行営酬呂侍御(劉長卿)
行營酬呂侍御
行営にて呂侍御に酬ゆ
行営にて呂侍御に酬ゆ
- 五言排律。營・旌・迎・城・兵・成(平声庚韻)。
- ウィキソース「行營酬呂侍御……」「劉隨州文集 (四部叢刊本)/卷第四」参照。
- 詩題 … 『全唐詩』『四部叢刊本』『唐五十家詩集本』『唐詩品彙』には、題下に「時に尚書、罪を襄陽に問い、軍、漢の東境の上に次る。侍御、州が寇賊に鄰り、復た水火有り、征税に迫るを以て、詩以て諭さる」(時尚書問罪襄陽、軍次漢東境上。侍御以州鄰寇賊、復有水火、迫於征稅、詩以見諭)との自注がある。『唐詩品彙』では「州」を「舟」に作る。
- 行営 … 節度使や観察使の役所。ここでは官軍の駐屯地を指す。
- 呂 … 呂某。人物については不明。
- 侍御 … 官名。侍御史。宮中の文書をつかさどり、官吏の違法を摘発する検察官のこと。ここでは呂某が監察御史として軍の検察に来ていたと思われる。
- 酬 … お返しをする。ここでは呂侍御が詩を作って作者に贈ったのに対し、作者が答えたもの。
- この詩は、作者が随州(湖北省随県)刺史であったとき、呂侍御が詩を贈ってきたのに対し、作者が答えたもの。徳宗の建中二年(781)、襄陽(湖北省襄陽市)に駐屯していた山南東道節度使の梁崇義が反乱を起こしたのに対し、淮西節度使の李希烈に命じて討伐させた。このとき官軍に従軍していた呂侍御から、劉長卿の任地が賊軍に隣接して水害や火災などがあり、租税徴収の時期も迫っているので、治安には十分注意するようにとの詩を贈られた。儲仲君撰『劉長卿詩編年箋注』(中華書局、1996年)によると、建中二年(781)、五十六歳頃の作。
- 劉長卿 … 709?~785?。中唐の詩人。河間(河北省)の人。一説に宣城(安徽省)の人。字は文房。開元二十一年(733)、進士に及第。監察御史などの官職を歴任したが、のちに左遷され、最後は随州(湖北省随県)刺史となって終わった。このことから「劉随州」とも呼ばれた。『劉随州文集』がある。ウィキペディア【劉長卿】参照。
不敢淮南臥
敢えて淮南に臥せず
- 不敢淮南臥 … 私は漢の汲黯のように、淮南の地でゆっくり寝込んではおられず。
- 淮南臥 … 漢の汲黯が東海郡(今の山東省臨沂市と江蘇省北部、及び安徽省天長市一帯)の太守となったとき、病気がちで床に臥していたが、よい補佐官を選んで事務をとらせたので郡内はよく治まった。そこで武帝から見込まれ、治めにくい淮陽郡の太守に任ぜられたという故事を踏まえる。『史記』汲黯伝に「汲黯、字は長孺、濮陽の人なり。……遷りて東海の太守と為る。黯、黄老の言を学び、官を治め民を理むるに、清静を好み、丞史を択びて之に任ず。其の治は、大指を責むるのみ、小を苛めず。黯、多病にして、閨閤の内に臥して出でず。歳余にして、東海大いに治まる。……乃ち黯を召し拝して淮陽の太守と為す。……上曰く、君、淮陽を薄しとするか。吾今君を召さん。顧だ淮陽の吏民相得ず、吾徒に君の重きを得ん。臥して之を治めよ、と」(汲黯字長孺、濮陽人也。……遷爲東海太守。黯學黃老之言、治官理民、好淸靜、擇丞史而任之。其治、責大指而已、不苛小。黯多病、臥閨閤內不出。歲餘、東海大治。……乃召拜黯爲淮陽太守。……上曰、君薄淮陽邪。吾今召君矣。顧淮陽吏民不相得、吾徒得君之重。臥而治之)とある。ウィキソース「史記/卷120」参照。ウィキペディア【汲黯】参照。
- 淮南 … 淮水(淮河)以南の地。作者の任地随州は、広く言えば淮南地方に属す。ウィキペディア【淮河】参照。
來趨漢將營
来りて漢将の営に趨る
- 漢将 … ここでは襄陽征伐の大将。
- 営 … 陣営。
- 趨 … 馳せ参じる。
受辭瞻左鉞
辞を受けて左鉞を瞻
- 受辞 … 命令を受ける。
- 左鉞 … 大将が左手に持つ鉞。天子が将軍に征討を命じる時、そのしるしとして黄金で飾った鉞を授けた。『書経』牧誓篇に「王、左に黄鉞を杖き、右に白旄を秉り、以て麾く」(王左杖黃鉞、右秉白旄、以麾)とある。白旄は、白い牛の尾の軍配。ウィキソース「尚書/牧誓」参照。
- 瞻 … 仰ぎ見る。
扶疾拜前旌
疾を扶けて前旌を拝す
- 扶疾 … 病気をおして。
- 前旌 … 軍前の旗指物。
- 拝 … 拝む。『全唐詩』では「往」に作る。『四部叢刊本』では空字となっている。
井稅鶉衣樂
井税 鶉衣楽しみ
- 井税鶉衣楽 … 私が治める州では、租税が正しく徴収されるので、貧乏な民も生活を喜び楽しんでいる。
- 井税 … 田畑の租税。井は、井田。井田法によって井の字形に区画された田のこと。井田法は、一里四方の土地を井の字形に九等分し、その周囲の八区画を八家に分け与え、中央の一区画を公田として八家が協力して耕作し、その収穫を租税として納めさせた。
- 鶉衣 … 貧乏人のつぎはぎした破れ衣が、うずらの羽根のように斑に見えるさま。『荀子』大略篇に「子夏家貧しく、衣は縣鶉の若し」(子夏家貧、衣若縣鶉)とある。縣鶉は、尾の方の毛がなくなった鶉。破れ衣の喩え。ウィキソース「荀子/大略篇」参照。
壺漿鶴髮迎
壺漿 鶴髪迎う
- 壺漿 … つぼに入れた飲み物。飲食物を持って軍隊などを歓迎すること。『孟子』梁惠王下篇に「今燕其の民を虐ぐ。王往きて之を征す。民以て将に己を水火の中より拯わんとすと為す。簞食壺漿して、以て王の師を迎う」(今燕虐其民。王往而征之。民以爲將拯己於水火之中也。簞食壺漿、以迎王師)とある。簞食は、竹の器に入れた飯。ウィキソース「孟子/梁惠王下」参照。
- 鶴髪 … つるの羽根のように白い髪。白髪。老人を指す。
- 迎 … 歓迎する。
水歸餘斷岸
水帰りて断岸を余し
- 水帰 … 先日の洪水も引いて。
- 断岸 … 切り立った川岸。
- 余 … (川岸が氾濫のあとを)残している。
烽至掩孤城
烽至りて孤城を掩う
- 烽 … のろし。
- 至 … 伝わってくると。
- 孤城 … 孤立した町。作者が治める随州の町を指す
- 掩 … 城門を閉じること。門を掩う(掩門)。または、のろしが随州の町をおおうように光ること。
晚日當千騎
晩日 千騎に当り
- 晩日 … 夕日。
- 晩 … 『唐詩別裁集』では「暁」に作る。
- 千騎 … 千騎の兵たち。
- 当 … 夕日が千騎の兵たちの正面に沈んで行く。『全唐詩』『四部叢刊本』『唐五十家詩集本』では「帰」に作る。
秋風合五兵
秋風 五兵を合す
- 秋風 … 秋風が吹き渡る中。
- 五兵 … 五種類の武器。五戎(戎は、武器)に同じ。矛・戟・鉞・楯・弓矢。また、刀・剣・矛・戟・矢などと異説が多い。『春秋穀梁伝』荘公二十五年に「天子日を救うとき、五麾を置き、五兵・五鼓を陳ぬ」(天子救日、置五麾、陳五兵五鼓)とあり、その注に「五兵は、矛・戟・鉞・楯・弓矢なり」(五兵、矛戟鉞楯弓矢)とある。ウィキソース「春秋穀梁傳註疏/卷06」参照。また『淮南子』時則訓に「乃ち田猟を教えて、以て五戎を習わしむ」(乃教於田獵、以習五戎)とあり、その注に「戎は、兵なり。刀・剣・矛・戟・矢、故に五戎と曰うなり」(戎、兵也。刀劒矛戟矢、故曰五戎也)とある。ウィキソース「淮南子 (四部叢刊本)/卷第五」参照。
- 合 … 揃える。
孔璋才素健
孔璋 才素より健なり
早晚檄書成
早晩 檄書成らん
- 早晩 … いずれ。まもなく。遅かれ早かれ。近いうち。
- 檄書 … 兵を徴集するための、将軍が出す触れ文。『六韜』犬韜、分合篇に「其の大将は先ず戦地戦日を定め、然る後に檄書を移す」(其大將先定戰地戰日、然後移檄書)とある。ウィキソース「六韜」参照。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻四(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
- 『全唐詩』巻一百四十八(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
- 『劉随州詩集』巻四(『四部叢刊 初篇集部』所収)
- 『劉随州集』巻七(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
- 『唐詩品彙』巻七十七(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
- 『唐詩別裁集』巻十八(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『古今詩刪』巻十九(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、48頁)
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