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陽貨第十七 10 子謂伯魚曰章

444(17-10)
子謂伯魚曰、女爲周南召南矣乎。人而不爲周南召南、其猶正牆面而立也與。
伯魚はくぎょいていわく、なんじしゅうなんしょうなんまなびたるか。ひとにしてしゅうなんしょうなんまなばずんば、ただしくしょうめんしてつがごときか。
現代語訳
  • 先生が(子の)伯魚にむかって ――「おまえは(詩の本の)周南と召南を身につけたかね。人間は周南・召南を身につけなかったら、まるでカベに顔をつきあわせたようなものだな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がお子さんの伯魚はくぎょにおっしゃるよう、「お前は周南・召南の詩を勉強したか。周南・召南はこくへいてんの出発点たるしゅうしんせいの道を歌った詩だから、人たる者周南・召南を学ばなくてはへいに鼻突き合せて立ったようなもので、一歩も進めず一物も見得ないであろうぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師が子息の伯魚にいわれた。
    「お前はしゅうなんしょうなんの詩を研究してみたのか。この二つの詩がわからなければ、人間も土塀に鼻つきつけて立っているようなものだがな」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 伯魚 … 前532~前483。孔子の長男。名は、伯魚はあざな。子思の父。五十歳で孔子より先に死んだ。ウィキペディア【孔鯉】参照。
  • 周南・召南 … 『詩経』国風の冒頭の二篇。周南は関雎かんしょ以下十一首、召南はじゃくそう以下十四首の詩からなる。ウィキペディア【詩経】参照。
  • 為 … ここでは「まなぶ」と読む。学ぶ。習う。勉強する。
  • 正牆面而立 … 壁に向かって立つ。まったく先が見えない、一歩も進むことができないことの喩え。
  • 牆 … 垣根。土塀。壁。
補説
  • 『注疏』では前章と合わせて一つの章とし、「此の章は人に詩を学ぶを勧むるなり」(此章勸人學詩也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子謂伯魚曰、女為周南召南矣乎 … 『義疏』に「伯魚は、孔子の子なり。為は、猶お学のごときなり。周南は、関雎以下の詩なり。召南は、じゃくそう以下の詩なり。孔子伯魚を見て之に謂いて云う、汝已に曾て周・召二南の詩を学びたるか、と。然して比の問いは即ち是れ伯魚庭をはしり過ぐるに、孔子之に問うに詩を学びたるかの時なり」(伯魚、孔子之子也。爲、猶學也。周南、關雎以下詩也。召南、鵲巢以下詩也。孔子見伯魚而謂之云、汝已曾學周召二南之詩乎。然比問即是伯魚趍過庭、孔子問之學詩乎時也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「為は、猶お学のごときなり。孔子其の子の伯魚に謂いて曰く、なんじ周南・召南の詩を学びたるか、と」(爲、猶學也。孔子謂其子伯魚曰、女學周南召南之詩矣乎)とある。また『集注』に「為は、猶お学のごときなり。周南・召南は、詩の首篇の名なり」(爲、猶學也。周南召南、詩首篇名)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伯魚 … 『孔子家語』本姓解に「十九に至りて、宋の上官氏を娶る。伯魚を生む。魚の生るるや、魯の昭公、鯉魚を以て孔子に賜う。君のたまものほまれとし、故に因りて以て鯉と名づけ、伯魚とあざなす。魚、年五十、孔子に先だちて卒す」(至十九、娶於宋之上官氏。生伯魚。魚之生也、魯昭公以鯉魚賜孔子。榮君之貺故因以名鯉、而字伯魚。魚年五十、先孔子卒)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。
  • 女 … 『義疏』では「汝」に作る。
  • 人而不為周南召南、其猶正牆面而立也与 … 『集解』に引く馬融の注に「周南・邵南は、国風の始めなり。淑女以て君子に配せらる。三綱のはじめは、王教のはじめなり。故に人にしてまなばざれば、牆に向かいて立つが如し」(周南邵南、國風之始。淑女以配君子。三綱之首、王教之端。故人而不爲、如向牆而立)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「先ず之に問いて更に説を為す。周・召二南は、宜しく学ぶべき所以の意なり。牆に面すは、面の牆に向かうなり。言うこころは周・召の二南既に多く含載する所、之を読めば、則ち多く草木鳥獣を識り、及び君・親に事う可し。故に若し詩を学ばざる者は、則ち人面正しく牆に向かいて倚立するが如し。終に瞻見せんけんする所無きなり。然して此の語も亦た是れ伯魚庭を過ぐるの時、対えて曰く、未だ詩を学ばず、と。而して孔子云う、詩を学ばずんば、以て言うこと無し、と」(先問之而更爲説。周召二南、所以宜學之意也。牆面、面向牆也。言周召二南既多所含載、讀之、則多識草木鳥獸、及可事君親。故若不學詩者、則如人面正向牆而倚立。終無所瞻見也。然此語亦是伯魚過庭時、對曰、未學詩。而孔子云、不學詩、無以言也)とある。瞻見は、遠望すること。また『注疏』に「又た為に宜しく周南・召南を学ぶべきの意を説くなり。牆に面すは、面牆に向かうなり。周南・召南は国風の始め、三綱の首、王教の端なり。故に人若し之を学べば、則ち以て観・興す可し。人にしてまなばざるは、則ち面の正しく牆に向いて立つが如く、観見する所無きなり」(又爲説宜學周南召南之意也。牆面、面向牆也。周南召南國風之始、三綱之首、王教之端。故人若學之、則可以觀興。人而不爲、則如面正向牆而立、無所觀見也)とある。また『集注』に「言う所は皆身を修め家を斉うるの事なり。正しく牆に面して立つは、其の至近の地にきて、一物も見る所無く、一歩も行く可からざるを言う」(所言皆修身齊家之事。正牆面而立、言即其至近之地、而一物無所見、一歩不可行)とある。
  • 召 … 『義疏』では「邵」に作る。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「二南の詩は、皆成周王化の及ぶ所を言いて、修身斉家の道、備わらざる所無きなり。苟くも二南を読みて先王風化の盛んなるを知らずんば、其れなにを以てか能く我がろうの気を除きて、夫の広大の域にいたらん。故に曰く、其れ猶お正しく牆に面して立つがごときか、と。蓋し夫の苟くも目前の小康に安んじて、聖世の大同を知らざることをそしるなり」(二南之詩、皆言成周王化之所及、而脩身齊家之道、無所不備也。苟不讀二南而知先王風化之盛、其奚以能除我鄙陋之氣、而造夫廣大之域。故曰、其猶正墻面而立也與。蓋譏夫苟安目前之小康、而不知聖世之大同也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 荻生徂徠『論語徴』に「淑女を得て以て君子に配するを楽しむとは、関雎かんしょを言うのみ。二南は何ぞただに修身斉家の事のみならん。朱子は語意をさとらずと為す。修身斉家の事は、豈に二南の能く尽くす所ならんや。小康・大同とは、措語を識らず。仁斎も亦た之を失せり。蓋し書に曰く、学ばざれば牆に面す、と。故に其れ猶お正しく牆に面して立つがごときかとは、其の学ばざるを言うのみ。古えの学は、詩書礼楽、而うして詩・礼を先と為す、二南も亦た詩のはじめたり。故に孔子云うことしかり。且つ君子周の世に生まるるときは、則ち周家先王の道を学びて以て其の徳を成し、周家の君子たることを得。而うして二南は実に以て周の先王教化の盛んなる、家よりして国、以て天下に及ぶことを見る可し。故に周世学問の道は、必ず斯れより始まるのみ。後世の儒者は仏老の習いにれ、誤って学んで以て聖人と成ると謂いて、学んで以て当世の士君子と成ることを識らず。故に見る所は皆後世のきゅうだいの解なり。此の章の如き、二南をまなばざるを之れ牆面と為すは、皆其の解を得ずして、妄言して云云す。醜む可きの甚だしきなり」(樂得淑女以配君子、言關雎耳。二南何啻脩身齊家之事。朱子爲不曉語意矣。脩身齊家之事、豈二南所能盡哉。小康大同、不識措語。仁齋亦失之矣。蓋書曰、不學墻面。故其猶正墻面而立也與者、言其不學耳。古之學、詩書禮樂、而詩禮爲先、二南亦爲詩之首。故孔子云爾。且君子生於周世、則學周家先王之道以成其德、得爲周家君子。而二南實可以見周先王教化之盛、自家而國、以及天下焉。故周世學問之道、必由斯始已。後世儒者狃佛老之習、誤謂學以成聖人、而不識學以成當世士君子。故所見皆後世窮措大解。如此章、不爲二南之爲墻面、皆不得其解、妄言云云。可醜之甚)とある。窮措大は、貧しい学生や学者のこと。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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