史記 五帝本紀第一(顓頊)
04 帝顓頊高陽者、黃帝之孫而昌意之子也。
帝顓頊高陽は、黄帝の孫にして、昌意の子なり。
- ウィキソース「史記/卷001」「史記三家註/卷001」参照。
- 顓頊 … 古代の伝説上の天子。黄帝の孫。五帝の一人。高陽(河南省杞県)に国を建てたので高陽氏といった。ウィキペディア【センギョク】参照。
靜淵以有謀、疏通而知事、養材以任地、載時以象天、依鬼神以制義、治氣以教化、潔誠以祭祀。
静淵にして以て謀有り、疏通にして事を知り、材を養いて以て地に任じ、時を載いて以て天に象り、鬼神に依りて以て義を制し、気を治めて以て教化し、潔誠にして以て祭祀す。
北至于幽陵、南至于交阯、西至于流沙、東至于蟠木。
北のかた幽陵に至り、南のかた交阯に至り、西のかた流沙に至り、東のかた蟠木に至る。
動靜之物、大小之神、日月所照、莫不砥屬。
動静の物、大小の神、日月の照す所、砥属せざるは莫し。
- 砥属 … 四方遠くまで平らいで、帰服すること。「砥」は、平らにすること。
帝顓頊生子、曰窮蝉。
帝顓頊、子を生む、窮蝉と曰う。
顓頊崩。而玄囂之孫高辛立。是爲帝嚳。
顓頊崩ず。而して玄囂の孫高辛立つ。是を帝嚳と為す。
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