行次昭陵(杜甫)
行次昭陵
行きて昭陵に次る
行きて昭陵に次る
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻四、『全唐詩』巻二百二十五、『宋本杜工部集』巻九、『九家集注杜詩』巻十七、『杜陵詩史』巻六、『分門集注杜工部詩』巻六(『四部叢刊 初編集部』所収)、『草堂詩箋』巻十一、『銭注杜詩』巻十、『杜詩詳注』巻五、『文苑英華』巻三百六、『唐詩品彙』巻七十五、『唐詩別裁集』巻十七、他
- 五言排律。夫・都・謨・衢・儒・嶇・蘇・鑪・湖・趨・途・隅(平声虞韻)。
- ウィキソース「全唐詩/卷225」「九家集注杜詩 (四庫全書本)/卷17」「分門集註杜工部詩 (四部叢刊本)/卷第六」「文苑英華 (四庫全書本)/卷0306」参照。
- 詩題 … 『文苑英華』では「行次昭陵十二韻」に作る。
- 昭陵 … 唐の太宗李世民の陵墓。陝西省礼泉(旧称は醴泉)県の北東、九(そう)山にある。ウィキペディア【昭陵 (唐)】参照。
- 次 … 宿泊する。
- この詩は、至徳二載(757)、(ふ)州へ帰る途中、昭陵のほとりに宿泊して作ったもの。
- 杜甫 … 712~770。盛唐の詩人。襄陽(湖北省)の人。字は子美。祖父は初唐の詩人、杜審言。若い頃、科挙を受験したが及第できず、各地を放浪して李白らと親交を結んだ。安史の乱では賊軍に捕らえられたが、やがて脱出し、新帝粛宗のもとで左拾遺に任じられた。その翌年左遷されたため官を捨てた。四十八歳の時、成都(四川省成都市)の近くの浣花渓に草堂を建てて四年ほど過ごしたが、再び各地を転々とし一生を終えた。中国最高の詩人として「詩聖」と呼ばれ、李白とともに「李杜」と並称される。『杜工部集』がある。ウィキペディア【杜甫】参照。
舊俗疲庸主
旧俗 庸主に疲れ
群雄問獨夫
群雄 独夫を問う
- 群雄 … 多くの英雄たち。隋末に天下を取ろうとした李密・竇建徳などを指す。
- 群 … 底本および『九家集注本』『草堂詩箋』『銭注本』『詳注本』『唐詩品彙』『唐詩別裁集』では「羣」に作る。異体字。
- 独夫 … 暴虐無道の君主のこと。民心が離れ、孤独な状態にあるので、こういう。元は殷の紂王のことを指したが、ここでは隋の煬帝を指す。『書経』泰誓下篇に「独夫受、洪いに惟れ威を作す、乃ち汝の世讐たり」(獨夫受、洪惟作威、乃汝世讎)とある。受は、紂王の名。世讐は、代々のかたき。ウィキソース「尚書/泰誓下」参照。
- 問 … 煬帝の罪を問う。煬帝の責任を問う。
讖歸龍鳳質
讖は帰す 竜鳳の質
- 讖 … 予言。ここでは天子の位に就くという予言。
- 帰 … 帝位が太宗のもとに落ち着いたということ。
- 竜鳳質 … 天子となるべき素質。太宗が四歳のとき、ある人がその姿を見て、「竜鳳の姿があり、将来必ず世を済い民を安んずるだろう」と予言したという故事に基づく。『旧唐書』太宗紀に「太宗時に年四歳、書生有り、……太宗を見て曰く、竜鳳の姿、天日の表、年将に二十にならんとして、必ず能く世を済い民を安んぜん」(太宗時年四歲、有書生、……見太宗曰、龍鳳之姿、天日之表、年將二十、必能濟世安民矣)とある。ウィキソース「舊唐書/卷2」参照。
威定虎狼都
威は定む 虎狼の都
- 威 … 太宗の威力。太宗の威勢。
- 定 … 「さだまる」と読んでもよい。平定すること。
- 虎狼都 … 隋の都、長安を指す。「虎狼」は、暴虐なものの喩え。『史記』蘇秦伝に「夫れ秦は、虎狼の国なり。天下を吞むの心有り」(夫秦、虎狼之國也。有吞天下之心)とあるのに基づく。「吞天下之心」は、天下を併呑しようとする野心。ウィキソース「史記/卷069」参照。なお、清の顧炎武はこれを否定し、秦の分野が白虎星と狼星にあたるからだという。顧炎武『日知録』巻二十七、杜子美詩注に「注に蘇秦伝を引く、秦は虎狼の国、甚だ無理たり。此れ乃ち秦本紀の賛を用う、狼弧に拠り、参伐を蹈む。参は白虎たり、秦の分星なり」(注引蘇秦傳、秦虎狼之國、甚爲無理。此乃用秦本紀贊、據狼弧、蹈參伐。參為白虎、秦之分星也)とある。ウィキソース「日知錄/卷27」参照。なお、秦本紀賛は、秦始皇本紀の賛に見える。ウィキソース「史記/卷006」参照。
天屬尊堯典
天属 堯典を尊び
- 天属 … 天然の関係。父子・兄弟のつながりをいう。ここでは高祖と太宗との父子関係を指す。『荘子』山木篇に「彼は利を以て合い、此は天を以て属せるなり」(彼以利合、此以天屬也)とある。ウィキソース「莊子/山木」参照。
- 尊堯典 … 『書経』堯典篇の教えを尊重する。堯が実子の丹朱ではなく、賢者の舜に譲位したことを尊重すること。高祖が長子の李建成ではなく、次男の李世民(太宗)に譲位したことになぞらえる。堯典は、『書経』冒頭の篇名。堯の言行と舜に譲位したことが書かれている。
神功協禹謨
神功 禹謨に協う
- 神功 … 太宗の神のごとき偉大な功績。
- 禹謨 … 『書経』篇名。大禹謨。謨は、はかりごと。夏の禹帝の言行と功績が書かれている。
- 協 … 太宗の功績が禹帝の功績にも匹敵するほどである。
風雲隨絕足
風雲 絶足に随い
- 風雲 … 太宗とその臣下とのめぐり逢いに喩える。『易経』乾卦に「雲は竜に従い、風は虎に従う」(雲從龍、風從虎)とある。ウィキソース「周易/乾」参照。また、漢の王褒「聖主賢臣を得るの頌」(『文選』巻四十七)に「世に必ず聖智の君有りて、而る後賢明の臣有り。虎嘯きて谷風冽たり、竜興りて雲気を致す」(世必有聖智之君、而後有賢明之臣。虎嘯而谷風冽、龍興而致雲氣)とある。ウィキソース「聖主得賢臣頌」参照。
- 絶足 … 駿馬。足の速い優れた馬。逸足。太宗に喩える。孔融「禰衡を薦むる表」(『文選』巻三十七)に「飛兔・騕䮍、絶足奔放は、良楽の急にする所なり」(飛兔・騕䮍、絕足奔放、良樂之所急也)とある。飛兔・騕䮍は、古の駿馬の名。良楽は、王良と伯楽。ともに馬の名鑑定人。ウィキソース「薦禰衡表」参照。また、孔融と禰衡については、ウィキペディア【孔融】【禰衡】参照。
- 絶 … 『全唐詩』『銭注本』『詳注本』には「一作逸」とある。『文苑英華』では「逸」に作り、「集作絶」とある。
- 随 … 多くの名臣たち(房玄齢・杜如晦ら)が太宗に付き従った。ウィキペディア【房玄齢】【杜如晦】参照。
日月繼高衢
日月 高衢に継ぐ
- 日月 … 太宗の徳光が光り輝くことに喩える。
- 高衢 … 立派な政治の大道。衢は、四方に通じる大通り。魏の王粲「登楼の賦」(『文選』巻十一)に「冀わくは王道の一たび平らかに、高衢を仮りて力を騁せんことを」(冀王道之一平兮、假高衢而騁力)とあるのを踏まえる。ウィキソース「登樓賦」参照。
- 継 … あとに続く。『全唐詩』『銭注本』『詳注本』には「一作享」とある。
文物多師古
文物 多く古を師とし
- 文物 … 朝廷の文物制度。学問・芸術・宗教・法律・制度など、文化の生み出したもの。
- 師古 … 古代の堯舜の理想的な時代を手本として従う。
朝廷半老儒
朝廷 半ばは老儒
- 朝廷 … 朝廷の百官たち。
- 老儒 … 老成して学徳の高い儒者。
直詞寧戮辱
直詞 寧ぞ戮辱せられん
- 直詞 … はばからずに言って諫める言葉。率直な諫言。
- 寧 … 「いずくんぞ」「なんぞ」と読み、「どうして~であろうか」「まさか~ではあるまい」と訳す。反語の意を示す。『草堂詩箋』では「寍」に作る。異体字。
- 戮辱 … 刑罰の辱めを受けること。畳韻(二字が同じ母音で終わる)の語。
賢路不崎嶇
賢路 崎嶇ならず
往者災猶降
往者 災い猶お降り
- 往者 … 先頃。
- 往 … 『文苑英華』『唐詩品彙』では「徃」に作る。異体字。
- 災猶降 … 隋末から唐初にかけて、水害や旱魃などの天災が続いたことを指す。
- 災 … 『九家集注本』『銭注本』『唐詩別裁集』では「灾」に作る。異体字。
蒼生喘未蘇
蒼生 喘ぎて未だ蘇らず
- 蒼生 … 人民。あおひとぐさ。蒼民。蒼氓。人民を青々と茂った草に喩えた言葉。『書経』益稷篇に「兪るかな。帝は天の下に光き、海隅の蒼生に至る」(兪哉。帝光天之下、至于海隅蒼生)とある。ウィキソース「尚書/益稷」参照。
- 喘 … 喘ぎ苦しんで。
- 未蘇 … 十分に回復していなかった。生きた心地もなかった。
指揮安率土
指揮して率土を安んじ
- 指揮 … 太宗が群臣を指揮する。『全唐詩』『宋本』『九家集注本』『草堂詩箋』『銭注本』『詳注本』『文苑英華』『唐詩別裁集』では「指麾」に作る。同義。麾は、さしまねく。軍隊の指揮者の持つ旗。
- 率土 … 陸地の続くかぎり。国中すべて。『詩経』小雅・北山の詩に「溥天の下、王土に非ざる莫く、率土の浜、王臣に非ざる莫し」(溥天之下、莫非王土、率土之濱、莫非王臣)とある。溥天は、天のおおうかぎり。浜は、天と地の接する所。ウィキソース「詩經/北山」参照。
- 安 … 平穏に治める。
盪滌撫洪鑪
盪滌して洪鑪を撫す
- 盪滌 … 災害を洗い去ること。班固「東都の賦」(『文選』巻一)に「百王の荒屯を紹ぎ、造化の盪滌に因り、元を体し制を立て、天に継いで作る」(紹百王之荒屯、因造化之盪滌、體元立制、繼天而作)とある。荒屯は、艱難。ウィキソース「東都賦」参照。
- 洪鑪 … 大きな炉。天地・天下に喩える。『荘子』大宗師篇に「天地を以て大鑪と為し、造化を以て大冶と為さば、悪くにか往くとして可ならざらん」(以天地爲大鑪、以造化爲大冶、惡乎往而不可哉)とある。大冶は、鋳物を作る職人。ウィキソース「莊子/大宗師」参照。
- 鑪 … 底本では「罏」に作るが、『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『四部叢刊本』『銭注本』『詳注本』『文苑英華』『唐詩品彙』『唐詩別裁集』に従い改めた。『全唐詩』『草堂詩箋』では「爐」に作る。いずれも同義。
- 撫 … なで育てる。天下を大切に治めること。
壯士悲陵邑
壮士 陵邑に悲しみ
- 壮士 … 勇士。
- 陵邑 … 天子の墓地を守るために置いた村。昭陵を指す。
幽人拜鼎湖
幽人 鼎湖に拝す
- 幽人 … 俗世間を離れてひっそり暮らしている人。隠者。杜甫自身を指す。『易経』履卦に「九二、道を履むこと坦坦たり。幽人なれば貞にして吉」(九二、履道坦坦。幽人貞吉)とある。ウィキソース「周易/履」参照。
- 鼎湖 … 黄帝が荊山(湖北省)のふもとで鼎を鋳造し、竜に乗って昇天したという所。ここでは昭陵になぞらえる。『史記』封禅書に「黄帝、首山の銅を采り、鼎を荊山の下に鋳る。鼎既に成りしとき、竜有りて胡髯を垂れ、下りて黄帝を迎う。黄帝、上り騎る。群臣後宮従いて上る者七十余人、竜乃ち上り去りぬ。余の小臣は上ることを得ず。乃ち悉く竜髯を持つ。竜髯抜け、黄帝の弓を堕せり。百姓仰ぎ望む。黄帝、既に天に上りぬ。乃ち其の弓と竜の胡髯とを抱きて号べり。故に後世因って其の処を名づけて鼎湖と曰い、其の弓を烏号と曰えり」(黃帝采首山銅、鑄鼎於荊山下。鼎既成、有龍垂胡髯、下迎黃帝。黃帝上騎。羣臣後宮從上者七十餘人、龍乃上去。餘小臣不得上。乃悉持龍髯。龍髯拔、墮黃帝之弓。百姓仰望。黃帝既上天。乃抱其弓與龍胡髯號。故後世因名其處曰鼎湖、其弓曰烏號)とある。ウィキソース「史記/卷028」参照。
- 鼎 … 『文苑英華』では「」に作る。異体字。
- 拝 … 伏し拝む。参拝する。
玉衣晨自舉
玉衣 晨に自ずから挙がり
- 玉衣 … 玉を綴って作った衣。
- 晨 … 早朝。
- 玉衣晨自挙 … 漢の武帝のとき、高祖の廟に納められていた御衣が箱の中からひとりでに出て、殿上で舞ったという故事に基づく。『漢武故事』に「高皇廟中の御衣、篋中より出で、殿上に舞う」(高皇廟中御衣、自篋中出、舞於殿上)とある。高皇は、漢の高祖のこと。ウィキソース「漢武故事」参照。
鐵馬汗常趨
鉄馬 汗して常に趨る
- 鉄馬 … 鉄製の鎧をつけた馬。昭陵のわきに置かれた、太宗が愛した六匹の駿馬をかたどった石馬をいう。
- 鐵 … 『全唐詩』には「一作石」とある。『銭注本』『詳注本』には「英華作石」とある。『文苑英華』では「石」に作り、「集作鐵」とある。
- 汗常趨 … 安史の乱のとき、潼関の戦いで黄旗を立てた所属不明の一隊が現れ、しばらくして忽然として消えた。この日、昭陵の石馬がみな汗を流していたという伝説を踏まえる。明の楊慎『升庵集』巻五十九に「安禄山の乱に、哥舒翰、賊将崔乾祐と戦う。黄旗の軍数百隊を見る。官軍以て賊と為し、賊以て官軍と為す。相持すること之を久しくして、忽ち見えず。是の日昭陵内の石馬皆汗流る」(安祿山之亂、哥舒翰、與賊將崔乾祐戰。見黄旗軍數百隊。官軍以爲賊、賊以爲官軍。相持久之、忽不見。是日昭陵内石馬皆汗流)とある。ウィキソース「升菴集 (四庫全書本)/卷59」参照。
- 常 … 『文苑英華』では「甞」に作る。
- 趨 … 『宋本』では「馳」に作る。『文苑英華』では「驅」に作る。
松柏瞻虛殿
松柏 虚殿を瞻
- 松柏 … 松と柏(コノテガシワ)。墓地に植えられる木。天子の陵墓には松を植え、諸侯の陵墓には柏を植えたという。コノテガシワについては、ウィキペディア【コノテガシワ】参照。『詩経』商頌・殷武の詩に「彼の景山に陟れば、松柏丸丸たり、是れ断ち是れ遷し、方に(けず)り是れ虔る」(陟彼景山、松柏丸丸、是斷是遷、方是虔)とある。景山は、商の都に近くにある山の名。陟は、登る。丸丸は、すらりとよく伸びている様子。断は、切り取ること。遷は、運搬すること。は、斧で削ること。虔は、木を伐ること。ウィキソース「詩經/殷武」参照。また、「古詩十九首」(『文選』巻二十九、『古詩源』巻四 漢詩)の第十三首に「白楊何ぞ蕭蕭たる、松栢広路を夾む」(白楊何蕭蕭、松栢夾廣路)とある。ウィキソース「驅車上東門」参照。同じく第十四首に「古墓は犂かれて田と為り、松柏は摧かれて薪と為る」(古墓犁爲田、松柏摧爲薪)とある。ウィキソース「去者日以疎」参照。
- 柏 … 『宋本』『杜陵詩史』『四部叢刊本』『草堂詩箋』『文苑英華』『唐詩品彙』では「栢」に作る。異体字。
- 虚殿 … 人気のない御殿。陵墓を指す。
- 虚 … 『全唐詩』『宋本』『九家集注本』『銭注本』『詳注本』には「一作靈」とある。『文苑英華』には「集作靈」とある。『唐詩別裁集』では「虗」に作る。異体字。
- 瞻 … 見る。
塵沙立暝途
塵沙 暝途に立つ
- 塵沙 … 巻き上がる砂塵。
- 沙立 … 『文苑英華』では「沙暗」に作り、「集作立暝」とある。
- 暝途 … 夕暮れの暗い道。『文苑英華』では「指途」に作る。
- 暝 … 『全唐詩』には「一作暗」とある。『銭注本』『詳注本』には「樊作暗」とある。
- 立 … 立ち尽くす。佇む。
寂寥開國日
寂寥たり 開国の日
- 寂寥 … わびしく、物寂しいこと。
- 寥 … 『文苑英華』では「寞」に作る。
- 開国日 … わが唐王朝の建国の日。『易経』師卦に「上六、大君命有り、国を開き家を承く。小人は用うる勿かれ」(上六、大君有命、開國承家、小人勿用)とある。ウィキソース「周易/師」参照。
流恨滿山隅
流恨 山隅に満つ
- 流恨 … いつまでも尽きせぬ恨み。後漢の蔡琰の「胡笳十八拍」(『楽府詩集』巻五十九、『楚辞後語』巻三)の第七拍に「七拍恨みを流して悪くんぞ此に居らん」(七拍流恨兮惡居於此)とある。ウィキソース「胡笳十八拍」「樂府詩集/059卷」「楚辭集注 (四庫全書本)/後語卷3」参照。
- 山隅 … 山陵の隅々まで。
- 満 … 満ちあふれる。
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