春帰(杜甫)
春歸
春帰
春帰
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻四、『全唐詩』巻二百二十八、『宋本杜工部集』巻十一、『九家集注杜詩』巻二十一(『杜詩引得』第二冊)、『杜陵詩史』巻二十(『杜詩又叢』所収)、『分門集注杜工部詩』巻二(『四部叢刊 初編集部』所収)、『草堂詩箋』巻二十二(『古逸叢書』所収)、『銭注杜詩』巻十三、『杜詩詳注』巻十三、『読杜心解』巻五之二、『杜詩鏡銓』巻十一、『唐詩品彙』巻七十五、『唐詩別裁集』巻十七、他
- 五言排律。花・華・沙・斜・涯・家(平声麻韻)。
- ウィキソース「全唐詩/卷228」「分門集註杜工部詩 (四部叢刊本)/卷第二」参照。
- 春帰 … 春に帰る。
- この詩は、広徳二年(764)三月、厳武が成都尹兼剣南東西川節度使に再任されたことを聞き、成都の浣花草堂に立ち帰ったときに作ったもの。
- 杜甫 … 712~770。盛唐の詩人。襄陽(湖北省)の人。字は子美。祖父は初唐の詩人、杜審言。若い頃、科挙を受験したが及第できず、各地を放浪して李白らと親交を結んだ。安史の乱では賊軍に捕らえられたが、やがて脱出し、新帝粛宗のもとで左拾遺に任じられた。その翌年左遷されたため官を捨てた。四十八歳の時、成都(四川省成都市)の近くの浣花渓に草堂を建てて四年ほど過ごしたが、再び各地を転々とし一生を終えた。中国最高の詩人として「詩聖」と呼ばれ、李白とともに「李杜」と並称される。『杜工部集』がある。ウィキペディア【杜甫】参照。
苔徑臨江竹
苔径 江に臨む竹
- 苔径 … 苔が一面に生えている小道。径は、小道。
- 徑 … 『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋』『銭注本』『心解本』では「逕」に作る。同義。
- 臨江竹 … 川に臨んで生えている竹。
茅簷覆地花
茅簷 地を覆う花
- 茅簷 … かやぶきの軒。浣花草堂を指す。陶淵明の「飲酒二十首 其の九」に「繿縷茅簷の下、未だ高棲と為すに足らず」(繿縷茅簷下、未足爲高棲)とある。繿縷は、ぼろを着ること。高棲は、高尚な生活。ウィキソース「飲酒二十首」参照。
- 覆地花 … 地面を覆うように花が咲いている。
別來頻甲子
別れて来頻りに甲子
- 別来 … この草堂と別れてから。
- 来 … 「このかた」と読む。ある時点からのち、今まで。
- 頻甲子 … 季節が次々と過ぎ去った。随分と歳月が過ぎ去った。
- 頻 … 続けて繰り返される様子。たびたび。しばしば。
- 甲子 … 甲は十干の最初の一字、子は十二支の最初の一字。転じて年月・歳月を指す。『春秋左氏伝』襄公三十年に「絳県の人、或もの年長ぜり。子無くして往き、食に与る。与にするもの有りて年を疑い、之をして年せしむ。曰く、臣は小人なり。紀年を知らず。臣生まるるの歳は、正月甲子朔にして、四百有四十五甲子なり。其の季、今に於いて三の一なり、と」(絳縣人或年長矣。無子而往、與於食。有與疑年、使之年。曰、臣小人也。不知紀年。臣生之歲、正月甲子朔、四百有四十五甲子矣。其季於今三之一也)とある。ウィキソース「春秋左氏傳/襄公」参照。
歸到忽春華
帰り到れば忽ち春華
- 帰到 … 帰ってみれば。『詳注本』には「一作倏忽」とある。『全唐詩』『銭注本』『心解本』では「倏忽」に作り、「一作歸到」とある。『草堂詩箋』では「倏忽」に作る。
- 忽 … いつのまにか。『詳注本』には「一作又」とある。『全唐詩』『草堂詩箋』『銭注本』『心解本』では「又」に作る。
- 春華 … 春たけなわの華やかさ。柳惲の「江南の曲」(『玉台新詠』巻五)に「故人何ぞ返らざる、春華復た応に晩るるなるべし」(故人何不返、春華復應晚)とある。ウィキソース「江南曲 (柳惲)」参照。また前漢の蘇武の「詩四首 其の三」(『文選』巻二十九、『古詩源』巻二 漢詩・詩四首 其の二、『玉台新詠』巻一・留別妻一首)に「努力して春華を愛し、歓楽の時を忘るる莫かれ」(努力愛春華、莫忘歡樂時)とある。ウィキソース「昭明文選/卷29」「留別妻」参照。
倚杖看孤石
杖に倚りて孤石を看
- 倚杖 … 杖にもたれながら。杖に寄りかかって。
- 孤石 … たった一つ横たわる石。
- 倚杖看孤石 … 晋の謝安が隠棲していたとき、庭に一つの石があり、杖に寄りかかっていつもその石を眺めていたという故事に基づく。『箋註唐詩選』(『漢文大系』冨山房)に「晋春秋に曰く、謝安居る所石一株有り。常に杖に倚りて相対す」(晉春秋曰、謝安所居有石一株。常倚杖相對)とある。
傾壺就淺沙
壺を傾けて浅沙に就く
遠鷗浮水靜
遠鷗 水に浮んで静かに
- 遠鷗 … 遠くに見える鷗。
- 浮水静 … 水に浮かんで静かに漂っている。
輕燕受風斜
軽燕 風を受けて斜めなり
- 軽燕 … 軽やかに飛ぶ燕。南朝梁の何遜の「王左丞に贈る」(『古詩紀』巻九十四)に「遊魚は水葉を乱し、軽燕は風花を逐う」(遊魚亂水葉、輕燕逐風花)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷094」参照。
- 燕 … 『宋本』『杜陵詩史』『分門集注本』では「鷰」に作る。同義。
- 受風斜 … 春風を受けて斜めに飛んでいる。
世路雖多梗
世路 梗ること多しと雖も
- 世路 … 世渡りの道。人生の行路。「せろ」とも読む。陶淵明の「飲酒二十首 其の十九」に「世路廓くして悠悠たり、楊朱の止まりし所以なり」(世路廓悠悠、楊朱所以止)とある。ウィキソース「飲酒二十首」参照。
- 世 … 『宋本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋』では「丗」に作る。異体字。
- 梗 … 塞がる。行き詰まる。劉孝標の「広絶交論」(『文選』巻五十五)に「徳を敗り義を殄ぼし、禽獣に相若くは、一釁なり。難固携れ易く、讐訟の聚まる所は、二釁なり。名は饕餮に陥り、貞介の羞じる所は、三釁なり。古人は三釁の梗たるを知り、五交の尤めを速くを懼る」(敗德殄義、禽獸相若、一釁也。難固易攜、讎訟所聚、二釁也。名陷饕餮、貞介所羞、三釁也。古人知三釁之爲梗、懼五交之速尤)とある。ウィキソース「廣絕交論」参照。
吾生亦有涯
吾が生も亦た涯り有り
- 吾生 … 自分の人生。または、われわれの人生。
- 吾生亦有涯 … われわれの人生も限りのあるものだ。『荘子』養生主篇に「吾が生や涯り有り、而も知や涯り無し。涯り有るを以て涯り無きに随えば、殆うきのみ」(吾生也有涯、而知也無涯。以有涯隨無涯、殆已)とあるのを踏まえる。ウィキソース「莊子/養生主」参照。
此身醒復醉
此の身 醒めて復た酔う
- 此身 … この身は。『全唐詩』『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋』『詳注本』には「一作且應」とある。『銭注本』には「一云且應」とある。『心解本』では「且應」に作り、「一作此身」とある。
- 醒復酔 … 酔いから醒めて、また酔うことの繰り返し。
乘興即爲家
興に乗じて即ち家と為さん
- 乗興 … 感興のわくままに。興の赴くままに。東晋の王徽之が冬の夜、雪を愛でながら酒を飲み、左思の「招隠の詩」を詠じていたが、ふと剡渓にいる友人の戴逵を訪ねようと思いたち、小舟に乗って出かけた。しかし、門前まで来て引き返してしまった。人がその理由を尋ねたところ、「自分は興に乗じて来て、興が尽きて帰ったのだ」と答えたという故事を踏まえる。『晋書』王徽之伝に「嘗て山陰に居り、夜雪初めて霽れ、月色清朗、四望皓然たり。独り酒を酌みて、左思の招隠の詩を詠じ、忽ち戴逵を憶う。逵時に剡に在り、便ち夜小船に乗じて之に詣り、宿を経て方に至り、門に造りて前まずして反る。人其の故を問う、徽之曰く、本興に乗じて行き、興尽きて反る。何ぞ必ずしも安道を見んや、と」(嘗居山陰、夜雪初霽、月色清朗、四望皓然。獨酌酒、詠左思招隱詩、忽憶戴逵。逵時在剡、便夜乘小船詣之、經宿方至、造門不前而反。人問其故、徽之曰、本乘興而行、興盡而反。何必見安道邪)とある。安道は、戴逵の字。ウィキソース「晉書/卷080」参照。
- 為家 … そこをそのままわが家とするまでのことさ。『史記』孟嘗君伝に「長鋏帰らんか、以て家を為す無し」(長鋏歸來乎、無以爲家)とある。「来」は、文末について「~しよう」の意を表す助辞。特定の読み癖のある場合以外は読まない。ウィキソース「史記/卷075」参照。
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