてはしとねしょくす」(晨炊蓐食)とある。蓐は、寝床。ウィキソース「史記/淮陰侯列傳」参照。
  • 玉佩 … ぎょくを組み糸で貫いて作った飾り。役人が礼服に用いて腰に帯び、歩くと音を立てた。おびだま。『詩経』秦風・渭陽の詩に「何を以て之に贈らん、瓊瑰けいかいの玉佩」(何以贈之、瓊瑰玉佩)とある。瓊瑰は、美しい宝玉や石などのこと。ウィキソース「詩經/渭陽」参照。
  • 揺 … 揺らしながら。
  • 金殿 … 天子の宮殿。古楽府「古歌」に「金殿に上り、ぎょくそんく」(上金殿、著玉樽)とある。玉樽は、珠玉で作った酒器。また、立派な酒器の美称。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷017」参照。
  • 趨 … 向かって行く。『静嘉堂本』『蜀刊本』『四部叢刊本』では「趍」に作る。同義。
夕奉天書拜瑣闈
ゆうべに天書てんしょほうじて瑣闈さいはい
  • 夕 … 夕方。
  • 天書 … 天子の詔書。李白「口号、徴君鴻に贈る」詩に「うん 丹壑たんがくに留まり、天書 でいくだす」(雲臥留丹壑、天書降紫泥)とある。雲臥は、雲の中に寝る。俗世を逃れて山中などで静かに暮らすこと。丹壑は、赤い色をした谷。紫泥は、紫色の印肉。書簡に封をするのに用いた。ウィキソース「口號贈徵君鴻」参照。
  • 天 … 『趙注本』には「凌本作丹」と注する。
  • 奉 … 捧げ持つこと。『趙注本』には「一作棒」と注する。
  • 拝瑣闈 … 青瑣門に向かって拝礼をされる。瑣闈は、門の扉に鎖の模様を彫刻し、青く塗った小門。青瑣門とも呼ばれた。闈は、宮中の門。『爾雅』釈宮篇に「宮中の門、之を闈と謂う」(宮中之門謂之闈)とある。ウィキソース「爾雅」参照。漢代、給事中の前身である給事黄門侍郎は、日暮れに青瑣門に向かって拝礼する習わしであったという。後漢の衛宏撰『漢官旧儀』に「黄門郎は、黄門令に属す。にち入りてせいもんに対し拝す。名づけて夕郎と曰う」(黄門郎、屬黄門令。日暮入對青鏁門拜。名曰夕郎)とある。ウィキソース「漢官舊儀 (四庫全書本)/卷上」参照。
  • 瑣 … 『文苑英華』では「璅」に作る。同義。
強欲從君無那老
いてきみしたがわんとほっするもいをいかんともする
  • 強欲従君 … 何とか君の勤務ぶりについてゆきたいと思うが。
  • 老 … この年では。
  • 無那 … 「いかんともするなし」と読む。どうしようもない。
  • 那 … 『顧起経注本』では「郍」に作る。『趙注本』『文苑英華』には「一作奈」と注する。
將因臥病解朝衣
まさびょうってちょうかんとす
  • 将 … 「まさに~(んと)す」と読み、「~しようとする」と訳す。再読文字。
  • 臥病 … 病気になって寝床につく。盛唐の孟浩然「晩春病に臥し、張八に寄す」詩に「南陌なんぱく 春まされんとし、北窓 猶ほ病に臥す」(南陌春將晚、北窗猶臥病)とある。南陌は、南へ通じる道路。ウィキソース「晚春臥病寄張八」参照。
  • 解朝衣 … 朝衣は、朝廷に出仕するときに着る官服。それを解くとは、辞職を意味する。西晋の張協「史を詠ぜし詩」(『文選』巻二十一)に「しんき朝衣を解き、髪を散じて海隅かいぐうに帰る」(抽簪解朝衣、散髮歸海隅)とある。抽簪は、かんざしをぬく。官を辞めること。散髪は、冠をぬいで髪を振り乱す。役人をやめて隠居すること。海隅は、海の片ほとりにある故郷。ウィキソース「詠史詩 (張協)」参照。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻五(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百二十八(中華書局、1960年)
  • 『王右丞文集』巻二(静嘉堂文庫蔵、略称:静嘉堂本)
  • 『王摩詰文集』巻四(書韻楼叢刊、上海古籍出版社、2003年、略称:蜀刊本)
  • 『須渓先生校本唐王右丞集』巻二(『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:四部叢刊本)
  • 顧起経注『類箋唐王右丞詩集』巻八(台湾学生書局、1970年、略称:顧起経注本)
  • 顧可久注『唐王右丞詩集』巻二(『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、略称:顧可久注本)
  • 趙殿成注『王右丞集箋注』巻十(中国古典文学叢書、上海古籍出版社、1998年、略称:趙注本)
  • 『唐詩品彙』巻八十三([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩解』巻四十二(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩別裁集』巻十三(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『文苑英華』巻二百四十二(影印本、中華書局、1966年)
  • 陳鐵民校注『王維集校注(修訂本)』巻四(中国古典文学基本叢書、中華書局、2018年)
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