陽貨第十七 10 子謂伯魚曰章
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子謂伯魚曰、女爲周南召南矣乎。人而不爲周南召南、其猶正牆面而立也與。
子謂伯魚曰、女爲周南召南矣乎。人而不爲周南召南、其猶正牆面而立也與。
子、伯魚に謂いて曰く、女は周南・召南を為びたるか。人にして周南・召南を為ばずんば、其れ猶お正しく牆に面して立つがごときか。
現代語訳
- 先生が(子の)伯魚にむかって ――「おまえは(詩の本の)周南と召南を身につけたかね。人間は周南・召南を身につけなかったら、まるでカベに顔をつきあわせたようなものだな。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がお子さんの伯魚におっしゃるよう、「お前は周南・召南の詩を勉強したか。周南・召南は治国平天下の出発点たる修身斉家の道を歌った詩だから、人たる者周南・召南を学ばなくては塀に鼻突き合せて立ったようなもので、一歩も進めず一物も見得ないであろうぞ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師が子息の伯魚にいわれた。
「お前は周南・召南の詩を研究してみたのか。この二つの詩がわからなければ、人間も土塀に鼻つきつけて立っているようなものだがな」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 『注疏』では前章と合わせて一つの章とし、「此の章は人に詩を学ぶを勧むるなり」(此章勸人學詩也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子謂伯魚曰、女為周南召南矣乎 … 『義疏』に「伯魚は、孔子の子なり。為は、猶お学のごときなり。周南は、関雎以下の詩なり。召南は、鵲巣以下の詩なり。孔子伯魚を見て之に謂いて云う、汝已に曾て周・召二南の詩を学びたるか、と。然して比の問いは即ち是れ伯魚庭を趍り過ぐるに、孔子之に問うに詩を学びたるかの時なり」(伯魚、孔子之子也。爲、猶學也。周南、關雎以下詩也。召南、鵲巢以下詩也。孔子見伯魚而謂之云、汝已曾學周召二南之詩乎。然比問即是伯魚趍過庭、孔子問之學詩乎時也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「為は、猶お学のごときなり。孔子其の子の伯魚に謂いて曰く、女周南・召南の詩を学びたるか、と」(爲、猶學也。孔子謂其子伯魚曰、女學周南召南之詩矣乎)とある。また『集注』に「為は、猶お学のごときなり。周南・召南は、詩の首篇の名なり」(爲、猶學也。周南召南、詩首篇名)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 伯魚 … 『孔子家語』本姓解に「十九に至りて、宋の上官氏を娶る。伯魚を生む。魚の生るるや、魯の昭公、鯉魚を以て孔子に賜う。君の貺を栄れとし、故に因りて以て鯉と名づけ、伯魚と字す。魚、年五十、孔子に先だちて卒す」(至十九、娶於宋之上官氏。生伯魚。魚之生也、魯昭公以鯉魚賜孔子。榮君之貺故因以名鯉、而字伯魚。魚年五十、先孔子卒)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。
- 女 … 『義疏』では「汝」に作る。
- 人而不為周南召南、其猶正牆面而立也与 … 『集解』に引く馬融の注に「周南・邵南は、国風の始めなり。淑女以て君子に配せらる。三綱の首めは、王教の端めなり。故に人にして為ばざれば、牆に向かいて立つが如し」(周南邵南、國風之始。淑女以配君子。三綱之首、王教之端。故人而不爲、如向牆而立)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「先ず之に問いて更に説を為す。周・召二南は、宜しく学ぶべき所以の意なり。牆に面すは、面の牆に向かうなり。言うこころは周・召の二南既に多く含載する所、之を読めば、則ち多く草木鳥獣を識り、及び君・親に事う可し。故に若し詩を学ばざる者は、則ち人面正しく牆に向かいて倚立するが如し。終に瞻見する所無きなり。然して此の語も亦た是れ伯魚庭を過ぐるの時、対えて曰く、未だ詩を学ばず、と。而して孔子云う、詩を学ばずんば、以て言うこと無し、と」(先問之而更爲説。周召二南、所以宜學之意也。牆面、面向牆也。言周召二南既多所含載、讀之、則多識草木鳥獸、及可事君親。故若不學詩者、則如人面正向牆而倚立。終無所瞻見也。然此語亦是伯魚過庭時、對曰、未學詩。而孔子云、不學詩、無以言也)とある。瞻見は、遠望すること。また『注疏』に「又た為に宜しく周南・召南を学ぶべきの意を説くなり。牆に面すは、面牆に向かうなり。周南・召南は国風の始め、三綱の首、王教の端なり。故に人若し之を学べば、則ち以て観・興す可し。人にして為ばざるは、則ち面の正しく牆に向いて立つが如く、観見する所無きなり」(又爲説宜學周南召南之意也。牆面、面向牆也。周南召南國風之始、三綱之首、王教之端。故人若學之、則可以觀興。人而不爲、則如面正向牆而立、無所觀見也)とある。また『集注』に「言う所は皆身を修め家を斉うるの事なり。正しく牆に面して立つは、其の至近の地に即きて、一物も見る所無く、一歩も行く可からざるを言う」(所言皆修身齊家之事。正牆面而立、言即其至近之地、而一物無所見、一歩不可行)とある。
- 召 … 『義疏』では「邵」に作る。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「二南の詩は、皆成周王化の及ぶ所を言いて、修身斉家の道、備わらざる所無きなり。苟くも二南を読みて先王風化の盛んなるを知らずんば、其れ奚を以てか能く我が鄙陋の気を除きて、夫の広大の域に造らん。故に曰く、其れ猶お正しく牆に面して立つがごときか、と。蓋し夫の苟くも目前の小康に安んじて、聖世の大同を知らざることを譏るなり」(二南之詩、皆言成周王化之所及、而脩身齊家之道、無所不備也。苟不讀二南而知先王風化之盛、其奚以能除我鄙陋之氣、而造夫廣大之域。故曰、其猶正墻面而立也與。蓋譏夫苟安目前之小康、而不知聖世之大同也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 荻生徂徠『論語徴』に「淑女を得て以て君子に配するを楽しむとは、関雎を言うのみ。二南は何ぞ啻に修身斉家の事のみならん。朱子は語意を暁らずと為す。修身斉家の事は、豈に二南の能く尽くす所ならんや。小康・大同とは、措語を識らず。仁斎も亦た之を失せり。蓋し書に曰く、学ばざれば牆に面す、と。故に其れ猶お正しく牆に面して立つがごときかとは、其の学ばざるを言うのみ。古えの学は、詩書礼楽、而うして詩・礼を先と為す、二南も亦た詩の首たり。故に孔子云うこと爾り。且つ君子周の世に生まるるときは、則ち周家先王の道を学びて以て其の徳を成し、周家の君子たることを得。而うして二南は実に以て周の先王教化の盛んなる、家よりして国、以て天下に及ぶことを見る可し。故に周世学問の道は、必ず斯れより始まるのみ。後世の儒者は仏老の習いに狃れ、誤って学んで以て聖人と成ると謂いて、学んで以て当世の士君子と成ることを識らず。故に見る所は皆後世の窮措大の解なり。此の章の如き、二南を為ばざるを之れ牆面と為すは、皆其の解を得ずして、妄言して云云す。醜む可きの甚だしきなり」(樂得淑女以配君子、言關雎耳。二南何啻脩身齊家之事。朱子爲不曉語意矣。脩身齊家之事、豈二南所能盡哉。小康大同、不識措語。仁齋亦失之矣。蓋書曰、不學墻面。故其猶正墻面而立也與者、言其不學耳。古之學、詩書禮樂、而詩禮爲先、二南亦爲詩之首。故孔子云爾。且君子生於周世、則學周家先王之道以成其德、得爲周家君子。而二南實可以見周先王教化之盛、自家而國、以及天下焉。故周世學問之道、必由斯始已。後世儒者狃佛老之習、誤謂學以成聖人、而不識學以成當世士君子。故所見皆後世窮措大解。如此章、不爲二南之爲墻面、皆不得其解、妄言云云。可醜之甚)とある。窮措大は、貧しい学生や学者のこと。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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