史記 五帝本紀第一(賛)
24 太史公曰、學者多稱五帝尚矣。然尚書獨載堯以來。
太史公曰く、学者多く五帝を称すること尚し。然るに尚書は独り堯以来を載するのみ。
- ウィキソース「史記/卷001」「史記三家註/卷001」参照。
- 太史公 … 司馬遷が自らを言う言葉。太史公は、太史令(太史の長官)の通称。太史は、官名で、天文や暦法を司り、国家の記録を司る役目も兼ねた。
而百家言黃帝、其文不雅馴。薦紳先生難言之。
而して百家の黄帝を言うもの、其の文雅馴ならず。薦紳・先生之を言うを難る。
孔子所傳宰予問五帝德及帝繫姓、儒者或不傳。
孔子の伝うる所の宰予問五帝徳、及び帝繫姓は、儒者或いは伝えず。
余嘗西至空桐、北過涿鹿、東漸於海、南浮江淮矣。
余嘗て西のかた空桐に至り、北のかた涿鹿を過ぎ、東のかた海に漸り、南のかた江淮に浮ぶ。
至長老皆各往往稱黃帝、堯、舜之處、風教固殊焉。
長老皆各〻往往黄帝・堯・舜を称するの処に至るに、風教固に殊なり。
總之、不離古文者近是。
之を総ぶるに、古文を離れざる者是なるに近し。
予觀春秋、國語、其發明五帝德、帝繫姓章矣。
予、春秋・国語を観るに、其の五帝徳・帝繫姓を発明すること章かなり。
顧弟弗深考。其所表見皆不虚。
顧うに弟深く考えざるのみ。其の表見する所、皆虚ならず。
書缺有閒矣。其軼乃時時見於他説。
書缺けて間あり。其の軼せるは乃ち時時他説に見ゆ。
非好學深思、心知其意、固難爲淺見寡聞道也。
学を好み思いを深くし、心に其の意を知るものに非ずんば、固に浅見・寡聞の為に道い難きなり。
余并論次、擇其言尤雅者、故著爲本紀書首。
余、并せて論次し、其の言の尤も雅なる者を択び、故に著して本紀の書の首と為す。
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