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季氏第十六 13 陳亢問於伯魚章

433(16-13)
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎。對曰、未也。嘗獨立。鯉趨而過庭。曰、學詩乎。對曰、未也。不學詩、無以言。鯉退而學詩。他日又獨立。鯉趨而過庭。曰、學禮乎。對曰、未也。不學禮、無以立。鯉退而學禮。聞斯二者。陳亢退而喜曰、問一得三。聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也。
陳亢ちんこう伯魚はくぎょいていわく、ぶんるか。こたえていわく、いまだし。かつひとてり。はしりてにわぐ。いわく、まなびたるか。こたえていわく、いまだし。まなばざれば、もっうことしと。退しりぞきてまなぶ。じつまたひとてり。はしりてにわぐ。いわく、れいまなびたるか。こたえていわく、いまだし。れいまなばざれば、もっしと。退しりぞきてれいまなぶ。しゃけり。陳亢ちんこう退しりぞきてよろこんでいわく、いちいてさんたり。き、れいき、またくんとおざくるをけり。
現代語訳
  • 陳亢(コウ)が(先生の子の)伯魚にきく、「あなたはなにかめずらしいおはなしでも…。」返事 ――「ありませんね。いつかひとり立ってるとき、わたしが庭をとおってゆきました。すると、――『詩をならったか』って。『まだなんです』と答えると、――『詩をならわねば、はなしができん。』それからわたしは詩の本をならいました。ある日またひとり立ってるとき、わたしが庭をとおってゆきました。すると、――『礼をならったか』って。『まだなんです』と答えると、――『礼をならわねば、世に立ってゆけん』って。それからわたしは礼の本をならいました。わたしの聞いたのはこの二つです。」陳亢はあとでよろこんで、いった、「一つきいて三つおそわった。詩のこと、礼のこと、それから人物になると自分の子にもあまくないことをだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 陳亢ちんこう伯魚はくぎょに「あなたは外の門人と違って先生としんあいだがらですから、何か特別の教訓を聞かれたことがあるでしょう。」とたずねたら、伯魚が答えて言うよう、「今までまだそういうことはありませんでした。ただいつか父がひとりで縁側えんがわに立っているとき、私がばしりして庭先を通り過ぎましたら、呼び止めて、『お前は詩を学んだか。』と言いました。『まだでござります。』と答えましたら、『詩を学ばなくては口がきけぬぞ。』と申しました。そこで私はさっそく詩の勉強を始めました。その後またある日のこと父がひとりでいるとき、私が小走りして庭先を通り過ぎましたら、『礼を学んだか。』と言いました。『まだでござります。』と答えましたら、『礼を学ばなくては根本が立たぬぞ。』と申しました。そこで私はさっそく礼の勉強を始めました。特別に聞いたと申そうなら、まずそんなところです。」陳亢がその場をさがってから、喜んで言うよう、「一を問うて三を聞き得た。詩のたいせつさを聞き、礼のたいせつさを聞き、そして君子は自分の子でも特別待遇はせぬものだということを聞いた。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 陳亢ちんこうが伯魚にたずねた。――
    「先生もあなたにだけは、何か私どもに対するとはちがった特別のご教訓をなさることでしょう」
    伯魚がこたえた。――
    「これまでには、まだこれといって特別の教えをうけたことはありません。ただ、いつでしたか、父が独りで立っていましたおり、私がいそいで庭先を通り過ぎようとしますと、私を呼びとめて、詩を学んだか、とたずねました。私が、まだとこたえますと、詩を学ばない人間は話相手にならぬ、と叱りました。それ以来私も詩を学ぶことにしています。またある日、父が一人で立っていました時、私がいそいで庭先を通り過ぎようとしますと、私をよびとめて、礼を学んだか、とたずねました。私が、まだとこたえますと、礼を学ばない人間は世に立つ資格がない、と叱りました。それ以来、私も礼を学ぶことにしています。私が父に特別に何かいわれたことがあるとすると、まずこの二つぐらいのことでしょう」
    陳亢は、伯魚と別れたあとで、よろこんでいった。――
    「きょうは一つのことをたずねて、三つのことをきくことができた。詩を学ぶことの大切さをきき、礼を学ぶことの大切さをきき、そして、君子は自分の子をあまやかすことがないということをきいたのだ(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 陳亢 … 前511~前430。孔子の弟子、子禽のこと。姓は陳、名はこう。子禽はあざな。孔子より四十歳年少の門人といわれているが、孔子の直弟子ではなく、子貢の弟子と思われる。ウィキペディア【陳亢】(中文)参照。
  • 伯魚 … 前532~前483。孔子の長男。名は、伯魚はあざな。子思の父。五十歳で孔子より先に死んだ。ウィキペディア【孔鯉】参照。
  • 子 … あなた。成人した男子に対する敬称。伯魚を指す。
  • 異聞 … 特別に聞いた話。特別な教え。
  • 未也 … 「いまだし」と読み、「まだである」と訳す。否定の意を示す。
  • 独立 … 一人で立っていた。
  • 趨 … 小走りに走る。貴人の前を通ったりするときなどの礼。
  • 詩 … 『詩経』の詩。
  • 無以言 … 人と上手に会話ができない。
  • 礼 … 社会生活上の慣習、制度、作法などの総称。
  • 無以立 … 人として世に立つことができない。
  • 君子 … ここでは孔子を指す。
  • 遠其子 … 自分の子を遠ざける。自分の子を特別扱いしない。自分の子を甘やかさない。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人に詩をおさめ礼を為むるをすすむるなり」(此章勉人爲詩爲禮也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 陳亢 … 『史記』仲尼弟子列伝には記述なし。『孔子家語』七十二弟子解に「陳亢ちんこう陳人ちんひとあざなは子亢、いつあざなは子禽。孔子よりわかきこと四十歳」(陳亢陳人、字子亢、一字子禽。少孔子四十歳)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 伯魚 … 『孔子家語』本姓解に「十九に至りて、宋の上官氏を娶る。伯魚を生む。魚の生るるや、魯の昭公、鯉魚を以て孔子に賜う。君のたまものほまれとし、故に因りて以て鯉と名づけ、伯魚とあざなす。魚、年五十、孔子に先だちて卒す」(至十九、娶於宋之上官氏。生伯魚。魚之生也、魯昭公以鯉魚賜孔子。榮君之貺故因以名鯉、而字伯魚。魚年五十、先孔子卒)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。
  • 陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎 … 『集解』に引く馬融の注に「以為えらく伯魚は孔子の子なれば、聞く所は当に異有るべきなりと」(以爲伯魚孔子之子、所聞當有異也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「陳亢は即ち子禽なり。伯魚は即ち鯉なり。亢言う伯魚は、是れ孔子の子なり。孔子或いは私に伯魚に教うるに、異門の徒聞有らん。故に云う、子も亦た異聞有りやいなや、と。伯魚を呼んで子と為すなり」(陳亢即子禽也。伯魚即鯉也。亢言伯魚、是孔子之子。孔子或私教伯魚、有異門徒聞。故云、子亦有異聞不也。呼伯魚而爲子也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「伯魚は、孔子の子、鯉なり。弟子の陳亢以為えらく伯魚は是れ孔子の子なれば、聞く所当に余人に異なること有るべしと。故に之に問う」(伯魚、孔子之子、鯉也。弟子陳亢以爲伯魚是孔子之子、所聞當有異於餘人。故問之)とある。また『集注』に「亢は私意を以て聖人をうかがう。疑うらくは必ず陰ながら其の子に厚くせんと」(亢以私意窺聖人。疑必陰厚其子)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 対曰、未也 … 『義疏』に「伯魚陳亢に対えて云う、我未だ嘗て異聞有らざるなり、と」(伯魚對陳亢云、我未嘗有異聞也)とある。また『注疏』に「答えて未だ異聞有らずと言うなり」(答言未有異聞也)とある。
  • 嘗独立 … 『集解』に引く孔安国の注に「独り立つは、孔子を謂うなり」(獨立、謂孔子也)とある。また『義疏』に「此れ己の生平の私、孔子の見語の時を得たるを述ぶるなり。言うこころは孔子嘗て独り立ちて、左右に人無きなり」(此述己生平私、得孔子見語之時也。言孔子嘗獨立、左右無人也)とある。また『注疏』に「伯魚陳亢に対えて言う、未だ異聞有らずと雖も、時に夫子曾て堂に独り立つこと有り」(伯魚對陳亢言、雖未有異聞、有時夫子曾獨立於堂)とある。
  • 鯉趨而過庭 … 『義疏』に「孔子独り立ちて堂に在り。而して己趨りて中庭より過ぐるなり」(孔子獨立在堂。而己趨從中庭過也)とある。また『注疏』に「鯉はやく趨りて其の中庭を過ぐ」(鯉疾趨而過其中庭)とある。
  • 曰、学詩乎 … 『義疏』に「孔子伯魚の庭より過ぐるを見、呼びて之に問いて云う、汝嘗て詩を学ぶや不や、と」(孔子見伯魚從庭過、呼而問之云、汝嘗學詩不乎)とある。また『注疏』に「夫子己に謂いて曰く、詩を学びたるか、と」(夫子謂己曰、學詩乎)とある。
  • 対曰、未也 … 『義疏』に「伯魚己の学を述べて孔子に答う。言うこころは未だ嘗て詩を学ばざるなり」(伯魚述己學答孔子。言未嘗學詩也)とある。また『注疏』に「己即ち対えて曰く、未だし、と」(己即對曰、未也)とある。
  • 未也 … 『義疏』では「未之」に作る。
  • 不学詩、無以言 … 『義疏』に「孔子伯魚の未だ嘗て詩を学ばざるを聞く。故に此を以て之にぐ。言うこころは詩にきょう・答対・しゅうさく有り。人若し詩を学ばざれば、則ち以て人と言語すること無きなり」(孔子聞伯魚未嘗學詩。故以此語之。言詩有比興答對酬酢。人若不學詩、則無以與人言語也)とある。また『注疏』に「夫子又た言う、詩を学ばずんば、以て言うこと無し、と。古えの会同は、皆詩を賦するを以て意をあらわす、若し之を学ばずんば、何を以て言を為さんや、と」(夫子又言、不學詩、無以言。以古者會同、皆賦詩見意、若不學之、何以爲言也)とある。また『集注』に「事理通達して、心気和平なり。故に能く言う」(事理通達、而心氣和平。故能言)とある。
  • 不學詩 … 『義疏』では「曰、不學詩」に作る。
  • 無以言 … 『義疏』では「無以言也」に作る。
  • 鯉退而学詩 … 『義疏』に「伯魚孔子の旨を得て、故に己の舎に還りて詩を之れ学ぶなり」(伯魚得孔子之旨、故還己舍而學詩之也)とある。また『注疏』に「鯉ここに於いて退きて遂に学び、詩に通ずるなり」(鯉於是退而遂學、通於詩也)とある。
  • 他日又独立。鯉趨而過庭 … 『義疏』に「他日又は、別日なり。孔子又た堂に在りて独り立つなり。伯魚又た中庭より過ぐるなり」(他日又、別日也。孔子又在堂獨立也。伯魚又從中庭過也)とある。また『注疏』に「異日夫子又た嘗て独り立ちて、伯魚趨りて過ぐるを謂うなり」(謂異日夫子又嘗獨立、而伯魚趨過)とある。
  • 曰、学礼乎。対曰、未也 … 『義疏』に「孔子又た伯魚に問う、礼を学ぶや不や、と。亦た答えて云う、未だ礼を之れ学ばざるなり、と」(孔子又問伯魚、學禮不乎。亦答云、未學禮之也)とある。また『注疏』に「夫子之におしえて曰く、礼を学びたるか、と。答えて言う、未だし、と」(夫子訓之曰、學禮乎。答言、未也)とある。
  • 不学礼、無以立 … 『義疏』に「孔子又た伯魚に語げて云う、礼は是れ恭倹荘敬にして身を立つるの本なり。人礼有れば則ち安んじ、礼無ければ則ち危うし。若し礼を学ばざれば、則ち以て自ら身を立つること無きなり、と」(孔子又語伯魚云、禮是恭儉莊敬立身之本。人有禮則安、無禮則危。若不學禮、則無以自立身也)とある。また『注疏』に「夫子又た言う、若し礼を学ばずんば、以て身を立つること無し。礼なる者は、恭倹・荘敬、人礼有れば則ち安んじ、礼無んば則ち危きを以て、故に之を学ばずんば、則ち以て其の身を立つること無きなり」(夫子又言、若不學禮、無以立身。以禮者、恭儉莊敬、人有禮則安、無禮則危、故不學之、則無以立其身也)とある。また『集注』に「品節詳明にして、徳性堅定なり。故に能く立つ」(品節詳明、而德性堅定。故能立)とある。
  • 鯉退而学礼 … 『義疏』に「鯉孔子の旨に従い、退きて礼を学ぶなり」(鯉從孔子旨、退而學禮也)とある。なお、底本に「孔子」の二字はないが、諸本に従い補った。また『注疏』に「鯉是に於いて退きて学び、礼に通ず」(鯉於是退而學、通於禮)とある。
  • 聞斯二者 … 『義疏』に「又た陳亢の言に答う。己は孔子の子たり。唯だ私に詩を学び礼を学ぶの二事を聞くのみなり」(又答陳亢言。己爲孔子之子。唯私聞學詩學禮二事也)とある。また『注疏』に「言うこころは別に異聞無く、但だ此の詩・礼の二者を聞くのみ」(言別無異聞、但聞此詩禮二者也)とある。また『集注』に「独り立つの時に当たりて、聞く所此くの如きに過ぎず。其の異聞無きこと知る可し」(當獨立之時、所聞不過如此。其無異聞可知)とある。
  • 斯二者 … 『義疏』では「斯二者矣」に作る。
  • 陳亢退而喜曰 … 『注疏』に「既に伯魚に問い、退きて喜悦するなり」(既問伯魚、退而喜悦也)とある。
  • 問一得三。聞詩、聞礼、又聞君子之遠其子也 … 『義疏』に「陳亢伯魚己の二事を答うるを得たり。故に退きて歓喜するなり。言うこころは我異聞の一事を問いて、今、三事を聞くを得たり。伯魚は二なり。又た君子の其の子を遠ざくること三なり。伯魚は是れ孔子の子なり。一生の中、唯だ二事を聞くのみ。即ち是れ君子独り子のみを親とせざるなり。故に相疎遠にするなり。是れ陳亢、今、君子の其の子を遠ざくるを聞くを得たり。范寧曰く、孟子云う、君子の子を教えざるは何ぞや、と。勢い行われざればなり。教うる者は必ず正を以てす。正を以て行わざれば、之に継ぐに怒りを以てす。之に継ぐに怒りを以てすれば、則ち反ってそこなう。父子相夷うは、悪なり、と」(陳亢得伯魚答己二事。故退而歡喜也。言我問異聞之一事、而今得聞三事也。伯魚二也。又君子遠其子三也。伯魚是孔子之子。一生之中、唯聞二事。即是君子不獨親子。故相疎遠。是陳亢、今得聞君子遠於其子也。范寧曰、孟子云、君子不教子何也。勢不行也。教者必以正。以正不行、繼之以怒。繼之以怒、則反夷矣。父子相夷、惡也)とある。また『注疏』に「亢言う、始めは但だ異聞を問う、是れ一を問うなり。今は乃ち詩の以て言う可く、礼の以て立つ可きを聞く。且つ鯉や庭を過ぐるときに、方に始めて訓えを受くれば、則ち常には嘻嘻きき褻慢せつまんせざるを知り、是れ又た君子の其の子を疎遠にするを聞くなり。故に三を得たりと為し、喜ぶ所以なり」(亢言、始但問異聞、是問一也。今乃聞詩可以言、禮可以立。且鯉也過庭、方始受訓、則知不常嘻嘻褻慢、是又聞君子之疎遠其子也。故爲得三、所以喜也)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「孔子の其の子に教うるに、門人に異なること無し。故に陳亢以て其の子に遠ざくと為す」(孔子之教其子、無異於門人。故陳亢以爲遠其子)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「孔門の教えは、詩礼より先なるは無し。而して其の言う所は、皆庸言庸行の謹に在りて、甚だ人より異にして、以て言を為す者無し。蓋し人情は詩を以て知り、人道は礼を以て成る。皆万世通行の道を言う。是の故に聖人の道は、万世通行の道たり。詩礼の経は、万世通行の典たり。若し夫れ人に遠くして以て教えと為すは、豈に聖人の道ならんや」(孔門之教、無先於詩禮。而其所言、皆在庸言庸行之謹、而無甚異於人、以爲言者。蓋人情以詩而知、人道以禮而成。皆言萬世通行之道。是故聖人之道、爲萬世通行之道。詩禮之經、爲萬世通行之典。若夫遠人以爲教者、豈聖人之道乎哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「子も亦た異聞有りや、当時学者の道に汲汲たるなり。対えて曰くいまだし、未だしとは、謙辞、長者に対うるの礼なり。実に之れ無きを謂うに非ざるなり。又た君子の其の子を遠ざくることを聞く、仁斎先生曰く、父子の間は善を責めず、故に古え子を易えて教う、と。之を得たり。蓋し孔子其の既に詩礼を学びたるか未だしきかを知らざれば、則ち其のみずから教えざること以て見る可きのみ。朱子以て異聞無しと為し、尹氏以て門人に異なること無しと為す。皆非なり。孔子嘗て曰く、われ視ること猶お子のごとくするを得ず、と。是れ孔子の門人に於ける、視ること猶お子のごとくせしなり。父子の親は、天性なり。孔子の子を愛するは、誠に当に深かるべし。門人顔子の如きは、乃ちこれを子に比す。是れ亦た親を親しむの推のみ。教えの道に至りては、則ち至れること有り、至らざること有り。故に其の子あずかり聞かずして門人之を聞く者有り。然れども門人も亦た親疎久近の分有るときは、則ち豈に一槩いちがいにして之に施さんや。是れ孟子の私淑がい、後儒其の解を失する所以なり。詩・書なる者は義の府、而うして詩は又た人情をくす。凡そ言語の道、詩之を尽くせり。故に詩を学べば則ち以て言う可きなり。礼・楽なる者は徳の則。而うして礼は又た事事にして之が防を立つ。凡そ先王の道、礼之を尽くせり。礼を知らざれば則ち以て君子の間に立つこと無し。三代の世しかりと為す。故に礼を学べば則ち以て立つ可きなり。朱註に、事理通達して心気和平なり。品節詳明にして徳性堅く定まる、と。喜んで儷辞りじを作し、以て其の義を明らかにせんと欲す。言は局する所有りて義はちょうなるを得ず。是れ果たして何の意ぞや。仁斎曰く、孔門の教えは詩・礼より先なるは無し。而うして其の言う所は皆庸言庸行を之れ謹むに在り、と。所謂庸言を之れ謹むという者、詩に於いて何か之れ有らん」(子亦有異聞乎、當時學者之汲汲於道也。對曰未也、未也者、謙辭、對長者之禮也。非謂實無之也。又聞君子之遠其子也、仁齋先生曰、父子之間不責善、故古者易子而教。得之。蓋孔子不知其既未學詩禮、則其不躬教可以見已。朱子以爲無異聞、尹氏以爲無異於門人。皆非也。孔子嘗曰、予不得視猶子也。是孔子之於門人、視猶子也。父子之親、天性也。孔子之愛子、誠當深矣。門人如顏子、乃比諸子。是亦親親之推已。至於教之道、則有至焉、有不至焉。故有其子不與聞而門人聞之者。然門人亦有親疎久近之分、則豈一槩而施之乎。是孟子私淑艾、後儒所以失其解也。詩書者義之府、而詩又悉人情。凡言語之道、詩盡之矣。故學詩則可以言也。禮樂者德之則。而禮又事事而立之防。凡先王之道、禮盡之矣。不知禮則無以立於君子之間。三代之世爲爾。故學禮則可以立也。朱註、事理通達而心氣和平。品節詳明而德性堅定。喜作儷辭、欲以明其義。言有所局而義不得鬯。是果何意哉。仁齋曰、孔門之教無先於詩禮。而其所言皆在庸言庸行之謹。所謂庸言之謹者、於詩何之有)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十