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子路第十三 19 樊遅問仁子曰居處恭章

321(13-19)
樊遲問仁。子曰、居處恭、執事敬、與人忠、雖之夷狄、不可棄也。
はんじんう。いわく、居処きょしょするにうやうやしく、ことるにつつしみ、ひとまじわりてちゅうならば、てきくといえども、からざるなり。
現代語訳
  • 樊遅(ハンチ)が人の道をきく。先生 ――「ふだんもキチンとしていて、しごとは注意ぶかく、人にもよくするのは、どんな未開国でも、だいじなことだな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • はんじんとは何かをおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「事なくして休息のときもその態度行儀をうやうやしくすること、仕事をするときには十分に謹慎きんしん用心ようじんすること、人とつきあうには忠心の誠をつくしていつわらざること、この恭・敬・忠の三つは仁を行う根本であるから、たとい礼儀道徳の低いばんこくに行ってもててはいけないぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • はんが仁についてたずねた。先師がこたえられた。――
    「休息している時にもだらけた風をしない、執務の時には仕事に魂をぶちこむ、人と交わっては誠実を旨とする。この三つのことを、時処のいかんをとわず、たとえば野蛮国に行っても忘れないようにするがいい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 樊遅 … 前515?~?。孔子の弟子。姓は樊、名はしゅあざな子遅しち。魯の人。孔子より三十六歳(四十六歳)年少。ウィキペディア【樊须】(中文)参照。
  • 居処 … 日常生活での立ち居振る舞い。普段の振る舞い。
  • 恭 … うやうやしい。慎んで礼儀正しく振る舞う。
  • 執事 … 仕事を行うこと。
  • 敬 … 慎重に行う。慎んで行う。
  • 与人 … 人と交わる。
  • 忠 … 真心を尽くすこと。誠意を尽くすこと。
  • 夷狄 … 未開の異民族の国。「夷」は、とう(東方の未開人)、「狄」は、北狄ほくてき(北方の未開人)。
  • 之 … 行く。
  • 不可棄也 … 忘れてはならないことだ。
補説
  • 『注疏』に「此の章は仁者の行いを明らかにするなり」(此章明仁者之行也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 樊遅 … 『孔子家語』七十二弟子解に「樊須はんしゅひとあざな子遅しち。孔子よりわかきこと四十六歳。じゃくにして季氏に仕う」(樊須魯人、字子遲。少孔子四十六歳。弱仕於季氏)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝には「樊須はんしゅあざなは子遅。孔子よりわかきこと三十六歳」(樊須字子遲。少孔子三十六歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 樊遅問仁 … 『義疏』に「孔子に仁を行うの道を問うなり」(問孔子行仁之道也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子曰、居処恭 … 『義疏』に「仁道を答う。居は、常居を謂う。恒に恭遜を以て用と為すなり。燕居には温温たりというは、是れなり」(答仁道。居、謂常居。恆以恭遜爲用也。燕居温温、是也)とある。
  • 執事敬 … 『義疏』に「礼を行い事を執るの時を謂う。礼は敬を主とするなり」(謂行禮執事時。禮主於敬也)とある。また『集注』に「恭は、容を主とし、敬は、事を主とす。恭は外にあらわれ、敬は中を主とす」(恭、主容、敬、主事。恭見於外、敬主乎中)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 与人忠 … 『義疏』に「朋友に交接する時を謂う。宜しく忠を尽くして相欺かざるなり」(謂交接朋友時。宜盡忠不相欺)とある。
  • 雖之夷狄、不可棄也 … 『集解』に引く包咸の注に「夷狄の礼義無きの処に之くと雖も、猶お棄去して行わざる可からざるなり」(雖之夷狄無禮義之處、猶不可棄去而不行也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「仮令たとい夷狄の礼義無きの処に入るも、亦た此の三事を捨棄す可からず。此れ則ち是れ仁なり。江熙云う、恭・敬・忠は、君子性に任せて己に行う。所以に仁と為すなり。本と外物と為さず。故に夷狄を以て棄てて行わざる可からざるなり。若し無常に行わずんば、則ち偽り斯にあらわる。偽りあらわるれば則ち仁を去ることはるかなり、と」(假令入夷狄無禮義之處、亦不可捨棄於此三事。此則是仁也。江熙云、恭敬忠、君子任性而行己。所以爲仁也。本不爲外物。故以夷狄不可棄而不行也。若不行於無常、則偽斯見矣。偽見則去仁邈也)とある。また『注疏』に「言うこころは凡そ人は処に居りては放恣すること多く、事を執りては則ちかいし、人と交わりては則ち忠を尽くさず。唯だ仁者のみ処に居りてはきょうきん、事を執りては敬慎けいしん、忠にして以て人とともにするなり。此の恭敬及び忠は、適〻たまたま夷狄の礼義無きの処に之くと雖も、亦た棄てて行わざるをす可からざるなり」(言凡人居處多放恣、執事則懈惰、與人交則不盡忠。唯仁者居處恭謹、執事敬愼、忠以與人也。此恭敬及忠、雖之適夷狄無禮義之處、亦不可棄而不行也)とある。また『集注』に「夷狄に之くも棄つ可からずは、其の固く守りて失うこと勿きを勉むるなり」(之夷狄不可棄、勉其固守而勿失也)とある。
  • 『集注』に引く程顥または程頤の注に「此れは是れ徹上徹下の語なり。聖人初めより二語無きなり。之を充たせば則ち面にうるおい背にあふる。推して之を達すれば、則ち篤恭にして天下平らかなり」(此是徹上徹下語。聖人初無二語也。充之則睟面盎背。推而達之、則篤恭而天下平矣)とある。
  • 『集注』に引く胡寅の注に「樊遅の仁を問う者三つ。此れ最も先にして、難きを先にすは之に次ぎ、人を愛すは其れ最も後なるか」(樊遲問仁者三。此最先、先難次之、愛人其最後乎)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「蓋し仁とは実徳なり。規矩に由れば則ち得、規矩に由らざれば則ち得ず。故に夫子は君子身を修むるの常法を以て之に告ぐ。仁を求むるの方に於いて、至って深切なりと為す」(蓋仁者實德也。由規矩則得、不由規矩則不得。故夫子以君子脩身之常法告之。於求仁之方、至爲深切)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「樊遅仁を問うは、仁政を行うを問うなり。居処恭しく、事を執りて敬、人と忠なるは、猶お敬・恕を以て仲弓に告ぐるが如し。孔子之を仁と謂うには非ざるなり。仁政を行うに先ず其の身を修むるを言うなり。……恭は容を主とし、敬は事を主とすというは、是なり。恭は外にあらわれ、敬はうちに主たりというは、非なり。事とは天職なり。故に敬す。朱子は持敬をはじめて敬の天を敬するたることを知らず。故に誤るのみ。……但だ不可は猶お不能のごときなり。此れをきて仁政は行う可からず。故に棄つること能わざるなり」(樊遲問仁、問行仁政也。居處恭、執事敬、與人忠、猶如以敬恕告仲弓也。非孔子謂之仁矣。言行仁政先脩其身也。……恭主容、敬主事、是矣。恭見於外、敬主乎中、非矣。事者天職也。故敬。朱子創持敬而不知敬之爲敬天。故誤耳。……但不可猶不能也。舍此而仁政不可行。故不能棄也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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