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憲問第十四 10 或問子産章

342(14-10)
或問子產。子曰、惠人也。問子西。曰、彼哉彼哉。問管仲。曰、人也。奪伯氏騈邑三百。飯疏食、没齒無怨言。
あるひとさんう。いわく、恵人けいじんなり。西せいう。いわく、かれをやかれをや。かんちゅうう。いわく、(この)ひとや。はく騈邑へんゆうさんびゃくうばう。疏食そしくらい、よわいぼっするまで怨言えんげんかりき。
現代語訳
  • だれかが子産のことをきく。先生 ――「なさけぶかい人だ。」子西のことをきく。先生 ――「あれかね。あれかね。」管仲のことをきく。先生 ――「あの人は伯氏の駢邑(ベンユウ)三百戸をうばったが、伯さんはひや飯をくいながら、一生うらみごとをいわなかった。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • ある人がさんの人物をおたずねしたら、孔子様が「仁愛じんあいの人じゃ。」とおっしゃった。西せいをおたずねしたら、「あの人は、あの人は。」と言われて問題にされなかった。さらにかんちゅうの人物をおたずねしたら、孔子様がおっしゃるよう、「あれは人物じゃ。国政をったとき、たい伯偃はくえんの罪をただして、騈邑へんゆうという七千五百戸もある大きな領地をぼっしゅうし、そのために伯偃はこんきゅうして、食うや食わずで一生を送ったが、死ぬまでうらごとを言わなかった。すなわちそのしょが公明正大で、処分された者をも心服させたのである。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • ある人がていの大夫子産の人物についてたずねた。先師がこたえられた。――
    「めぐみ深い人だ」
    の大夫子西の人物についてたずねた。先師がこたえられた。――
    「あの人か、あの人は」
    斉の大夫管仲の人物についてたずねた。先師がこたえられた。――
    「人物だね。あの人は大夫はくの罪をただして、その領地であった駢邑べんゆう三百里を没収したが、当の伯氏は、その後やっとかゆをすするほどの困りかたであったにもかかわらず、死ぬまであの人に対して怨みごとをいわなかったというのだから、大したものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 或 … 「あるひと」と読む。
  • 子産 … ?~前522。ていの大夫。姓は公孫こうそん、名はきょうあざなは子産、また子美。孔子より一世代前の政治家。教養があり、優れた政治家であった。ウィキペディア【子産】参照。
  • 恵人 … 恵み深い人。
  • 子西 … 鄭の大夫だった公孫夏(?~前544、鄭の穆公の孫、子産の従兄弟いとこ)とする説と、楚の令尹(長官)だった公子申(?~前479)とする説とがある。古注では公孫夏または公子申とし、新注では公子申とする。ウィキペディア【子西 (郑国)】【子西 (令尹)】(中文)参照。
  • 彼哉彼哉 … あの人かい、あの人かい。人物を軽視している表現。
  • 管仲 … ?~前645。せいの宰相。管は姓。名は夷吾いご、仲はあざな。『管子』の著者。ウィキペディア【管仲】参照。
  • 曰、人也 … 「人」の前に一字脱落しているといわれている。武内義雄は「大」字を補っている(『論語』岩波文庫、『武内義雄全集 第二巻』所収)。宮崎市定も「大人、成人あたりが最も近いであろう」と訳している(『論語の新研究』)。
  • 伯氏 … 斉の大夫。名はえん
  • 騈邑 … 騈(へん・べん)という土地。「邑」は、むら。伯氏の領地。
  • 三百 … 「三百家」とする説と、「三百里」とする説とがある。「里」は、周代では二十五家のことなので、七千五百戸となる。
  • 奪 … 没収する。取り上げる。
  • 疏食 … 粗末な食事。疎食。蔬食。
  • 没歯 … 年齢が尽きるまで。死ぬまで。「歯」は、年齢の意。
  • 怨言 … うらみごと。
補説
  • 『注疏』に「此の章は子産・子西・管仲の人とりを歴評するなり」(此章歴評子產子西管仲之爲人也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 或問子産 … 『義疏』に「或る人孔子に問う、鄭の子産の徳行は、民に於いて何如、と」(或人問於孔子、鄭之子產德行、於民何如)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「或る人夫子に問いて曰く、鄭の大夫子産は何如なる人ぞや、と」(或人問於夫子曰、鄭大夫子產何如人也)とある。
  • 子曰、恵人也 … 『集解』に引く孔安国の注に「恵は、愛なり。子産は、古えの遺愛なり」(惠、愛也。子產、古之遺愛也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「或る人に答うるなり。言うこころは子産の徳は、民に於いて家資をおしまずして、民を拯救じょうきゅうす。甚だ恩恵有り。故に恵人なりと云う」(答或人也。言子產之德、於民不吝家資、拯救於民。甚有恩惠。故云惠人也)とある。拯救は、すくいあげて助けること。また『注疏』に「恵は、愛なり。言うこころは子産の仁恩物を被い、人を愛するの人なり」(惠、愛也。言子產仁恩被物、愛人之人也)とある。また『集注』に「子産の政は、寛に専らならず。然れども其の心は則ち一に人を愛するを以て主と為す。故に孔子以て恵人と為す。蓋し其の重きを挙げて言うなり」(子產之政、不專於寛。然其心則一以愛人爲主。故孔子以爲惠人。蓋舉其重而言也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 問子西。曰、彼哉彼哉 … 『集解』に引く馬融の注に「子西は、鄭の大夫なり。彼をや、彼をやは、称するに足る無きを言うなり」(子西、鄭大夫。彼哉、彼哉、言無足稱也)とある。また『集解』に「或ひと曰く、楚の令尹の子西なり、と」(或曰、楚令尹子西也)とある。また『義疏』に「或る人又た孔子に問う、鄭の大夫の子西の徳業如何、と。鄭の公孫夏、或いは云う、楚の令尹子西なり、と。又た或る人に答う、人自ら是れ彼の人と言うのみ。別に行い称す可きもの無きなり、と」(或人又問孔子、鄭之大夫子西德業如何。鄭之公孫夏、或云、楚令尹子西。又答或人、言人自是彼人耳。無別行可稱也)とある。また『注疏』に「或る人又た鄭の大夫子西の行いを問う。彼は子西を指すなり。言うこころは彼の如き人なるかな。彼の如き人なるかな、称す可きに足る無きなり」(或人又問鄭大夫子西之行。彼指子西也。言如彼人哉。如彼人哉、無足可稱也)とある。また『集注』に「子西は、楚の公子申、能く楚国をゆずり、昭王を立てて、其の政を改めただす。亦た賢大夫なり。然れども其の僭王の号をあらたむること能わず。昭王孔子を用いんと欲するも、又た之を沮止す。其の後ついに白公を召し、以て禍乱を致せば、則ち其の人とり知る可し。彼をやとは、之を外にするの辞なり」(子西、楚公子申、能遜楚國、立昭王、而改紀其政。亦賢大夫也。然不能革其僭王之號。昭王欲用孔子、又沮止之。其後卒召白公、以致禍亂、則其爲人可知矣。彼哉者、外之之辭)とある。
  • 問管仲 … 『義疏』に「更に或る人孔子に問う、斉の大夫管仲の徳行、民に於いて何如ぞや、と」(更或人問孔子、齊大夫管仲之德行於民何如也矣)とある。また『注疏』に「或る人又た斉の大夫管夷吾を問うなり」(或人又問齊大夫管夷吾也)とある。
  • 曰、人也 … 『集解』の何晏の注に「猶お詩に所謂の人と言うがごときなり」(猶詩言所謂伊人也)とある。また『義疏』に「答えて曰く、管仲は是の人や、と」(答曰、管仲是人也)とある。また『注疏』に「此れ答えて管仲は是れ理に当たるの人たるを言うなり。人やは管仲を指し、猶お此の人と云うがごときなり」(此答言管仲是當理之人也。人也指管仲、猶云此人也)とある。また『集注』に「人やは、猶お此の人と言うがごときなり」(人也、猶言此人也)とある。
  • 奪伯氏騈邑三百 … 『集解』に引く孔安国の注に「伯氏は、斉の大夫なり。駢邑は、地名なり。歯は、年なり。伯氏の食邑三百家あり、管仲之を奪う」(伯氏、齊大夫。駢邑、地名也。齒、年也。伯氏食邑三百家、管仲奪之)とある。また『義疏』に「所以に是の人の事を釈するなり。伯氏の名は偃。大夫の駢邑とは、伯氏のむ所の采邑なり。時に伯氏罪有り。管仲斉に相たり。伯氏の地三百家を削奪するなり」(釋所以是人之事也。伯氏名偃。大夫駢邑者、伯氏所食采邑也。時伯氏有罪。管仲相齊。削奪伯氏之地三百家也)とある。また『注疏』に「伯氏は、鄭の大夫なり。駢邑は、地名なり」(伯氏、鄭大夫。駢邑、地名)とある。また『集注』に「伯氏は、斉の大夫。駢邑は、地名」(伯氏、齊大夫。駢邑、地名)とある。
  • 飯疏食、没歯無怨言 … 『集解』に引く孔安国の注に「蔬食に至らしむるも、而るに歯を没するまで怨言無きは、其の理に当たるを以ての故なり」(使至蔬食、而沒齒無怨言、以當其理故也)とある。また『義疏』に「飯は、猶お食らうがごときなり。蔬は、猶お麤のごときなり。没は、終なり。歯は、年なり。伯氏邑に食する時、家資豊足たるも、邑を奪われしの後は、死するに至るまで貧し。但だ麤糲を食らいて以て余年を終うるも、敢えて怨言有らざるなり。然る所以の者、管仲之を奪うに理に当たるを明らかにす。故に怨みざるなり」(飯、猶食也。蔬、猶麤也。沒、終。齒、年也。伯氏食邑時、家資豐足、奪邑之後、至死而貧。但食麤糲以終餘年、不敢有怨言也。所以然者、明管仲奪之當理。故不怨也)とある。また『注疏』に「歯を没すとは、歯年を終没するを謂うなり。伯氏は邑を駢邑三百家にむに、管仲之を奪いて貧ならしめ、但だ疏食をくらうのみなるも、終年に至るまで、亦た怨言無きは、其の管仲の理に当たるが故を以てなり」(沒齒、謂終沒齒年也。伯氏食邑於駢邑三百家、管仲奪之使貧、但飯疏食、至於終年、亦無怨言、以其管仲當理故也)とある。また『集注』に「歯は、年なり。蓋し桓公伯氏の邑を奪い、以て管仲に与う。伯氏自ら己の罪を知りて、管仲の功に心服す。故に窮約して以て身を終うるも、怨言無し。荀卿の所謂之に書社三百を与えて、富人之を敢えて拒む者莫しとは、即ち此の事なり」(齒、年也。蓋桓公奪伯氏之邑、以與管仲。伯氏自知己罪、而心服管仲之功。故窮約以終身、而無怨言。荀卿所謂與之書社三百、而富人莫之敢拒者、即此事也)とある。
  • 疏 … 『義疏』では「蔬」に作る。
  • 『集注』に「或ひと問う、管仲、子産いずれか優れる、と。曰く、管仲の徳、其の才に勝たず。子産の才、其の徳に勝たず。然れども聖人の学に於いては、則ちおおね其れ未だ聞くこと有らざるなり、と」(或問、管仲子產孰優。曰、管仲之德、不勝其才。子產之才、不勝其德。然於聖人之學、則㮣乎其未有聞也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「則ち人の字は本と仁の字の誤りなること明らかなり。……子産の事、論語に見る者三、孟子に見る者二、皆其の篤厚の君子たるを見る。管仲に至りては、則ち夫子其の器の小なるを称し、孟子其の功烈こうれつの卑しきを譏る。則ち之を子産に視るに、及ばざる所有るが如き者は何ぞや。夫れ医を論ずれば則ち其の人を活かすを期し、人を論ずるは則ち其の用に適うを取る。管仲の才の功の若き、王道を以て之を律すれば、則ち固より器小覇術の譏り有ることを免れず。然れども其の世を利し民を沢し天下後世に功有るに至りては、則ち子産の能く及ぶ所に非ざるなり。蓋し其の才愈〻高ければ、則ち其ののぞみ愈〻重し。其の名愈〻盛んなれば、則ち其の責愈〻深し。是れ管仲にもとめて備うることを、子産を貶せざる所以なり。夫子人物を論ずるに、或いは与え或いは奪う、皆学者の宜しく潜玩すべき所なり」(則人字本仁字之誤明乎矣。……子產之事、見論語者三、見孟子者二、皆見其爲篤厚君子。至于管仲、則夫子稱其器小、孟子譏其功烈之卑。則視之子產、如有所弗及者何哉。夫論醫則期其活人、論人則取其適用。若管仲之才之功、以王道律之、則固不免有器小覇術之譏。然至於其利世澤民有功於天下後世、則非子產之所能及也。蓋其才愈高、則其望愈重。其名愈盛、則其責愈深。是所以責備管仲、而不貶子產也。夫子論人物、或與或奪、皆學者之所宜潛玩也)とある。功烈は、功績。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』では次章と合わせて一つの章とし、「按ずるに郭忠恕の佩觽はいけいしゅうに云う、彼佊ひひ、上は甫委ほいかえし、彼此なり、下は甫委・ひょうの二つの翻、論語に子西なるかな、と。……管仲を問う、曰く、このひとや伯氏の駢邑三百を奪う。疏食を飯らい歯をうれども、怨言無し。此れ問いなり。……管仲能く伯氏をして貧しけれども怨むること無からしむ。是れ邦を治むる者のかたんずる所のみ。……仁斎先生曰く、人当に仁に作るべし。……然れども家語に云う所の如きは、亦た論語の其の仁にかんやの意にして、豈に以て此の章を証するに足らんや。且つ伯氏をして怨言無からしむること、此れを以て仁と為すは、仁亦た小なるかな」(按郭忠恕佩觽集云、彼佊、上甫委翻彼此、下甫委冰義二翻、論語子西佊哉。……問管仲曰、人也奪伯氏駢邑三百。飯疏食没齒、無怨言。此問也。……管仲能使伯氏貧而無怨。是治邦者之所難耳。……仁齋先生曰、人當作仁。……然如家語所云、亦論語如其仁之意、豈足以証此章哉。且使伯氏無怨言、以此爲仁、仁亦小矣哉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十