史記 田単列伝第二十二
01 田單者、齊諸田疏屬也。湣王時、單爲臨菑市掾、不見知。
田単は、斉の諸田の疏属なり。湣王の時、単、臨菑の市掾と為りしが、知られず。
- ウィキソース「史記/卷082」「史記三家註/卷082」参照。
- 諸田 … 田氏。
- 疏属 … 血のつながりが遠い親類。疎属。遠属。
- 湣王 … 戦国時代、斉(田斉)の王。在位前300~前284。ウィキペディア【ビン王 (斉)】参照。
- 臨菑 … 斉の国都。現在の山東省臨淄区。ウィキペディア【臨シ区】参照。
- 市掾 … 市場を監督する下役の役人。「掾」は、属官。下役。下級の官吏。
- 見 … 「る」「らる」と読み、「~される」と訳す。受身を表す。「被」と同じ。
及燕使樂毅伐破齊、齊湣王出奔、已而保莒城。
燕の、楽毅をして伐って斉を破らしむるに及び、斉の湣王、出奔し、已にして莒城に保れり。
燕師長驅平齊、而田單走安平。
燕の師、長駆して斉を平らげ、而して田単、安平に走ぐ。
令其宗人盡斷其車軸末、而傅鐵籠。
其の宗人をして尽く其の車軸の末を断ちて鉄篭を傅けしむ。
- 宗人 … 一族の者。同族の人。
已而燕軍攻安平、城壞。齊人走爭塗。
已にして燕軍、安平を攻め、城壊る。斉人走げて塗を争う。
以轊折車敗、爲燕所虜。
轊折れ、車敗るるを以て、燕の虜にする所と為る。
唯田單宗人、以鐵籠故得脱、東保即墨。
唯だ田単の宗人のみ、鉄篭を以ての故に脱るるを得、東して即墨に保り。
燕既盡降齊城。唯獨莒、即墨不下。
燕既に尽く斉の城を降す。唯だ独り莒・即墨のみ下らず。
燕軍聞齊王在莒、并兵攻之。
燕軍、斉王の莒に在るを聞き、兵を并せ之を攻む。
淖齒既殺湣王於莒、因堅守距燕軍、數年不下。
淖歯既に湣王を莒に殺し、因りて堅く守りて燕軍を距ぎ、数年下らず。
燕引兵東圍即墨。即墨大夫出與戰、敗死。
燕、兵を引き東して即墨を囲む。即墨の大夫出でて与に戦い、敗れ死す。
城中相與推田單曰、安平之戰、田單宗人、以鐵籠得全。習兵。
城中相与に田単を推して曰く、安平の戦いに、田単の宗人は鉄篭を以て全きを得たり。兵に習う、と。
立以爲將軍、以即墨距燕。
立てて以て将軍と為し、即墨を以て燕を距ぐ。
02 頃之燕昭王卒、惠王立。
之を頃くして燕の昭王卒し、恵王立つ。
與樂毅有隙。田單聞之、乃縱反閒於燕、宣言曰、齊王已死。城之不拔者二耳。
楽毅と隙有り。田単之を聞き、乃ち反間を燕に縦ち、宣言して曰く、斉王已に死す。城の抜かざる者は二つのみ。
樂毅畏誅而不敢歸。以伐齊爲名、實欲連兵南面而王齊。
楽毅、誅を畏れ敢えて帰らず。斉を伐つを以て名と為せども、実は兵を連ね南面して斉に王たらんと欲す。
齊人未附。故且緩攻即墨、以待其事。
斉人未だ附わず。故に且く緩く即墨を攻め、以て其の事を待つ。
齊人所懼、唯恐他將之來、即墨殘矣。
斉人の懼るる所は、唯だ他の将の来りて、即墨の残われんことを恐るるなり、と。
燕王以爲然、使騎劫代樂毅。
燕王以て然りと為し、騎劫をして楽毅に代わらしむ。
樂毅因歸趙、燕人士卒忿。
楽毅因りて趙に帰し、燕人・士卒忿る。
而田單乃令城中人、食必祭其先祖於庭。
而して田単乃ち城中の人をして食するに必ず其の先祖を庭に祭らしむ。
飛鳥悉翔舞城中、下食。燕人怪之。
飛鳥悉く城中に翔舞して下り食む。燕人之を怪しむ。
田單因宣言曰、神來下教我。乃令城中人曰、當有神人爲我師。
田単因りて宣言して曰く、神来り下りて我に教う、と。乃ち城中の人に令して曰く、当に神人有りて我が師と為るべし、と。
有一卒曰、臣可以爲師乎。因反走。
一卒有りて曰く、臣以て師と為る可きか、と。因りて反り走る。
田單乃起引還、東郷坐、師事之。
田単乃ち起ち引き還して、東郷に坐せしめ、之に師事す。
- 東郷 … 東嚮。東側の座席。身分の高い者は東側の座席に座る習慣があった。
卒曰、臣、欺君。誠無能也。田單曰、子勿言也。
卒曰く、臣、君を欺けり。誠は能無きなり、と。田単曰く、子言う勿かれ、と。
因師之。毎出約束、必稱神師。
因りて之を師とし、約束を出す毎に、必ず神師と称す。
乃宣言曰、吾唯懼、燕軍之劓所得齊卒、置之前行、與我戰、即墨敗矣。
乃ち宣言して曰く、吾唯だ懼るるは、燕軍の得る所の斉の卒を劓り、之を前行に置き、我と戦い、即墨の敗れんことなり、と。
燕人聞之、如其言。城中人、見齊諸降者盡劓、皆怒堅守、唯恐見得。
燕人之を聞き、其の言の如くす。城中の人、斉の諸〻の降れる者の尽く劓らるるを見て、皆怒りて堅く守り、唯だ得らるるを恐る。
單、又、縱反閒曰、吾懼燕人掘吾城外冢墓僇先人。可爲寒心。
単、又、反間を縦ちて曰く、吾、燕人の吾が城外の冢墓を掘り先人を僇めんことを懼る。寒心を為す可し、と。
燕軍盡掘壟墓燒死人。即墨人、從城上望見、皆涕泣、倶欲出戰、怒自十倍。
燕軍尽く壟墓を掘り、死人を焼く。即墨の人、城上より望見して、皆涕泣し、倶に出でて戦わんと欲し、怒り自ずから十倍す。
03 田單知士卒之可用、乃身操版插、與士卒分功、妻妾編於行伍之閒、盡散飮食饗士。
田単、士卒の用う可きを知り、乃ち身ずから版挿を操り、士卒と分功し、妻妾を行伍の間に編み、尽く飲食を散じて士を饗す。
- 版挿 … 城を築くときに用いる道具。土塀を作るはめ板と、土を起こす鍤。「挿」は「鍤」と同じ。
- 行伍 … 軍隊の隊列。「行」は二十五人、「伍」は五人。
令甲卒皆伏、使老弱女子乘城、遣使約降於燕。
甲卒をして皆伏せしめ、老弱女子をして城に乗らしめ、使いを遣わして降るを燕に約す。
- 甲卒 … 武装した兵士。甲士。甲兵。
燕軍皆呼萬歳。
燕の軍、皆万歳と呼ぶ。
田單又收民金得千溢、令即墨富豪遺燕將曰、即墨即降、願無虜掠吾族家妻妾、令安堵。
田単、又、民の金を収めて千溢を得、即墨の富豪をして燕の将に遺らしめて曰く、即墨即し降らば、願わくは吾が族家妻妾を虜掠する無く、安堵せしめよ、と。
燕將大喜許之。燕軍由此益懈。
燕の将大いに喜び、之を許す。燕の軍此に由り益〻懈る。
田單乃收城中得千餘牛。
田単乃ち城中に収めて千余牛を得たり。
爲絳繒衣、畫以五彩龍文、束兵刃於其角、而灌脂束葦於尾、燒其端、鑿城數十穴、夜縱牛。
絳繒の衣を為り、画くに五彩の龍文を以てし、兵刃を其の角に束ね、而して脂を灌ぎ、葦を尾に束ね、其の端を焼き、城に数十穴を鑿ちて、夜、牛を縦つ。
- 絳繒 … 赤い絹。「絳」は「紅」と同じ。「繒」は、絹織物。
壯士五千人隨其後。牛尾熱、怒而奔燕軍。
壮士五千人、其の後に随う。牛は尾熱し、怒りて燕の軍に奔る。
燕軍夜大驚。牛尾炬火光明炫燿。
燕の軍夜大いに驚く。牛尾の炬火の光明、炫耀たり。
燕軍視之皆龍文、所觸盡死傷。
燕の軍之を視るに皆龍文にして、触るる所尽く死傷す。
五千人因銜枚撃之、而城中鼓譟從之、老弱皆撃銅器爲聲。
五千人因りて枚を銜み之を撃ち、而して城中鼓譟して之に従い、老弱、皆銅器を撃ちて声を為す。
聲動天地。燕軍大駭敗走。齊人遂夷殺其將騎劫。
声、天地を動かす。燕軍大いに駭き、敗走す。斉人遂に其の将騎劫を夷殺す。
- 夷殺 … 平らげ殺す。殺し滅ぼす。
燕軍擾亂奔走。齊人追亡逐北、所過城邑、皆畔燕而歸田單。
燕軍擾乱奔走す。斉人、亡ぐるを追い北ぐるを逐い、過ぐる所の城邑、皆、燕に畔き田単に帰す。
兵日益多乘勝、燕日敗亡、卒至河上。
兵日に益〻多く勝ちに乗ず。燕は日に敗亡し、卒に河上に至る。
而齊七十餘城、皆復爲齊。乃迎襄王於莒、入臨菑而聽政。
而して斉の七十余城、皆復た斉と為る。乃ち襄王を莒より迎え、臨菑に入れて政を聴かしむ。
襄王封田單、號曰安平君。
襄王、田単を封じ、号して安平君と曰う。
04 太史公曰、兵以正合、以奇勝。善之者、出奇無窮、奇正還相生、如環之無端。
太史公曰く、兵は正を以て合い、奇を以て勝つ。之を善くする者は、奇を出すこと窮まり無く、奇・正還りて相生ずること、環の端無きが如し。
- 太史公 … 司馬遷が自らを言う言葉。太史公は、太史令(太史の長官)の通称。太史は、官名で、天文や暦法を司り、国家の記録を司る役目も兼ねた。
夫始如處女適人開戸、後如脱兔、適不及距、其田單之謂邪。
夫れ始めは処女の如く、適人戸を開く、後には脱兎の如く、適、距ぐに及ばずとは、其れ田単の謂か。
初淖齒之殺湣王也、莒人求湣王子法章、得之太史嬓之家。
初め淖歯の湣王を殺すや、莒人湣王の子法章を求め、之を太史嬓の家に得たり。
爲人灌園。嬓女憐而善遇之。
人の為に園に灌ぐ。嬓女憐れみて善く之を遇す。
後法章私以情告女。女遂與通。
後、法章私かに情を以て女に告ぐ。女遂に与に通ず。
及莒人共立法章爲齊王、以莒距燕、而太史氏女遂爲后。所謂君王后也。
莒人共に法章を立てて斉王と為し、莒を以て燕を距ぐに及び、太史氏の女遂に后と為る。所謂君王后なり。
燕之初入齊、聞畫邑人王蠋賢、令軍中曰、環畫邑三十里無入。
燕の初め斉に入るや、画邑の人王蠋の賢を聞き、軍中に令して曰く、画邑を環りて三十里、入ること無かれ、と。
以王蠋之故。已而使人謂蠋曰、齊人多高子之義。吾以子爲將、封子萬家。
王蠋の故を以てなり。已にして人をして蠋に謂わしめて曰く、斉人多く子の義を高しとす。吾、子を以て将と為し、子を万家に封ぜん、と。
蠋固謝。燕人曰、子不聽、吾引三軍而屠畫邑。
蠋固く謝す。燕人曰く、子聴かずんば、吾三軍を引きて画邑を屠らん、と。
- 謝 … ことわる。辞退する。固辞する。
王蠋曰、忠臣不事二君。貞女不更二夫。
王蠋曰く、忠臣は二君に事えず。貞女は二夫を更えず。
齊王不聽吾諫、故退而耕於野。國既破亡、吾不能存。
斉王、吾が諫めを聴かず、故に退きて野に耕す。国既に破亡し、吾、存すること能わず。
今又劫之以兵。爲君將、是助桀爲暴也。與其生而無義、固不如烹。
今又之を劫かすに兵を以てす。君の将と為るは、是れ桀を助けて暴を為すなり。其の生きて義無きよりは、固より烹られんに如かず、と。
遂經其頸於樹枝、自奮絶脰而死。
遂に其の頚を樹枝に経け、自ら奮い脰を絶ちて死す。
齊亡大夫聞之曰、王蠋布衣也。義不北面於燕。況在位食祿者乎。
斉の亡大夫之を聞きて曰く、王蠋は布衣なり。義として燕に北面せず。況んや位に在り禄を食む者をや、と。
乃相聚如莒、求諸子立爲襄王。
乃ち相聚まり、莒に如き、諸子を求めて、立てて襄王と為す。
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