>   漢詩   >   歴代詩選:盛唐   >   送元二使安西(王維)

送元二使安西(王維)

送元二使安西
げん安西あんせい使つかいするをおく
おう
  • 七言絶句。塵・新・人(平声真韻)。
  • ウィキソース「渭城曲」参照。
  • 詩題 … 『全唐詩』『唐詩三百首』『楽府詩集』では「渭城曲」に作る。『全唐詩』には「一に元二の安西に使いするを送るに作る」(一作送元二使安西)とある。
  • 元二 … 元は、姓。二は、排行はいこう。排行とは、一族中の兄弟・いとこなどの年齢による序列。なお、元二の人物については不明。
  • 安西 … 唐の時代に置かれた都護府の名。現在の新疆ウイグル自治区チャ市にあった。ウィキペディア【安西大都護府】参照。『読史方輿紀要』歴代州域形勢、唐上に「貞観中、高昌を平らげ、即ち安西都護府を交河城に置く」(貞觀中、平高昌、即置安西都護府於交河城)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五」参照。
  • 使 … 使者として旅立つ。
  • 王維 … 699?~761。盛唐の詩人、画家。太原(山西省)の人。あざなきつ。開元七年(719)、進士に及第。安禄山の乱で捕らえられたが事なきを得、乱後は粛宗に用いられてしょうじょゆうじょう(書記官長)まで進んだので、王右丞とも呼ばれる。また、仏教に帰依したため、詩仏と称される。『王右丞文集』十巻がある。ウィキペディア【王維】参照。
渭城朝雨浥輕塵
じょうちょう 軽塵けいじんうるお
  • 渭城 … 秦の都であった咸陽かんようを、漢代になって渭城と改めた。『漢書』地理志、右扶風の条(顔師古注)に「渭城は、もとの咸陽、高帝元年にあらためて新城と名づく。七年に罷めて、長安に属す。武帝の元鼎三年に更めて渭城と名づく。蘭池宮有り。(王)莽のときは京城と曰う」(渭城、故咸陽、高帝元年更名新城。七年罷、屬長安。武帝元鼎三年更名渭城。有蘭池宮。莽曰亰城)ウィキソース「漢書顏師古註/地理志」参照。
  • 朝雨 … 朝の雨。『詩経』鄘風・蝃蝀ていとうの詩に「あした西にしのぼれば、あしたうるまであめふらん」(朝隮於西、崇朝其雨)とある。蝃蝀は、虹。ウィキソース「詩經/蝃蝀」参照。
  • 軽塵 … 軽く舞う土ぼこり。三国時代、魏の嵆康「四言兄秀才の軍に入るに贈る」詩(十八首其の五)に「穆穆ぼくぼくたる恵風けいふう、彼の軽塵をあおぐ」(穆穆惠風、扇彼輕塵)とある。穆穆は、穏やかなさま。静かなさま。恵風は、暖かい風。春風。ウィキソース「四言赠兄秀才入军诗十八首」参照。
  • 浥 … うるおす。ぬらす。『静嘉堂本』『蜀刊本』『四部叢刊本』『顧可久注本』『趙注本』『唐詩品彙』『文苑英華』『唐詩別裁集』『万首唐人絶句』『才調集』では「裛」に作る。同義。
客舍靑靑柳色新
客舎かくしゃ青青せいせい 柳色りゅうしょくあらたなり
  • 客舎 … 旅館。宿屋。『史記』商君列伝に「商君げ、かんに至り、客舎にしゃせんと欲す」(商君兦、至關下、欲舍客舍)とある。商君は、商鞅。戦国時代、法家の政治家。秦の孝公に仕えた。関下は、函谷関の付近。舎は、泊まる。ウィキソース「史記/卷068」参照。
  • 青青 … 青々としているさま。「青青として」と読んでもよい。『全唐詩』には「一作依依」とある。「古詩十九首其の二」(『文選』巻二十九)に「青青たる河畔の草、鬱鬱たる園中の柳」(靑靑河畔草、鬱鬱園中柳)とある。ウィキソース「青青河畔草 (古詩)」参照。
  • 柳色 … 青々とした柳の色。人との別れの際、柳の枝を輪にして贈る習慣があった。南朝梁の皇太子蕭綱(のちの簡文帝)「湘東王の名士傾城けいせいよろこぶに和す」詩(『玉台新詠』巻七)に「しょうそう柳色をへだつ、井水せいすい桃紅に照らさる」(妝窗隔柳色、井水照桃紅)とある。妝窗は、美しく飾った窓。ウィキソース「和湘東王名士悅傾城」参照。また、南朝梁の蕭子範「春望古意」詩(『玉台新詠』巻八、宋刻本未収)に「春情柳色を寄せ、鳥語梅中に出づ」(春情寄柳色、鳥語出梅中)とある。鳥語は、鳥の鳴き声。ウィキソース「春望古意」参照。
  • 柳 … 『顧起経注本』『唐詩別裁集』では「桺」に作る。異体字。
  • 新 … (柳の葉が朝方の雨に洗われて)みずみずしく、鮮やかである。
  • 柳色新 … 『全唐詩』では「楊柳春」に作り、「一作柳色新」とある。『才調集』では「楊柳春」に作る。『楽府詩集』では「柳色春」に作る。『文苑英華』では「新」の下に「集作春」との注がある。『静嘉堂本』『蜀刊本』『四部叢刊本』では「青青柳色春」に作り、結句の下に「一作依依楊柳春」との注がある。『顧起経注本』では「青青柳色新」に作り、そのすぐ下に「一作依依楊柳春」との注がある。
勸君更盡一杯酒
きみすすむ さらくせ 一杯いっぱいさけ
  • 君 … 元二を指す。
  • 更尽一杯酒 … もう一杯飲みほしたまえ。『世説新語』排調篇に「昔は汝とりんたり、今は汝と臣たり。汝に一杯の酒をたてまつる、汝が寿じゅをしてばんしゅんならしめん」(昔與汝爲鄰、今與汝爲臣。上汝一桮酒、令汝壽萬春)とある。ウィキソース「世說新語/排調」参照。
  • 杯 … 『四部叢刊本』『顧可久注本』『文苑英華』『才調集』では「盃」に作る。異体字。
西出陽關無故人
西にしのかた 陽関ようかんづれば じんからん
  • 西 … 「にしのかた」と読み、「西に向かって」「また西のほうで」と訳す。
  • 陽関 … 関所の名。今の甘粛省敦煌市の西南にあった。ウィキペディア【陽関】参照。『漢書』西域伝に「西域は孝武の時を以て始めて通ず。……東は則ち漢に接し、ふさぐに玉門・陽関を以てし、西は則ち限るに葱嶺そうれいを以てす」(西域以孝武時始通。……東則接漢、阸以玉門陽關、西則限以葱嶺)とある。ウィキソース「漢書/卷096上」参照。また『元和郡県志』隴右道下に「陽関は、県の西六里に在り。玉門関の南に居るを以てす、故に陽関と曰う」(陽關、在縣西六里。以居玉門關之南、故曰陽關)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷40」参照。
  • 出 … 「でなば」と読んでもよい。
  • 故人 … 古くからの友人。日本語の「死んだ人」という意ではない。『礼記』檀弓下篇に「孔子の故人をげんじょうと曰う」(孔子之故人曰原壤)とある。ウィキソース「禮記/檀弓下」参照。
テキスト
  • 『全唐詩』巻一百二十八(中華書局、1960年)※詩題:渭城曲
  • 『王右丞文集』巻五(静嘉堂文庫蔵、略称:静嘉堂本)
  • 『王摩詰文集』巻九(書韻楼叢刊、上海古籍出版社、2003年、略称:蜀刊本)
  • 『須渓先生校本唐王右丞集』巻五(『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:四部叢刊本)
  • 顧起経注『類箋唐王右丞詩集』巻十(台湾学生書局、1970年、略称:顧起経注本)
  • 顧可久注『唐王右丞詩集』巻五(『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、略称:顧可久注本)
  • 趙殿成注『王右丞集箋注』巻十四(中国古典文学叢書、上海古籍出版社、1998年、略称:趙注本)
  • 『唐詩三百首注疏』巻六下、七言楽府(廣文書局、1980年)※詩題:渭城曲
  • 『増註三体詩』巻一・七言絶句・実接(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)
  • 『楽府詩集』巻八十・近代曲辞(北京図書館蔵宋刊本影印、中津濱渉『樂府詩集の研究』所収)※詩題:渭城曲
  • 『文苑英華』二百九十九(影印本、中華書局、1966年)
  • 『唐詩品彙』巻四十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻十九(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『万首唐人絶句』七言・巻四(明嘉靖刊本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『唐詩解』巻二十六(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『才調集』巻一(傅璇琮編撰『唐人選唐詩新編』、陝西人民教育出版社、1996年)
歴代詩選
古代 前漢
後漢
南北朝
初唐 盛唐
中唐 晩唐
北宋 南宋
唐詩選
巻一 五言古詩 巻二 七言古詩
巻三 五言律詩 巻四 五言排律
巻五 七言律詩 巻六 五言絶句
巻七 七言絶句
詩人別
あ行 か行 さ行
た行 は行 ま行
や行 ら行