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子罕第九 5 子畏於匡章

210(09-05)
子畏於匡。曰、文王旣沒、文不在茲乎。天之將喪斯文也、後死者、不得與於斯文也。天之未喪斯文也、匡人其如予何。
きょうす。いわく、文王ぶんおうすでぼっし、ぶんここらずや。てんまさぶんほろぼさんとするや、こうものぶんあずかるをざるなり。てんいまぶんほろぼさざるや、きょうひとわれ如何いかんせん。
現代語訳
  • 先生は匡(キョウ、という土地)でとんだ目にあい、いわれた、「文王はいまはないが、文教はここにあるぞ。天が文教をほろぼす気なら、のちの人はおかげをこうむれないはず。天が文教をほろぼさないかぎり、匡のものはわしをどうにもできぬ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がきょうで大難にあわれたとき、おっしゃるよう、「文王ぶんのうがなくなられた後、その名にえる文はこのわしに伝わっているとは知らぬか。もし天がこの文をほろぼそうというおつもりならば後に生れたわしがこの文にさんすることはできなかったはずである。もしまた天がまだこの文をほろぼさぬおつもりならば、文の代表者たるこのわしが殺されることなどは断じてあり得ない。匡人ごときがわしに指一本でもさせようや。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がきょうで遭難された時いわれた。――
    「文王がなくなられた後、文という言葉の内容をなす古聖の道は、天意によってこの私に継承されているではないか。もしその文をほろぼそうとするのが天意であるならば、なんで、後の世に生れたこの私に、文に親しむ機会が与えられよう。文をほろぼすまいというのが天意であるかぎり、匡の人たちが、いったい私に対して何ができるというのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 匡 … 衛の国の地名。
  • 畏 … 生命の危険にさらされる。ここでは孔子の容貌が陽虎に似ていたため、匡の住民に間違われて包囲され、五日間も拘禁されたことを指す。
  • 文王 … 周の武王の父。姓名はしょう。孔子が最も尊敬した聖人の一人。ウィキペディア【文王 (周)】参照。
  • 既没 … すでに亡くなっている。
  • 文不在茲乎 … 「文ここに在らずや」「文ここに在らざらんや」と読む。反語の形。文化の伝統は、この私の身に伝わっているではないか。「文」は文化。「茲」は「ここ」と読み、孔子自身を指す。
  • 天 … 天の神。
  • 斯文 … 文王の作ったこの文化。
  • 喪 … 滅ぼす。
  • 天之将喪斯文也 … 「~之…也」は「~の…するや」と読み、「~が…するとき」「~が…するなら」と訳す。天の神がこの文化を滅ぼそうとするつもりなら。仮定条件の言い方。
  • 後死者 … 文王より後に死ぬ者。すなわち孔子自身を指す。
  • 与 … 「あずかる」と読む。たずさわる。参与する。
  • 天之未喪斯文也 … 上記の「天之将喪斯文也」と同じく、「~之…也」は「~の…するや」と読み、「~が…するとき」「~が…するなら」と訳す。天の神がまだこの文化を滅ぼさないつもりなら。仮定条件の言い方。
  • 匡人 … 国名の下の「人」は、「じん」と読まずに「ひと」と読む。
  • 其如予何 … 「それわれをいかんせん」と読む。「いったいこのわたしをどうしようというのか、どうすることもできまい」と訳す。反語の形。「如何」は、「~をいかん(せん)」と読み、「~をどうするか」「どうしたらよいか」と訳す。目的語がある場合は「如~何」と、その目的語を間にはさむ。ここでは「予」が目的語なので「如予何」となる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子の天命を知るを記するなり」(此章記孔子知天命也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子畏於匡 … 『集解』に引く包咸の注に「きょうひと誤りて夫子を囲み、以て陽虎と為す。陽虎嘗て匡に暴れ、夫子の弟子の顔剋がんこく、時に又た虎と倶に往く。後に剋夫子の御と為り、匡に至る。匡人相与に共に剋を識り、又た夫子の容貌虎と相似たり。故に匡人兵を以て之を囲むなり」(匡人誤圍夫子、以爲陽虎。陽虎嘗暴於匡、夫子弟子顏剋、時又與虎倶往。後剋爲夫子御、至於匡。匡人相與共識剋、又夫子容貌與虎相似。故匡人以兵圍之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「心服するを畏と曰う。匡は、宋の地名なり。時に匡人誤りて兵を以て孔子を囲む。故に孔子物に同じて之を畏るるなり。孫綽曰く、匡に畏るるの説、皆衆家の言にして、畏の名を釈せず、書の理を解くこと漫なりと為す。夫れ神を体し幾を知りて、ふかく安危を定むれば、兵の囲むこと百重なりと雖も、安きこと太山の若けん、豈に畏るること有らんや。然りと雖も、兵の事は阻険なり、常の情の畏るる所なり、聖人は無心なり、故に即ち物の畏るることを以て畏と為すなり、と」(心服曰畏。匡、宋地名也。于時匡人誤以兵圍孔子。故孔子同物畏之也。孫綽曰、畏匡之説、皆衆家之言、而不釋畏名、解書之理爲漫。夫體神知幾、玄定安危者、雖兵圍百重、安若太山、豈有畏哉。雖然、兵事阻險、常情所畏、聖人無心、故即以物畏爲畏也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「匡人兵を以て孔子を囲むを謂う。記する者衆情を以て之を言う。故に云う、子匡に畏す、と。其の実孔子には畏るる所無きなり」(謂匡人以兵圍孔子。記者以衆情言之。故云、子畏於匡。其實孔子無所畏也)とある。また『集注』に「畏とは、戒心有るの謂なり。匡は、地名。史記に云う、陽虎曾て匡に暴す。夫子の貌陽虎に似たり。故に匡人之を囲む、と」(畏者、有戒心之謂。匡、地名。史記云、陽虎曾暴於匡。夫子貌似陽虎。故匡人圍之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 曰、文王既没、文不在茲乎 … 『集解』に引く孔安国の注に「茲は、此なり。言うこころは文王已に没すと雖も、其の文あらわれて此に在り。此は、自ら其の身を此とするなり」(茲、此也。言文王雖已沒、其文見在此。此、自此其身也)とある。また『義疏』に「孔子囲まるるを得て、自ら己の徳を説く。匡人をして己を知らしめんと欲するなり。茲は、此なり。孔子自ら己を此とするなり。言うこころは昔文王聖徳にして文章有り。以て天下を教化するなり。文王今既已すでに没したれば、則ち文章宜しく須らく人に伝うべし。文章を伝うる者、我に非ずして誰ぞや。故に曰く、文王既に没したれども、文ここに在らずや、と。此を言うは、我当に之を伝うべきなり」(孔子得圍而自説己德。欲使匡人知己。茲、此也。孔子自此己也。言昔文王聖德有文章。以教化天下也。文王今既沒、則文章宜須人傳。傳文章者、非我而誰。故曰、文王既沒、文不在茲乎。言此、我當傳之也)とある。また『注疏』に「孔子弟子等の畏懼するを以て、故に此の言を以て之を諭す。茲は、此なり。言うこころは文王已に死したりと雖も、其の文豈に我が此の身に見在せざらんや。言うこころは其の文は我が此の身に見在するなり」(孔子以弟子等畏懼、故以此言諭之。茲、此也。言文王雖已死、其文豈不見在我此身乎。言其文見在我此身也)とある。また『集注』に「道の顕なる者は、之を文と謂う。蓋し礼楽制度の謂なり。道と曰わずして文と曰えるは、亦た謙辞なり。茲は、此なり。孔子自ら謂う」(道之顯者、謂之文。蓋禮樂制度之謂。不曰道而曰文、亦謙辭也。茲、此也。孔子自謂)とある。
  • 天之将喪斯文也、後死者、不得与於斯文也 … 『集解』に引く孔安国の注に「文王既に没す。故に孔子自ら後死と謂うなり。言うこころは天将に此の文を喪ぼさんとすれば、と当に我をして之を知らしむべからず。今我をして知らしむるは、未だ之を喪ぼすを欲せず」(文王既沒。故孔子自謂後死也。言天將喪此文者、本不當使我知之。今使我知、未欲喪之)とある。また『義疏』に「既に云う、文を伝うるは我に在り、と。故に更に我殺す可からざるの意を説くなり。斯の文は、即ち文王の文章なり。後死は、孔子自ら謂うなり。夫れ生くるや必ず死有り。文王既に没せり。己も亦た当に終うべし。但だ文王已に前に没したれば、則ち己方に後に死す。故に自ら謂いて後死と為すなり。言うこころは天若し将に文王の文章を喪棄せんと欲すれば、則ち応に今我をして已にあらかじめ之を知識とするを得しむべからざるなり」(既云、傳文在我。故更説我不可殺之意也。斯文、即文王之文章也。後死、孔子自謂也。夫生必有死。文王既沒。己亦當終。但文王已沒於前、則己方死於後。故自謂爲後死也。言天若將欲喪棄文王之文章、則不應今使我已得預知識之也)とある。また『注疏』に「後れて死する者は、孔子自ら謂えるなり。文王既に没したるを以て、故に孔子自ら己を謂いて後れて死する者と為す。言うこころは天の将に此の文を喪ぼさんとする者ならば、本より当に我をして之をあずかり知らしむるべからず。今既に我をして之を知らしむるは、是れ天は未だ此の文を喪ぼすを欲せざるなり」(後死者、孔子自謂也。以文王既沒、故孔子自謂己爲後死者。言天將喪此文者、本不當使我與知之。今既使我知之、是天未欲喪此文也)とある。
  • 天之未喪斯文也、匡人其如予何 … 『集解』に引く馬融の注に「予を如何せんとは、猶お我を奈何せんと言うがごときなり。天の未だ此の文を喪ぼさざれば、則ち我当に之を伝うべし。匡人我を奈何せんと欲するも、其の天に違いて己を害すること能わざるを言うなり」(如予何者、猶言奈我何也。天之未喪此文也、則我當傳之。匡人欲奈我何、言其不能違天而害己也)とある。また『義疏』に「天今我をして之を知らしむ。是れ未だ此の文を喪ぼさんと欲せざるなり。既に未だ此の文を喪ぼさんと欲せず、己をして之を伝えしむれば、則ち匡人豈に能く天に違いて我を害せんや。故に曰く、予を如何せん、と。衛瓘云う、若し孔子自ら陽虎に非ざるを明らかにせば、必ず之を詐と謂わん。晏然として言うことくの若くんば、匡人是れ陽虎に非ざるを知る。而して賢を害するを懼る。免るる所以なり、と」(天今使我知之。是未欲喪此文也。既未欲喪此文、使己傳之、則匡人豈能違天而害我乎。故曰、如予何也。衞瓘云、若孔子自明非陽虎、必謂之詐。晏然而言若是、匡人是知非陽虎。而懼害賢。所以免也)とある。また『注疏』に「如予何とは、猶お我を奈何せんと言うがごときなり。天の未だ此の文を喪ぼさざれば、則ち我当に之を伝うべし。匡人其れ我を奈何せんと欲す。言うこころは匡人天に違いて以て己を害うこと能わざるなり」(如予何、猶言奈我何也。天之未喪此文、則我當傳之。匡人其欲奈我何。言匡人不能違天以害己也)とある。また『集注』に引く馬融の注に「文王既に没す。故に孔子自ら後に死する者と謂う。言うこころは天若し此の文を喪ぼさんと欲すれば、則ち必ず我をして此の文にあずかること得さしめず。今我既に此の文に与るを得れば、則ち是れ天の未だ此の文を喪ぼさんと欲せざるなり。天既に未だ此の文を喪ぼさんと欲せざれば、則ち匡人其れ我を奈何せん。必ず天に違いて己を害すること能わざるを言えるなり」(文王旣沒。故孔子自謂後死者。言天若欲喪此文、則必不使我得與於此文。今我旣得與於此文、則是天未欲喪此文也。天旣未欲喪此文、則匡人其奈我何。言必不能違天害己也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「文とは、先王のぶん、道の寓する所なり。……天道は善にさいわいし淫にわざわいす。是れを天に必然の理有りと謂う。……夫子嘗て曰えり、桓魋かんたい其れわれを何如せん、と。ここに曰く、匡人其れ予を如何せん、と。……夫れ文王より孔子に至るまで、其の間幾多の聖賢を生ぜり。然れども斯の文の伝わる、他人に在らずして、独り孔子に在れば、則ち天の孔子を生ずる、其の意如何と為すや。……聖人の厄に遭うこと、亦た屢〻しばしばなり。然れども卒に害を加うること能わざれば、則ち天の聖人をたすくる、豈に信ならずや」(文者、先王之遺文、道之所寓也。……天道福善禍淫。是謂天有必然之理。……夫子嘗曰、桓魋其如予何。此曰、匡人其如予何。……夫由文王至於孔子、其間生幾多聖賢。然而斯文之傳、不在他人、而獨在孔子、則天之生孔子、其意爲如何哉。……聖人之遭厄、亦屢矣。然卒不能加害、則天之佑聖人、豈不信然)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「文とは道の別名、礼楽を謂うなり。……仁斎曰く、先王のぶん、道の寓する所なり、と。……文王の文は、豈に遺文の義ならんや。孔安国曰く、文王既に没す、故に孔子自ら後死の者と謂うと、非なり。此れ孔子其の先輩に対して自ら謂うのみ。並び生まれ同じく学んで而うしておくれて死す、是れ之を後死の者と謂う。かみ文王をること五百年、豈に後死の者と謂うを得んや。大氐たいてい此の章の意、重しとする所は文王の道に在り」(文者道之別名、謂禮樂也。……仁齋曰、先王之遺文、道之所寓也。……文王之文、豈遺文之義乎。孔安國曰、文王旣沒、故孔子自謂後死者、非也。此孔子對其先輩自謂耳。竝生同學而後死、是謂之後死者。上距文王五百年、豈得謂後死者乎。大氐此章之意、所重在文王之道)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十