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和太常韋主簿五郎温泉寓目(王維)

和太常韋主簿五郎温泉寓目
たいじょうしゅ簿ろうの「温泉おんせん寓目ぐうもく」に
おう
  • 七言律詩。開・來・囘・才(上平声灰韻)。
  • ウィキソース「和太常韋主簿五郎溫湯寓目之作」参照。
  • 詩題 … 『全唐詩』では「和太常韋主簿五郎温湯寓目之作」に作る。
  • 太常 … 官署の名。礼楽や祭事を掌った。ウィキペディア【太常】参照。『後漢書』百官志に「太常、卿一人、中二千石。本注に曰く、礼儀・祭祀を掌る。祭祀ごとに、先に其の礼儀を奏す。事を行うに及び、常に天子をたすく、と」(太常、卿一人、中二千石。本注曰、掌禮儀祭祀。每祭祀、先奏其禮儀。及行事、常贊天子)とある。ウィキソース「後漢書/卷115」参照。
  • 韋 … 人物については不明。
  • 主簿 … 官名。文書・帳簿を管理する事務官。
  • 五郎 … 五は、排行(一族の中の同世代の人々の年齢の順)が五番目。郎は、多少敬意をこめた呼び方。
  • 温泉 … 温泉宮。陝西省臨潼りんどう区の南、ざんの中腹にあった離宮。玄宗と楊貴妃が遊んだ所として有名。貞観十八年(644)、唐の太宗によって「湯泉宮」が造営され、高宗の咸亨かんこう二年(671)、「温泉宮」に改称された。天宝六載(747)、玄宗によって「華清宮」と改称された。『長安志』巻十五に「貞観十八年、左屯衛大将軍姜行本に詔して、将に少匠閻立徳をして宮殿を営建することを作さしめんとす。御賜して湯泉宮と名づく。太宗幸するに因って碑を製す。咸亨二年温泉宮と名づく」(貞觀十八年、詔左屯衞大將軍姜行本、將作少匠閻立德營建宮殿。御賜名湯泉宮。太宗因幸製碑。咸亨二年名溫泉宮)とある。ウィキソース「長安志 (四庫全書本)/卷15」参照。また『元和郡県図志』関内道、京兆府、昭応県の条に「華清宮は、驪山の上に在り。開元十一年、初めに温泉宮を置く。天宝六年(載)改めて華清宮と為す」(華淸宮、在驪山上。開元十一年、初置溫泉宮。天寶六年改爲華淸宮)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷01」参照。また『楊太真外伝』巻下(『説郛』巻一百十一)に「しょうは毎年冬十月、華清宮にみゆきし、常に冬を経てきゅうけつに還る。去くには即ち妃とれんを同じくす。華清宮に端正楼有り、即ち貴妃せんの所なり。蓮花湯有り、即ち貴妃澡沐そうもくの室なり」(上每年冬十月、幸華淸宮、常經冬還宮闕。去即與妃同輦。華淸宮有端正樓、即貴妃梳洗之所。有蓮花湯、即貴妃澡沐之室)とある。ウィキソース「楊太真外傳」参照。ウィキペディア【華清宮】参照。
  • 寓目 … 注意して見ること。ここでは、目にふれた風景を詠じるという意。東晋の王羲之「蘭亭集の詩」(『古詩紀』巻四十三)に「りょうげきとして涯観がいかん無く、目をすれば自ずからぶ」(寥閴無涯觀、寓目理自陳)とある。寥闃は、寂しく静かなさま。涯観は、眺めの尽きること。ウィキソース「蘭亭詩二首其二(王羲之)」参照。
  • 王維 … 699?~761。盛唐の詩人、画家。太原(山西省)の人。あざなきつ。開元七年(719)、進士に及第。安禄山の乱で捕らえられたが事なきを得、乱後は粛宗に用いられてしょうじょゆうじょう(書記官長)まで進んだので、王右丞とも呼ばれる。また、仏教に帰依したため、詩仏と称される。『王右丞文集』十巻がある。ウィキペディア【王維】参照。
漢主離宮接露臺
漢主かんしゅきゅう だいせっ
  • 漢主 … 漢朝の君主。ここでは、玄宗を指すが、漢朝の天子になぞらえたもの。南朝斉の王融「永明十一年、秀才に策する文」(五首其四、『文選』巻三十六)に「むかし宋臣礼楽を以て残賊と為し、漢主文章を鄭衛に比す」(昔宋臣以禮樂爲殘賊、漢主比文章於鄭衞)とある。宋臣は、宋の臣墨翟ぼくてき(墨子)。残賊は、道義に外れること。漢主は、ここでは前漢の宣帝を指す。鄭衛は、鄭・衛の国々の淫猥な音楽。ウィキソース「永明十一年策秀才文」参照。
  • 離宮 … 王宮以外の地に設けられた宮殿。天子の別邸。ここでは、ざんの中腹にあった温泉宮(のちの華清宮)を指す。
  • 露台 … 漢の文帝がざんの頂上に建てようとした台。莫大な費用がかかるため実際には取り止めとなったが、ここでは建てられたものとして歌っている。『漢書』文帝紀に「嘗て露台を作らんと欲し、匠を召して之を計らしめ、百金にあたいす。上曰く、百金は、中人十家の産なり。吾れ先帝の宮室を奉じて、常に之にづかしめんことを恐る。何ぞ台を以てせん、と」(嘗欲作露臺、召匠計之、直百金。上曰、百金、中人十家之產也。吾奉先帝宮室、常恐羞之。何以臺爲)とあり、顔師古の注に「今の新豊県の南、驪山のいただきに露台郷有り、極めて高顕たり。猶お文帝が台を作らんと欲せし所の処有り」(今新豐縣南驪山之頂有露臺鄉、極為高顯。猶有文帝所欲作臺之處)とある。『漢書評林』巻四(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 接 … (天子の離宮が露台にまで)続いている。離宮がそれほど広大であるということ。
秦川一半夕陽開
秦川しんせん一半いっぱん 夕陽せきようひら
  • 秦川 … 長安一帯の平野を指す言葉。『蜀志』諸葛亮伝に「将軍はみずから益州の衆を率い、秦川を出づ」(將軍身率益州之眾、出於秦川)とある。ウィキソース「三國志/卷35」参照。また劉宋の謝霊運「魏の太子の鄴中集ぎょうちゅうしゅうの詩に擬す」(八首其二・王粲、『文選』巻三十)に「家はもと秦川にして、貴公の子孫なり」(家本秦川、貴公子孫)とある。ウィキソース「擬魏太子鄴中集詩八首」参照。
  • 一半 … 半分。「綿州の巴歌はか」に「一半は羅江に属し、一半は玄武に属す」(一半屬羅江、一半屬玄武)とある。ウィキソース「绵州巴歌」参照。
  • 夕陽開 … 夕日に照らされている。白居易「歌を聴く 六絶句 そうれん」詩に「つねに愛す 夫憐 第二の句、請う 君 重ねて唱えよ夕陽の開くを」(長愛夫憐第二句、請君重唱夕陽開)とある。ウィキソース「聽歌六絕句:想夫憐」参照。
青山盡是朱旗繞
青山せいざんことごとしゅめぐ
  • 青山 … 緑なす山。ざんの山腹を指す。魏の阮籍「詠懐詩」(八十二首其十三、『文選』巻二十三では十七首其六)に「高きに登りて四野に臨み、北のかた青山のくまを望む」(登高臨四野、北望靑山阿)とある。四野は、四方の野原。ウィキソース「詠懷詩十七首」参照。
  • 朱旗 … 天子の御旗。漢代は赤色を尊んだので、旗の色は朱を用いた。『漢書』叙伝下に「しん符を告ぐ、朱旗乃ち挙ぐ」(神母告符、朱旗乃舉)とある。ウィキソース「漢書/卷100下」参照。また魏の曹植「を責むる詩」(『文選』巻二十)に「朱旗の払う所、きゅうじょうす」(朱旗所拂、九土披攘)とある。九土は、古代中国で、全国を分けて九つの州にしたもの。九州。披攘は、ひらはらうこと。ウィキソース「責躬詩」参照。また後漢の張衡「東京とうけいの賦」(『文選』巻三)に「朱旗をつえつきて大号たいごうを建つ」(杖朱旗而建大號)とある。ウィキソース「東京賦」参照。
  • 繞 … (朱旗が)とりまく。
碧澗翻從玉殿來
碧澗へきかんかえってぎょく殿でんきた
  • 碧澗 … 青々とした水をたたえた谷川。南朝梁の簡文帝の楽府「そう何ぞ纂纂さんさんたる」(『楽府詩集』巻七十四・雑曲歌辞)に「垂花 碧澗に臨み、結翠 丹巘たんけんに依る」(垂花臨碧澗、結翠依丹巘)とある。棗下は、なつめの樹の下。纂纂は、集まるさま。丹巘は、赤く見える山の峰。ウィキソース「樂府詩集/074卷」参照。
  • 翻 … 逆に。ここでは、谷川が山上からではなく、宮殿の下から流れてくることを指す。
  • 玉殿 … 美しい宮殿。南朝梁の簡文帝の楽府「有所思」(『楽府詩集』巻七十四・鼓吹曲辞)に「寂寞として錦筵 静かに、玲瓏として玉殿 虚し」(寂寞錦筵靜、玲瓏玉殿虚)とある。ウィキソース「樂府詩集/017卷」参照。
新豐樹裏行人度
新豊しんぽうじゅ 行人こうじんわた
  • 新豊 … 町の名。ざんの北、現在の陝西省西安市臨潼りんどう区の東北にあった。漢の高祖(劉邦)が都を長安に定めたとき、父の太公が郷里のほうを恋しがったため、郷里からすべてを移して作った町。『大明一統志』陜西布政司、西安府上、古蹟の条に「新豊城は臨潼県の東一十五里に在り。漢の高帝、太上皇の故豊里を思うに因って、乃ち此の県を置き豊人をうつし、之を実たすが故に新豊と曰う。并せてふんの旧杜を移し、がいとう一に豊里の旧制の如し。鶏犬混ぜて放すと雖も、亦た其の家を知る」(新豐城在臨潼縣東一十五里。漢髙帝因太上皇思故豐里、乃置此縣徙豐人實之故曰新豐。幷移枌楡舊杜、街衢棟宇一如豐里舊制。雖鷄犬混放、亦知其家焉)とある。ウィキソース「明一統志 (四庫全書本)/卷32」参照。また『西京雑記』巻二に「高帝既に新豊を作るや、并びに旧社を移す。こう・棟宇、物色旧にかなえり」(高帝既作新豐、幷移舊社、衢巷棟宇、物色惟舊)とある。ウィキソース「西京雜記/卷二」参照。
  • 樹裏 … 樹々の間。
  • 行人 … 旅人。『詩経』斉風・載駆の詩に「汶水ぶんすい湯湯しょうしょうたり、行人彭彭ほうほうたり」(汶水湯湯、行人彭彭)とある。汶水は、山東省泰山の東北を流れる川の名。斉と魯の国境付近にあり、汶河ともいう。湯湯は、水が盛んに流れるさま。彭彭は、道行く人の多いこと。ウィキソース「詩經/載驅」参照。また前漢の李陵「蘇武に与うる詩三首」(其二、『文選』巻二十九)に「行人往路をおもう、何を以てか我が愁いをなぐさめん」(行人懷往路、何以慰我愁)とある。ウィキソース「與蘇武 (嘉會難再遇)」参照。
小苑城邊獵騎囘
しょうえんじょうへん りょうかえ
  • 小苑 … 天子の御苑の名。位置は不明。
  • 猟騎 … 騎馬で狩りをする人。
聞道甘泉能獻賦
きくらく 甘泉かんせんけんずと
  • 聞道 … 「きくならく」と読み、「聞くところによれば」「人の話によると」と訳す。「聞説」とも書く。
  • 甘泉 … 漢のようゆうが天子に献上した「甘泉の賦」を指す。ここでは韋主簿を揚雄になぞらえている。ウィキペディア【揚雄】参照。
懸知獨有子雲才
はるかにる ひとうんさいることを
  • 懸 … 遠く隔てていること。
  • 子雲 … 揚雄のあざな
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