>   漢詩   >   歴代詩選:中唐   >   王昭君 其一(白居易)

王昭君 其一(白居易)

王昭君 其一
おうしょうくん いち
はくきょ
  • 〔テキスト〕 『白氏文集』巻十四(『四部叢刊 初編集部』所収、通称:四部叢刊本・那波本)、『白氏文集』巻十四(南宋紹興刊本、通称:紹興本)、『白氏文集』巻十四(明馬元調校刊本、通称:馬本)、『白香山詩集』巻十四(清汪立名編訂本、通称:汪本)、『全唐詩』巻四百三十七、『楽府詩集』巻二十九、『文苑英華』巻二百四、他
  • 七言絶句。風・紅・中(平声東韻)。
  • ウィキソース「王昭君二首」参照。
  • 詩題 … 二首連作の第一首。『紹興本』『馬本』『汪本』『全唐詩』『文苑英華』には題下に「時年十七」とある。
  • 王昭君 … 楽府題の一つ。王昭君は、漢の元帝に仕えた美人の女官。名はしょう。昭君はあざな。南郡秭帰しき(湖北省興山県)の人。晋代、文帝(司馬昭)のいみなを避けて「明君」「明妃」と呼ばれた。画工に賄賂を贈らなかったため、肖像画を醜く描かれ、匈奴に嫁入りさせられて、その地で死んだ。『西京雑記』に「元帝の後宮既に多く、常にはまみゆるを得ず。乃ち画工をして形をえがかしめ、図を案じ、召して之を幸す。諸宮人皆画工にまいないし、多き者は十万、少なき者も亦五万を減ぜず。独り王嬙のみがえんぜず、遂にまみゆるを得ず。匈奴入朝するや、美人を求めてえんと為さんとす。是に於いてしょう図を案じ、昭君を以て行かしむ。去るに及びて召見するに、ぼう後宮第一たり。善く応対し、挙止閑雅なり。帝之を悔ゆるも、名籍已に定まる。帝信を外国に重んず、故に復た人をえず。乃ち其の事を窮案し、画工皆棄市きしせらる。其の家資を籍するに皆巨万なり」(元帝後宮既多、不得常見。乃使畫工圖形、案圖、召幸之。諸宮人皆賂畫工、多者十萬、少者亦不減五萬。獨王嬙不肯、遂不得見。匈奴入朝、求美人爲閼氏。於是上案圖、以昭君行。及去召見、貌爲後宮第一。善應對、舉止閑雅。帝悔之、而名籍已定。帝重信於外國、故不復更人。乃窮案其事、畫工皆棄市。籍其家資皆巨萬)とある。ウィキソース「西京雜記/卷二」参照。ウィキペディア【王昭君】参照。
  • 白居易 … 772~846。中唐の詩人。あざなは楽天、号は香山居士。貞元十六年(800)、進士に及第。翰林学士、左拾遺などを歴任後、江州(江西省九江)司馬に左遷された。のち中央に復帰し、最後は刑部尚書の肩書で退官した。詩風は平易を第一とした。詩文集『はくもんじゅう』は平安時代に我が国へ伝えられ、日本文学に多大な影響を与えた。ウィキペディア【白居易】参照。
滿面胡沙滿鬢風
おもてつる胡沙こさ びんつるかぜ
  • 面 … 顔。
  • 胡沙 … 胡は、北方に住む異民族。沙は、砂漠の砂。
  • 鬢 … 左右側面の耳ぎわの毛。鬢の毛。『説文解字』巻九上、髟部に「頰の髪なり」(頰髮也)とある。ウィキソース「說文解字/09」参照。また『釈名しゃくみょう』釈形体篇に「頰と耳との旁に在るを髯と曰う、……其の上の髪に連なるを鬢と曰う」(在頰耳旁曰髯、……其上連髮曰鬢)とある。ウィキソース「釋名」参照。『全唐詩』には「一作面」とある。
眉銷殘黛臉銷紅
まゆ残黛ざんたいえ かおべに
  • 銷 … 消える。
  • 残黛 … 色せたまゆずみ。
  • 臉 … 顔。
愁苦辛勤顦顇盡
しゅう辛勤しんきんしてしょうすいくし
  • 愁苦 … 思い悩んで苦しむ。
  • 辛勤 … 苦労してつとめる。
  • 勤 … 『那波本』『楽府詩集』では「懃」に作る。
  • 顦顇 … 疲れてやつれ果てること。『馬本』『汪本』では「憔悴」に作る。
  • 尽 … 動詞の語尾について、その動作が極限の状態に達していることを示す。
如今卻似畫圖中
如今じょこん かえって画図がとうちたり
  • 如今 … いま。
  • 却 … 逆に。
  • 画図 … 画家に醜く描かれた肖像画のこと。このエピソードについては、ウィキペディア【王昭君】参照。
  • 似 … 似てしまった。そっくりになってしまった。『全唐詩』には「一作是」とある。
歴代詩選
古代 前漢
後漢
南北朝
初唐 盛唐
中唐 晩唐
北宋 南宋
唐詩選
巻一 五言古詩 巻二 七言古詩
巻三 五言律詩 巻四 五言排律
巻五 七言律詩 巻六 五言絶句
巻七 七言絶句
詩人別
あ行 か行 さ行
た行 は行 ま行
や行 ら行