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子路第十三 18 葉公語孔子章

320(13-18)
葉公語孔子曰、吾黨有直躬者。其父攘羊。而子證之。孔子曰、吾黨之直者、異於是。父爲子隱、子爲父隱。直在其中矣。
しょうこうこうかたりていわく、とう直躬ちょっきゅうなるものり。ちちひつじぬすむ。しこうしてこれしょうせり。こういわく、とうなおものは、これことなり。ちちためかくし、ちちためかくす。なおきことうちり。
現代語訳
  • 葉(知事)さまが孔先生に話す ―― 「わたしどものところにまっすぐな男がいます。父親がヒツジをぬすんだのを、子が証明しました。」孔先生 ――「わたしどものところのまっすぐな男は、それとちがいます。父親は子をかばい、子は父親をかばい、それでいてまっすぐですよ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • しょうこうが孔子に、「わしの方にこういう正直者がある。父が羊を着服したのを子が証明した。」とほこりがに話した。すると孔子が申すよう、「私どもの方の正直者は少々違います。父は子のためにその罪をかくし、子は父のためにその罪をかくすのでありまして、そこにおのずから人情の正しさがあるのでござります。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 葉公が得意らしく先師に話した。――
    「私の地方に、感心な正直者がおりまして、その男の父が、どこからか羊が迷いこんで来たのを、そのまま自分のものにしていましたところ、かくさずそのあかしを立てたのでございます」
    すると、先師がいわれた。――
    「私の地方の正直者は、それとは全く趣がちがっております。父は子のためにその罪をかくしてやりますし、子は父のためにその罪をかくしてやるのでございます。私は、そういうところにこそ、人間のほんとうの正直さというものがあるのではないかと存じます」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 葉公 … 春秋時代、楚の重臣。姓はしん、名はしょりょうあざなは子高。「葉」は、人名・地名のときは「しょう」と読む。
  • 語 … 「げて」とも読む。
  • 党 … 村。五百軒の家を一党という。
  • 直躬 … 正直者の躬という男。また、「を直くす」と読んでもよい。自分の行いを正しくする者、正直者の意。なお、『呂氏春秋』などでは直躬を人名とする。
  • 攘 … 入り込んで来たものを盗む。
  • 証之 … 子(躬)が法廷で盗んだことを証言した。
  • 直者 … 正直者。
  • 是 … 躬のばか正直さ。
  • 隠 … 罪をかばって隠す。
  • 直在其中 … 真の正直さとは、父と子が互いにかばい合うという、自然の人情の中に存在するものである。
  • 矣 … 訓読しない。強い断定を表す。
補説
  • 『注疏』に「此の章は直を為すの礼を明らかにするなり」(此章明爲直之禮也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 葉公語孔子曰、吾党有直躬者 … 『集解』に引く孔安国の注に「直躬は、身を直くして行うなり」(直躬、直身而行也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「葉公己の郷党の中に直躬の人有るを称し、自ら孔子にきょうせんと欲するなり。躬は、猶お身のごときなり。邪曲なる所無きを言うなり」(葉公稱己郷黨中有直躬之人、欲自矜誇於孔子也。躬、猶身也。言無所邪曲也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「躬は、身なり。言うこころは吾が郷党の中に身を直くして行う者有り」(躬、身也。言吾郷黨中有直身而行者)とある。また『集注』に「躬を直くすは、身を直くして行う者なり」(直躬、直身而行者)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 直躬 … 『呂氏春秋』仲冬紀・当務篇に「楚に直躬なる者有り。其の父羊をぬすみて之をかみぐ」(楚有直躬者。其父竊羊而謁之上)とある。ウィキソース「呂氏春秋」参照。
  • 其父攘羊。而子証之 … 『集解』に引く周生烈の注に「因ること有りて盗むを攘と曰う」(有因而盗曰攘)とある。また『義疏』に「此れ直躬という者なり。攘は、盗なり。言うこころは党中に人有りて直きを行う。其の父羊を盗みて、子羊を失うの主と証明するに、父の盗むを道うなり。他人の物己の家に来たりて蔵隠し之を取るを謂いて、之を攘と謂うなり」(此直躬者也。攘、盗也。言黨中有人行直。其父盗羊、而子與失羊之主證明、道父之盗也。謂他人物來己家而藏隱取之、謂之攘也)とある。また『注疏』に「此れ行いを直くする所の事なり。因ること有りて盗むを攘と曰う。羊来たりて己の家に入るに因り、父即ち之を取るを言う。而して子羊を失うの主に言いて、父の盗むを証す。葉公此の子を以て行いを直くすと為して、孔子に誇るなり」(此所直行之事也。有因而盜曰攘。言因羊來入己家、父即取之。而子言於失羊之主、證父之盜。葉公以此子爲直行、而誇於孔子也)とある。また『集注』に「因ること有りて盗むを攘と曰う」(有因而盗曰攘)とある。
  • 孔子曰、吾党之直者、異於是 … 『義疏』に「葉公を拒む。故に云う、吾が党中に直行なる者有り。則ち父の盗むを証するを直と為す者に異なれり、と」(拒於葉公。故云、吾黨中有直行者。則異於證父之盗爲直者)とある。
  • 父為子隠、子為父隠。直在其中矣 … 『義疏』に「孔子異とする所の者を挙ぐ。言うこころは風政を為す者は、孝悌を以て主と為す。父子の天性、したがえるに自然の至情に由る。宜しく応に相隠すべし。若し隠惜せば、則ち自ら非と為さず。故に云う、直きこと其の中に在り、と。若し相隠すを知らずんば、則ち人倫の義尽く。樊光云う、父は子の為に隠すとは、子の孝を求めんと欲するなり。父は必ず先ず慈を為す。家風は父に由る。故に先ず父を称す、と。范寧云う、夫子の所謂直なる者は、以て其の道を失わざるなり。若し父子相隠諱せずんば、則ち教えを傷い義を破り、不孝の風を長ず。以て直と為さんや。故に相隠すは、乃ち直と為す可きのみ。今の王法は則ち期親以上、相為に隠すを得るを許し、其の罪を問わず。蓋し先王の典章に合せん、と。江熙云う、葉公は聖人の訓えを見、動もすれば隠諱すること有らん。故に直躬を挙げて、以て儒教を訾毁しきし、抗提して中国に行わんと欲す。夫子之に答うるに、辞正しくして義切なり。荊蛮の豪も、其の誇りを喪う、と」(孔子舉所異者。言爲風政者、以孝悌爲主。父子天性、率由自然至情。宜應相隱。若隱惜、則自不爲非。故云、直在其中矣。若不知相隱、則人倫之義盡矣。樊光云、父爲子隱者、欲求子孝也。父必先爲慈。家風由父。故先稱父。范寧云、夫子所謂直者、以不失其道也。若父子不相隱諱、則傷教破義、長不孝之風焉。以爲直哉。故相隱、乃可爲直耳。今王法則許期親以上、得相爲隱、不問其罪。蓋合先王之典章。江熙云、葉公見聖人之訓、動有隱諱。故舉直躬、欲以訾毁儒教、抗提行中國。夫子答之、辭正而義切。荊蠻之豪、喪其誇)とある。また『注疏』に「孔子此れを言いて、以て葉公を拒むなり。言うこころは吾が党の直き者は、此の父を証するの直に異なるなり。子に苟くも過ち有らば、父は為に之を隠すは、則ち慈なり。父に苟くも過ち有らば、子は為に之を隠すは、則ち孝なり。孝・慈ならば則ち忠、忠ならば則ち直なり。故に直は其の中に在りと曰う」(孔子言此、以拒葉公也。言吾黨之直者、異於此證父之直也。子苟有過、父爲隱之、則慈也。父苟有過、子爲隱之、則孝也。孝慈則忠、忠則直也。故曰直在其中矣)とある。また『集注』に「父子相隠すは、天理人情の至りなり。故に直きを為すを求めずして、直きこと其の中に在り」(父子相隱、天理人情之至也。故不求爲直、而直在其中)とある。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「理に順うを直と為す。父は子の為に隠さず、子は父の為に隠さざるは、理に於いて順ならんや。そう人を殺さば、舜ひそかに負うて逃げ、海浜にしたがいて処らん。是の時に当たっては親を愛するの心勝る。其の直と不直に於いて、何ぞ計るにいとまあらんや」(順理爲直。父不爲子隱、子不爲父隱、於理順邪。瞽瞍殺人、舜竊負而逃、遵海濱而處。當是時愛親之心勝。其於直不直、何暇計哉)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、旧註に、父子相隠すは、天理人情の至りと謂う、と。非なり。此れ人情天理を以て、わかれて二と為す。夫れ人情とは、天下古今の同じく然る所、五常百行は、皆是に由りて出づ。豈に人情を外にして、別に所謂天理という者有らんや。苟くも人情に於いて合わざるときは、則ち藉令もし能く天下の為し難き所を為すも、実に豺狼さいろうの心、行う可からざるなり。但だ礼以て之を節し、義以て之を裁するに在るのみ。後世の儒者、喜びて公の字を説く。其の弊みちそこなうに至る。何となれば是を是とし非を非とし、親疎貴賤を別たざる、之を公と謂う。今夫れ父は子の為に隠し、子は父の為に隠すは、直きに非ざるなり、之を公と謂う可からざるなり。然るに夫子之を取る者は、父子相隠すは、人の至情、礼の存する所にして、義の在る所なり。故に聖人礼を説きて理を説かず。義を説きて公を説かず。若し夫れ人情を外にし、恩愛を離れて、道を求むる者は、実に異端の尚ぶ所にして、天下の達道に非ざるなり、と」(論曰、舊註、謂父子相隱、天理人情之至。非也。此以人情天理、岐而爲二。夫人情者、天下古今之所同然、五常百行、皆由是而出。豈外人情、而別有所謂天理者哉。苟於人情不合、則藉令能爲天下之所難爲、實豺狼之心、不可行也。但在禮以節之、義以裁之耳。後世儒者、喜説公字。其弊至於賊道。何者是是而非非、不別親疎貴賤、謂之公。今夫父爲子隱、子爲父隱、非直也、不可謂之公也。然夫子取之者、父子相隱、人之至情、禮之所存、而義之所在也。故聖人説禮而不説理。説義而不説公。若夫外人情、離恩愛、而求道者、實異端之所尚、而非天下之達道也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「見る可し直躬なる者は己の直をあらわさんと欲する者のみ。朱子曰く、父子相隠すは、天理人情の至りなり、と。仁斎先生、之を非として曰く、人情なる者は天下古今の同じく然る所、五常百行、是れに由って出づ。豈に人情を外にして別に所謂天理なる者有らんや、と。是れ執拗の説のみ。天理は誠に宋儒の家言なり。然れども富を欲し、貴を欲し、安佚あんいつを欲し、声色を欲するは、皆人情の同じき所、豈に道ならんや。之を要するに道は自ずから道、人情は自ずから人情、豈に混ずけんや。至道は固より人情にもとらず、人情は豈に皆道にがっせんや。理学家はおおむいつを推して以てばんを廃す。其の言は聴く可きが如きなり。其の実は皆一偏の説のみ。予嘗て仁斎先生を以て理学家流と為すは、是れが為の故なり」(可見直躬者欲暴己之直者已。朱子曰、父子相隱、天理人情之至也。仁齋先生非之而曰、人情者天下古今之所同然、五常百行、由是而出。豈外人情而別有所謂天理者哉。是執拗之説耳。天理誠宋儒家言。然欲富、欲貴、欲安佚、欲聲色、皆人情所同、豈道乎。要之道自道、人情自人情、豈容混乎。至道固不悖人情、人情豈皆合道乎。理學家率推一以廢萬。其言如可聽也。其實皆一偏之説耳。予嘗以仁齋先生爲理學家流、爲是故)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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