送鄭説之歙州謁薛侍郎(劉長卿)
送鄭說之歙州謁薛侍郎
鄭説の歙州に之きて薛侍郎に謁せんとするを送る
鄭説の歙州に之きて薛侍郎に謁せんとするを送る
- 五言排律。城・生・清・行・情・成(平声庚韻)。
- ウィキソース「送鄭說之歙州謁薛侍郎」「劉隨州文集 (四部叢刊本)/卷第四」参照。
- 詩題 … 『全唐詩』(両種とも)には、題下に「一に薛能郎中に作る」(一作薛能郎中)と注する。『文苑英華』では「薛侍郎」を「薛能郎中」に作り、「集作侍郎」と注する。薛能(817~880)は、晩唐の詩人で、会昌六年(846)の進士であるから時代が合わない。『唐詩別裁集』では「薛侍郎」を「薛侍御」に作り、「時侍御出守歙」(時に侍御出て歙を守る)と注する。
- 鄭説 … 人物については不明。『全唐詩』巻七百八十九に名が見える。太常寺奉礼郎(宮中の宗廟の祭祀をつかさどる官)の職にあり、皇甫曾や釈皎然らとの聯句が残っている。この人物であるかはわからない。『文苑英華』は「集鄭晩之」と注する。
- 歙州 … 現在の安徽省歙県。ウィキペディア【歙県】参照。
- 之 … 行く。
- 薛 … 薛邕。生没年不詳。字は公和、号は冲味。河中宝鼎(現在の山西省運城市永済市)の人。開元四年(716)、進士に及第。監察御史・礼部侍郎・吏部侍郎などを歴任。大暦八年(773)、歙州刺史に左遷された。徳宗の建中元年(780)、中央に復帰し尚書左丞となった。『旧唐書』代宗紀に「(大暦)八年……五月乙酉、吏部侍郎徐浩を明州別駕に、薛邕を歙州刺史に、京兆尹杜済を杭州刺史に貶す、皆な典選に坐するなり」(八年……五月乙酉、貶吏部侍郎徐浩明州別駕、薛邕歙州刺史、京兆尹杜濟杭州刺史、皆坐典選也)とある。別駕は、刺史を補佐する官。ウィキソース「舊唐書/卷11」参照。
- 侍郎 … 官名。尚書省六部の次官。または門下省・中書省の次官。ここでは刑部の次官。長官は刑部尚書。ウィキペディア【侍郎】参照。
- 謁 … 謁見する。ここでは仕事を求めて会いに行くこと。
- 送 … 見送る。
- この詩は、鄭説が歙州に行って薛侍郎を尋ねることになったので、作者が彼を見送って詠んだもの。儲仲君撰『劉長卿詩編年箋注』(中華書局、1996年)によると、大暦十年(775)、五十歳頃の作。
- 劉長卿 … 709?~785?。中唐の詩人。河間(河北省)の人。一説に宣城(安徽省)の人。字は文房。開元二十一年(733)、進士に及第。監察御史などの官職を歴任したが、のちに左遷され、最後は随州(湖北省随県)刺史となって終わった。このことから「劉随州」とも呼ばれた。『劉随州文集』がある。ウィキペディア【劉長卿】参照。
漂泊來千里
漂泊して千里に来れば
- 漂泊 … さすらう。さすらいの旅をする。
- 来千里 … 千里の道をやって来てみれば。『孟子』梁惠王上篇に「叟、千里を遠しとせずして来る。亦た将に以て吾が国を利する有らんとするか」(叟、不遠千里而來。亦將有以利吾國乎)とある。ウィキソース「孟子/梁惠王下」参照。
謳歌滿百城
謳歌 百城に満つ
漢家尊太守
漢家 太守を尊び
- 漢家 … 漢の帝室。ここでは唐の朝廷を指す。『史記』梁孝王世家に「梁の孝王は、親愛の故を以て膏腴の地に王たりと雖も、然も漢家隆盛にして百姓殷富なるに会う。故に能く其の財貨を植し、宮室を広め、車服、天子に擬す。然れども亦た僭なり」(梁孝王雖以親愛之故王膏腴之地、然會漢家隆盛百姓殷富。故能植其財貨、廣宮室、車服擬於天子。然亦僭矣)とある。膏腴は、肥沃。殷富は、栄えて豊かなこと。僭は、僭越。ウィキソース「史記/卷058」参照。
- 太守 … 郡の長官。大守。郡守。ここでは薛邕を指す。『漢書』百官公卿表に「郡守は、秦官なり。其の郡を治むるを掌る。秩は二千石。丞有り。辺郡は又た長史有り、兵馬を掌る。秩は皆六百石。景帝中二年、更めて太守と名づく」(郡守、秦官。掌治其郡。秩二千石。有丞。邊郡又有長史、掌兵馬。秩皆六百石。景帝中二年、更名太守)とある。ウィキソース「漢書/卷019」参照。ウィキペディア【太守】参照。
- 尊 … 尊重する。
魯國重諸生
魯国 諸生を重んず
- 魯国 … 春秋時代の魯の国。前1055~前249。周の武王が、弟の周公旦の領地として与えたのが始まる。前249年、楚に滅ぼされた。孔子が生まれた国で、都は曲阜(現在の山東省済寧市曲阜市)。ウィキペディア【魯】参照。ここでは歙州に喩えている。
- 諸生 … 官途に就いていない知識人。前漢の叔孫通が、官途に就いていない魯の儒者三十余名を徴して朝廷の儀礼を整え、彼らを推挙して全員を郎官に就けてやったという故事を踏まえる。ここでは薛邕を叔孫通に、鄭説を諸生になぞらえている。『史記』叔孫通伝に「夫れ儒者は与に進みて取り難く、与に成りたるを守る可し。臣願わくは魯の諸生を徴し、臣の弟子と共に朝儀を起さん」(夫儒者難與進取、可與守成。臣願徴魯諸生、與臣弟子共起朝儀)とある。ウィキソース「史記/卷099」参照。
俗變人難理
俗は人の理め難きを変じ
- 俗 … 風俗。ここでは歙州の人々の風俗を指す。『礼記』楽記篇に「楽なる者は、聖人の楽しむ所なり。而して以て民心を善くす可し。其の人を感ぜしむること深く、其れ風を移し俗を易う。故に先王其の教えを著す」(樂也者、聖人之所樂也。而可以善民心。其感人深、其移風易俗。故先王著其教焉)とある。ウィキソース「禮記/樂記」参照。
- 難理 … 統治しにくい。治めにくい。
- 変 … 改まる。
江傳水至清
江は水の至って清きを伝う
- 江伝水至清江 … 新安江の水が至って澄み切っているように、その政治も清潔な姿を世に伝えている。
- 江 … 浙江省と安徽省を流れる新安江を指す。銭塘江の支流の一つ。
- 水至清 … 水が非常に清らかなこと。きわめて清らかなこと。梁の沈約に「新安江は水至って清く、浅深底を見わす。京邑の遊好に貽る」(新安江水至清、淺深見底。貽京邑遊好)という題の詩がある。ウィキソース「昭明文選/卷27」参照。また『孔子家語』入官篇に「水至って清ければ則ち魚無く、人至って察ならば則ち徒無し」(水至清則無魚、人至察則無徒)とある。察は、潔癖すぎること。徒は、親しい仲間。ウィキソース「孔子家語/卷五」参照。
- 伝 … 伝える。『全唐詩』(両種とも)には「一作流」とある。『文苑英華』では「流」に作り、「集作傳」と注する。
船經危石住
船は危石を経て住まり
- 船 … 鄭説が乗る船。『四部叢刊本』では「舡」に作る。『古今詩刪』では「舩」に作る。いずれも異体字。
- 危石 … 高くそそり立つ岩。『荘子』田子方篇に「嘗に汝と高山に登り、危石を履み、百仞の淵に臨まば、若、能く射んか」(嘗與汝登高山、履危石、臨百仞之淵、若能射乎)とある。ウィキソース「莊子/田子方」参照。
- 経 … そばを通り過ぎる。
- 住 … 港に停泊する。『全唐詩』(両種とも)には「一作往」とある。『文苑英華』には「一作徃」とある。「徃」は「往」の異体字。
路入亂山行
路は乱山に入りて行く
- 路 … 陸路。
- 乱山 … 高さが不揃いの多くの山々。
老得滄洲趣
老いては滄洲の趣を得
- 老 … 私も年老いて。
- 滄洲趣 … 仙境に遊ぶような心境。滄洲は、東方の海上にあり、仙人が住むといわれていた所。謝朓の「宣城に之かんとして新林浦を出で版橋に向う」(『文選』巻二十七)に「既に禄を懐うの情を懽ばしめ、復た滄州の趣に協う」(既懽懷祿情、復協滄州趣)とある。ウィキソース「昭明文選/卷27」参照。
- 洲 … 『全唐詩』(中華書局点校本)では「州」に作る。
春傷白首情
春には白首の情を傷ましむ
- 春 … 春ともなれば。
- 白首情 … 白髪あたまで不遇の身を悲しむ気持ち。『史記』范雎蔡沢伝の論賛に「范雎・蔡沢は世に所謂一切の弁士なり。然れども諸侯に游説して白首に至るまで遇う所無きは、計策の拙かりしに非ず、説を為す所力少なかりしなり」(范雎蔡澤世所謂一切辯士。然游説諸侯至白首無所遇者、非計策之拙、所爲説力少也)とある。ウィキソース「史記/卷079」参照。
- 首 … 『唐詩別裁集』では「髪」に作る。
- 傷 … 胸が痛む。
嘗聞馬南郡
嘗て聞く 馬南郡
門下有康成
門下に康成有りと
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻四(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
- 『全唐詩』巻一百四十八(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
- 『全唐詩』巻一百四十八(点校本、中華書局、1960年)
- 『劉随州詩集』巻四(『四部叢刊 初篇集部』所収)
- 『劉随州集』巻七(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
- 『文苑英華』巻二百七十(影印本、中華書局、1966年)
- 『唐詩品彙』巻七十七(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
- 『唐詩別裁集』巻十八(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『古今詩刪』巻十九(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、48頁)
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