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寒食汜上作(王維)

寒食汜上作
かんしょくじょうさく
おう
  • 七言絶句。春・巾・人(上平声真韻)。
  • この詩は、済州(現在の山東省西部)の司倉参軍に左遷されていた頃の作であるという。喜多尾城南『王維詩評釈』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。したがって開元八年(720)~開元十四年(726)、作者二十~二十六歳頃であろう(年齢は『趙注本』の年譜による)。
  • ウィキソース「寒食汜上作」参照。
  • 詩題 … 『静嘉堂本』では「寒食汜中作」に作り、「一本作上」とある。『国秀集』では「途中口号こうごう」に作る。途中は、旅の途中の意。口号は、文字に書かず、心に思い浮かぶままに直ちに詠じられた詩のこと。『全唐詩』には題下に「一作途中口号」とある。『趙注本』には題下に「文苑英華作寒食汜水山中作。国秀集作途中口号」とある。『三体詩』では「寒食汜上」に作る。『文苑英華』では「寒食汜水山中作」に作る。『唐詩品彙』では「寒食氾上作」に作る。
  • 寒食 … 冬至の日から数えて百五日目の日のこと。陽暦では四月の初めに当たる。この日を挟んで三日間は火を断ち、煮炊きしないで冷たい物を食べる風習があった。寒食節が終わると清明節になる。ウィキペディア【寒食節】参照。『荊楚歳時記』に「冬節とうせつを去ること一百五日、即ち疾風甚雨有り、之を寒食と謂う。火を禁ずること三日、とうと大麦の粥を造る」(去冬節一百五日、即有疾風甚雨、謂之寒食。禁火三日、造餳大麥粥)とある。冬節は、冬至に同じ。ウィキソース「荊楚歲時記」参照。春秋時代、かいすいは晋の文公の不遇時代の忠臣であったが、文公が即位するとその功を忘れられていたので、山中に隠れていた。文公が後悔して召し出そうとしたが介之推は承知しなかった。文公は山を焼いて無理やり引き出そうとしたが、彼はそのまま山中で焼死した。文公は彼を憐れんで、その日に火を禁じ冷食を用いさせたという故事に基づく。『十八史略』巻一、春秋戦国に「こういわく、ああじんあやまちなり、と。ひとをしてこれもとめしむ。ず。綿めんじょうさんちゅうかくる。やまく。すいす。後人こうじんこれためかんしょくす」(公曰、噫、寡人之過也。使人求之。不得。隱綿上山中。焚其山。子推死焉。後人爲之寒食)とある。寡人は、王侯が自分を謙遜していう言葉。徳の少ない人の意。綿上は、地名。山西省にある。『立斎先生標題解註音釈十八史略』巻一(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。ウィキペディア【介子推】参照。
  • 汜上 … すい氾水はんすいとも)のほとり。汜水は、現在の河南省滎陽けいよう市の西北を流れる黄河の支流。ウィキペディア【汜水河】(中文)参照。『山海経』中山経に「又た東三十里を、浮戯ふぎの山と曰う。木有り。葉の状はちょの如くにして赤実せきじつなり。名づけて亢木こうぼくと曰う。之をらえばせず。汜水ここより出でて、北流してそそぐ」(又東三十里、曰浮戲之山。有木焉。葉狀如樗而赤實。名曰亢木。食之不蠱。汜水出焉、而北流注於河)とある。河は、黄河。ウィキソース「山海經/中山經」参照。また『漢書』高帝紀に「漢果たして数〻しばしば成皋せいこうの戦いを挑むも、楚軍出でず。人をして之を辱むること数日、大司馬きゅう怒りて、兵をして汜水を渡らしむ。士卒半ば渡りしとき、漢之を撃つ、大いに楚の軍を破り、尽く楚国の金玉・貨賂かろ。大司馬きゅう・史きん皆な汜水のほとりけいす」(漢果數挑成皋戰、楚軍不出。使人辱之數日、大司馬咎怒、渡兵汜水。士卒半渡、漢擊之、大破楚軍、盡得楚國金玉貨賂。大司馬咎、長史欣皆自剄汜水上)とあり、その臣瓚の注に「高祖、そうきゅうを成皋に攻む。きゅう汜水を渡りて戦う。今の成皋城の東の汜水は是れなり」(高祖攻曹咎於成皋。咎渡汜水而戰。今成皋城東汜水是也)とある。『漢書評林』卷一上(国立国会図書館デジタルコレクション)、ウィキソース「漢書/卷001上」参照。また『括地志』鄭州、汜水県の条に「汜水の源は、鄭州汜水県の東南三十二里の方山より出づ」(汜水源、出鄭州汜水縣東南三十二里方山)とある。ウィキソース「括地志輯校/003」参照。
  • 王維 … 699?~761。盛唐の詩人、画家。太原(山西省)の人。あざなきつ。開元七年(719)、進士に及第。安禄山の乱で捕らえられたが事なきを得、乱後は粛宗に用いられてしょうじょゆうじょう(書記官長)まで進んだので、王右丞とも呼ばれる。また、仏教に帰依したため、詩仏と称される。『王右丞文集』十巻がある。ウィキペディア【王維】参照。
廣武城邊逢暮春
こうじょうへん しゅん
  • 広武城 … 現在の河南省滎陽けいよう市の広武山の上に築かれた城。その昔、関羽と劉邦がそれぞれ城を築いて対峙した古戦場として有名。『後漢書』郡国志、司隷、河南尹の条に「熒陽、鴻溝水有り。広武城有り」(熒陽、有鴻溝水。有廣武城)とあり、その注に「西征記に曰く、三皇山有り、或いは三室山と謂う。山上に二城有り、東をば東広武と曰い、西をば西広武と曰う、各〻山に一頭在り、相去ること二百余歩、其の間深澗を隔つ。漢祖、項籍と語る処なり、と」(西征記曰、有三皇山、或謂三室山。山上有二城、東者曰東廣武、西者曰西廣武、各在山一頭、相去二百餘步、其閒隔深澗。漢祖與項籍語處)とある。ウィキソース「後漢書/卷109」参照。また『史記』項羽本紀に「項王、已に東海を定めて来たり、西のかた漢と倶に広武に臨んで軍す」(項王已定東海來、西與漢倶臨廣武而軍月)とある。ウィキソース「史記/卷007」参照。
  • 辺 … 『四部叢刊本』では「边」に作る。『文苑英華』『万首唐人絶句』『唐詩解』では「邉」に作る。ともに異体字。
  • 逢暮春 … 晩春の候にめぐり逢う。東晋の王羲之「蘭亭序」に「暮春の初め、会稽山陰の蘭亭に会す」(暮春之初、会于会稽山陰之蘭亭)とある。ウィキソース「蘭亭集序」参照。また西晋の張翰「雑詩三首」(其一、『文選』巻二十九)に「暮春に和気応じ、白日は園林を照らす」(暮春和氣應、白日照園林)とある。ウィキソース「昭明文選/卷29」参照。
汶陽歸客淚沾巾
汶陽ぶんようかく なみだ きんうるお
  • 汶陽 … 春秋時代、魯国の地名。現在の山東省泰安市寧陽県の東北。『春秋左氏伝』僖公元年に「公、季友に汶陽のでんと費とを賜う」(公賜季友汶陽之田及費)とある。ウィキソース「春秋左氏傳/僖公」参照。また『春秋左氏伝』成公二年に「斉人せいひとをして我が汶陽の田を帰さしむ」(使齊人歸我汶陽之田)とある。ウィキソース「春秋左氏傳/成公」参照。また『漢書』地理志下に「魯国、……県六、魯、卞、汶陽、蕃、騶、薛」とある。ウィキソース「漢書/卷028下」参照。
  • 帰客 … (汶陽から都へ)帰る旅人(諸説あり)。南朝宋の謝霊運「九日に宋公の戯馬台の集いに従いて孔令を送る」詩に「帰客は海隅にかんとし、冠をぎて朝列に謝す」(歸客遂海隅、脱冠謝朝列)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷057」参照。
  • 涙沾巾 … 涙で手巾を濡らす。巾は、手巾。ハンカチ。沾は、濡らすこと。後漢の張衡「四愁の詩」(『文選』巻二十九、『玉台新詠』巻九)に「そばたてて西望せいぼうすればなみだもすそうるおす」(側身西望涕沾裳)とある。ウィキソース「四愁詩」参照。
  • 沾 … 『国秀集』では「霑」に作る。同義。
落花寂寂啼山鳥
らっ寂寂せきせきたり やまくのとり
  • 落花 … 散り落ちる花。梁の元帝の楽府「金楽歌」(『楽府詩集』巻七十四)に「石闕せきけつ 書字を題し、金燈 落花をひるがえす」(石闕題書字、金燈飄落花)とある。石闕は、石でできた宮城などの門。題すは、書きつける。金燈は、金色の燈火。ウィキソース「樂府詩集/074卷」参照。
  • 寂寂 … ひっそりと静かなさま。前漢の李陵「録別詩八首」(其三)に「寂寂として君子坐し、奕奕えきえきとして衆を合して芳し」(寂寂君子坐、奕奕合衆芳)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷020」参照。また東晋の陶淵明「飲酒二十首」(其十五)に「班班はんはんとして翔鳥しょうちょうるも、寂寂せきせきとして行跡こうせきし」(班班有翔鳥、寂寂無行跡)とある。ウィキソース「飲酒二十首」参照。
  • 啼山鳥 … 山中で鳥が啼く。『禽経』に「水鳥は夜き、山鳥はいわに棲む」(水鳥夜㖡、山鳥巖棲)とある。ウィキソース「禽經」参照。
楊柳靑靑渡水人
ようりゅう青青せいせいたり みずわたるのひと
  • 楊柳青青 … 柳の枝が青々としている。楊柳は、柳の総称。楊は、かわやなぎ。柳は、やなぎ。隋の無名氏「送別の詩」に「楊柳青青として地に著いて垂れ、楊花漫漫として天をみだして飛ぶ」(楊柳青青著地垂、楊花漫漫攪天飛)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷139」参照。
  • 渡水人 … 川を渡ってゆく人々。北周の庾信「春の賦」に「じゅ さかずきを流すのかくとう 水を渡るの人」(樹下流杯客、沙頭渡水人)とある。杯を流すは、曲水の宴で、水流に杯を流すこと。沙頭は、河原のほとり。砂洲さすのほとり。ウィキソース「春赋 (庾信)」参照。
テキスト
  • 『全唐詩』巻一百二十八(中華書局、1960年)
  • 『王右丞文集』巻六(静嘉堂文庫蔵、略称:静嘉堂本)
  • 『王摩詰文集』巻十(書韻楼叢刊、上海古籍出版社、2003年、略称:蜀刊本)
  • 『須渓先生校本唐王右丞集』巻六(『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:四部叢刊本)
  • 顧起経注『類箋唐王右丞詩集』巻十(台湾学生書局、1970年、略称:顧起経注本)
  • 顧可久注『唐王右丞詩集』巻六(『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、略称:顧可久注本)
  • 趙殿成注『王右丞集箋注』巻十四(中国古典文学叢書、上海古籍出版社、1998年、略称:趙注本)
  • 『増註三体詩』巻一・七言絶句・後対(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)
  • 『文苑英華』一百五十七(影印本、中華書局、1966年)
  • 『唐詩品彙』巻四十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『万首唐人絶句』七言・巻四(明嘉靖刊本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『唐詩解』巻二十六(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『国秀集』巻中(傅璇琮編撰『唐人選唐詩新編』、陝西人民教育出版社、1996年)
  • 松浦友久編『続校注 唐詩解釈辞典〔付〕歴代詩』大修館書店、2001年
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