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奉観厳鄭公庁事岷山沲江図(杜甫)

奉觀嚴鄭公廳事岷山沲江圖
厳鄭公げんていこうちょうにて岷山びんざんこうたてまつ
杜甫とほ
  • 〔テキスト〕 『唐詩選』巻四、『全唐詩』巻二百二十八、『宋本杜工部集』巻十三、『九家集注杜詩』巻二十六(『杜詩引得』第二冊)、『杜陵詩史』巻二十(『杜詩又叢』所収)、『分門集注杜工部詩』巻十六(『四部叢刊 初編集部』所収)、『草堂詩箋』巻二十三(『古逸叢書』所収)、『銭注杜詩』巻十三、『杜詩詳注』巻十四、『読杜心解』巻五之二、『杜詩鏡銓』巻十一、『唐詩品彙』巻七十五、『古今詩刪』巻十九(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、46頁)、他
  • 五言排律。堂・梁・香・茫・光・長・霜・傍・昂・忘(平声陽韻)。
  • ウィキソース「全唐詩/卷228」「分門集註杜工部詩 (四部叢刊本)/卷第十六」参照。
  • 詩題 … 『全唐詩』『宋本』『九家集注本』『四部叢刊本』『草堂詩箋』『銭注本』『詳注本』『心解本』『鏡銓本』では「奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻(得忘字)」に作る。「十韻」とは、十韻二十句から成る詩で、隔句(一句置き)に押韻するもの。「忘の字を得たり」とは、宴席において数人で韻字をくじ引きで決め、作者は「忘」の字が当たったということ。
  • 厳鄭公 … 厳武(726~765)のこと。鄭公は、鄭国公に封ぜられたのでいう。華州華陰(陝西省華陰市)の人。あざなよう。挺之の子。太原府(山西省太原市)参軍から殿中侍御史に進み、安禄山の乱のとき、玄宗に従って蜀へ避難し、諫議大夫となった。その後、京兆尹・成都(四川省成都市)尹兼剣南節度使などを歴任。広徳二年(764)吐蕃の大軍七万を破り、その軍功により鄭国公に封ぜられた。また蜀に滞在中、流浪中の杜甫を援助した。『全唐詩』に六首収める。ウィキペディア【厳武】参照。
  • 庁事 … 役所の執務室。
  • 岷山 … 四川省と甘粛省の境にある山脈。ウィキペディア【岷山山脈】参照。
  • 沲江 … 長江の支流。成都の近くを流れている。『書経』禹貢篇に「岷山びんざんよりこうみちびき、ひがしわかれてり、またひがししてれいいたり、きゅうこうぎて、とうりょういたり、ひがしななめきたして、かいかいし、ひがししてちゅうこうり、うみる」(岷山導江、東別爲沱、又東至于澧、過九江、至于東陵、東迆北、會于匯、東爲中江、入于海)とある。ウィキソース「尚書/禹貢」参照。ウィキペディア【沱江】参照。
  • この詩は、作者が成都で成都尹兼剣南節度使だった厳武の執務室に掛けてあった岷山沲江の山水図を見て詠じたもの。広徳二年(764)の作。
  • 杜甫 … 712~770。盛唐の詩人。じょうよう(湖北省)の人。あざな子美しび。祖父は初唐の詩人、杜審言。若い頃、科挙を受験したが及第できず、各地を放浪して李白らと親交を結んだ。安史の乱では賊軍に捕らえられたが、やがて脱出し、新帝しゅくそうのもとで左拾遺に任じられた。その翌年左遷されたため官を捨てた。四十八歳の時、成都(四川省成都市)の近くのかんけいに草堂を建てて四年ほど過ごしたが、再び各地を転々とし一生を終えた。中国最高の詩人として「詩聖」と呼ばれ、李白とともに「李杜りと」と並称される。『杜工部集』がある。ウィキペディア【杜甫】参照。
沲水臨中座
すい ちゅうのぞ
  • 沲水 … 沲江に同じ。
  • 沲 … 『全唐詩』『草堂詩箋』『銭注本』『詳注本』『心解本』『鏡銓本』では「沱」に作る。「沲」は「沱」の異体字。
  • 中座 … 座敷の真ん中。左思の「蜀都の賦」(『文選』巻四)に「金罍きんらいちゅうにして、肴核こうかくよもつらなる」(金罍中坐、肴核四陳)とある。金罍は、黄金で飾った酒樽。肴核は、魚と果物。ごちそうのこと。四は、四方。ウィキソース「蜀都賦 (左思)」参照。
  • 臨 … 流れ込んでいる。『全唐詩』『銭注本』では「流」に作り、「一作臨」とある。『宋本』『鏡銓本』でも「流」に作る。『詳注本』『心解本』には「一作流」とある。
岷山赴北堂
岷山びんざん 北堂ほくどうおもむ
  • 北堂 … 北側の部屋。鮑照の「双燕そうえんえいず」(『玉台新詠』巻四)に「南閨なんけいうち出入しゅつにゅうし、北堂ほくどうほとりけいす」(出入南閨裏、經過北堂陲)とある。ウィキソース「詠雙燕」参照。
  • 北 … 『詳注本』『心解本』には「一作此」とある。『全唐詩』『銭注本』では「此」に作り、「一作北」とある。『宋本』『九家集注本』『唐詩品彙』でも「此」に作る。
  • 赴 … 続いている。『全唐詩』『心解本』では「到」に作り、「一作對、一作赴」とある。『詳注本』でも「到」に作り、「一作對、俗本作赴」とある。『宋本』『杜陵詩史』『四部叢刊本』『草堂詩箋』『銭注本』『鏡銓本』でも「到」に作り、「一作對」とある。
白波吹粉壁
はく 粉壁ふんぺき
  • 白波 … 白い波。『荘子』外物篇に「はくやまごとく、海水かいすい震蕩しんとうし、こえしんひとしく、せん憚赫たんかくす」(白波若山、海水震蕩、聲侔鬼神、憚赫千里)とある。憚赫は、勢いが激しく、恐れ震えさすこと。ウィキソース「莊子/外物」参照。
  • 粉壁 … 白く塗った壁。張正見の「置酒高殿上」(『楽府詩集』巻三十九)に「陳王ちんおう甲第こうだいひらき、粉壁ふんぺきしょうける」(陳王開甲第、粉壁麗椒塗)とある。置酒は、酒宴を開くこと。甲第は、立派な邸宅。椒塗は、山椒を入れた土。麗は、くっつける。ウィキソース「樂府詩集/039卷」参照。
  • 吹 … しぶきを吹き付ける。『全唐詩』『銭注本』『詳注本』『心解本』には「一作侵」とある。
靑嶂插雕梁
せいしょう 雕梁ちょうりょうさしはさ
  • 青嶂 … 青く聳え立つ峰。沈約の「しょうざん西陽王せいようおうおしえにおうず」(『文選』巻二十二)に「鬱律うつりつとして丹巘たんけんかまえ、りょうそうとしてせいしょうおこす」(鬱律構丹巘、崚嶒起青嶂)とある。鬱律は、地形が入り組んでいて険しいさま。丹巘は、赤い峰。崚嶒は、幾重にも重なり合うさま。ウィキソース「鍾山詩應西陽王教」参照。
  • 雕梁 … 彫刻を施したうつばり
  • 挿 … 突き刺さるかのようである。
直訝杉松冷
いぶかる さんしょうひややかなるかと
  • 直 … 「ただ」と読み、「ただ~だけ」と訳す。限定の意を示す。
  • 訝 … いぶかしく思う。不審に思う。
  • 杉松 … 杉や松の林。
  • 冷 … 冷気がこの部屋に立ち込めるのかと。
兼疑菱荇香
ねてうたがう りょうこうかおるかと
  • 兼疑 … さらにまた疑われる。
  • 菱荇 … ひしあさざ。ともに水草の名。
  • 香 … 香りがこの部屋に漂うのかと。
雪雲虛點綴
雪雲せつうん むなしく点綴てんてい
  • 雪雲 … 雪を降らす雲。雪を降らしそうな雲。雪雲ゆきぐも
  • 虚 … 現実ではなく、絵に描いたことであるのをいう。
  • 点綴 … 点々とほどよく連なって描かれている様子。「てんてつ」は慣用読み。『世説新語』言語篇に「司馬しばたいさいちゅう夜坐やざす。ときそらつきめいじょうにして、すべ繊翳せんえいし。たいたんじてもっす。しゃけいちょうり、こたえていわく、えらく、すなわうん点綴てんていするにかず、と」(司馬太傅、齋中夜坐。于時天月明淨、都無纖翳。太傅歎以爲佳。謝景重在坐、答曰、意謂乃不如微雲點綴)とある。ウィキソース「世說新語/言語」参照。
沙草得微茫
そう ぼうたり
  • 沙草 … 川辺の砂地に生えた草。孔稚珪の「白馬篇二首 其の一」(『楽府詩集』巻六十三)に「そうじょうせいならず」(沙草不常靑)とある。常青は、いつも青々としていること。ウィキソース「樂府詩集/063卷」参照。
  • 草 … 『唐詩選』では「艸」に作る。同義。
  • 微茫 … ぼんやりとかすんで見える様子。
嶺雁隨毫末
嶺雁れいがん 毫末ごうまつしたが
  • 嶺雁 … 嶺を越えて飛ぶ雁。
  • 雁 … 『唐詩選』『宋本』『杜陵詩史』『四部叢刊本』『草堂詩箋』『唐詩品彙』では「鴈」に作る。同義。
  • 毫末 … 絵筆の穂先。『老子』六十四章に「合抱ごうほうも、毫末ごうまつよりしょうじ、きゅうそうだいも、るいよりおこり、せんこうも、そっよりはじまる」(合抱之木、生於毫末、九層之臺、起於累土、千里之行、始於足下)とある。ウィキソース「道德經 (王弼本)」参照。
  • 随 … 絵筆の穂先の動くままに、点々と描かれていること。
川霓飮練光
川霓せんげい 練光れんこう
  • 川霓 … 川にかかった虹。霓は、虹のこと。
  • 霓 … 『全唐詩』『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『四部叢刊本』『草堂詩箋』『銭注本』『詳注本』『心解本』『鏡銓本』では「蜺」に作る。同義。
  • 練光 … ねりぎぬが放つ光。謝朓の「くれ三山さんざんのぼり、京邑けいゆう還望かんぼうす」(『文選』巻二十七)に「余霞よかさんじてし、ちょうこうしずかにしてねりぎぬごとし」(餘霞散成綺、澄江靜如練)とある。ウィキソース「昭明文選/卷27」参照。
  • 飲 … 虹は動物の一種で、川の水を飲みに下りて来るという伝説が古くからあった。『夢渓筆談』巻二十一、異事に「つたう、にじ渓澗けいかんりてみずむ」(世傳、虹能入溪澗飮水)とある。ウィキソース「夢溪筆談/卷21」参照。
霏紅洲蕊亂
くれないばしてしゅうずいみだ
  • 霏紅 … 画面に紅い色を飛び散らす。霏は、細かいものが乱れ散るさま。
  • 洲蕊 … 中洲の花。蕊は、しべ(雄しべと雌しべの総称)だが、ここでは花の意。
  • 乱 … 咲き乱れる。
拂黛石蘿長
たいはらってせきなが
  • 払黛 … 黒の絵具を軽く塗りつける。黛は、黒色の顔料。
  • 石蘿 … 石にまとい付いた蔦かずら。蘿は、かずら。つた類の総称。
  • 長 … 長く伸びる。
暗谷非關雨
暗谷あんこくあめかかわるにあら
  • 暗谷 … 谷間がほの暗く見えること。『全唐詩』『銭注本』には「一作谷暗」とある。『詳注本』『心解本』では「谷暗」に作り、「一作暗谷」とある。『草堂詩箋』でも「谷暗」に作る。
  • 非関雨 … 雨とは関係ない。雨が降っているわけではない。
丹楓不爲霜
丹楓たんぷうしもためならず
  • 丹楓 … 紅葉したかえで。『全唐詩』『銭注本』には「一作楓丹」とある。『詳注本』『心解本』では「楓丹」に作り、「一作丹楓」とある。『草堂詩箋』でも「楓丹」に作る。
  • 楓 … 『杜陵詩史』では「風」に作る。
  • 不為霜 … 霜が降りたためではない。霜のせいではない。
秋城玄圃外
秋城しゅうじょう げんそと
  • 秋城 … 秋の気配に包まれた町。城は、城市。城壁のある町。
  • 城 … 『詳注本』には「一作成」とある。『全唐詩』『杜陵詩史』『四部叢刊本』『銭注本』では「成」に作り、「一作城」とある。『宋本』でも「成」に作り、「一云城」とある。『九家集注本』『草堂詩箋』でも「成」に作る。
  • 玄圃 … 崑崙こんろん山の上にあるという仙人の居所。東方朔『海内十洲記』に「ゆえづけて崑崙こんろんざん三角さんかくう。……一角いっかく正西せいせいづけてげんどうう」(故名曰崑崙山三角。……其一角正西、名曰玄圃堂)とある。正西は、真西の方向。ウィキソース「海內十洲記」参照。
  • 外 … 彼方。
景物洞庭傍
景物けいぶつ 洞庭どうていかたわら
  • 景物 … 風景。
  • 洞庭 … 洞庭湖。湖南省北部にある。『楚辞』湘夫人に「嫋嫋じょうじょうたるしゅうふう洞庭どうていなみだって木葉もくようくだる」(嫋嫋兮秋風、洞庭波兮木葉下)とある。ウィキソース「九歌」参照。ウィキペディア【洞庭湖】参照。
  • 傍 … 真に(洞庭湖の)ほとりのように思われる。『全唐詩』『銭注本』『詳注本』『鏡銓本』では「旁」に作る。同義。
繪事功殊絕
かい こう殊絶しゅぜつなり
  • 絵事 … 絵を描く事。『論語』八佾篇に「かいのちにす」(繪事後素)とある。ウィキソース「論語/八佾第三」参照。
  • 功 … (成し遂げた立派な)仕事。『考工記』に「およかいこうのちにす」(凡畫繢之事、後素功)とある。畫繢は、色模様。素功は、白い色彩を施す仕事。ウィキソース「考工記解 (四庫全書本)/卷上」参照。
  • 殊絶 … 普通と違って特に優れている。非常に素晴らしい。楊修の「りんこうこたうるのせん」(『文選』巻四十)に「聖賢せいけん卓犖たくらくたる、もとより凡庸ぼんよう殊絶しゅぜつする所以ゆえんなり」(聖賢卓犖、固所以殊絕凡庸也)とある。卓犖は、非常に優れていること。ウィキソース「答臨淄侯牋」参照。
幽襟興激昂
幽襟ゆうきん きょう激昂げきこう
  • 幽襟 … 心中の静かで奥深い思い。幽情に同じ。襟は、心の意。
  • 興 … 興趣。
  • 激昂 … 激しく湧き起こってくる。揚雄の「かいちょう」(『文選』巻四十五)に「范雎はんしょは、亡命ぼうめいなり、あばらこしぼねひしがれ、さくまぬかれ、かたわせまれ、ふくしてのうる、ばんじょうしゅ激卬げきこうして、涇陽けいようへだて、じょうこうちてこれかわるは、あたればなり」(范雎、魏之亡命也、折脅摺髂、免於徽索、翕肩蹈背、扶服入囊、激卬萬乘之主、介涇陽、抵穰侯而代之、當也)とある。徽索は、罪人を縛る縄。ウィキソース「解嘲」参照。
從來謝太傅
じゅうらい しゃたい
  • 従来 … 以前から。かねてより。
  • 謝太傅 … 東晋の名臣、謝安。320~385。死後、太傅を贈られたのでこういう。あざなは安石。若い時に会稽かいけい(浙江省)の東山に隠棲し、山水を楽しんでいた。のちに出仕ししょうしょぼく・中書監などを歴任、けんの軍を破って功績をあげ、太保に至った。ウィキペディア【謝安】参照。ここでは激務をこなしながらも山水を愛する厳武になぞらえる。
丘壑道難忘
きゅうがく みち わすがた
  • 丘壑 … 丘と谷。隠棲に適した場所。山水に同じ。『晋書』謝安伝に「あんじょうきゅうがくほしいままにすといえども……あんちょうくといえども、しかれども東山とうざんこころざしまつかわらず」(安雖放情丘壑……安雖受朝寄、然東山之志始末不渝)とあるのを踏まえる。朝寄は、朝廷からの委任。ウィキソース「晉書/卷079」参照。
  • 丘 … 『鏡銓本』では「邱」に作る。同義。
  • 道 … 隠棲への道。隠者の生活への道。
  • 難忘 … 忘れられない。
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